第14話 六億円だ
「毎月の給料を振り込んでいた君の口座から全額引き出しただけではなく、退職金と当面のボーナスに関しても前借りして行方をくらましたらしい」
「嘘だろぉぉぉ!?」
何、考えてんだ、あの牝は。俺の金を持ち逃げしただけじゃ飽き足らず、退職金まで前借って冗談だろ!?
っていうか、俺、まだ働いて三年だぞ!? 普通、退職金の前借なんてさせるか!?
「うっわ。無様な驚愕ぶりね」
「うるせえよ!」
背後から冷めた目で俺を見る翔子に叫んだあと、改めてエダマメに事情説明を求める。さっきので納得しろというのは無理な話だ。
「うむ。組織から可能な限り前借りするだけではなく、銀行や郵便局、さらには真っ当な金貸しどころか闇金からも金を引っ張ったみたいだね。しかも、すべてが君名義の借金だ」
「みたいだね、じゃねえだよ! 冷静に言ってくれんな、コラ! 本人がいねえのに、どうして俺の名義で金が借りられるんだよ!」
「それは君の身分が国に保障されているからだよ。地球で危険な任務に就く者は己の身を守るのはもちろん、地球人を戦士として活用しなければならない。そのための費用だという申し出があれば、ほぼ審査なく多額の金銭を調達できる。現に君の奥さんがやったようにね」
「……マジか」
おっかねえな、妖精界。
俺、数日程度しか住んでねえんだけどよ。いや、逆に一人前になってすぐ危険な任務に就いたから、必要以上に恵まれた環境になってんのか?
俺は一切、甘い汁を吸えてねえけどな。
遠慮なくガバガバと食らい尽くしたのは、あのクソ嫁じゃねえか。まさに鬼嫁だよ、こんちくしょう!
「目下、行方を捜索中だが、移動の形跡すら見つけられなくてね。完全に消えてしまったんだ」
何者だったんだよ、俺の嫁は。やることなすこと完璧じゃねえか。
電話してからほとんど時間も経過してねえのに、どうやったらこんなにスムーズに行動できるんだよ。
もしかしなくとも、こうした状況を想定して前々から準備してたってことじゃねえか。
「娘さんも君の奥さんと一緒にいるようだ。ほぼ奥さんのお母さんに預けられていたみたいだがね。ひとりで日中何をしていたのかは現在も調査中だ」
ホストクラブ通いだよ。
調査してる連中って。無能じゃねえのか。そりゃ、簡単に逃げられるわ。ま、騙されてた俺も人のことは言えねえけどよ。
「奥さんは君の印鑑などもすべて持ち去ったようだ。速やかに給料口座などを新たに作りたい場合は、関係を清算するしかないかもしれないね」
「元からそのつもりだよ。そこまでやる嫁なら、きっと離婚するしかねえように仕向けてるだろうしな」
そうすれば俺とは関係がなくなるから、借金を支払わなくても済む。
くそったれが。ムカつくけど、養育費代わりにくれてやるぜ。これまでだって、毎月五万円で生活してきたんだからな。
「なるほど。奥さんから離婚届をすでに受け取っていたのか。ではそれを記入したらこちらへ郵送するといい。あとの手続きはやっておこう。給料の振込先も、当面は地球で使っている君の口座にしておくよ」
「それはどうも。で、嫁の作った借金ってどれくらいあるんだ?」
「六億円だ」
「ろく――」
俺だけでなく、聞き耳を立てている翔子も言葉を失う。
当たり前だ。どこぞの横領事件みたいな額じゃねえか。どうやって返すんだよ、そんな大金。
「今回の件は君に責任がないとはいえ、奥さんが招いたのも事実。そこで勝手ながら、我々は君が給料から分割返済することで合意した」
合意って、エダマメは何を言ってやがるんだ。係長に昇進して、はしゃいでんのか。しょうがない奴だな。
「以上の理由から、毎月百五万円が君の給料から天引きされる。返済期間は五十年だ」
「うわ……借金王ね、貴方」
あの翔子にドン引きされるって、どんだけだよ俺。妖精に転生して三年でひとつ目のタイトルを獲得しました……って、嬉しくもなんともねえぞ、おい。
「もちろん君が奥さんを見つけ出し、彼女が持ち逃げしたお金を回収し、一括返済してくれても構わない。そうすれば支払う利息の額も減るだろうしね」
毎月百万を一年払って一千二百万。十年で一億二千万。五十年で六億。これで完済となるわけか。てことは月々の五万円が利息だな。
「ちょっと待て。利息を五十年払い続けたら三千万になるじゃねえか。そんなに払うのかよ!」
「これでもかなり譲歩してもらったんだよ。心配しなくとも、君の奥さんが見つかれば五十年もかからないだろう。私たちの方でも捜索を続けるしね」
さっさと離婚届を提出して、あのアホ女が捕まるのを祈るしかねえか。
確か先月の給料は百七万とか言ってたし、なんとかなるだろ。俺の生活費、毎月二万円しかなくなるけどな。
「こちらからの話は以上だ。ウメボシ君の方からは、何かあるかな」
いや、特に。そう言おうとした矢先、俺を押し退けて翔子が前に出た。
「ヒトヅウーマンとかになったら、給料とか出るの?」
相手が妖精と知っても物怖じしないどころか、図々しく話しかけられるあたり、やはり翔子は大物かもしれない。
俺たちの外見が猫だから、親しみやすいだけかもしれないが。
「……君たち人間の敵となる者を排除するため、我々は無償で力を提供する形になる」
エダマメの目つきが厳しくなる。
こうした威圧感は、さすが係長にまでなる人間というべきか。どうすれば昇進できるのかは知らないが、なんとなくそんな気はするぜ。
「だから何?」
翔子も負けていない。とことんまで金にこだわるのか性格上の問題か、それとも夫の年収が心もとないのか。
「君が給料を要求するというのであれば、我々は君に変身アイテムの賃貸料を要求するよ」
「じゃあ、引き受けないんでいいです」
あっさりと言った翔子に、エダマメは眉をピクリとさせた。続けて、どういうことだと言いたげな目で俺を見てくる。
嘘を言っても仕方ないので、まだ変身させてない旨を告げる。