04_白い結婚の事情(ユウナレア)
連続投稿の四話目になります。
ユウナレア・アーカッシュにとって最大の不幸はなにか。
亡き母親譲りの人形めいた造形美。
実父が選んだ再婚相手と連れ子の義妹が有する陰湿さ。
そんな彼女たちに半ば洗脳されてしまった父と兄。
確かに、それらは不幸の種だった。
しかし『最も』というのであれば、自身の資質と能力が最大の不幸だったのではないかと――ユウナレアは、ふとしたおりに考える。
昔から、本を読む子供だった。
ただし好んで読み漁ったのは少女らしい絵本や恋物語ではなく、建国の冒険譚や執政官の活躍を描いた物語であり、興味の対象が実際の政務に移るまでは、そう多くの時間は必要なかった。
ユウナレアはひどく頭の良い子供だった。
ただし、賢しくはなかった。
意地悪な義母、性格の破綻している義妹、そんな二人に洗脳された父と兄がユウナレアを迫害し、その迫害が度合いを増していったのは、ひとえにユウナレアの処世下手が大きかった。
本と、実務。
ユウナレアが取り憑かれていたのは、そのふたつだけで、後のことはどうでもよかった。家族に迫害されようとも、王都の図書館は貴族の身分さえあれば自由に使うことができたし、父の堕落はむしろユウナレアに実務を押し付ける方向へ作用したので、執政における勉強は実地で学ぶことができた。
アーカッシュ家の執事や家人たちが優秀だったのも、大きかっただろう。
父に押し付けられた仕事を、幼いユウナレアがこなせるなどと誰も思っていなかった。なのでアーカッシュ家の執事が最初は仕事のほとんどを取り仕切っていたのだが、それがいつの間にか、ユウナレアへの教育へと変容し、そのうちに執事の仕事はユウナレアの仕事を確認するものへ変わっていった。
処世術を意識するようになったのは、王都の学院へ通うようになってから。
十三歳当時のユウナレアは既にアーカッシュ家の財務を執行しており、そういう意味では学院の勉強など、ちょっとした余暇に過ぎなかった。
当然、成績は首位。
当然、それなりのやっかみを受けた。
助けてくれたのは、リウエ王国の第二王子、エドワード・ユーグス・リウエスト殿下だった。
エドワードがユウナレアを助けたのは、ひとえにユウナレアの能力に興味を持ったからだ。彼は庶子であり、王位継承権が低い。それが故に将来のことを誰よりも現実的に考えており、学院において『手駒』を探すのは、エドワードにとって死活問題だった。
王家と対立するつもりはなかったが、力を持たなければ、周囲に利用されるのみ。とはいえ、結局のところは誰かに利用される立ち位置なのだが、それならばまともな人物に利用された方がましだ、とエドワードは言ったことがある。
彼は力を欲しており、ユウナレアには実務能力という力があった。
それも、たった一人で男爵領の財務を取り仕切れるだけの、強い力が。
「僕はね、兄様のことが嫌いじゃない。むしろ好きだ。しかし僕を持ち上げようとする者は、兄様のことが邪魔なようだから――そんなやつらに、利用されてはやらない。僕を利用する者は、僕が選ぶ」
そんなふうに言った庶子の第二王子に、ユウナレアは敬意を抱いた。
何故ならユウナレア自身には、さほどに強い信念がなかったからだ。家族のことはもはや好きでもなんでもなく、領民を豊かにするのは好悪を挟む余地のない、ただの義務だ。民が税を払うのと同様、貴族は民を富ませねばならない。
ならば自分にない信念を持った者を補助するのも、いいかも知れない。
いずれはエドワードに取り立てられ、女文官として彼の元で働くことになるだろう――二年生になって生徒会に入り、そんな未来が現実的になってきた。
なにしろユウナレアの成績は、運動関係を除けば軒並みが首席で、どれだけ愛想がなく、表情のない『人形女』だったとしても、学院生たちは彼女に一目置かないわけにはいかなかったのだ。
しかし、である。
ユウナレアの順風な未来を望まないものがいた。
アーカッシュ家の次女、義妹のソーラリアである。
◇◇◇
「姉さまばかりずるいわ。私だって欲しいのに」
いつの頃からかソーラリアの口癖になっていた「姉さまばかりずるいわ」が発動すれば、どういうわけか父も義母も兄も、それを叶えたがった。
後から考えると、逆らわずに自らの『モノ』を差し出し続けていたのが、拙かったのかも知れない。家族たちはユウナレアから差し出されることを当然と考え、ソーラリアの要求が叶うのが自然と捉えるようになっていた。
ユウナレアが三年に上がったとき、ソーラリアは一年生として入学した。
そして当然のように、ソーラリアはエドワードの隣を望んだ。
何故ならエドワード・ユーグス・リウエストは見目麗しかったから。
さすがに第一王子、王太子候補第一位に対しては、あまりにも身分差がありすぎて、ソーラリアといえども「欲しい」とは思わなかったようだ。そもそも、そんな発想さえなかったはずだ。
が、王位継承権が低く、なによりユウナレアの友人として近くにいたエドワードは、ソーラリアにとって「欲しがれば手に入るモノ」と認識したようだ。
頭の痛くなるような出来事が連続した。
何度エドワードに謝罪したか、ユウナレアの記憶力を持ってしても勘定するのが嫌になるほどだった。
最初のうちはソーラリアの横暴を目の当たりにし、生徒会の仲間たちはユウナレアに同情的だった。
しかしあまりにも度が過ぎれば、ユウナレアさえいなければ厄介事がなくなるだろうと考えるのは――無理からぬことだった。
「勘違いしているようだから、はっきり言っておく。僕はユウナレアが美しいから傍にいて欲しいわけじゃない。彼女の能力、彼女の人格を評価しているからこそ、将来的に、傍にいて欲しいと考えている。きみにはどちらも欠けているものだ」
あるとき、エドワードは癇癪を起こしたソーラリアにそんなことを言った。言葉の表面をなぞれば、それはさながら愛の告白だったが、ユウナレアは全く嬉しくなかった。尊敬する友人にそんなことを言わせてしまった義妹が、そんな義妹を御せない自分が、恥ずかしくて仕方なかった。
この件があって以降、ソーラリアはエドワードに近づかなくなった。
義妹は考えを変えたのだ。
自分が欲しがっても、手に入らない。
だから姉さまも手に入れるべきではない、と。
◇◇◇
「バーヴェクト伯爵家の子息、ベイバード・バーヴェクトへ婚約の打診をしている。卒業後に輿入れになるだろうから、準備しておきなさい」
ある日、帰宅したユウナレアに父が告げたのは、そんな絶望だった。
常日頃から、おそらく将来的にはエドワード殿下の部下になるだろうと伝えており、そのエドワードは第一王子派になるだろうとも伝えていた。
政治的には、ユウナレアを何処かに嫁がせるよりも、エドワードに与えた方が、アーカッシュ家のためになるはずなのに。
「まあ、お姉様。婚約おめでとうございます。やっぱり女の子は、仕事一筋よりも、家庭に入って子を育てなくちゃ。貴族の女子の、義務ですものね」
ニタニタと笑いながら言いのけた義妹を、殺してしまいたいと思った。
もちろん、そんなことをすれば結局エドワードの配下として働くことなどできはしない。義妹を殺したところで婚約の打診をしているのは父の方だ。ならば父も殺すか? 莫迦な。そんなことをしてなんになる。
このときばかりは、ユウナレアに劣らぬ頭脳を有するエドワードも、苦悶極まった様子を見せた。あまりにもアーカッシュ男爵が莫迦すぎて。
なにしろバーヴェクト伯爵家といえば、さまざまな犯罪の嫌疑がかけられている、王都において最も落ち目の貴族なのだ。同じ学院生である婚約者候補ベイバードも、その嫌疑を補強するような人物でしかない。
つまりこの婚約は、ただアーカッシュ家に被害が及ぶだけのものだ。
が、父の言い分は「かつての盟友であるバーヴェクト家への恩返しは、優秀なユウナレアとの婚約によって果たされる」というものだった。
なるほど、確かにバーヴェクト家の財務一切をユウナレアに取り仕切らせたのなら、伯爵家の財政状況は一変するだろう。現実味がまったくない案である点に目を瞑れば、名案といえる。莫迦莫迦しい。
この状況を打開する手は、ユウナレアからもエドワードからも出なかった。
あまりにも時間がなかった。卒業の段になればとうに婚約は済んでいるだろうし、父の口ぶりからすれば卒業と同時に輿入れだ。
やはり殺してしまうべきか、とユウナレアが殺害方法の検討に至った時点で、生徒会の仲間がこんなことを言った。
「これから死ぬやつと婚約して、結婚してしまえばいい」
ユウナレアは、これを『老齢に達した貴族へ輿入れしろ』という意味だと捉えたし、エドワードもそう捉えた。
そのおぞましさに鳥肌を立て、思わず生徒会の仲間へ侮蔑の眼差しを向けてしまったが、彼は慌てた様子で「違う違う」と手を振った。
「うちの本家、知ってるだろう、ラインバック辺境伯。その次男が国境の戦争にずっと参加してるんだ。十五歳のときから……かれこれ、二年か」
聞けばラインバック伯爵家の次男、ゲイル・ラインバックは初陣を飾るために、当初は小競り合いと思われた戦場へ赴き、結局は戦禍が拡大してしまったため、以降ずっと最前線で戦い続けているのだという。
「うちの本家は武門の一家だから、ユウナレアの実務能力は重宝されるはずだ。何年かラインバック家の財政を手伝ってやった頃には、ゲイルは戦死してるだろう。まだナルバ王国との戦争は終わりそうにないからな」
というのは、戦争の号令を出している中央貴族が、辺境領の戦力をある程度まで削いでおきたいという思惑があるからだ。
もちろんリウエ王国の国土を削られるわけにもいかないので、時折、調整の意味合いで戦力の投入は可決されているが……まだしばらくは、戦争は続くだろう。
両国の中枢にはまるで痛みの届かない、虚しい国境戦が。
「だけど……父はバーヴェクト伯爵家への恩返しを題目に、私の婚約を取り決めようとしているのよ? それをどうすればいいと思う?」
「そんなもん、簡単だろう」
なにを言っているんだ、とばかりに彼は言った。
「そのクサレ女――っと、失礼。義妹ちゃんの癇癪が端を発して、ユウナレア嬢の婚約に至ったわけだろう? エドワード殿下の隣にいさせたくない。ましてあのクズ野郎一家――っと、これも失礼。バーヴェクト伯爵家なんぞに嫁げば、ユウナレア嬢の望んだ人生など、送れるはずもない。まったく性根の腐った考えだ」
だからこそ、と彼は続けた。
「こう考えてみよう。戦争の真っ只中にあるラインバック家への輿入れなんて、とんでもない不幸じゃないか。ましてやまして、初婚の相手と一目ですら会うこともなく未亡人だぜ? 義妹ちゃんからすれば、とんでもない不幸だろ。確かに貴族の女子としては瑕になるが、エドワード殿下は、そんなことを気にしないだろう?」
「もちろんだ」
エドワードが即答してくれたのは、素直に嬉しかった。
「この案で良ければ、まず本家の爺さま……先代伯爵に、渡りだけつけてやるよ。あとはユウナレア嬢とエドワード殿下が話を進めればいい。俺ができるのは、手助けだけ。あとは自分でやりなよ」
実際問題、この案以外にはなかった。
打てる手があるのなら、打つしかない。
彼の考えはあまりにも的を射ており、ラインバック家はユウナレアの実務能力を喉から手が出るほどに欲しがった。手引によって会うことのできたラインバック前当主は、不躾な案に対して驚くほど前向きだった。
あっという間にユウナレアの父と交渉し、バーヴェクト家への婚約の打診を考え直させ、逆にゲイル・ラインバックとの婚約を打診していった。
そして。
義妹の喜びようといったら、予想をはるかに超えていた。
「まあっ! なんて素敵なの! 民のため、戦場に出ている英雄様のため、その身を捧げるだなんて! 姉さま、私は初めて姉さまを尊敬しましたわ!」
焼きごてで顔面に消えない火傷を刻んでやろうかと思ったが、やめておいた。
そんなわけでユウナレアは戦死する予定の男と婚約し、卒業と同時に結婚してラインバック家へ輿入れすることになった。
戦争が終わり、ラインバック家の経済状況が落ち着けば、晴れてエドワードの部下として取り立ててもらう。そんな約束で。
誤算は、ひとつ。
ゲイル・ラインバックが死ななかった。
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