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第30話 何か文句がありますか

 すぐにでも翔子を追いかけ、自転車を回収しなけりゃ、俺までクビにされる恐れがある。


「しかし……もうまったく見えねえな」


 俺がエダマメと会話をしてるうちに、消えちまいやがった。よくよく考えれば、あのチリンチリンうるさかった音は、自転車のベルを鳴らしてたからじゃねえか。


 チッ。完全に油断してたぜ。こうなりゃ、あの女の家に突撃してやる。


 ……ちょっと待て。俺、翔子の住所を知らねえぞ。妖精界の社員みたいになったとはいえ、契約書を交わしたわけじゃない。あの女の情報なんぞ、どこで調べりゃいいんだ。


 八方塞がりじゃねえか。気づくと夕方になってるしよ。


「とりあえず、腹が減ったな」


 妖精であろうと腹は減るし、トイレも必要だ。そこらは普通の人間と、何ら変わりない。味覚もあるおかげで、人間だった頃の楽しみを今も変わらず味わえてたりするんだが。


 翔子が戻ってくる気配もねえし、公園から移動するか。目立たないように、猫らしく歩きながらな。


 はあとため息をつきつつ、普段からテリトリーにしている道を歩く。外見は猫そのままなので、歩行速度は人間に比べると遅い。目当ての場所へ着く頃には、とっくに夜になってしまっていた。


 ジャンプしてドアノブを掴み、振り子の要領で体を動かしてドアを開ける。いつもやっているので、慣れたもんだ。


 開いたドアから中に入ると、そこにはカウンターと椅子が並んでいた。いわゆるバーである。


「マスター、いつもの」


 喋りながら、ひょいとジャンプしていつもの席に座る。マスターは俺に驚きもせず、ジンライムを作ってくれる。甘い酒は苦手だ。男はこれくらいじゃなきゃな。


 出されたグラスを口に運び、程よい風味と独特の香りを楽しむ。グラスを傾けるたびに、カランと鳴る氷の音がたまらない。一日の疲れも癒えるってもんだぜ。


「何、ひとりでハードボイルド気取ってんのよ。全然似合ってないんだけど」


 いきなり聞こえたツッコミに振り向くと、いつの間にやら翔子が立っていた。しかも出会った時の服装だ。


「ちょっと。露骨にガッカリしないでよ。いくら私が魅力的だからってさ」


「巨乳だしな」


「ええ、もちろん」


 嫌味のつもりだったんだが、まったく効いてねえ。メンタルだけは賞賛すべき強さだな。


「お前、もしかして俺を尾行してたのか?」


 こんなタイミングよく現れた以上、そう考えるのが普通だ。どんな目的があったのかは知らないがな。


「ううん、全然」


 ……マジか。予想外すぎて、椅子から落ちそうになっちまったじゃねえか。せっかく注文したジンライムを台無しにしたら、どうしてくれる。


「自転車で家に帰ったあと、買物を忘れてたのに気づいて、家から出たらたまたま貴方を見つけたのよ。そしたら、家の近くのボロ屋に入っていくじゃない。せっかくだから火でもつけて驚かそうかなと思ったのよ」


 最後にさらっと、とんでもない目的をぶちこんでくれやがったな。こんな一階建ての木造ボロ屋に火をつけられたら、驚く前にあの世へ旅立っちまうじゃねえか。


「中を覗いたら驚いたわ。バーになってるんだもん。白髪に白髭で、バーテンダーをしてるマスターは仲間?」


「仲間じゃねえよ。マスターは普通の人間だ。三年前から贔屓にさせてもらってるがな」


「そっか。貴方、前世は日本人だったらしいもんね。お酒の味も知ってるんだ」


「まあな」


 ニヒルに決めてみたところで、翔子が恰好いいなんて感動するはずもない。


「引きこもりのニートだったくせにお酒を嗜んでいたなんて、最低最悪な人間だったのね。きっと今頃はご両親も喜んでるわよ」


「放っておいてくれ。それより、さっさと自転車を寄越せ。目を覚まして逃げたらどうするんだよ」


「大丈夫よ。鎖に繋いであるから。それより、外に看板もなかったけど商売とかしていいの?」


 あっけらかんと、どぎつい質問をしやがったな。しかしマスターは動じない。初めて俺が目の前で喋った時も、当たり前に受け入れたくらいだしな。


「うちは店ではないので、問題ありませんよ」


「店じゃないって、面白猫にお酒を出してるじゃない。あ、そういえば、喋る猫を見て不思議に思ったりしないの?」


「ウメボシ様が妖精なのは承知しております。事情を伺っておりますからね。お酒を出すのも大丈夫です。人間相手ではないので」


「人間相手じゃなくて、妖精相手に商売してるから、営業許可を貰わなくてもいいってわけ? そんな適当な理由が通るわけないでしょ」


 それはそのとおりだが、密告されて俺が酒を飲みながら愚痴る場所を潰されちゃたまらん。


「誰に迷惑かけてるわけじゃねえんだから、放っておけよ。それに俺は金を払ってねえ。つまり商売にはならねえんだよ。バー風に改造した家で、酒をご馳走して貰ってるだけだ」


「なるほど。そう言えば商売にならないもんね。それに喋る猫に酒を飲ませたといっても誰も信じないでしょうし、口止め料さえ貰えれば黙っておいてあげるわ」


 やっぱりか。妖精界に送り返したコリーが最強だと思ってたが、こいつも負けず劣らずじゃねえか。


「聞いてくれよ、マスター。ようやく仕事が進展し始めたかと思ったら、こんなのと関わるはめになったんだぜ」


「こんなのとはご挨拶ね。面白猫とボロ屋マスターに、あれこれ言われたくないわよ」


 翔子のことは客じゃないと思ってるのか、俺に接する時とは明らかに違う態度でフッと軽く笑った。


 何よと不快そうにする翔子を見て、マスターは躊躇いなく言ってのける。


「外見だけ立派にしても、中身は変わりませんよ。例えば……おっと、私からこれ以上言うのは避けましょう」


 目線はしっかり、外見上だけは立派な巨乳に注がれている。瞬時にマスターの発言の意図を察した翔子は、驚くべきスピードで俺の首を絞めやがった。


「乙女の秘密を教えたわね」


「ど、どこにそんな時間があったんだよ。見抜かれただけじゃねえか!」


「そんなはずないわ! 今まで一回だって見抜かれたことはなかったもの! 夫にだってバレてないのよ!」


 その言葉で俺はハッとした。


「お前……夫にパッドがバレるのが嫌で、結婚してから一年以上も肌を重ねてねえのか。純潔を守り続けてるっていうより、単純に裸を、ナイチチを見せたくないだけじゃねえか!」


「そうよ! 何か文句がありますかあぁぁぁ!!!」


 魂の叫びだった。さすがにここまでくると哀れさが漂う。

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