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09_忘れた男(ゲイル)





 夕食は豪勢だったが、席に着いているのがたった三人では『晩餐』と評するには様々なものが欠けているように思えた。

 それはなにかと問われればゲイルは閉口するしかないが、しかし戦争中に部下たちと飯を食っていたときの方が、暖かさを感じていた気がする。


 それに、ゲイルは食事のマナーを、ほぼ忘れていた。

 後方支援や大隊の指揮官として戦線へ立つことがない、という日々が続いていたのであれば、たぶん忘れなかったはずだ。しかし生死の境を這いずりながら敵兵を殺しまくり、飢えた獣のように息を荒らげて自陣へ戻り、貪るような食事を繰り返してきたゲイルにとって、テーブルに並べられた食事と、それを上品に食べるための作法など、夜空の星々よりも遠いものになっていた。


「すまんが、大半のマナーを忘れた」


 と正直に言ってみれば、隣席に座っていたユウナレアの無表情が強張ったのが判った。無表情は保持しているのだが、ほんのわずかに「なに言ってんだこいつ」という気配が混ざっていた。

 仕方ないので逆隣のカートへ向き直り、悪いが俺にマナーを教えてくれと請えば、カートはきらきらと嬉しそうに微笑んで頷いてくれた。


 そうして夕食をやり過ごしたが、味の方は正直言ってよく判らなかった。食い物だ。毒は入っていない。それくらいしか、本当に思うところがなかった。


 さておき。


 夕食を済ませ、見知らぬメイドに自室へ案内され、他人の部屋みたいに感じる自室の寝台に寝転がってから――ふと、思い出す。

 そういえば、まだユウナレアに訊くことがあった。

 ついでに、言うべきことも思い出した。


 寝台を降りてメイドを呼べば、脱衣所で着替えを手伝っていたメイドの一人がやって来た。ゲイルに対してひどく緊張している様子だが、他人に緊張されるのには慣れているので別に気にしなかった。


「ユウナレアに訊くべきこと、言うべきことを思い出した。今から話をすることは可能か? 明日でも構わんが」


「……この時間でしたら、お嬢様はまだ執務室にいらっしゃるかと」


「ふむ。そうか」


 奥様、と言わないあたり、ユウナレアの部下たちは今回の婚姻に納得がいっていない……というか、死ぬはずだったゲイルが生還したことに、納得できないのだろう。話が違う。予定と違う。約束と違う――そんなところか。


 そんなものは知ったことではない。

 だいたい、その件についてはユウナレアと話をしている。あの人形めいた書類上の妻がどのような決断を下すかは知る由もないが、ゲイルから言うべきことは言ったはずだ。当初のユウナレアの予定のまま動いていい、と。


 死別でなく離縁になるのは困るのか、あるいは別の理由があるのか、ユウナレアからの明確な返答はなかったが、とにかくゲイルの意向は伝えている。

 が、考えてみれば当主であるモゥレヴの意思も確認しなければならないのか。それは今すぐどうこうできないので、ひとまず棚上げしておく。


 はたして執務室には、護衛騎士と文官、シェラという名のメイド、そしてユウナレアがいた。こんな時間になっても、まだ働いているらしい。


「いくつか訊きたいことと、ひとつ言うべきことを忘れていた。時間をくれ」


「……ええ。もちろんです」


 わずかに言い淀んだのは、迷惑だったからか。完璧な微笑を浮かべているので、もっと近い距離で表情を確認しなければよく判らない。

 しかしゲイルはわざわざ近づかなかった。

 妻の顔を観察するためではなく、話をするために来たからだ。


「今後の大きな予定について指示を訊きたい。親父殿が国境で王都の騎士団と共に停戦交渉を――まあ、茶番だが――とにかく交渉を済ませた後には、戦の終わりが報じられるだろう。その際はどうする? 式典でも開くか?」


「領都で大々的な祝祭を行うことになるでしょう。仔細は義父上様と、義兄様とも相談する必要はありますが、旦那様の第三大隊を称える形式で、いわば終戦祭といった体裁になるかと思います」


「そうか。詳細が決まったら改めて指示をもらうことにする。次に、おそらく王都からの呼び出しもあるだろうが……まあ、話は前後ごっちゃになるが、俺とおまえがそういった体外的な場に出たとき、どうしたいのか、という話だ」


「……どうしたい、ですか?」


 どうやら意味が不明だったらしく、きょとん、と首を傾げる。

 頭の角度が傾いたせいで、長く真っ直ぐな黒髪が揺れた。


「まともな夫婦という体裁を取りたいのか、いずれ離婚するための前振りとして、夫婦仲が悪いという体裁を取りたいのか――まあ、そういったことだ」


「そういうことですか。考えておりませんでしたわ」


「なら考えろ」


「承知しました。……ええ、はい。考えました」


 思考に割いた時間が短すぎて、ゲイルはさすがに少し驚いた。

 ゲイルが驚いたことにユウナレアも気付いたらしく、ほんのわずかだけ唇の端を持ち上げて――また元の無表情に戻り、口を開く。


「体外的な場面では、体裁を取り繕う方が無難でしょう。旦那様の活躍を妬む者もおりましょうし、外様の私がラインバック領の財政を取り仕切っている事実は、足を引っ張る口実になりかねません」


「足を引っ張る?」


「……中央貴族たちが国境での戦争を長引かせたのは、理解していらっしゃいますか? 彼らはラインバックやその周囲、辺境の戦力を適度に削ぎたかったのです。いざ戦争になって敗走されては困りますが、かといって精強すぎる武力を持たせたくもない。また、国境紛争における領地の疲弊を中央貴族たちが金銭的に援助することにより、形の上で『貸しをつくる』ことができます」


「愉快な話ではないな」


「下衆の悪計です」


 顔をしかめたゲイルに、予想以上の強い言葉が返された。

 冬場の井戸水よりも冷えた口調は、むしろ好ましかった。思わずにやりと笑ってしまうゲイルに、ユウナレアは「こほん」と咳払いをして、続けた。


「……失礼しました。そういうわけですから、わざわざ隙をつくって差し上げる必要はないと判断します。公の場では、夫婦としての体裁を取り繕うことにしましょう。これは指示というよりは、お願いになります」


「判った。だが、問題がある」


「……どのような?」


「食事のマナーすら忘れた男だぞ、俺は。妻をエスコートする作法など知るわけもないだろう。覚える努力はするから、教えろ。もしくは教師を用意しろ」


「……承知致しました。予定に入れておきます」


 やはりほとんど思考に時間を割かず、ユウナレアは頷いた。

 有能な女だ。能力を買われただけはある。


「訊くべきことは、以上ですか? 言うべきことがあるとも仰られましたが」


「そうだ。忘れていたが、俺が殴って気絶させたおまえの部下、俺自身は別にどうとも思っていないから、おまえの判断で仕事に戻していいぞ。赦しが必要なら、赦す。それが言うべきことだ」


「……赦す……の、ですか? カイラスの態度は、とてもではありませんが、雇い主の夫に対するものではなかったはずですが……」


 喜びよりも、困惑と猜疑の割合が多いだろうか。

 温度のないユウナレアの眼差しを受け止め、ゲイルは頷く。


「仕事に必要だからあいつを使っていたのだろう? だったら、いなければ困るはずだ。もし同じような態度で接してくるなら、また殴って黙らせればいい。やつの処遇に関しては、おまえの判断に任せる」


「……承知致しました。旦那様の寛大さに、感謝を」


「構わん。俺からの話は以上だ。なにか指示があれば言え。それと、俺に対する要求を思いついたら、それも言え」


「今のところは、ありませんし、思いつきません」


「そうか」


 と、ゲイルは頷いた。

 こうして書類上の妻と出会った日が、終わった。






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