第10話 ちぃーす
後ろに吹き飛ばされ、背中から地面に着地。前後同時に痛みが発生し、右に左に転げ回って苦しみをちょっとでも誤魔化そうとする。こんな人生、いや妖生はあんまりだ。
「実際に働いてる貴方が泣き喚くほど待遇が悪いのに、私を誘わないでよ……って、ちょっと待って。妖精なのに、人間のお金で給料が支払われるの? さっき、五万円とか言ってたけど」
「妖精の通貨持ってきても使えねえだろ。だから人間円で振り込んでもらって、それをATМで引き出して使うんだよ」
「なんかさらっと、とんでもない暴露をしたわね。妖精界って、日本人にとっての外国みたいな感覚であってるの?」
「大きく違ってはねえと思うぞ。妖精界では妖精円を使うが、物価自体はたいして変わらねえしな。札に印刷されてるのが妖精界のトップだったり、建物だったりするくらいか。会社勤めもあるみたいだしな」
「ますますファンタジーな夢が壊れるわね」
「現実なんてそんなもんだろ」
立ち上がり、とことこと翔子に近づく。
俺が妖精界へ戻るためにも、ヒトヅウーマンとして敵と戦うのを引き受けてもらえないと困る。
「貴方も意外に大変なのね。下手したら地球を侵略してる敵と鉢合わせて、命を失うかもしれないのに。月五万円なんて、いくら何でも安すぎるでしょ。物価が地球と変わらないのなら、なおさらね」
「俺もそう思うんだが、嫁に聞いても生活はカツカツらしいからな。俺の小遣いを減らさせてくれないかと、昨日も言われたくらいだ」
人間と妖精の違いこそあれど、同じ女というか牝。俺の嫁に同調するかと思いきや、不思議そうに首を傾げた。
「奥さんからお小遣いを貰ってるんだから、給料の管理をしてるのは貴方じゃないのね。どのくらい貰ってるか知ってるの?」
「十万だと嫁が言ってたぞ。半分も俺に渡してくれるんだから、できた嫁だよ。外見は猫そのまんまだから、可愛いとは思えないけどな」
「貴方、それ騙されてるわよ」
「何だって!?」
短時間で二度目の驚愕だ。
そんなはずはない。この三年間、いつも頑張ってと励ましてくれた嫁に限って。
そのまま翔子に伝えると、奴は不敵に笑って「甘いわね」なんて言いやがった。
「だったら奥さんに直接確認してみなさいよ」
「嫁を疑うような真似ができるか。それに日中は子育てに忙しくて、電話は繋がらねえんだよ」
「電話? 地球と妖精界で会話できるの?」
「当たり前だろ。そうじゃなきゃ、どうやって仕事の報告とかを、お偉いさんにするんだよ。俺だってサラリーマンみてえなもんなんだからよ」
「いいから、さっさと電話しなさいよ。ヒトヅウーマンとやらになってあげないわよ」
チッ。人の足元見やがって。
いいだろう。そこまで言うなら、電話してやるよ。お前と違って、俺の嫁が清廉なのを証明してやる。
電話での会話ばかりで、一緒に過ごした日数はゼロなままだけどな!
「テレビ電話できるなら、そっちにしときなさいよ」
言われたとおりに、懐から取り出した携帯電話を操作する。地球で言うところのスマホと同じであり、パクリと言われても仕方のないデザインになっている。
妖精界の電話会社から提供されてるネット回線を使えばゲームもできる。課金なんてする金はないから、暇潰しはもっぱら無料ゲームだが。
「ひとつ質問していい? 人間のスマホと同じみたいな感じだけど、服も着てない貴方がそれをどこに隠してたの? 四次元に繋がってるポケット?」
「そんなもんあるわけねえだろ。羽を隠しておけるように、体の中にはポケットみたいな部分があるんだよ。そこを使うんだ。財布とスマホとヒトヅウーマン用ブローチを入れれば満杯になっちまうがな」
外見は猫そのものでも、一応は妖精なんだ。人間とは違う肉体構造になってても、おかしくはない。まあ、大体は同じなんだけどな。
「どこにあるの? そのポケットみたいなの」
「腹の中の方かな。腹部を守る意味も含めて、毛皮の下に収納できるようになっている。お腹の上に毛皮を一枚余分に着てる感じだな」
「劣化四次元ポケットね」
「失礼な言い方すんな! 俺がポケットみたいに使ってるだけで、正しい使い道なんてわかんねえんだよ。妖精について知る前に放り出されたからな!」
「生後一日で一人前扱いだもんね。妖精の牡じゃなくて、本当によかったわ」
「うるせえよ……って、うお、嫁に電話が繋がった。日中だってのに珍しいな。いつもより長めにコールしてたから、アクシデントが発生したと思わせちまったかな。すまない。変な女に絡まれて――」
謝罪をしようとした瞬間、俺の中で時間が止まった。表情が硬直してるのが、自分でもはっきりわかる。原因はスマホの画面に表示された映像のせいだ。
「ちぃーす。あ、オレ、レイジって言うんスけど、マジはじめましてっス」
……何だ、こいつ。
外見というか顔は猫そのまんまなのだが、茶髪にロン毛というわけわからない風貌だったりする。
ひと言で表現すると、チャラい。これ以外の言葉は見当たらない。
レイジとか名乗りやがったチャラ猫ならぬチャラ妖精の背後には、煌びやかな光が溢れていた。
豪華なソファー。テーブルの上には、たくさんのワインが並んでいやがる。これはどこぞのバーか?
いや、まるで……そう、ホストクラブみたいじゃねえか。前世にテレビで内装を見たことがあるだけだが、よく似ている。
背後で俺のスマホを覗き見している翔子が、妖精界って派手ねと呟いた。
一人前になってすぐ地球へと飛ばされた俺は、こんな店があったのを知らない。初めて見る風景も同然だった。
何より、どうして嫁にテレビ電話をした結果、こういう状況になっているのかが、まったくの意味不明だ。