三幕
「どうしてこんな馬鹿げたことが起こっている!?」
御雅来順一は形振りかまわず怒鳴りながら右の拳を持ち上げ、それをテーブルに打ち下ろす。だが、その鈍い音はどこかしら迫力に欠けていて、間の抜けた音しか鳴らなかった。
工房で見た惨事を御雅来家の面々伝えた後、全員でこの食堂に集まっていた。矢鱈と熱くなっている御雅来順一を尻目に、食堂にいる者たちはその殆んどが伏し目がちに黙したままだ。さり逝く人形師に、黙祷でも捧げているように。
「なんで親父が死んでるんだよ!?」
順一は奇声に近い大声を上げ続ける。
けど、それだけは順一と同意見だった。なぜ、あの人形師が殺されたのだ、と。あの人はただ、齷齪と人形を創っていただけなのに。
人形の起源は、とても古い。この国で人形の原型となったのは、神事の際に用いられた埴輪や土偶などの祭具だ。そこまで遡るのだから、人形文化というのは文化の起こりといっても差し支えはない。
特に、日本人にとって、人形とは特別な存在だった。以前、何かの本で読んだことがある。日本における人形は、単なるお座成りなお飾りなどではなく、ただの遊び相手でもない。古来より人形にも魂が宿るのだと考えられてきた。
そういった日本人の人形に対する真摯な姿勢は、全国の寺院寺社で催されている『人形供養』という形でも現れている。そこでは、人形としての役割を終えた人形たちが手厚く祀られた後、火葬によって葬られる。そこに集まる人形たちの面子も様々だ。高価な『お人形』から百円でゲットされたような『ヌイグルミ』までいて幅広い。
そんな愛すべき人形たちを作っていたあの人形師が。
…どうして、殺されなければならない?
「…………」
…それと同時に、私は同時に考えていた。
あの人形たちならば、世界さえ動かせる、と。
第二次世界大戦中、イギリス軍にマジックギャングと呼ばれる部隊があった。その部隊は一人の天才マジシャンを頭とし、カモフラージュ策戦でドイツ軍を手玉にとって連戦連勝を重ねたのだそうだ。つまり、偽装というトリックで歴史を動かした典型的な実例だ。マジックで世界を騙せるのだから、あそこまで『完成』された人形たちに、世界を騙せない道理はない。
つまり、殺されて然るべき動機は…ないわけでは、ない。
そして、あの小屋から失われていたのは、夜彦氏の命だけではなかった。
あの小屋の中に隠されていたという御雅来家の面々を模した人形たちが、全て消えていた。
御雅来夜彦が殺されるよりも前に、あの老人形師の姿をした人形が死んでいた。
私たちは、ソレを目撃している。そして、御雅来の人間たちの姿をした人形たちも、持ち去られていた。
と、いうことは。
と、いうことは…?
「お前か…お前がやったのかぁ!?」
順一は、白装束の少女の胸倉を掴んだ。彼女を、犯人だと断定しているように。
あまりにも脈絡のない、短絡的な行動としか思えなかった。
だが、砂鳥は冷静…というか平静だった。
少女は何も口にしなかった。反論も、苦悶も。
「何とか言ったらどうなんだ!お前が殺ったんだろうが!三年前のあの時と同じように…この家の者を殺そうとしたんだろうが!」
砂鳥が?あの、白い少女が?殺そうと、した?
砂鳥に詰め寄った順一は、さらに目を疑う行動に出た。
砂鳥のか細い首を、あろうことか諸手で、芋虫に似た野太い指で、絞め始めた。
ギリギリと。ギシギシと。
「殺されて…殺されてたまるものか!先にお前を殺してやる!」
砂鳥は、無反応だった。拒絶も抵抗もしない。
人形の、ように。
白装束の少女の瞳は、虚と実が紙一重の瞳をしていた。
「………砂鳥さん!」
それまで順一の乱心に呆気にとられていた沙良羅が、我に帰ってそれを阻止しようと走りだした。私も、それに遅れてだが駆け寄ろうとする。
そんな私たちを遮るように、順一の蛮行を諌めるように、神降悠が声を発した。
「落ち着いてください」
…『凛』。
変わった。それまでの怒気や怒号に満ちた食堂内の空気が、変わっていた。
空気や雰囲気のような、曖昧なモノが変わったのではない…。
悠の、一言で。たったの、一言で。
目の前の世界が、変質した。
私の目の前が、暗くなっていく。
何の音も、しなくなる。
此岸から、彼岸へ。
現世から、幽世へ。
それまで有ったはずのモノが無くなり。
無いものは、無いままに失われる。
落ち着かない不確定に。定まらない不備に。紛いものの不穏に。
手抜きで襲われるような。目的も無く遊戯ばれる。
わけの分からない全開の不快感覚。
わけも分からない全壊の浮遊感覚。
そんな曖昧な感覚さえ、崩れて消え去ってしまう、無感覚。
この部屋も。足元の床も。頭上の空も。
耳に障る音も。周りにいる空気も。温かい光さえも。優しい闇さえも。
全てが、軒並み、揉み消されてしまった。
だから、どうしようもなくて。どうしようもなくて。どうしようも、なくなった。
このまま。消えてしまう。それだけが。確信できた。
先ずは話し合いをしましょう
何もなかった空間に、何事もなかった神降悠の声が何気なく差し込まれる。
この場にいた全員が全員、生気を失った瞳でご主人様の顔を見た。
神降悠は、神降悠だけが、微笑っていた。
薄く。細く。薄氷よりも薄く。蜘蛛の糸のよりか細く、微笑んでいた。
先刻のアレは、あまりにも理不尽だった。
ただ、そんな只中で。
神降悠だけが、ふてぶてしいぐらいに普段どおり…だった?
「短気は損気ですよ」
悠はもう一度、順一に言った。
「あ、ああ…」
順一のそれは、返答でなく、ただの呻き声だった。
「落ち着いて聞いて欲しいんです。さっきの状況はかなり不自然だったんですよ」
神降悠の声は、不自然なほどに落ち着いていた。落ち着き払っていた。
けど、なぜ、そんなに平坦な精神でいられる?いや、いっそ冷淡といった方が正しいか。
「不自然…?」
順一は、うわ言のように悠の言葉を繰り返しているだけの、人形だった。
「ちょっと…待った」
言葉を発したのは…御雅来佐知代だった。彼女も、少なからず動揺しているようではあったが。
「さっきから、お義父さまが死んだとか殺されたとか言ってくれてるけど…私たちは、まだあんまり細かい状況を聞かされてないんだけどね」
ぶっきらぼうな言葉使いで、佐知代はそう言った。
「そうですね、では順を追って説明しましょう。先ず、夜彦さんは朝食の席までは生きておられました。殺害されてしまったのは、その後です」
神降悠のイントネーションには、一糸の乱れもなかった。それはそれは、薄気味が悪いほどに。
「時間で言いますと…大雑把ですが、朝の八時十分ぐらいから十時までの間でしょうか。正確な死亡推定時刻などは分かりませんが、状況から判断するとおそらくそうなります。この時間帯に、夜彦さんにお会いした方はおられますか?」
そこで悠は問いかけたが、返事をする者はいなかった。
悠は一度、小さく息を吸って、吐いた。そして、淡々と続ける。
「ボクたちは東さんに連れられて、夜彦さんの工房に向かいました。人形制作のためです。時間は、十時少し前でした。十時ちょうど、もしくはそれ以降に来てくれと夜彦さんに言われていたからです。ですが、その途中でボクたちは奇妙なモノを発見しました」
「…奇妙なモノ?」
佐知代が、虫歯でも痛がっているかのように、眉を顰める。
「それは夜彦さんの姿をした人形でした。夜彦さんの人形が、工房に行く途中でうつ伏せに倒れていたんです。最初にボクたちがこの人形を発見した時、夜彦さん本人が倒れているのだと信じ込んでしまいました」
生きていないのに、生きている。
だから、騙される。あの人形たちに、騙される。
「ですが、東さんが、「それは人形です」と見破ってくれたので、ボクたちはこれが夜彦さんの仕掛けた悪ふざけだと思ったんです」
そう、思ったのだ。これは、悪戯だと。あくまでも、その時は。
「その後、工房に着いたのですが、工房のドアをノックしても返事はありませんでした。なので、ボクたちは小屋の窓から中の様子を窺いましたが、工房の中では人形たちが積み重ねられて小さな小山ができているだけで、夜彦さんの姿はどこにもありませんでした」
悠の声を聞きながら、私はあの工房で見たあの光景を回想した…あれは、小学校の修学旅行の時に見た、原爆を落とされた後の広島の光景に、なぜか、似ていた。
「何らかの緊急事態だと判断したボクたちは、小屋の扉を壊して中に入りしました。部屋は中から閂がかけられていて開けることができませんでしたから。そして、そこで見たんです。その人山の下からのぞいていた、紅い、血液を」
私の脳裏に、あの現場の光景がフラッシュバックした。
…アレは、遅過ぎたレッドシグナルだった。
「工房の中の人形たちを掻き分けていった先で、ボクたちは夜彦さんの遺体を発掘してしまいました」
悠はそこまで言って、また、息を吸い込んだ。
…特に、変化は無かった。
「なるほど…粗方の流れは分かったよ」
佐知代は、冷静に(少なくとも表面上は)呟く。そして、少し声のボリュームを上げて続きを話し始めた。
「まあ、死因だとか人形だとか、気になることは色々あるね…何しろこれは、人殺しだろ」
佐知代は、面倒くさそうに呟く。
誰もが気にしていながら、誰も口にできなかったことを明確にした。
「そうですね、夜彦さんには刃物の刺し傷がありました。ただ、その凶器はあの工房の中にはありませんでしたけれど」
澱んだ雰囲気の中、悠は事も無げに説明を続ける。
…なぜ、続けられる?
「あと、気になることと言えば工房の中が密室だったということでしょうか。あの小屋の中には誰もいなかったはずなのに、閂は内側からかけられていました」
悠の顔色は変わらない。
人の命が失われたはずなのに、それよりも工房が密室だったことが気になると、口にしていた。
…他に気になることは、ないのか?
「え、ええと…だから、それはどういうことなんだ?」
置いてけ堀だった順一が尋ねる。いや、この状況下で言葉が発せられるだけ大したものなのだろうか。私にはもはや、分からない。
「工房の中で夜彦さんを殺害し、人形たちで夜彦さんに『蓋』をしてしまった犯人は、閂をかけた工房の中から忽然と姿を消してしまいました。しかし、閂は工房の中からしかかけられません。そして、他に出入口もありませんでした」
悠が、これ以上ないというほどに細かく咀嚼して説明した。
「そ、それは…おかしいだろ」
「そうですね、おかしいですね。なので、先ずは警察に連絡をしましょう」
悠はそう提案をした。私たちは夜彦氏の死の衝撃を引き摺っていて、その程度の連絡がまだできていなかった。確かに、悠の言葉は正しい。どこも間違ってはいない。何はなくとも、先ずは警察に連絡をするべきだった。
…ただ、私には、夜彦さんの死を、どこか置き去りにしているようにも聞こえてしまった。
「その通りだ、先ずは警察だね…四の五のと二の足を踏んでる暇はない」
悠の声に促された佐知代がうなづく。
が、それに反発する人間もいた。御雅来順一だ。
「ここは人形師の大咎人、御雅来家だぞ!簡単に外部の人間を招き入れるわけにはいかん…というか、親父が殺されてしまったなどと知られては、これからのことにも影響してくる!ここの人形を欲しがる金持ちは腐るほどいるんだからな!」
「馬鹿なことをお言いでないよ。あんたは犯人に殺されたいのかい?」
佐知代に正論を突きつけられた順一は、口を閉ざすしかなくなる。佐知代はその後、食堂に備え付けられていた固定電話に向かって歩を進めた。だが、受話器を持ち上げたところで、ボタンをプッシュせず、ただ地蔵のように立ち尽くしていた。
「佐知代さん、どうしたんですか?」
悠が訊ねる。佐知代は、渋い表情を浮かべたまま言った。
「いや、電話の奴が、ちょっとストライキを起こしてくれたみたいなんだよ…」
「通じないのですか。まさか、電話線が切られてるということでしょうか」
往年のミステリなどでは、この不都合さは鉄板の展開ではあるが。まさか、自分がそのベタな憂き目に遭うとは思わなかった。というか、そんなモノは私のいない世界線でやってくれ。
「できれば、そうでないことを祈りたいけどね…」
佐知代の表情が、さらに険しくなる。
けど、それも当然か。
「スマホも、やっぱり通じませんよね」
悠はスマートフォンを取り出した。しかし、ここではスマホは通じない。ネットにも通じていないし、Wi-Fiも飛んでいない。基本的に、この場所は外界から秘匿されているからだ。
そして、余談ではあるが…いや、余談でしかないが、待ち受け画面は悠と沙良羅のツーショットだった。だが、そんな安穏とした思考に浸っている場合ではない。だが、今の私には、あの人形師が殺害されたという現実を潔く受け止めることも、できなかった。
「…車で、山を下りてみましょうか」
老執事、巻島半兵衛が提案した。
「そうですわね…直接、警察の方々のところへまいりましょう」
沙良羅も半兵衛に賛同した。なるほど、その手があったか。ここに来る道があるのだから、帰る道もあるのは当たり前だ。行きはよいよいで、帰りは怖いというわけではない…というか、今の私はその程度の考えにも至らなかったのか。
「あの、私も…一緒に行っていいかな?」
私は願い出た。こんな得体の知れない場所に置いていかれるのは、嫌だった。
「ええ、ナオコさんもご一緒ですわ」
そう言った沙良羅の笑みは普段通り愛くるしかったが、それが強がりだということくらいは私にも分かった。
そして、私たちは下界へと向かった。助け舟を求めるために。
「頼んだよ、東…」
佐知代が東に念を押す。使用人の東も、私たちに同行することになったからだ。
「はい、佐知代様」
佐知代以下、御雅来家の面々と使用人の城山が見守る中。
最後に車に乗り込んだ私が、扉を閉めた。きっちりと鍵をかける。私ははっきりと意識していたわけではなかったが、きっちりとそうした。
…夜彦の二の舞だけは、ゴメンだったから。
いや、あの老人形師は鍵をかけた部屋の中で殺されていたのだったか。
「では、出発いたします」
巻島半兵衛が宣言した後、リムジンは、本当に発進したのかと思うような静けさを保ったまま、静かな景色の中を進みだした。
「東さん、少しお伺いしてもいいですか?」
寂々(じゃくじゃく)とした車内で、神降悠が口を開いた。
「何を…で、ございます、ですか?」
「三年前、この御雅来家で、何があったんですか?」
悠が尋ねると、東は沈黙した。だが、いつまでも沈黙してはいられないと悟ったのか、口を開いた。
「……………それは、今回の事件と何か関係があると考えてのことなんですか?」
「それすらも分からない、ただの愚問です」
悠がそう言うと、東は、怒っているような、呆れているようなどっち付かずな顔付きをしていた。おそらく、彼にしては珍しい表情ではないだろうか。いや、それだけ余裕がないということか。だが、東は根負けしてしまったような形で、口を開いた。
「三年前…火を放ったのです」
それは、随分と物騒な話だ。
「三年前のある日の深夜…以前のお屋敷に、御雅来砂鳥様が火を放ったのです」
東は、抱えきれないナニカを握り潰すように拳を握っていた。
だが、あの白い少女が、放火…。
あの白の少女には、そんな俗っぽいことは似合わないのではないだろうか。
「以前のお屋敷は、その時に全焼してしまいました…しかし、幸いなことに怪我人一人でることはありませんでした…今のお屋敷は、その後で再建されたものです」
「だから、砂鳥さんの部屋だけが順一さんたちとは別々なんですね」
悠は頷いていた。
彼女の部屋だけが辺鄙な場所に隔離されていたのは、そういう理由だったのか。
そして、砂鳥の部屋には二重に鍵がかけていた。しかも、外から。
それは、逃げられないように。
出られないように。
あの白い少女は、カゴの鳥だった。その名に、違わぬ。
「ええ、そうかも、しれませんね…」
それ以上の言葉を東は語らなかった。私も深入りはしたくなかった。その代わりにと言ってはなんだが、巻島半兵衛が口を開いた。
「どうやら、行き止りのようですな」
「どういうことなんですか?」
悠が半兵衛に尋ねた。だが、その答えを悠は自ら口にした。
「土砂崩れ、ですか」
リムジンの前方で、土の雪崩が起こっていた。大量の土砂は、大きく両手を広げて車を通せんぼしてくれている。
おいおい、ここまで紋切り型のお約束なのか。
これでは、二束三文の価値もないパニック映画ではないか。