30_王都にて(グレッグ)
グレッグ・エルサイドは、エルサイド子爵家の長男である。
といっても領地を持たない格だけ子爵で、ラインバック辺境伯の分家にあたる。実家はラインバック辺境領にあり、将来は領軍に務めるか、あるいは父がそうであるようにラインバック領の中でもさらに地方都市の代官に納まるだろう――というのが、子供の時分に理解できた。
それは面白くないな、と思ったのはいつだったか。
気付いたときには王都の学院へ行くため、一人で勝手に勉強し始め、受験することも一人で決め、両親には事後承諾気味に学院へ入学した。代官には、弟がなればいい。俺は王都で楽しく生きてみせる。
学院に入学し、それなりの好成績を維持し、生徒会へ入って第二王子殿下と既知になり、卒業後は彼の手伝いをして生きている。
そう、手伝いだ。
配下になったわけでもなければ、忠誠を誓ったわけでもない。グレッグは王都で過ごすうちに自分なりの人脈をつくり、その中での立ち回りを覚えた。その利用価値は在学中に示してみせ、結果、エドワード・ユーグス・リウエスト殿下から個人的な依頼を受ける『代理人』のような真似事をしている。
エドワードがグレッグを配下にしなかったのは、家格もそうだが、能力の問題が大きかった。直下で働くには、グレッグの能力は汚れ仕事に向きすぎているのだ。まともに働いてもそれなりには有能だという自負はあるが、まともじゃない働き方をした方が、グレッグは自身の能力を十全に発揮できた。
そのことを、エドワードは正確に把握していた。
第二王子殿下は見繕った『手駒』を無駄遣いしないのだ。
「人使いが荒すぎないのも、賢いよなぁ」
夕方。
へらへらと軽薄な笑みを顔に貼り付けながら、グレッグは王都の裏町を歩く。貴族が一人で歩くには全く相応しくない場所だが、不思議と違和感がない。足取りには迷いもなく、歩き慣れているのが傍目にもよく分かる。
行先は、ひどく狭い酒場だ。カウンター席が八つあるだけで、無愛想な店主が一人しかいない。棚の酒瓶は半分以上が埃を被っており、まともな食事など望むべくもない、そういう店だ。
「ちーっす。景気良さそうですね」
笑みを維持したまま声をかけてみれば、店主は不機嫌そうな表情を隠すことなくグレッグを睥睨し、ちっ、と舌打ちさえ洩らしてみせた。
当然、グレッグは気にしない。
「仕事、終わってるんでしょ? 請求はいつものところに回してください。お互い、使いっ走り同士、仲良くしましょうよ」
「お坊ちゃんと仲良くするつもりはないね」
忌々しげに呟く店主の年齢は、おそらく二十台の半ばほど。裏町とはいえ、王都に店を持つには若すぎるように思えるが――それもそのはず、店主はただの雇われであり、酒場はとりあえず営業しているだけだ。
稀に店を訊ねるのは、間抜けであるか、常連のろくでなし。
グレッグはそのどちらでもなく、その証拠に酒など頼まない。店主が机の引き出しから封筒を取り出し、カウンターの上に置くのをニヤつきながら眺める。
「最近、きな臭いのは知っているか?」
封筒をみっつ重ねたところで店主が言った。
「きな臭い? これからきな臭くなるんだろ?」
と、グレッグはおどけて肩をすくめる。ラインバックの者たちが王都へやって来る。死ぬはずだった次男が生還し、四年続いた戦争の英雄をして称えられる。それがとても気に入らない連中がいる。
「裏ギルドの支部がひとつ、潰された。昨日の話だ。三人くらいで暴れて、文字通りに真っ平らにされたそうだ」
「……マジかい、そりゃ」
「さあな。見たわけじゃない。だが信憑性は高い」
「裏のギルドだろ? 用心棒だっているだろうし、応援だって来るはずだ。どうやったら三人で潰せるんだよ」
情報操作されているはずだ、とグレッグの勘がささやく。潰されたというからには、実際に潰れているはずだが、誰が、どうして、どのように潰したのかが、かなり不明瞭だ。
「さあな」
と店主は繰り返し、四枚目の封筒の上に文字の刻まれた石を四つ置いた。封筒の中身は暗号化されており、この石が示す暗号鍵を利用しなければ本来の情報が得られない仕組みになっている。
グレッグは封筒と暗号鍵を受け取り、抱え鞄の中へ放り込む。それから、気難しい顔を維持したままの店主へ、ダメ元で訊いてみる。
「その裏ギルドを襲撃したやつらのこと、調べられます?」
「阿呆か。今この瞬間に横からくちばしを突っ込んでみろ、襲撃犯の関係者だと思われる。裏ギルドの支援者連中がとっくに動き回ってんだ。おまえさんもこっち側の水辺にいりゃ、放っておいても知ることになるだろうよ」
「でしょうねぇ」
今、襲撃の情報を知ったように、だ。
グレッグはへらへらと軽薄な笑みを浮かべつつ鞄を持っていない方の手を軽く上げ、酒場を辞した。まともな客はいつ来てるんだろうな、とか思いながら。
◇◇◇
市街の外れにある『事務所』で封筒と暗号鍵を渡し、職員から今度は別の封筒を受け取って、また街を歩く。
ひとまずはねぐらに戻って情報を確認し、今日のところはまともな酒場に出かけて一杯引っ掛けて……それから、どうしようか? 酒場の給仕を適当に口説いてみるか、花街の馴染みに金を落とすのでもいい。
「ったく、自由ってのはいいもんだねぇ」
エドワード殿下の直属になってしまえば、こんなふうに自堕落な時間を過ごしている暇などなかっただろう。
そのかわりに、尊敬すべき上司や心から頼れる仲間ができたかも知れないが、グレッグ自身はそういったものに少しの憧憬はあるものの、自分に似合っているとは思えない。何故なら、自分はどちらかといえばクズだから――そういう自覚が、グレッグにはある。
ラインバックを出て王都の学院に入学したのは、あんな辺境で一生を終えるのが嫌だったからに過ぎない。地頭はそこそこ良かったようで、勉強は苦ではなかったが特に意欲も湧かなかった。生徒会に入ったのは、あの学院で他人から貶められない場所にいる方が楽だったからだ。
辺境の子爵家の長男など、学院においてはなんの優位でもない。だから生徒会で認められておけば、面倒な連中からの嫌がらせに遭うこともなくなる。
なにしろ、同級にはエドワード第二王子がいた。彼が生徒会に入り、生徒会の中で発言権を持っている限り、生徒会員においそれと手を出すような真似は……まあ、例外はあるにせよ、ほとんど誰もしなかった。
エドワードから、ある程度の信頼は得ている。
それは人格に対する信頼ではなく、能力に対する信頼だ。別に嫌われているわけではないが、信を置くべき対象とは、思われていないはずだ。そう思われるように振る舞ってきたし、事実そういう人間なのだから。
固い信念、美しい思想、通すべき筋、他人から見てキラキラしたなにか――そういったものがグレッグにはないし、欲しいとも思っていない。ただ、そういったモノを持っているやつが、少し眩しいだけだ。眩しいから、ちょっとだけ手を貸してやりたくなるだけ。
真っ直ぐに生きようとしていた生徒会の仲間に、珍しく余計なお節介を焼いたのも、確かそんな理由だったはずだ。
下衆やクズに限って、どういうわけかキラキラしたものを貶めようとする。外道なんてものは、外道と戯れていればいいのだ。
「おっし、今日はティツィアちゃんを口説きに行きますか」
なんとなくの思いつきで今夜の予定を決めたところで、グレッグは歩調をほんの少しだけ早めた。いつものくせで不必要に何度か角を折れ、日が傾ききって夜が訪れる直前の市街を、ふらふらと歩く。
ねぐらまで、後少し。鞄の中身を確認して、酒場へ――。
「グレッグ・エルサイド君だね?」
ほとんど耳元で声をかけられた。
至近距離、半ば肩を組むような距離感に、見知らぬ男。
いや――いつの間にか、がっちりと肩を組まれている。
「だ、誰……ですかね?」
「へぇ、面白いねぇ。『誰ですかね?』とはね。俺を誰何してるのか、グレッグ・エルサイドとは一体誰なのか、どちらにも聞こえるなぁ」
それはグレッグの癖のようなものだった。どちらにでもとれるような発言。大抵の場合、相手は勝手に信じたい方を選び、信じたい方を信じる。
ぐっ、と組まれた肩に力が込められる。おそらく男は大して力など入れていなかっただろうが、その身に染み付いた濃密な暴力の気配が、グレッグから無駄な足掻きという選択肢を削り取った。
裏町のならずものくらいなら、グレッグだって相対したことがある。これでもラインバック辺境領に生まれ、分家の男として育ったのだ。ただのチンピラ、調子付いた酔っ払い、あるいは裏町で暴力を生業とする者――正直言えば、それら全てはグレッグにとって「どうにかなりそう」な手合いだった。
別に、正面から殴り合って勝てるわけじゃない。口八丁手八丁で場を切り抜けることは簡単だと思ったのだ。
だが――これは違う。
グレッグと親しげに肩を組んでくる男が放つ暴力の気配には、死の臭いがこびりついていた。脅しの手段ではなく、報復の手段でもなく、ただ仕事として他人を殺してきた、そういう気配があった。
「……はい。グレッグ・エルサイドです」
仕方なくそう言った。
男は笑ったようだった。位置関係で見えないが、そういう気配があった。
「よくできました。『代理人』のグレッグ君。ちょいとキミに仕事を頼みたくてな。仲間と王都に来たんだが、当座の居場所を確保したくてね。百人が一箇所……というのも難しいだろうから、三十人ずつ、三箇所くらいに、ねぐらを紹介しちゃあくれないか? なぁに、ちょっと不便でも文句は言わねえよ」
「百人……?」
呆然と繰り返してしまうグレッグだったが、言葉の意味が胸の中で浸透していくに連れ、恐怖と困惑が湧き上がった。
仲間と、この男は言った。
この男と同じような人間が百人も――!
「そうだよな、ここからじゃあ随分と遠い話だもんなぁ。知らないかもな。遠い国境で戦争が終わったなんて。俺たちは、戦争帰りなのさ」
「ラ――ラインバックの……?」
「そう! そうだよ分家のエルサイド君。つい先日、ラインバック領都で戦勝祭が行われたぜ。キミのご両親も出席していたよ」
なにが何処まで知られているのか。
グレッグにはまるで想像もつかない。
あの辺境で戦争が終わったことくらいは知っている。ゲイルが生き残ったことも。彼が王都に呼ばれて国王から報奨を受け取ることも。
だが、それで、どうして今こんなことに?
これからきな臭くなる――?
もうとっくに、きな臭かった――!
だとすれば、裏ギルドは、こいつらが……?
「まあ、そんな話はどうでもよろしい」
楽しげに、意地悪そうに笑いながら、男は言った。
「俺たちはラインバック領軍第三大隊。最前線で四年間戦い生き残ったゲイル・ラインバック様の部下だ。グレッグ君のおかげで隊長は結婚できたそうだが、いやはや、ありがたいねぇ。そういうわけで、仕事、受けるよな?」
グレッグは無言で頷きながら、どうにかいつものへらへら笑いを浮かべようとして、失敗した。できるわけがない。
最悪だ。
いや、その一歩手前か。
利用価値があると思われている間は、まだ。
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