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17_兄夫婦(ゲイル)





 呼びつけた医者の診断によると、疲労と睡眠不足、食欲不振による栄養失調も加わって倒れたのではないか、とのこと。

 なんらかの病気、頭の中の出血などの兆候はなし。これは医療魔法による感知でほぼ正確に判るらしいので、ようは「飯を食って寝ろ」ということだ。


 ゲイルは寝台の上で死体みたいに微動だにせず眠るユウナレアを一瞥し、そんな主に寄り添って心配そうにする専属メイドのシェラを眺めて「ふむ」と鼻息を洩らした。とりあえず医者が去るまで付き添ってはみたものの、別にゲイルができることなどひとつもないのである。


「イニアエスを呼ばせる。俺の部下を妻の寝室に入れることになるが、緊急事態だと思って勘弁しろ」


 言って、立ち上がる。

 ユウナレアに寄り添っていたシェラは、銅像が動き出すのを目撃したような顔をしてゲイルを見上げていたが、どういう感情の発露なのかは判らなかった。


「イニアエス様……でございますか……?」


「俺の部下の魔法士だ。見かけていないか? 両目を眼帯で覆っている、少し背の高い女だ。体力を回復させる類の魔法も使える。目を覚まして、妻の体調が思わしくないようだったら、飯を食わせてから魔法を使わせろ」


「申し訳ございません。私には判断できかねます」


 ゲイルに対する明確な怯えを滲ませながら、シェラはしかし唯々諾々と頷くことをしなかった。

 確かに、正体不明の人物が行使する魔法を、自らの主に使わせるべきだ、なんて判断はできないだろうし、すべきでもないだろう。


「だったら、今の俺の話を、目覚めたユウナレアに伝えて判断させろ。イニアエスの魔法を受けるか、受けないか。俺は少し外出する」


「……行ってらっしゃいませ、ゲイル様」


 なにひとつ納得できない、というふうに言うシェラだった。

 無論、ゲイルは一切気にしなかったが。



◇◇◇



 メイド長のマヌエラ・フィディックを見つけてあれこれと頼み、ゲイルはそのまま一人で屋敷を出た。


 向かう先は軍部。

 屋敷の脇をぐるりと迂回して裏手へ回り、管理棟へ。当番らしき門番へゲイルが来たと伝えれば、実にあっさりとガーノートとの面会が叶う。もしかすると弟が来た場合の優先度を上げさせているのかも知れないな、とゲイルは思った。


 忙しすぎて帰宅できていないというのに、ゲイルが来るとすぐに通される。忙しくないわけがないので、ガーノートはゲイルに会いたがっているのか……いや、むしろゲイルがわざわざ会いに来る、という事態を重く見ているのか。


 軍部の執務室をノックしてみれば、即座に入室を促される。

 扉を開けると、初見の女がいた。正面の机についているガーノートのすぐ隣に座しており、入室したゲイルに興味津々といった視線を向けていた。


 背が、女性としては高いだろうか。たぶんイニアエスよりも少し高い。身体つきは引き締まっており、よく走る馬のような印象があった。それは赤い髪を頭の後ろてまとめている髪型のせいかも知れない。


「やあ、ゲイル・ラインバック君。ようやく会えたね。こちらから会いに行けなくて申し訳なかった。ガーノート殿の妻、サーシェス・ラインバックだ。元はガーノート殿の部下だったのだけど、熱烈に求婚されてしまってね」


 きびきびした、少し男っぽい話し方。

 午前には女言葉の意匠士で、午後には男言葉の女騎士。

 ゲイルとしては誰がどんな話し方をしようが構わないのだが、サーシェスという名の兄嫁には、そこまで好感を覚えなかった。

 性格の悪い人間ではなさそうだが――将官に必要なのは好ましい性格ではなく、能力だ。部下を使うための。


「こちらこそ挨拶が遅れてすまない。ゲイル・ラインバックだ。要件から話す。ユウナレアが倒れた。医者に見せたら過労だそうだ。今日明日は安静にさせるから、仕事が滞る。その報告に来た」


 兄と兄嫁が目を丸くして驚きを表明する。

 ゲイルは少しだけ目を細め、二人を睥睨した。


「ところで、帰宅できないほど忙しいようだが、どういう状況か聞いても構わないか? カートも寂しがっている……と思う。たぶん。知らんが」


 いや、どうだろう。毎朝顔を合わせている三男は、寂しさを抱えている様子がなかった。ほとんど常にユウナレアが家にいるからかも知れないし、最近は双子を相手にあれこれ喋っているからかも知れない。


 あれでカートもラインバック家の男だ。ゲイルを死地にやったまま放置できる男の息子であり、家族が死地から帰ってきても職場で寝泊まりを続ける長男を持っていて、地獄で四年間這いずり続けたゲイルの弟である。


「確かに、カート君に会えないのはとても寂しい。しかしね、弟君。私たちだって遊んでいるわけじゃない。義父上が事務に強い騎士たちを連れて行ってしまったのでね、私たちだけではとても手が回らないのが実情なのさ」


「不甲斐ないと判ってはいるが、どうにも机の仕事は不得手でな」


 なんだか脳天気なサーシェスと、やや気まずそうなガーノート。

 ゲイルは遠慮せずに溜息を吐き出した。


「兄上は将軍代行で、義姉殿はその補佐官なのだろう。その仕事は判断を下すことだ。手を動かすことじゃない。どうして部下を使わない?」


「使っているともさ! 事務に強い騎士は連れて行かれたと言っただろう!」


 心外とばかりに声を張るサーシェス。


「それは親父殿の部下だろう。兄上の直属の部下はどうした?」


「……俺の部下は、その……俺に似てしまってな」


「嫁までそっくりのようだな」


 思わず皮肉が口を衝いて出る。線のはっきりしたサーシェスの眉が、ぴくりと怒りで角度を変えた。


「それは侮辱と受け取るが? 初対面の義弟に、知ったようなことを言われるとはね。身内だからと甘やかすような女だと思われると困るぞ」


「事実だろう。戦地で半年も戦ってみればいい。書類仕事の出来る部下の有り難みが骨身に染みるはずだ。国境の戦場を他人事のように思っているから()()()()()で満足してる。大方、俺の部下を持て余しているんじゃないか?」


 あえて意識して、ニタリと笑う。


 ほとんど同時にサーシェスが跳び出した。おそらく軍生活において『ナメられてはならない』と骨身に染みついているのだろう。そういう手合いは実力で黙らせるのが最も早く、最も判りやすい。

 そういう意味では、兄嫁の行動は嫌いじゃなかった。


 かなりの瞬発力で、あっという間に眼前へ到達したサーシェスの右拳が、正確にゲイルの顔面を撃ち抜かんと発射される。

 しかしゲイルにとってはあまりにも遅い。拳を掴まえるように受け、同時に両足を払って転倒させる。サーシェスの拳は掴んだままだったので、床に倒れる寸前でぐっと引っ張って身体の向きを強引に変更させた。


 一瞬で床にうつ伏せに制圧されたサーシェスは、背中にゲイルの足が乗せられていることに気づくまで、少しの時間を必要としたようだった。

 なにが起きたのか、理解できなかったのだろう。


「相手の戦力を推し量ることもできんのか? ラインバック領軍がこんなにも甘ったれた場所だとはな。――兄上、これは弟からの忠告だ。人の集まりを動かすには、様々な能力が必要だ。武力だけでは集団を運用できん。能力を持っている部下を使え。いなければ育てろ。それから、誤解のないよう言っておくが、兄嫁殿に対しては、俺は別になにも思っていない。気にせず結婚生活を続けるといい」


 なんとなく、というくらいの気分で背中に乗せた足を一度上下に動かせば、兄嫁が「ぐぇ!」とカエルのような鳴き声を上げた。


 机に着いたままの兄ガーノートは、ゲイルとサーシェスを交互に眺めてから、ひどく長い溜息を吐きだした。


「……どうやら、そのようだな。おまえの第三大隊についても、言う通りだ。正直、持て余しているのが現状だ。これでも親父の代理として領軍を運用できると思っていたが……まるで足りていないようだ、俺は」


「四日後に親父殿が戻ると聞いたが、戦勝祭の段取りはできているか?」


 兄の弱音に付き合わず、ゲイルは話を進めた。

 ガーノートは一瞬だけ苦笑を浮かべ、首肯を返す。


「草案は既にユウナレア殿から受け取っている。これを元に親父殿と相談することになるだろう。第三大隊は戦勝祭が終わるまでは形式的に維持されるが――」


「持て余しているならレイエン・レブレザック中隊長に仕切らせろ。兄上の様子を見る限り、別の隊に混ぜても浮くだけだ。退役する者も出るだろうが、残った者は下手にバラけさせず、まとめておいた方がいいだろう」


「おまえは……戦勝祭を終えた後は、どうするつもりだ? そもそも軍属でもなければ騎士爵も得ていないだろう。王都の学院に通う歳でもないしな」


「戦勝祭の後には、おそらく王城に呼び出されるはずだ。なんだかよく判らんが、褒められるのだろう。その後、国内とラインバックの情勢が落ち着くまでユウナレアがラインバックの財政を取り仕切ってくれる……という契約になっていたはずだ、当初は。俺が生還したことで話が変わるかも知れんが」


「それもあったな」


「ああ、それもあった」


 熱を出して倒れたユウナレアを思い出し、胸の中で舌打ちをする。

 ゲイルは兄嫁の背中から足を退け、踵を返した。退室する寸前にそういえばと思い出し、間抜け面でこちらを凝視している兄夫婦へ振り返る。


「第三大隊のホレンスという男に権限をやって、兄上の直近の部下として使うといい。それから、書類仕事に適性のありそうな者を集めて、ホレンスに鍛えさせろ。戦勝祭が終わってから動き出せるようにして、それまでは準備すればいい。戦勝祭自体は、親父殿が取り仕切るだろう」


 返答は聞かず、今度こそ部屋を出る。


 たぶん――と、管理棟の廊下を歩きながら、ゲイルは思う。そもそも危機感や緊張感が違うのだ。ちょっと仕事が滞ったところで、ここでは死ぬことがない。戦場で食料の申請が滞れば、即座に死活問題だ。


 たぶん、おかしいのは俺たちの方だ。

 そう思った。

 しかし、こうも思う。


 ――そうなってしまうような場所に、四年も放置したのはそちらの方だ。






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