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20_妻の事情を知る(ゲイル)





「しばらくあれこれ調べてみましたが、マジに有能っすね、隊長の奥さん」


 ユウナレアが倒れてから三日。翌日にはモゥレヴ伯爵が戻って来るという日の早朝、ゲイルの私室を訪れたマーヴィ・ルゥスがそんなことを言った。


 ゲイルは寝台の上に寝転がった状態で「ふむ」と頷き、続きを促した。あまりにぞんざいな態度だったが、マーヴィは気にすることなく続ける。


「まず、領地改革ってやつですね。簡単に言うと金を食うばかりの事業だったり公共投資を片っ端から打ち切ったそうです。それに伴って、まあなんですか、私腹を肥やすありがちな癒着組織もいくつか潰されてます」


「なるほどな。余所者ならではの手法だ」


 その土地にある()()()()というやつを気にしない者、あるいは『それを当然』と思っている価値観の外側にいる者が、大鉈を振るえるわけだ。

 大きな物事を動かす、その決断が出来るということは――己の考えが正しいと考えてるか、もしくは莫迦でなければできない。

 例えばそこらの市民にぽいっと権力を渡したところで、おそらく大したことは出来ないだろう。大商会を潰せば街の商売人たちが豊かになると判っていても、己の意思で「潰せ」と命じられるかどうか、そういう話だ。


 そういう意味で、ユウナレアは自身の能力に自信があり、その判断には根拠と確信があるのだろう。


「市民が把握してるだけでも、いくつかの商会だとか集団が潰されています。いわゆる裏町の組織も、領軍を使って潰した形跡がありましたね。邪魔だったんでしょう。マジにきれいさっぱり潰してるのは、評価高いっスよ」


 嬉しそうに笑うマーヴィである。

 ゲイルは「それで」と話の方向性を修正する。


「あの女が抱えている『事情』とやらは、調べられたか?」


「判りませんでした」


 即答だった。それはそうだろう、とゲイルも頷く。


「だいたい、アーカッシュ領の男爵令嬢でしょ? そのお嬢さんが『事情』を抱えてるせいで死ぬはずだった伯爵家次男との婚姻を決めたわけっスから、奥様の『事情』はラインバックで調べたところで、判るはずもありゃしませんや」


「道理だな」


「ただし――」


 と、マーヴィは性格の悪そうな笑みを見せ、指を立てた。元々が小悪党みたいな顔をしているせいで、本当に悪そうな顔になる。思わず笑ってしまうほど。


「――奥様は、王都の誰かと手紙のやりとりをしてる形跡があります。アーカッシュ領じゃなくてね。ってことは、学院時代の知り合いでしょうが……」


「ただの友人かも知れんぞ」


「友達が多いってふうには見えませんでしたがね」


「それでも一人くらいはいただろう」


「隊長には、いるんスか?」


 友人。ゲイルはわずかに眉を寄せ、横たえていた身体を起こし、寝台の上であぐらをかいてから、ゆっくりと肩をすくめた。


「いると思うか?」


「いねぇと思いますねぇ」


「そうだろう」


 では、ユウナレアに友人がいるのかいないのか、という話に戻るのだが――当然、そんなものは判るわけもない。


「……隊長、一応は奥様の部下にも探りはいれましたが、メイドも秘書も、奥様に忠誠を誓ってるって感じで、なんの情報も得られやしませんぜ。ちょいと踏み込んだら警戒されちまう。隊長が直接、奥様に訊いた方が早いんじゃねっスか?」


「まあ、そうだろうな」


「それになんだって奥様の『事情』とやらを探らにゃならんのですか? どうせラインバックを去る女でしょうよ」


「『事情』とやらが解決可能であれば、手伝ってやれるかと思ってな」


 という返答はマーヴィをひどく驚かせたようで、間抜け面と形容しても差し支えない顔でゲイルを凝視していた。


「なんだ。なにか、おかしいか?」


「いや……不本意な契約結婚の相手に……随分と優しいんじゃあねぇスか?」


「『事情』が解決すれば、ラインバックに残るかも知れんだろ」


「んんん? え、ってことは、隊長は奥様と結婚生活を続けたい……ってことになりますよね? 惚れちまったとか? そりゃあ、人形みてぇに綺麗な顔でしたが、結婚相手に黙って結婚するような女っスよ?」


「だが、有能だ」


「愛がねぇっスよ……」


 はぁ、と深い息を吐くマーヴィである。小悪党みたいな顔をして、いつもゲイルのことを心配しているのだ。それは他人の情緒に鈍感なゲイルでも判っていた。


「愛で平和や豊かさが訪れるのであれば、俺は世界中を愛してやるのも吝かではないのだがな。そんなもんは絵本の中の話だ」


「個人的にゃ、この世のどっかにあるかも知れねぇから、絵本になったって説を推しますがね、俺は。隊長もよかったら探してみてくださいよ、この世のどっかにあるかも知れねぇんで」


「そうか。たまに道端に落ちているか確認しておこう」


 と、ゲイルは言った。



◇◇◇



 朝食時の話題は、当然だが父モゥレヴ・ラインバックの帰還だった。翌日には戻って来て、ひとまずは戦勝祭に向けて、あれこれ忙しくなる。


「姉さま、体調には気をつけてくださいね」


 心配そうにユウナレアを見上げるカートだった。本当に、随分と懐いたものだなとゲイルは感心する。ゲイルに対するよりも、カートはユウナレアに対するときの方が親しげなのだ。


「カートはユウナレアが好きなのだな」


 そう思ったのでそう言った。


「はい。僕は姉さまがとても好きですよ」


 にっこりと笑ってカートが答える。

 隣席のユウナレアが、珍しくそうと判るくらいに頬を赤くしていた。



◇◇◇



 朝食後は、エスコートの練習。

 といっても、ゲイルとしては腰のあたりに手を置いておくだけの作業だ。後は彼女が歩く際の歩幅や、曲がり角、階段などの移動時に少し気を配ればいいだけなので、もはや練習も要らないような気がしていた。


 が、忙しいユウナレアと話をする時間としては、悪くない。

 自覚できるほどに口下手ではあるので、マーヴィのように『いつの間にか相手が情報を話してしまう』ような会話術は持ち合わせていないのだが。


「『事情』というものを、訊いてもいいか?」


 だからゲイルは下手な小細工をせず、直裁的な物の言い方をした。

 なんの前振りもなかったからか、ユウナレアは地面を掘り返す鳥でも発見したような眼差しをゲイルに向けてきたが、まあ仕方ない。


 庭の木々を縫っていた足を止めたユウナレアに合わせて、ゲイルも足を止める。とりあえず手は乗せられたままなので、エスコートとしては間違っていないのだろう。別のなにかは間違っていそうな気もするが。 


「急になんだと思ったか? これでも、妻のことは気になっていた。もちろん、言いたくなければ、俺に教える必要はない」


「……いえ。旦那様には知る権利があると思いますが……」


 わずかに言い淀み、ユウナレアは『事情』についてぽつぽつと語った。


 彼女の実家であるアーカッシュ家、母との死別、父が連れて来た義母と、連れ子の義妹。狂っていく父と兄。義妹ばかりが優先され、ユウナレアの意思が優先されることなど、アーカッシュ家では皆無になっていた。


 それでも王都の近くにアーカッシュ領があった以上、ユウナレアは王都の学院に入学することができた。


「ほとんど友達なんてできませんでしたけど……自慢になりますが、成績に関しては常に首席でしたのよ。運動以外は、ですけれど」


 微苦笑、のような曖昧な表情。


「そうして私は私の優秀さを誇示し続けました。私にはそれしかなかったからです。そんなことをせずに、普通の女の子みたいにして過ごせば、もっと友達もできたかも知れませんし、面倒なやっかみもなかったと思いますが……」


 しかしそうやって妥協してしまえば、これまでの努力はなんだったというのか。本を読み、独りで学び続け、アーカッシュ家の財政を取り仕切るほどの優秀さを隠してつくる友人、そうまでして無難に過ごす意義を、ユウナレアは見いだせなかった。あるいは――そのような意義を、認めなかった。


「ですが、そうした私の優秀さに目をかけてくれる人がいました」


 リウエ王国第二王子、エドワード・ユーグス・リウエスト。

 庶子であり王位継承権の低い彼は、将来の手駒を探していた。自らの未来を考え、彼は打つ手を探し、打つべき手を打っていた。

 無闇に己の優秀さを誇示していただけのユウナレアとは違って。


「いずれ彼の下で、私は私の能力を振るう。そう約束したのです。私を必要だと言ってくれたのは、きっとエドワード様が初めてでした」


 しかし、義妹の横槍が入る。

 ソーラリア・アーカッシュは、第二王子の下で輝くユウナレア・アーカッシュなんて認めなかった。


 途端にバーヴェクト伯爵家へ婚約の打診を匂わせられ、ユウナレアの将来が義妹の気分ひとつで閉ざされようとした。そこで知恵を出してくれたのが、生徒会の仲間だった。

 国境線で死ぬはずの伯爵家次男と、結婚すればいい。

 ひとまずは、それでバーヴェクト家のドラ息子との婚姻は避けられる。ゲイルが死んだ後に、改めてエドワードの元へ行けばいい。


 そうしてユウナレアは、ラインバック家に能力を提供することと引き換えに、ゲイルとの結婚を取り付けた。あまりにも不本意な婚姻を避けるため。


「……以上が、私の『事情』です。あまりに身勝手で幻滅しましたでしょう?」


 皮肉げに口端を上げる書類上の妻に、ゲイルは少し考えてから「いや」と首を横に振った。それはゲイルの正直な気持ちだった。


「幻滅はしていない。最初から、特に期待をしていないからだ」


「それは……そう、でしょうね。申し訳ありません。自惚れていたようです」


 項垂れるユウナレアの後頭部を眺めて、どうやら言葉を間違ったようだな、とゲイルは嘆息する。嘘ではないが、言い方がよくなかったようだ。

 なので、少し考えて、続けた。


「だが、おまえに能力があるというのは真実で、ラインバックに豊かさをもたらしたのは事実だ。そこには感謝をしている」


 ぱっ、とユウナレアの顔が上げられる。

 ゲイルを射抜く眼差しは、そこに嘘があるかどうかを探しているよう。

 しかし最初から――ゲイルには嘘などなにもないのだ。


「『事情』について訊いたのは、もし『事情』が解決可能であるなら、手を貸そうかと思ったからだ。おまえが何処かへ出て行くというのなら、それを拒むことはしない。だが、恩のひとつでも売っておけば、出て行った後でもおまえの手を借りることができるかも知れん」


「……私に、その価値がある、と?」


「あるだろう。ないわけがない。何処の誰に財政を任せれば辺境領をたった二年で黒字にできる? おまえが示し続けたおまえの価値は、本物だ」


「多少の知能があれば、このくらいは誰にでもできますわ」


 ふっ、と皮肉げに微笑むユウナレアだった。

 ああ――と、ゲイルは直感する。こいつは自分に価値があることを疑っていないが、どれくらいの価値があるのかを判っていないのだ。市場に出せば売れる確信があっても、どのくらいの値段が付くか判っていない。


「旦那様。ある程度以上の集団における執政者の役割が判りますか?」


 急に言う。

 もちろんゲイルには判らない。


「富の再分配です。執政者の役割は、端的に言ってこれだけです。まともに再分配をすれば、それで社会がまともに回るようになる。まともに社会が機能すれば、きちんとお金が回ります。それだけのことなのです」


 誰にでもできますよ――書類仕事は、少々面倒ですけれど。


 なんて言い切るユウナレアの濡羽色の頭頂部を、ゲイルは少しの間だけ、奇妙な感慨と共に眺めてしまった。

 なにか、上手く言語化できないナニカが、胸の辺りに漂っている。


 それはそう悪い気分じゃなかった。






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