第34話 チョロいどころじゃねえ
見ている俺や自転車アクダマンの前で、今度は左拳を翔子が夫に見舞う。情け容赦のない一撃が、聞くだけで恐怖を覚える音を発生させる。
振り上げては下ろされる拳が、確実に男の顔面を破壊していく。その間、翔子は常に真顔だった。
「ひ、ひい、ひいい……!」
あまりに悲惨な光景を目の当たりにし、自転車アクダマンが悲鳴を上げた。
その瞬間、そっちにもいたわねとばかりに翔子が両目を光らせた。暴走としてる獣よろしく俊敏な動きを披露し、瞬く間に自転車アクダマンと掴みあげる。
「また私を断崖絶壁って言った」
抑揚のない声で呟いた直後、ヒトヅウーマンとして腕力上昇中の翔子は実にあっさりと、自転車アクダマンを真っ二つに折ってしまった。
さすがヒトヅウーマンといいたいところだが……必殺技が残酷かつ地味すぎねえか? 本当ならこう恰好いい剣とかあるべきじゃねえのか。けど、武器があるとは聞いてねえしな。
やっぱりあのブローチはヒトヅウーマンに変身できるだけで、あとは力技で何とかしろってことなのか。
翔子も言ってたが、特撮やアニメと違って、現実はこんな感じなのかもしれないな。妖精に生まれ変わった俺が言っても、あまり説得力ねえけどな。
気絶した旦那と破壊した自転車をしばらく見下ろしたあと、翔子は力なく床に膝をついた。
「こうなるのが嫌だから、ずっと隠してたのよ……」
「同情はしねえぞ」
泣きそうだった翔子が、言葉を発したばかりの俺を見る。
「結婚する時は相手を選ぶんだよ。独身時代に経験を積みながら、見る目を養うんだ」
「言ってくれるじゃない。まさか、私が送ったアドバイスを、そのまま送り返されるとは思わなかったわ」
「だな。ま、お前ばかりが悪いんじゃねえよ。男にも見る目がなかったんだ。乳にこだわるなんてろくなもんじゃねえよ。俺だったら、そのままの翔子を好きになってただろうしな」
同情はしねえが、励ましてやるよ。感謝しやがれ。
……ん?
何だ、翔子の奴、やけに熱っぽい目で俺を見てないか?
「そのままの私を好きだなんて……そんな優しい言葉をかけられたら、私、私……」
瞳が潤んできてるじゃねえか。何だ、この展開。
「もう、貴方しか見えない!」
「……はい?」
「とぼけないで! ついさっき私に愛の告白をしてくれたじゃない! 今はまだ夫ある身だけれど、少しだけ待っていて。すぐに貴方のもとへ行くわ。そのままの私で!」
何を言ってるんだ、お前はとツッコミを入れる前に、キツく抱きしめられてしまう。本来なら柔らかい谷間に顔を埋めて、うへへと言うところだがそれはできない。何故なら、翔子が断崖絶壁だからだ!
待て待て。間違ってもその四文字を口にしたら駄目だぞ。もしかしなくとも、今度は俺が自転車アクダマンのような悲惨な姿にされちまうからな。
抱きしめられたままで現状を整理しよう。俺は翔子を励ますつもりで、俺ならそのままの翔子を好きになってたぜと言った。
どうやら翔子は、それを愛の告白と受け取ったようだ。その上で拒絶せずに受け入れ、今のような状況になっていると。
うん、あれだな。考察が間違ってないとしたら、チョロすぎだろ。処女の人妻。
「あー……俺は妖精で、外見は猫なわけだが?」
「そんなのは関係ないわ! 貴方が私に言ってくれたように、私もそのままの貴方を愛するもの!」
あのひと言って、そんなに強烈だったのか? もしくはナイチチでもいいと言ってくれるなら、誰でもよかったのか。だとすれば、乳ないせいでどれだけ悲惨な人生を送ってきたんだよ。
何を言っても無駄っぽいので、とりあえずそのまま受け入れておくことにする。そうすりゃ、楽だしな。
「私……こんなに誰かを愛したのは初めてよ」
お前、人妻だよな? だったらどうして夫と結婚したんだよ。
「抱いてっ! この場でめちゃくちゃに……抱いてっ!」
いやいやいや! これもうチョロいどころじゃねえな。即堕ちじゃねえか。俺、自分でも知らないうちに謎のマジックアイテムとか使ってないよな!?
ぐおおっ! 全身にキスをするな! くすぐったいだろうが!
妖精だが猫らしさを活かし、なんとか翔子の両腕から脱出する。
「あン。どうして逃げるのよぉ」
うおっ! 今まで俺に見せたことのない甘えた表情……く、まいったぜ……可愛いじゃねえか。
ハッ! いかん、いかんぞ。こんなことを思ってたら、俺まで変な奴扱いされちまう! とにかくペースを戻さねえと!
「いちゃいちゃするのはあとだ。まずは仕事だ。そうしないと、二人で幸せな生活を送れないからな」
仕事だとだけ言えば、翔子の性格上、私と仕事とどっちが大事なのよという展開になりかねない。だからといって冷たくしすぎると、ブチギレられるかもしれない。
考えた末に仕事の話をしつつ、それは君のためでもあるんだよ的な台詞を発した。上手くいく保障はねえんだが、さてどうなるか。
ドキドキしながら翔子の反応を待っていると、これまでにはない笑顔を見せてくれた。
「そうね。今日からこの家は私と貴方の家になるんだものね。邪魔者は今のうちに排除しておかないと」
数分前まで、愛だの何だの言ってた夫を邪魔者扱いかよ。女って、怖え。翔子だけかもしれないが。
翔子に急かされ、エダマメに電話をかける。
「ウメボシ君か。例のアクダマンは倒したのかな」
「おう。ヒトヅウーマンが真っ二つに折ったおかげで、口から泡拭いて痙攣してるぞ」
「……そうか。ただちに回収班を向かわせるよ」
エダマメが言ってから、一分もしないうちに部屋へ複数の妖精がやってきた。
「おや。人間の男性もひとり倒れているみたいだね。彼は誰なのかな?」
「翔子の夫だった男だ。地球人でいながら、アクダマンに協力していたらしい。自転車アクダマンの話じゃ、幹部だそうだ」
「何だって!? それはお手柄だよ。これで敵の全容とまではいかなくとも、組織の内情を把握できるかもしれない。彼も妖精界側で回収しても構わないのかな?」
尋ねられた翔子は満面の笑みで頷いた。




