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05_ラインバック辺境領(ユウナレア)

連続投稿の五話目になります。





 ユウナレア・ラインバックにとって、ラインバック伯爵家は実家よりもはるかに居心地の良い場所だった。


 なにしろ、実務能力を文字通りに買われたような婚姻である。

 通常の結婚であれば伯爵家次男の妻が執政に関わるなど、噴飯ものだっただろう。しかしラインバック家はユウナレアの職務を補佐することはあれど、邪魔したり足を引っ張ることなど全くなかった。


 最初に着手したのは、財政状況の健全化だ。


 武門の家だけあり、軍事費にあてる金額があまりにも膨大すぎたのだが、これを詳細に分けて確認していけば、確かに無駄があり、不足があり、無意味があった。


 また、食料の備蓄も多すぎた。

 いくら保存の利くものを溜めているとはいえ、永遠に保存しておける食料など存在しない。幸いというべきか、ラインバック辺境領の国境ではまさに戦争中であり、古くなりそうな食料は片っ端から戦地へ送ることになった。


 他にもさまざまな領地改革を、片っ端からユウナレアは行った。


 実家であるアーカッシュ家から家人を引き抜けたのは、予想外の僥倖だった。さすがに最も世話になった執事は引き抜けなかったが、彼の息子であり、第一の弟子ともいえるカイラス・コートや、アーカッシュ家では唯一ともいえる味方だったメイドのシェラなどがついて来てくれた。

 ラインバック家も、ユウナレアの手足ともいえる部下やメイドを粗末に扱うことはなく、むしろ実務の担い手として尊重してくれた。


 また、ラインバック家の面々は、端的に言って「良い人」だった。


 現当主であるモゥレヴ伯爵などは無理のある輿入れに感謝を表明し、戦後のユウナレアの身の振りについても同意を示してくれた。

 第一王子がどちらかといえば反戦派だったのも大きかっただろう。第二王子のエドワードは第一王子を支えようと動いている。


 次期当主である長男ガーノートは、実直な武人的人物ではあったが、己の不得手を知る賢者でもあった。また、執政に関する書類なども、苦手なのを承知しながらユウナレアに任せきりにすることはなく、きちんと確認してくれた。


 三男のカートはまだ幼く、ユウナレアがラインバックへ来た当時、六歳だった。やや舌足らずな言い方で「あねうえとお呼びしてもいいですか?」と聞かれたときなど、胸が甘く締め付けられるような思いだった。

 生まれて初めて、人間に対して「かわいい」という感情を抱いたかも知れない。


 ユウナレアは特にカートと懇意にし、忙しい仕事の合間を見つけては本を読み聞かせ、カートの教育をさりげなく補佐し、またはカートの語る話を笑顔で聞き続けた。少し癖のある茶髪の天使は、ユウナレアにとって癒やしだった。


 ラインバック家へ輿入れして、一年と少し。


 ユウナレアはいつしかラインバックを名乗ることに慣れ、ラインバック家の面々はユウナレアの存在に慣れ、その仕事ぶりを頼るようになり、とても良い関係を築くことができたように思えた。


 考えてみれば、愛情ある家族というものをユウナレアは知らなかったのだ。

 厳密に言えば実母が生きていた頃にはあったはずなのだが、義母と義妹がやって来てからは、家族愛なんてものは物語の中にしかない幻想だった。

 学院で最も仲良くしていたエドワードだって、家族愛などというものは「あるかも知れないが自分とは関係ないもの」としていたように思う。


 暖かな暮らし。

 やりがいのある仕事。

 必要とされる喜び。


 生家になかったものが、辺境には全てあった。

 けれども。


「――ねえ、兄さまは、まだ帰ってこないのかな?」


 ときおりカートがそう洩らすのが、ひどく辛かった。

 だって、ゲイル・ラインバックはおそらく戦死するのだ。どんな英雄であろうが、泥沼の最前線でいつまでも戦い続けることなどできはしない。

 それを実証するかのように、歴戦と評されていたモゥレヴの兄、ラインバック領軍の大将軍は、戦争が始まって割と早い段階で戦死している。


「そうね。帰ってくるといいわね」


 カートの問いに微笑みながら答える自分を、ユウナレアは心底から軽蔑した。

 民のため、領地のため、国のため、仲間のために四年も戦い続ける夫の死を、ユウナレアは願っているのだから。


 それにしても――本当に死なない。


 十五歳から最前線で戦い続けているということは、ろくに軍略も知らないはずだ。あったとしても十五歳時点までの知識。戦地から届く報告書を読めば判るが、戦場は本当に泥沼になっている。昨日落とした砦が翌日には取り返され、奪った陣地が奪い返され、突出しすぎた部隊が力尽きて全滅している。


 どうして生きているのだろう?


 あまりにも不敬な疑問符は、しかし心の底からの疑問だった。


 生きているわけがない。

 生きていられるわけがない。

 生き続けているのがおかしい。


 どうして死んでいないのだろう?



◇◇◇



 戦地から届く報告書によれば、ゲイル・ラインバックは第三大隊の大隊長ということになっていた。

 といっても当初は軍属ではなかった――なにしろ、最初は大将軍である叔父に付き従って初陣を飾るために参戦したにすぎない――ので、『臨時』大隊長という肩書になる。戦死した場合は特進されて将軍扱いになるだろうか。


 この第三大隊は、元は八百人からなる文字通りの大隊だった。

 が、一年経たないうちに数を半分に減らし、二年でその半分。三年目からはおおよそ二百人の、実質的には中隊規模の隊だった。


 いつからか、彼らは常に最前線で戦っていた。


 にも拘わらず、ある時点から数があまり変わっていない。戦死者は増え続けているはずなのに、何故か第三大隊は二百を保ったまま。


 報告書を丁寧に読み解けば、他の壊滅した部隊の隊員を吸収し、あるいは現地で裏切ったナルバ王国の兵を身内に取り込むことによって、その数を維持しているようだった。名前こそ『第三大隊』を名乗っているが、最初から所属している者など、もはや一人もいないはずだ。


 人員も、装備も、戦術も、指揮も――もはや軍の体を成していない。


 なんというべきか、四年の歳月が作り上げた『狭間の泥沼』と呼ばれるあの戦場に、唯一適応することのできた群体……とでもいうべきか。

 そう。軍隊ではなく、群体。


 下される命令をこなしたうえでの生存。

 そのことだけに特化した、一個の群体生命。


 脚が一本もがれたのなら、別の脚を。腕なら別の腕を。頭ですら――ひょっとしたら別の頭に挿げ替えるだけかも知れない。

 心の臓さえ残っていれば、群体を維持できてしまう。


 これは……たぶん、死なない。

 あの戦場に、第三大隊は適応しすぎている。

 現にここ一年以内では、第三大隊の敗走など全く報告がない。どう考えても無理があるような作戦であっても、たいした戦死者を出さずに成功させている。


 むしろ、このまま戦争が続けば……第三大隊が更に適者生存を繰り返し、数を増やす可能性がある。そうなった場合、ある時点で一気に戦況が傾くはずだ。現状で拮抗しているのだ。彼らが強化されれば、拮抗が崩れる。


 こんなものは――あまりにも予想外すぎる。

 死ね。普通に戦って、普通に戦死してろ。


 頭を抱えてそんなことを思ってしまう自分が嫌になる。これでは、あれだけ嫌悪していた義妹ソーラリアとなにも変わらないではないか。


 自分自身のためになら、他者を貶めて構わない。

 それをこそ軽蔑していたはずなのに。


 執務室では部下や文官が一緒にいるので、もっぱら『狭間の泥沼』に関する書類を読み解くのは自室で行った。心置きなく頭を抱えられるというものだ。


 そうやって好きなだけ頭を抱えていると、扉がノックされた。

 深夜に女性の私室を訪れるような無作法を、この家の人間はしない。

 つまりは――その無作法をおしてでも、ユウナレアが一人でいるときにユウナレアと話をする必要がある、ということだ。


「どうぞ」


 声をかければ、モゥレヴ伯爵が申し訳無さそうに扉を開いた。

 その表情を見れば、彼の言いたいことなど予想できないわけがなかった。


「すまぬ。中央から停戦の要請が来た。おそらくゲイルは死なんだろう。約定を違えてしまうことになったが……離婚してもらっても構わない」


 苦渋とはこのことか、とばかりに頭を下げるモゥレヴ伯爵。

 心根の清いモゥレヴ・ラインバックに頭を下げさせてしまっている――そのことに、ユウナレアの心がひどく痛んだ。


「謝らないでくださいませ、義父上様(おとうさま)。ラインバックの英雄が生還するのです。こんなに喜ばしいことがあるでしょうか」


 どうにか微笑むことができた。できたはずだ。きっと。

 けれども伯爵の渋面は変わらない。


「あの地獄を、軍略も知らぬ若造が生き延びられるとはな。親としては誇らしくも思うが、義理の父としては、申し訳なくも思う」


 たった一年の付き合い――いや、そろそろ二年になるだろうか――それしかない契約相手を家族として扱う。

 その心根は貴族として、領主としては甘すぎる。

 けれどもユウナレアには、その甘さが痛いほど嬉しかった。


「義父上様。その……ゲイル様は、私のことは……?」


「知らぬ。婚約も婚姻も、代理として儂が押印した。どうせ死ぬというのに、家の事情で結婚させたなど、報せるだけ酷というものよ」


「そう……ですね」


 改めて考えれば、本当にひどい話だ。

 ユウナレアが仕事に生きがいを感じ、家族の暖かさを知り、カートという天使に癒やされている間、書類上の夫は地獄を這いずっていたのだから。そうして、その全てを与えてくれたラインバック家を捨てるつもりでいたのだから。


「当初の契約では、停戦後に訪れる時勢の変化にある程度対処してからエドワード殿下の元へ送り届ける予定だったが……繰り上げてもらっても構わない」


 言って、モゥレヴは羊皮紙を一枚、ひらりと揺らしてみせた。

 契約用の魔法紙である。


「離婚の届けだ。ゲイルの欄は儂が代理として記入してある。翌朝には、儂はラインバック領軍の本隊と共に王都からの騎士団と合流し、停戦交渉に臨まねばならん。まあ、とうに中枢同志で話がついている、茶番のようなものだが」


 時間がない、ということだ。

 けれども――自惚れでなく、停戦後にユウナレアがいるといないとでは、ラインバック辺境領にもたらされる財の過多が、雲泥の差になるだろう。

 そのくらいの力は示した。

 そのくらいの力は、あるのだ。


「……私は、ゲイル様と話し合って決めたいと思います」


 迷った挙げ句、保留のような言葉が口から出た。

 あわよくばゲイル・ラインバックに決断させようという、浅ましい魂胆だ。

 ゲイルが婚姻に納得できない、こんな人形女など嫌だと言ってくれたなら、ユウナレアにとってこんなにありがたいことはない。


「そうか。離婚の届けは、預けておく。どのような時期でも一切文句は言わぬ。決断したのなら、王都でエドワード殿下に渡せば離婚が成立する」


 差し出された魔法紙を、受け取らないわけにはいかなかった。

 紙切れ一枚があまりにも重く――そう感じてしまう自分自身に、やはり嫌悪を感じずにはいられない。


「義父上様……ユウナレアは、お役に立ちましたでしょうか?」


 縋るように、訊ねてしまう。

 書類上の義理の父は、本当の父親みたいにやわらかく微笑んでくれた。


「もちろんだ。自慢の我が娘よ。そなたの働きに、我らのラインバックは随分と助けられた。心からの感謝を」


 それは私の科白(せりふ)だ。

 暖かな日々を、その必要もないのに、与えてくれた。

 ラインバック伯爵家の全てに、心からの感謝を。






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