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二幕

「何がおかしいんですか…東さん」


 私は、苛立ちを覚えながら東将門に問い質した。

 ここで笑い声をあげられる神経が、信じられなかった。

 ここで倒れ伏しているのは、東の雇い主である御雅来夜彦だというのに。

 しかし、東はあっさりと口にした。


「いえ、これはおそらく、人形ですよ」

「これが、人形なんですか?」


 悠が東に尋ねる。

 それはそうだ。これが人形だと言われても、「はい、そうですか」とも簡単に納得はできない。

 どこからどう見ても、コレは御雅来夜彦本人にしか見えなかった。

 …いや、それが、この御雅来の人形だったはずだ。人間と寸分違わぬ人形を創ることができるのが、大咎人の人形師である御雅来夜彦だったはずだ。


「…本当に、これは人形なのですか?」


 沙良羅も、不安そうな瞳で東に言った。


「おそらくは、そうだと思うのですが…もし違っていたら、どうしましょう?」


 …それはナシの方向でお願いします。


「…あ、いえ、でも、多分、人形ですよ。夜彦様は時々、こういう性質の悪い悪戯をなさいますから」


 そう言って、東が人形(?)のもとに屈み込んだ。そして、東は閉じていた夜彦の瞳を指で開き…その眼球を直接、指でつついた。

 なんとなく…なのだが、カラスが死体を(つい)()んでいるような、背徳的な絵図でもあった。


「…やはり、人形のようですね」


 どうやら、本当に人形だったらしい。


「御雅来の人形は、外見だけで人間と見分けることなど不可能です。ですが、たった一つだけ、判別する方法はあるのです。それが、今お見せいたしましたように、瞳に触れることなのです」

「だけど、本当に人間と人形の区別がつかないんだね。さっき脈を計るために腕を持った時、質感まで本物の『人間』を感じたよ」


 神降悠が感心したように頷いていた。

 確かに、人間と全く遜色のない人形だ。人形と人間との区別がつかなかった。生者と死者の区別が、てんでこれっぽっちもつかなかった。


「では、そろそろ工房の方に向かいましょうか。皆様も、夜彦様に苦情の一つもおっしゃりたいでしょうから」


 東は歩き出し、後ろを私たちも(そぞ)ろ歩く。先刻の緊張感から解放され、全員が安堵しているように見えた。


「でも、夜彦さんはご自身の人形を作ったりするんですね」


 悠が東に問いかけた。


「はい、御雅来家の方々全員の分…いえ、私や城山さんの分の人形もありますよ」

「へえ、そうなんですか?」

「ご自分の身の回りにおられる人間を人形で再現することが、御雅来の人形師にとって最良の修行になるのだそうです。見比べられるサンプルが目の前にいるわけですから」

「なるほど」


 悠は東の説明に得心していたようだ。私も密かに首肯する。

 そんな話をしている間に、一向は夜彦の人形工房に辿り着いていた。

 東が、ドア…というよりも、ただの板に近いドアを静かにノックした。

 返事は、なぜかなかった。


「…おかしいですね?」


 東は、もう一度だけノックを試みた。扉の向こうからは、「うん」とも「すん」とも聞こえてはこない。


「いないはずは…ないと思われるのですが」


 東が扉に手をかけ開こうとしたのだが、開かなかった。どうやら、中の閂はかけられていたようだ。


「なぜでしょうか…夜彦様、おられないのですか?」


 小屋の中から閂がかけられているということは、この中には、少なくとも一人の人間はいるはずである。なのに、東の呼びかけに応じる者は、皆無だった。


「まさか、何か突然の病気で倒れたとか…」


 私が、独り言のように思わず口を開いた。


「東さん、確か…窓がありましたよね。そこから中の様子を窺ってみましょう」


 悠が、言いながらも素早く工房の脇に回り込んだ。小屋の側面には、ガラスが上下に居並ぶ上げ下げ窓があった。ご主人様は、そこから小屋の中を窺う。


「何か見えましたか?」


 東もユウの隣りに来て中を覗こうとした。私たちも続く。


「あれを…」


 悠が指差した先。

 小屋の中央には、人が積まれていた。沢山、積まれていた。小山のようになっていた。まるで、荷物でも集めたような…いや、死体でも適当に掻き集めたような、杜撰(ずさん)で悲惨な光景だった。


「あれもきっと、人形ですよね?」


 悠は隣りの東に訊ねた。

 そうだ。きっと、人形だ。あれだけの人間が、いきなり死体として登場人物で出てくるはずがない。だから、これもきっと、あの老人のお茶目のはずだ。だが、なぜか先程とは空気が違う。


「夜彦様!」


 その夜彦様の姿はどこにも見えなかったのだが、東は呼んだ。返事はない。


「他に、何か変わったところは…」


 悠は部屋の中をぐるりと見回した。


「閂は…やっぱりかけられてるみたいだ」


 悠が口にしたように、確かに内側から施錠されていた。ならば、夜彦は…いや、ナニモノかはこの部屋の中にいるはずなのだ。


「開かないみたいですね」


 窓を開けようとした悠だったが、その窓は下側の窓が上方にわずかにスライドしただけで、殆んど開かなかった。


「そこは無理ですよ。こちらの窓は少ししか開かない仕組みになっているのです」


 東に説明されずとも、それは自明の理だった。よくて五センチという距離しか動いてくれない。


「扉を破りましょうか」


 物静かなまま、物騒なことを悠が呟いた。


「では、私はハンマーか何かを取りに行ってまいります」


 だが、東も悠に賛同していた。彼も、今が緊急事態だと認識している。


「その必要はありませんよ、東さん。サラ、いけるかな?無理ならいいんだけど」

「無論…余裕綽々(しゃくしゃく)ですわ」


 言った後、沙良羅は小屋の入り口に戻り。そして、とおせんぼをしている扉の前に立ち。肩幅より少し広めに足の幅を広げ。短く鋭く、呼吸をして。素早く背を向けた刹那。

 重厚な衝突音が聞こえた次の瞬間には、もう、扉はなくなっていた。

 翼王道沙良羅が、スラリと整った白く長い足で、扉を蹴り飛ばしていたからだ。


「少しぐらい、手加減して差し上げた方がよろしかったでしょうか」


 軽く舞っていた沙良羅のスカートが、軽やかに元に戻った。それは、天女の羽衣を私に連想させた。


「ご苦労様」


 悠が沙良羅を労った。そして、小屋の中に呼びかける。


「夜彦さん、いないんですか?」


 粗暴なノックで扉を壊しておきながらも、悠は最後の確認のために声を出した。


「夜彦さんは、いないのかな」


 悠の背後から小屋の中を覗き込んだ私の目が、あるモノを捕らえていた。

 ソレは、積み重ねられた人垣の下から微かにのぞいていた。

 紅く。そして。暗いモノ。それらが、床に染みを作っていた。


「まさか……」


 そう呟いた私の脇から東正門が部屋の中に入る。

 そして、その後ろから神降悠も続く。東と悠の二人で、人形たちを退けていった。

 悠は会社員風の中年男性を退けた。

 東は麦わら帽子の婦女子を丁寧に退けた。

 悠は年老いたお婆さんを退けた。

 東は専業主婦のような女を退けた。

 悠は年端もいかない男の子を退けた。

 東はミュージシャン風の男を退けた。

 一体ずつ、その人垣を、崩していく。

 生半(なまなか)な作業では、なかった。

 昨日は部屋の壁に吊るされていた人形たちが、全て床に降ろされていたのだから。

 私や沙良羅や半兵衛も、手伝った。侵入者である私たちを、人形たちの瞳は無頓着そうに眺めていた。

 …人形たちを退けながら、私は、墓場でも掘り返しているような気になっていた。


「夜彦様っ!」


 積み重なる人形たちの底から、人形師・御雅来夜彦が姿を現した。

 しかし、一見しただけで、分かった。

 …いや、最初から分かっていた。

 苦悶の表情を浮かべたまま。

 口の端に血の唾液をこびり付かせたまま。

 背中に、包丁を突き立てられたまま。

 御雅来夜彦は、くたばっていた。

 その顔付きは、他の無表情な人形たちとは異なる、生きた苦悶の表情だった。

 死んでいる彼の表情の方が、なんだか、人形たちよりも、『生きている』と、そう感じさせた。


「嘘、だよね…今度も、嘘なんだよね…?」


 殆んど、祈るような私の声。

 夢ならば覚めて欲しいし。悪夢ならば救って欲しい。


「どうやら…今度こそ、本当のようです」


 現実だと、東正門が認めた。

 人形師御雅来夜彦のその『死』が本物だったことを見定めた東は、ゆっくりと、緩慢な動きで立ち上がった。


「このことを、順一様たちにお知らせしなければ…」


 虚ろながら、使用人の彼はそう言った。


「そうですね」


 悠もそれに相槌を打つ。そして、続けた。


「では、全員で固まって行動しましょう。どこかに、夜彦さんを殺した犯人がいるかもしれませんから」


 神降悠は、淡白に提案した。そして、私たちは彼に促されて小屋の外に出ようとする。

 けれど、殺された…か。

 そうだ。殺されてしまった。

 老人形師は、殺されていた。

 何故?如何して?

 これらの単語が、脳裏を回遊する。しかし、当然、解答は得られない。

 そしてそれは、私だけではなかったようだ。沙良羅も、私と同じか、もしくはそれ以上の比重の当惑を感じていたようだ。半兵衛も、表層は取り繕っているようだったが、それでも精神的に打ちのめされているのは間違いない。私たちは、覚束(おぼつか)ない足取りで小屋を後にする。

 そんな私たちを見送るように、つけっ放しだった大型テレビの向こう側では、真田さんではない女子アナウンサーが、明るい顔をして桜前線の情報を視聴者に伝えていた。

 今日は、絶好の花見日和なのだそうだ。






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