21_父の帰還、今後の相談(ゲイル)
父であるモゥレヴ・ラインバック伯爵が帰還したその日、ようやくラインバック家の面々が同じ食卓を囲うことになった。
長男ガーノート、その妻サーシェス。
次男のゲイル、その妻ユウナレア。
三男のカート。
「改めて――ナルバ王国との停戦が締結された。この場では詳細を省くが、我がリウエ王国に少しだけ有利な条件で停戦条約が結ばれたことになる。前線で四年間戦い続けた我が息子、ゲイルの功績を称えるため、近々王城へ招かれ、王から直接の報奨を受け取ることになるだろう」
つらつらと紡がれる父の言はゲイルの心の表面を滑っていくばかりで、国境紛争の英雄とかいう存在は、まるで他人の話を聞かされているようだった。
「そして、我が息子、ゲイル・ラインバック。よくぞあの国境戦を生き延びた。中央貴族の介入に屈した不甲斐ない儂らを許して欲しい。おまえこそが、ラインバックの鑑だ。おまえは、儂の誇りだ」
じわりと目尻に涙を湛えて言う父を見る限り、嘘ではなさそうだった。
だが――あの戦場に、誇らしいものなどひとつとしてなかった。それがゲイルの実感であり、感慨だ。褒められたところで認識の相違だと冷めた気分になるのみ。まあ、それが貴族というものなのかも知れないが。
「我らが英雄の帰還に、乾杯」
父が酒杯を掲げるのに合わせ、ゲイルも酒杯を持ち上げた。
これなら部下たちと不味い酒を酌み交わした方がよっぽど楽しいだろう、なんてことを思いながら。
◇◇◇
予定としては三日後に戦勝祭、その五日後には王都へ向けて出発し、そこからさらに十二日後に、王城で報奨をもらう、とのこと。
随分と詰まった予定ではあるが、察するに、ラインバックに対してそこまで入念に準備をして盛大に褒め称えるつもりがないのだろう。『狭間の泥沼』と呼ばれたあの戦争など、そもそも両国の中央貴族がその気になればいつでも終わらせられた茶番でしかないのだ。
晩餐の日の夜、ゲイルはモゥレヴの私室へ呼び出され、それなりに話をした。これからの予定、戦争の裏側、中央貴族の意向、そして――ユウナレアについて。
「言い訳はすまい。ユウナレア殿は知らぬことだが、先代当主……儂の親父が、第二王子殿下から強く頼まれていた。当初はユウナレア殿が『使える』かどうかなど知らなかったが、結局のところ、断りきれなかったのが婚姻の理由だ」
なるほど、確かにユウナレアはアーカッシュ男爵領の財政を取り仕切っていたという実績こそあれ、だからといって当時十六歳の小娘の財政執行能力を心底からあてにしていたと言われるよりは、納得のできる話だった。
もっとも――ユウナレア・アーカッシュの能力は本物だったわけだが。
「時期が来れば、当初の予定通りにユウナレア殿は第二王子殿下の部下として働くことになるだろう。おまえとは離縁する形になるが……そのあたりの話は、既に当人同士で済ませたと聞いた」
「ああ。別に構わんと言った。ラインバックを出たいなら出ればいい。ラインバックを出たいと思っている者を引き留めたところで意味がないだろう」
義理はあるかも知れないが、忠義や里心が生まれるとは思えない。そういう人間に領の中枢を任せるのは、優れた采配とはいえない……と、ゲイルは思う。
「すまぬ。不甲斐ない父を許してくれ。王都へ向かう際は儂も同行し、中央貴族共から可能な限りふんだくるつもりだ。おまえも王都で中央貴族共にあれこれ言われるかも知れんが、我慢せんでいい」
「我慢しなくていい、とは?」
「侮辱には拳で返せ。それでごちゃごちゃ言い出すのであれば、王家に対する忠義など打ち捨てる。四年間……四年間だぞ、あの糞共は、したり顔で戦争を引き伸ばしおったのだ。糞共の演出した地獄で四年間戦い続けたおまえを蔑むのであれば、もはや忠誠を尽くす価値などあるまい」
静かな口調ではあったが、父の腹の中が煮えたぎっているのは理解できた。
もしかすると、停戦交渉の際に同行していた中央の騎士団となにかあったのかも知れない。侮辱に相当するような、なにかが。
「まあ、我慢しなくていいというなら気楽だが。そうなると、ユウナレアが困るだろう。逆賊の妻を、第二王子は守りきれるのか? バカベロバー伯爵家との婚姻さえ邪魔できなかった程度の男だろう?」
「バカ……バーベクト伯爵家だな。当時は殿下も学生であったし、立場も強くはなかったらしいからな」
「その殿下の頼みを、親父殿は断りきれなかった、と」
「耳が痛いな」
「心も痛めてくれ」
「胃も痛いわ。おまえ、サーシェスを伸したらしいな? ガーノートが愚痴っておったわ。まあ、あの夫婦は少々鼻が伸びておったようだから、ひとまずは感謝しておくが……さておき、ユウナレア殿のことは気にするな」
苦笑を浮かべる父が、ようやく――記憶の中の父モゥレヴと重なった。そうだ、元々この父は、策謀には向いていないのだ。
「気にするなと言われてもな……」
「おまえこそユウナレア殿に『気にするな』と言っただろう。契約の不備は、ユウナレア殿と儂、そしてエドワード殿下の落ち度だ。おまえは戦って、生き延びた。なにひとつ恥じることはない。誇れ。自慢の息子よ」
「あの戦場に、誇るべきことなどひとつもなかったぞ」
「だとしても、だ」
強く、モゥレヴは断言した。
「おまえは、おまえたちは、戦って戦い抜いた。どれだけ死んだ? どれだけの者が無為に死んだ? どれだけの者が、おまえを守って死んだ? おまえのせいだ。それ以上に儂のせいだ。それ以上に、中央の糞共のせいだ。死んでいった者たちのために、おまえだけは胸を張れ」
「……そういうものか」
「そういうものだ」
言って、少し長めの沈黙を挟んでから、モゥレヴはぽつりと呟いた。
「息子よ。生きて帰ってくれて、生きていてくれて……儂は、嬉しい。領主としては、おまえを利用すべきだ。判っている。だが、生きているおまえを見てしまっては、もう無理だ。王家に反旗を翻す方が、まだ気楽というものよ」
◇◇◇
考えることが増えた。
戦勝祭を二日後に控え、この日はさすがにユウナレアとエスコートの練習をしている暇がなく……いや、暇がないのはユウナレアの方だ。ゲイルは特に仕事もないので、イニアエスとマーヴィを連れて軍部へ向かった。
第三大隊は戦勝祭を終えた後、退役する者と残る者に分かれることになるが、どちらにしてもまとめ役が決まっている。
退役者たちは、バーナード・ルッチ中隊長が。
領軍に残る方は、レイエン・レブレザック中隊長が。
それぞれ隊をまとめて『第三大隊』を維持するという。
ゲイルとしてはそんなもんさっさと解散させて各々が好きに生きればいいと思うのだが、考えてみれば、その『好きな生き方』を思いつくような日々を過ごしていなかったのだ。であれば、しばらくの間はゲイルの部下であることを続けさせてやるのが、彼らにとってもいいのだろう。
それにゲイルとしても、あの戦場を共に生き抜いた仲間のほとんどを失うというのは、なんだか気持ちが悪かったので、結局は同じ穴の狢だ。
魂は戦場に置いたまま。
けれども俺たちは――魂なんてものを、重要視していない。
そんなものがなくとも戦える。それだけが重要だ。
「つまりは中央の貴族連中が元凶ってぇわけですか」
呟いたのはルッチ。
「その『中央の貴族連中』っていうのは、主語がでかいぜ。何処の家の誰がどういう思惑を持っていたのか……もしかすると直接的にラインバックと利害関係にないやつらも戦争を支持していたかも知れん」
茶化すように口を挟んだのはレイエンだ。同席しているマーヴィは眉間に皺を刻んで考え込んでいるようだったし、隣に座るイニアエスはむしろなにも考えていないようで、ほわほわと微笑んでいた。
「いずれにせよ、情報が足りんな。直接的に敵対してくれれば、そちらの方が話が早くて済むのだが」
「しかし隊長、こういう場合はトカゲの尻尾が襲って来るっていうのが定番だと思いますがね。敵を倒して得られるものがないんじゃ、ただの徒労だ」
「そうか? あっさり尻尾が潰されれば、本体はビビるだろう。なにかしら反応するはずだ。怪しい動きを感知できれば、なにか判るだろう」
とゲイルが言えば、部下たちが「おぉ」と息を呑む。かつての戦場でも作戦会議の際、こういう場面がたまにあった。ゲイルの単純な思いつきが、部下の知性を刺激する――らしい。ゲイルにはよく判らないのだが。
「戦勝祭から十七日後に王城で報奨をもらう……でしたっけ。くそったれ、時間が足りんな……いや、王都に既に網を張っているやつを当たれば、あるいは……」
「それにしたって時間が足りんぞ、ルッチ。除隊する人数を増やして王都に向かわせた方がいいんじゃないか?」
「いや、人数割を変えるのは今更だ。混乱する。こっちはこっちでどうにかするから、王都に向かう際の護衛に第三大隊を可能な限り連れて行けるよう手配しろ。隊長も、そこはお願いしていいすか?」
「構わんぞ。俺が褒められるなら、おまえらも褒められて然るべきだ。まあ、別に褒めて欲しくて戦っていたわけではないが」
これにはゲイル以外の全員が苦笑を洩らした。
とにかく――と続けたのは、除隊員のまとめ役であるルッチだ。
「戦勝祭が終わったら、俺らは直ぐに除隊して王都を目指します。拠点については……さすがに心当たりがねぇが、なんとかしましょう。情報収集までは手が回らないかも知れませんが、これも努力します。隊長が王都に着いたときにはレイエンの野郎も付いて来てると仮定して……下層民が通うような酒場に合図を出しておく。符丁を確認して俺たちに接触しろ」
「了解した。仕事が多くて悪いが、頼むぞ」
「あっ」
と、ゲイルが口から音を出し、全員の注目を集めた。これもこれで慣れているので、特に気まずさを覚えることなく、ゲイルは思いつきを口にする。
「そういえば、ユウナレアを唆して俺との婚姻という絵図を描いたやつがいたな。ラインバックの分家のやつらしい。そいつを使うのはどうだ?」
「いいすね。奥様の同級か、一歳前後するだけでしょう? 調べればすぐ判るはずだ。マーヴィ、頼めるか?」
「ああ。ラインバックの分家を調べていけば、すぐだ。奥様に直接聞くのが本当は早いが……まあ、必要ねぇな」
「それで、隊長――」
ふと声をひそめるレイエン。ルッチもマーヴィも、同席していた他の面々も、イニアエス以外の全員が、息を呑むようにしてゲイルに注目していた。
「――中央貴族の『クソッタレ』が目下の敵で、場合によっちゃ王家を敵に回すってことで、よろしいんですね?」
いや、よろしくない。
と思ったが、考えてみると、場合によってはそうなるかも知れなかった。そうなったとしてもまあいいか、と思っている自分にゲイルはやや呆れた。
やはり、魂は置いてくるべきではなかったのかも知れない。
今更言っても詮なきことだが。
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