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06_英雄の帰還(ユウナレア)

連続投稿の六話目になります。本日はここまで。





 歓待の準備が間に合わなかったのは、第三大隊の行軍があまりにも速すぎたせいだ。領都の城壁に第三大隊が到着したと報せがあった際には、人目もはばからずに「速すぎる!」と怒鳴りたいほどだった。


 どうやったら最短で八日かかる道程を、五日で踏破できるのか。


 当主代理である長男のガーノートは軍部での仕事が忙しく、屋敷に戻って来られる余裕がない。第三大隊の到着が重なればなおさらだろう。


 屋敷中の家人を掻き集め、ゲイルの帰還を祝う形式だけは整えた。

 直前まで『ユウナレアの夫』の生還を知らされていなかった秘書のカイラスやメイドのシェラなどは、あからさまに訝っている様子だったが――伯爵家次男の、まして戦争の英雄の帰還を、歓迎しないわけにはいかない。


 三男のカートは、幸か不幸か家庭教師がついている最中だった。彼についてはユウナレアの判断で、再会を後回しにすることに。


 屋敷の前に家人を並べてしばらく虚しい時間を過ごしていれば、そのうちに先触れの騎士が「ゲイル様がお帰りになります!」と報を入れてくれた。


 はたしてゲイル・ラインバックは、一見すると朴訥な男に見えた。


 ラインバック家の血筋なのか、近づけばたぶんユウナレアは見上げねばならないほど背が高い。が、義父のモゥレヴのように縦横に大きいわけではなく、鋼線を束ねたような肉の付き方だ。痩せているようにすら見える。


 顔は……傷だらけだ。美醜よりもまずその印象があった。そしてなにより、傭兵めいた装備が、あまりにも薄汚れすぎている。


 乱暴者、という感じはしない。

 しかしガーノートやモゥレヴのような、武人という印象もない。


 どのような人物なのか、一見だけではまるで判らなかった。

 しかしゲイル・ラインバックがどのような人物であれ、ラインバック家の次男であり、戦争の英雄であることは事実だ。

 ユウナレアの、書類上の夫であることも。


「戦場よりお戻りになったこと、誠に光栄に存じます。その勇気と忍耐に心から敬意を表します。帰還を待ち望んでおりました。貴殿の偉大なる功績をたたえ、喜びと感謝の意を捧げます」


 淑女らしいカテーシーと共に、用意していた科白を披露する。

 ひとまず、形式的にはこれで間違っていないはずだ。

 顔を上げたユウナレアはゲイルの反応を待たず、事前に考えていたとおりに微笑をつくり、続けて言う。


「アーカッシュ男爵家より二年前に輿入れしました。ユウナレア・ラインバックと申します。はじめまして、旦那様」


 かなり完璧に近い挨拶だったと、ユウナレアは思った。

 が、まるで反応がなかった。


 ゲイルの方も事前にモゥレヴから『書類上の婚姻』については知らされているはずなので、ユウナレアの存在が気に食わなければ、この挨拶で反発を見せるはずだった。あるいは若い女であればなんでもいいというのであれば、歓迎の挨拶に喜びを見せただろうし、もしかするとユウナレアの容姿が気に食わなかったりするのなら、落胆を見せるはず。


 なのに、なにもなかった。

 ゲイルは「ふむ」と感情を含まない首肯を見せ、


「モゥレヴ・ラインバック伯爵が次男、ゲイル・ラインバックだ。兄上か、もしくはユウナレアから指示を受けろと聞いている。指示をくれ」


 そう言った。

 まるでそれが次の任務だとばかりに。



◇◇◇



「……なんなのでしょうか、あの男は……」


 困惑を隠しもせずにぼやいた秘書、カイラス・コートを咎める者は、執務室には一人もいなかった。

 無礼な物言いではあるが、実際、誰もがそう思っていたからだ。


「とにかく、話をしてみるしかありません。今は当初予定していた『歓待』の段取りを取り消してしまいましょう」


 形式的に英雄帰還のパーティを開く必要はあるだろうが、身内で開くパーティに関しては、第三大隊の到着が早すぎたせいで準備が間に合わない。二日後に改めて帰還祝いというのも間抜けが過ぎる。

 今頃、厨房では料理人たちが全ての知識と技量と現状の食材を総動員して、可能な限りの『豪勢な夕食』を拵えていることだろう。


「本来は二日後に仕入れと仕込み、三日後に歓待の予定でしたからね……。ひとまず、業者に連絡して、二日後の仕入れを断っておきます」


「こちらの都合ですから、断りという扱いにはしないで。支払いはそのままで、別の日にまた改めて大口の注文をすると伝えてください。その際には改めて正規の料金を支払うと」


「もちろん。判っておりますよ、お嬢様」


 ふっ、と唇の端を持ち上げ、カイラルが執務室を出て行く。その様子だけ見るならば、これまで何度も繰り返された光景だ。


 変化は、ほとんど間もなく訪れた。


 廊下の向こうでなにか物音が聞こえたような気が――と思った次の瞬間には、執務室の扉が乱暴に開かれ、ついさっき出て行ったはずのカイラルが、室内へ乱暴に放り込まれた。

 どぅ、と音を立てて床に倒れ込んだユウナレアの秘書は、微動だにしない。

 死んでいるのか――失神しているのか……。


「挨拶は先程もしたな。ゲイル・ラインバックだ。書類上の妻であるユウナレアと話をしたいと言ったが、着替えを手伝いに来たメイドは難色を示し、そこの失神している男には拒否された。大した時間を取らせるつもりはなかったが、ほんのわずかですら話をしたくないというのであれば、こんな屋敷は出て行くことにする。四年ぶりに帰って来た。地獄から帰って来たのだ、俺は」


 扉を開け、カイラルを放り投げた当人、ゲイル・ラインバックは、さしたる感情を浮かべず、誰の耳にも届く大声を出した。


 一体どういうことなのだ! と悲鳴を上げたくなった。ゲイルと話をしなければならないとは、ユウナレアだって思っている。ついさっき、そう言ったばかりではないか。

 いや、彼の言葉を受け取るのなら、ユウナレアの部下たちが、そう思っていなかったのだ。屋敷の前に並ばせた時点で気を回しておくべきだった。


 ぞっとするような気配が、室内を満たす。

 ゲイル・ラインバックが放つ、威圧感のようなものだ。


 なんというべきか……生理的に、この空間にいたくないと感じた。一刻も早くこの場を離れたい、さもなくば死んでしまうと、思考よりもずっと手前の、なにか根源的な部分が、自分自身に訴えている。


「話をするつもりがあるのかないのか。ここは俺の家なのかどうか。まず答えてもらおう。我が妻、ユウナレア」


 ゲイルの言葉に、はっとする。

 彼の言い分が本当ならば、ユウナレアたちはゲイルの家を我が物顔で乗っ取った他人に過ぎない。にも拘わらず、ゲイルは家を取り戻すのではなく、出て行くと言い放った。つまり――ユウナレアたちに、一切の興味がないのだ。


 そしてラインバック家に対しても、そこまでの執着が……ない?

 確かに、『家に帰ってきて嬉しい』というような感情の変化が、ゲイルからはまるで感じられなかったが……だとすれば、なんのために四年間も地獄を這いずっていたというのか。


 いや、今はそんなことはどうでもいい。


「家人が大変失礼をしました。私が貴方様との会話を拒絶しているなどという事実は有り得ません。……デイモンド。カイラス・コートを地下牢へ放り込んでおきなさい。我が夫に対し、許されざる無礼を働いたようです」


 気心の知れた護衛騎士へ命じる。

 少しの手間は掛かったが、デイモンドはカイラルを抱えて執務室を出て行ってくれた。できることなら文官やメイドのシェラたちも下がらせたかったが、こちらの意を通すより先に、やるべきことがある。


 とにかく、敵でないことを示さねば。

 半ば本能的に、最優先事項としてユウナレアは考えた。


「旦那様。重ねて謝罪します。家人が大変な失礼を……カイラスの処分については、旦那様の意向に従いますので、何卒、寛大な処置を」


「そんなことは聞いていない」


 ぴしゃりと返される。

 不機嫌さは、感じない。けれど先程から感じている気配は薄まっていない。この場にいたくないという感情が、どうしても湧いてしまう。


 ユウナレアは長い長い溜息を吐き、髪を手で払ってから、ゆっくりと椅子に座り直し、ゲイルを見た。


 湯浴みはして、着替えもしたのだろう。薄汚れた感じはなくなっており、身にまとっている簡素な衣服は、体格が良いので妙に似合っていた。

 指示には従ってくれたのだ。

 指示以外をするなとは、ユウナレアは指示していない。


「話をするつもりは、あります。当然に。そして――ここは旦那様の生家です。貴方様の、家ですわ。これも当然に」


 ふむ、とゲイルは頷いた。

 とりあえず頷いただけのような首肯だった。


「では、話をしよう。我が妻、ユウナレア」


 まるで言葉の通じる猛獣との対峙だ――と、そう思った。

 さすがに失礼かな、とは思わなかった。






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