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29_王都へ(ゲイル)





 馬車を六台、第三大隊からは四十名、モゥレヴ伯爵直下の領騎士が十二名、使用人が数名、ゲイル、ユウナレア、モゥレヴ、カートの家族四名に、ユウナレア専属のメイドであるシェラ、ゲイルの部下であるマーヴィ、イニアエス、双子のジェニーとダニー。以上が王都行きラインバック一行だった。


 ゲイルは箱馬車の中、ユウナレアの隣に座って車窓からの景色を眺めていた。


 リウエ王国には『国道』と呼ばれる大街道があり、これは様々な領と領の領線をなぞるような形で道が敷かれている。国道沿いに点在する商業施設の――例えば宿場街や、特産品の市場など――収益の一部は、領からの納税とは別の形で直接王国に納められるようになっているらしい。


 というのは、道中でユウナレアが語ってくれたことだが、ラインバック領から出たことのないゲイルには、いまいちピンと来ない話だった。

 厳密に言えばナルバ王国の国境を超えて侵攻していたこともあるので、領を出ていないわけではないが……まあ、ようは辺境の田舎者である。


「王都とは、どんなところなのだ?」


 ひさしぶりに口を開いたゲイルに、ユウナレアは少し意外そうな顔をしてから元の無表情に戻り、そうですね、と思案する。

 そして彼女の思案は、いつも早い。


「地方領と大きく異なるのは、狭い範囲に人が密集していることでしょう。ラインバックが百の範囲に百人いるとすれば、王都では五十の範囲に千人はいます」


「ほう。それはすごい」


「人が多いということは、それだけお金の動きが活発ということです。ラインバックでは大商家はそう多くありませんし、彼らが有する権力のようなものも、領主に比べれば小さなものでしょう。が、王都では少し異なります」


「……つまり、王都では金の力が強いということか」


 ラインバックでは領軍による武力が尊ばれている。領民も、精強なラインバック領軍を頼りにしている。しかし想像するに、王都で強大な武力など必要ないのだ。むしろ最も要らないとさえ言えるだろう。

 王都には王国軍、王国騎士団があり、彼らが最も強大な武力でなければならないはずだ。でなければ武力の持ち主が反旗を翻しただけで王都が落ちる。


 となると、王都では大きな武力を動かせることではなく、大きな財力を動かせることが、強さとして判りやすいのだろう。


「そうなりますね。もちろん貴族の権力もありますが、領地を持たない子爵家よりも、公爵家に縁深い商家の方に発言権がある、というようなことも起こり得ますし、金銭で爵位を得た貴族もいるのですよ」


「カートがそんなようなことを言っていたな」


 出発の前日、三男のカートがゲイルの部屋にやって来て「貴族の勉強をした」と話をしてくれた。ゲイルにはまるで知らない話ばかりだったので、八歳の子供が語るリウエ王国の貴族事情は素直に勉強になった。


「ええ、カートは勉強熱心です。それに、とても覚えが良い。私と話をした些細なことも、本当にいろいろと覚えてくれているのです」


 カートについて語るとき、ユウナレアの表情がやわらかくなる。普段は少し冷たく感じる彼女の無表情に、わずかな暖かさが宿る。


「あいつは天才かも知れないな」


 そう思ったのでそう言った。カートと比べるなら、まだしもゲイルは父や兄に似ているだろう。ラインバック家の男として、カートの知性は特筆すべきだ。


「そうですね。カートのように愛情を注がれて育った子が、あんなふうに貪欲に学ぶことを求めるのは、天性の才能なのかも知れません」


 自分は違う、という言い方だった。

 そのあたりを聞いていいものかどうか、少し迷ったが、どうやらその迷いを察せられたようで、ユウナレアが小さく苦笑して続けた。


「私は、自分の能力以外に縋るものがありませんでしたから」


「……すまんが、よく判らん」


「周囲に示せるものが、私にはそれしかなかったのです。他人よりも物事を多く知っている、速く考えられる、深く推察できる、同時に思案できる――私が優秀であることを、私より優秀でない他の人たちが証明してくれました」


「なるほど」


 自分よりも弱いやつがいなければ、自分が強いとは言えない。ゲイルが殺してきた多くの他人たちが、ゲイル自身の強さを証明している。そういうことだ。


「だが、少し不思議だな」


「不思議――ですか?」


「能力に縋るようにして生きていた。言葉面でだが、それは理解した。しかし、おまえは一体誰に自分の優秀さを証明したかったのだ?」


 アーカッシュ家の者たち――ではないだろう。義母と義妹は明確にユウナレアの敵であり、実父と実兄は敵に与した裏切り者ではないか。そんなやつらに優秀さを見せつけたところで、むしろ立場が悪くなるばかりのはずだ。


「そう……ですね。世界に対して、というのが近いかも知れません」


「世界?」


「あの家では、私がなにをどうしようが価値などありませんでした。しかし一歩外に出れば、私の能力は、きちんと示せば一目置かれるものでした。当然ですが、外を見ていた方が、私にとっては居心地がいいものでした」


「なるほど」


 無価値でない自分がここにいる――そう叫ぶ必要があったのだ。叫び続ける必要があった。叫ぶためには、学び続ける必要もあった。


 話を戻すのなら、カートにその必要はない、ということだ。

 何故なら、別になにをしなくともカートは周囲に愛されているから。わざわざ優秀さを示す必要がないのに、カートは学ぶことをやめない。貪欲に、楽しげに、片っ端から智を喰っている。


「時間さえ許すのなら、あいつにおまえの仕事を覚えさせればよかったな」


「まあ、それは素敵ですね。カートなら、私よりも上手くやれますわ」


 嬉しそうに頷くユウナレアだったが、実現不可能であることくらい、互いに理解していた。ユウナレアは最長でも二年半後にラインバックを去るからだ。

 最短なら、王都へ着いてすぐにでも。


「だといいな」


 と、ゲイルは言った。そう思ったので。



◇◇◇



 箱馬車は四頭立てで、かなり広い。ゲイルとユウナレアが並んで座っている座席の後ろには従者用の空間が設けられており、この馬車にはシェラとイニアエスが控えている。


 ゲイルはそう喋る方ではないので、シェラとイニアエスには礼儀をある程度は無視して会話をするよう言っておいた。ユウナレアの方もそれほど喋る方ではないようだが、それにしたって沈黙を維持する木偶の坊を隣に置いて黙り続けるのもつまらないだろうと思ったのだ。


 女三人よれば姦しいというらしいが、この馬車に限っては例外だった。ぽつりぽつりとした会話が続いたかと思えば、気まずくない沈黙が続き、何処か遠くで名前も知らぬ鳥の鳴き声が響く音さえ聞こえてくる。

 馬車の車輪が砂利を踏み、ほんのわずかに振動する。隣の妻が表情を変えずに車窓を長め、なにが気になったのか、わずかだけ首を傾げる。


 そういう時間がゆっくりと過ぎ、ふとイニアエスが口を開いた。


「ゲイル様。王都ではゲイル様のお祖父様の屋敷へ滞在するのでしたよね?」


「ああ、そうだな。最後に会ったのがいつのことだかは忘れたが、親父殿の親父殿が、王都に屋敷を持っている。分家の連中が王都に行くときは祖父殿を頼りにするそうだ。部下を収容できるくらいの広さはあるだろう。名前は……」


 思い出せない。

 少なくともこの四年、一度も思い出したことがない。


「ゴルレオン・ラインバック様です」


 ユウナレアがそっと答えを口にする。そういえば『これから死ぬ伯爵家次男との婚姻』について、まずモゥレヴ辺境伯当人ではなく、その父に話を持っていったのだったか。となると、ユウナレアはゴルレオンに会っているはずだ。


「そんな名だったかも知れんな。そういえば、その祖父殿とおまえを引き合わせた分家のやつがいただろう。生徒会の仲間だったとかいう」


「グレッグ・エルサイド様ですね」


「エルサイド……」


「戦勝祭で、彼の両親が挨拶に来ていましたわ。グレッグはエルサイド子爵家の長男です。領地を持っていないので、おそらく王都で就職先を見つけたはずかと」


「どういう人物だ?」


「目端の利く――という表現が、よく似合う人です。生徒会の中では目立つことをしませんでしたが、いなければ困る、そういう役割を好んで引き受けていました」


「有能だな」


 そういう人物は第三大隊にもいて、ゲイルはかなり重宝していた。ガーノートに貸したホレンスもそうだし、わざわざ従者にしたマーヴィもそうだ。


「ええ。集団には必要な人材です。……それで、イニアエス。ゴルレオン様がどうかなさったのですか?」


「ゴルレオン様の屋敷に滞在している最中、『敵』は我々に接触して来るでしょうか――というか、接触できるのでしょうか?」


 なるほど、あれこれちょっかいを出してくれなければ、むしろ叩き潰せない。ということは、隙をさらして『敵』に攻撃をさせる必要があるわけだ。


「『敵』が誰かによるでしょうし……それに、おそらく刺客を差し向けてきた『敵』以外にも、我々を害そうとする者がいるでしょう」


 当然とばかりに言うユウナレアである。ゲイルとしては、中央の貴族を恨む理由はあれど、恨まれる理由に心当たりがない。

 これはおそらく、ゲイルが持っている理屈と、貴族的な理屈が違うせいだ。あちらからすれば、十分な理由があるのだろう――他人を四年も地獄に放り込んでほくそ笑むだけの、正当な理由が。


「例えば、それは誰になる?」


「まずは第三王子派でしょうか。第二王子であるエドワード殿下は庶子ですので、王位継承権が低く、第一王子ヴィクトル殿下を補佐しています。王位継承権が次に高いのが第三王子ジュラルド殿下で、貴族たちの派閥は、大きく『第一王子派』『第三王子派』『中立』に別れていると聞きます」


「最も大きな勢力は?」


「『中立派』でしょうね。結局のところ、勝った方につけば良い。派閥を担いでいる貴族たちは、大きな力を持っていないか、大きな力を持っていて盤石にしたいか、ということになるはずです」


「ふむ」


 大きな力を持っていない、というのはゲイルにもなんとなく理解できる。例えば領地を持たない男爵家の、要職にも就いていないような貴族が第一王子を早い段階で支援したとすれば、そいつは後々、第一王子が勝った後に他の者より豪華なおこぼれに預かれるはずだからだ。


 大きな力を持っていて盤石にしたい……というのは、うまく理解できない。既に力があるなら、後から勝馬に乗っても構わないはずだ。


「例えば第一王子ヴィクトル殿下には、公爵家の長女という婚約者がいます」


 手がかりを指差すみたいにユウナレアが呟く。

 なるほど、とゲイルは頷いた。


「そもそも立場上、神輿を担がねばならない者がいて、神輿に負けてもらっては困るということか」


「結局のところ、立場があり、利害があるということですわ」


「木っ端では祖父殿の屋敷に押しかけては来られんだろうな」


 かといって大物が直接攻めてくるとも思えない。立場があるからだ。

 トカゲの本体としては、尻尾を差し向けたいはずだ。切り離せるから。しかしその尻尾では侵入できない場所に滞在することになる。守りを考えるならば、その方が好ましいだろう。しかし守っていては攻撃できない。


 いずれ攻撃されるのであれば、さっさと攻撃させて反撃する方が性に合っている――というのがゲイルの本音だ。


「ユウナレア様。日程はどうなっていましたでしょうか?」


「戦勝祭の十七日後に王城で国王から報奨を受け取ることになっています。出発を早めましたし、旦那様の部下が護衛についたことで足が速くなりましたので、七日前には到着できる計算になりますわ」


「それなりの時間がありますね」


 指先で細い顎を触りながらイニアエスが呟き、箱馬車の天井あたりを眺めるようにするが、彼女の両目は目隠し布のように眼帯で覆われている。


「旦那様。王都の観光でも致しましょうか?」


 と、魔法士の思案が終わる前にユウナレアがそんなことを言い出す。棚の小物を取って渡すくらいの軽さに、ゲイルはやや驚いた。


「離婚届を提出して、第二王子の元へ身を寄せるのではないのか?」


「私が、ですか?」


 きょとん、と首を傾げる。そこに嘘や誤魔化しがあるようには見えず、ゲイルは眉間にしわを寄せてしまう。


「おまえ以外に誰がいる。俺たちが王都で暴れれば、妻であるおまえの評判も悪くなるだろう。かといって、俺はおまえに遠慮して大人しくするつもりもない」


 わざわざ喧嘩を売って回るつもりもないが。

 しかし――売られた喧嘩を買い取るつもりがある。


 ユウナレアは少し考えるようにしてから、口端を小さく持ち上げた。


「私の仕事はまだ終わっておりませんので。離縁しろと望まれるのであれば、もちろん受け入れますが、私から契約を反故にするつもりはありません」


「何故だ?」


「ここで我が身可愛さで保身に走ると、私が私自身を許せなくなってしまいそうですので。旦那様には申し訳なく思いますが――結局、私自身のためです。今、ユウナレア・ラインバックは、崖っぷちに立っているのですよ?」


 自棄になっているようにも見えるが、発言の通り、それをぎりぎりで堪えているようにも見えた。腹を括った人間の表情と言葉だ。


「愚かだな」


 と、ゲイルは言って、少しだけ笑った。

 何故なら――死んでいったゲイルの部下たちの中、少なくない者が愚かだったからだ。生き残った部下だって、多かれ少なかれ愚か者だ。


 ゲイル自身もそうだ。襲撃事件などなかったことにして、大人しく王から報奨を貰ってラインバックに戻るのが無難だと判っている。罵詈雑言、侮蔑に嘲笑、そんなものは無視すればいいはずなのだ。


 しかし、そうしないと決めた。

 死んでいった部下たち、生き残った部下たち、彼らの死に様と生き様を、遠くから見下して笑っていたような連中に媚び諂うなど――許せるものか。そんな自分を、ゲイルはきっと許せない。自分を許さないままに生きていく気にはなれない。


 ならばユウナレアも、そうなのだろう。

 どのような心境の動きがあったのかは知りようもないが、そうしないと決めたのであれば、言うべきことなどひとつもなかった。


「はい。私は、卑怯で卑劣な、愚か者です」


 その言葉を吐き出すユウナレアは、絵にしたいほど綺麗だと思った。時間を止めて、何処かに仕舞っておきたくなる――そういう微笑だった。






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