第19話 恐るべし……!
驚く俺が見てる前で、人間の羞恥心など理解できそうもない自転車が、実にあっさりと、翔子のレオタードの肩ひもをずらした。
そのまま上衣部分を下げれば、あっという間に丸見えである。ここまでわずか一秒。虚をつかれた形になった翔子はろくに抵抗できず、上半身を露わにさせられてしまった。
前世では物心ついて以降、女性の乳房を間近で見た経験のなかった俺は、密かに狂喜乱舞する。
さあ、俺に見せてみろ。巨乳だと自慢していた、お前のおっぱいを! さっきはビカビカと邪魔な光のせいで、細部までは確認できなかったからな。今度こそはじっくり堪能させてもらうぜ。
「なっ――!? こ、これは……!」
強い決意を秘めて向けた視線が捉えたのは、力なく落ちていくベージュの乳パッドだった。ご丁寧に乳首までついてやがる。
さっきの変身シーンで偽乳だと見抜けなかったのは、興奮して冷静さを失ってたのに加え、翔子の全身を包んでいた光のせいだろう。
変身時に全裸となったまではわかったが、惜しくも肝心な部分を見損ねたのもそのせいだ。上層部へ現状を報告する機会があったら、変身時の光をなくしてくれという要望も出しておこう。
光のせいで、関係のない地球人の興味を惹いてしまう危険性があるとか言っておけば、理由としては十分だろう。応じてもらえる可能性は低いかもしれないが、決してゼロではない。俺の欲望――もとい、世界平和のために善処してもらわなければ!
それにしても、翔子の奴が乳を盛ってたとはな。処女だとか言うわりに、やたらと巨乳を自慢してくると思っていたが、まさかこんな秘密が隠されていたとは夢にも思わなかったぜ。
事あるごとに自分を巨乳だと言ってたのは、コンプレックスの裏返しみたいなもんだったのかもな。
確かに巨乳は正義だが、それだけで女の価値が決まるわけじゃない。バストサイズを極端に気にするのは、むしろ女性の方が多いような気がする。
その点も説明して慰めてやろうとしたが、剥き出しの翔子の上半身を見て俺は硬直してしまった。
何だ、これは。下手したらAカップもないんじゃねえか? つーか、男? いや、顔立ちや声は女だし、ヒトヅウーマンに変身できたことからも、その疑いは消える。つまり、正真正銘のナイチチなのか。
女は乳じゃない、尻だなんて下ネタで笑いでもとろうとしたが、そんなレベルじゃねえぞ。触れるのはご法度というか、人として――いや、妖精だけども、見ないふりを選択したくなるほどの惨状だ。
なんてこった。一度死を経験し、怖いものなどもう何もないと思っていた俺なのに、足が震えてきやがったぜ。こ、これが、本物の恐怖ってやつか。
もぞもぞと埋まっていた地面から脱出し、ガックリと項垂れる。すまない、翔子。俺には……お前にかけるべき言葉が見つからねえ。許してくれ……!
心の中で涙を流し、全力で謝罪をした瞬間だった。
「地球人の女性平均値より遥かに劣るサイズ。この星の言語を用いれば、これは巨乳ではなく貧乳ですね。激貧乳です。称号を与えるならば、断崖絶壁になるでしょう」
「――ブホホウっ!」
なんてことを言いやがる。この自転車。おかげで吹き出しちまったじゃねえか!
傷心の人妻に、よりにもよって断崖絶壁……断崖絶壁!?
「ぶひゃひゃひゃひゃ! だ、断崖絶壁! は、腹痛ぇ! さ、さてはお前らアクダマンは、地球人を笑い死にさせて、地球を支配するつもりだな! 俺は妖精だからそんな手には……ぷぐぐっ! ひっ、ひいい! ぎゃはははは!」
笑いが止まらねえ。こんな経験は初めてだ。仕方ねえよな、だって断崖絶壁だぞ! 言うに事欠いて断崖絶壁って何事だよ!
「私にそのようなつもりはありません。事実を告げたまでです。ヒトヅウーマン……ですか? 彼女の上半身は断崖絶壁です。ふくらみは検出できません!」
「ぶふうゥ! もうやめろって! ふくらみ検出できない断崖絶壁って……! お、お前、酷すぎだろ! そのとおりだけどよっ! ぶひゃひゃ!」
両手で腹を押さえながら、地面の上を右に左に転げまわる。腹がよじれそうという表現の正しい意味を、俺は今日初めて知った気がする。それもすべて、断崖絶壁女のおかげだ。くひ、くひひっ!
「ひ、ひひひ、お前……か、覚悟はできてんだろうな……ぷ、くく……ち、地球の侵略を防ぐ為に……た、退治してやるからな……くひっ、ひっ、ひっ。こ、ここにいる……ひ、ひひ……断崖絶壁! ヒトヅウーマンがな! くひゃーひゃひゃひゃ! 決まり文句もできたじゃねえか。よかったな、おい!」
「何がそんなにおかしいのよ……」
ゆらりと。怒りの炎をまとった翔子に睨みつけられても、爆笑中の俺が行動を改めるのは不可能だった。だってそうだろ! 断崖絶壁ヒトヅウーマンだぞ! そんなことを言われた日には、俺じゃなくても笑い転げるって!
「女のおっぱいが見られたのに、感動する前に爆笑するなんてありかよ! ありえねえっての! で、でも、見ろよ! お前も自分の胸を! 断崖絶壁に米粒がくっついてるようにしか見えねえだろうが! きひひっ!」
「そうでしたか。私も乳房の先端を不思議に思っていたのです。乳頭にしては明らかにサイズが小さいですし、そもそも乳房と呼んでいいのかも不明でした。ですが妖精の貴方のおかげではっきりしました。彼女の乳房の先端にあるのは米粒だったのだと!」
ぴききっと、どこかで何かが硬直するような音が聞こえた。発生源は翔子だ。確かめるまでもない。
「地球では女性の乳房で稲作をするのですね。それなりに地球で生活していますが、新発見です。急いで本星へ報告しなければなりません」
こいつ、本気だ。冗談で言ってるわけじゃねえ。真面目にアクダマンの本星とやらに報告するつもりでいやがる。地球の女は胸で米を作ってると!
「おま、それ、マジか! マジなのか! そんな芸当できるのは、地球でもひとりだけだっての! ここにいる! 断崖絶壁ヒトヅウーマンが特別な存在なんだよ! ある意味でな! げひゃひゃ!」
「なんと! では、胸で米粒を作るのは、断崖絶壁ヒトヅウーマンのみに許された特殊能力というわけですね。恐るべし……!」
意味不明に悔しがっておきながら、台詞の直後に自転車アクダマンはすっとぼけたような声で俺に聞いてきた。
「ところで……そのような行為に何の意味があるのですか? もしや、私たちでは想像もできないような重大な秘密が隠されているのでは!」
ねえよ、そんなもん。きちんとツッコんでやりてえのに、笑い転げてるせいで上手く喋れねえ。前世も含めて、こんなのは初めてだ。恐るべし、アクダマン。そりゃ妖精界も、侵略を全力で防ごうとするよな。
「ますます本星への報告が重要になりますね。日本に現れた断崖絶壁ヒトヅウーマン。胸の大きさを偽る新兵器に注意されたし、と」
「ぶはは! 新兵器ってお前! ぎゃはは! 飛ぶのか! 乳からビームみたいに、ポンって乳パッドが飛ぶのか! ナイス必殺技じゃねえか。物理的に殺す技じゃなくて、相手を笑い死にさせる技だけどな! おい、ちょっとやってみてくれよ。断崖絶壁ヒトヅウーマン!」
野次も同然の言葉ばかりぶつけていたら当たり前だが、とうとう翔子がブチ切れる。目を尋常じゃないくらいに吊り上げ、ヒトヅウーマンとなって威力が増大した蹴りを全力で俺の腹部に放ってくる。
ごぶっと。口から呻きと唾液が漏れるものの、それでも俺の笑いは止まらない。だって断崖絶壁だぞ。乳パッドミサイルだぞ! 笑うだろ! むしろ笑わせようとしてんだろ!