16_デザイナーと発熱(ゲイル)
「本日は『お出かけ』せず、屋敷に滞在していただけないでしょうか」
朝食の時間、不意にユウナレアがそんなことを言った。
ゲイルは卵料理にナイフを入れる手を止め、隣に座る書類上の妻を見る。なんだか思い詰めたような顔をしているのは、気のせいだろうか。
「なにか話があるのか?」
「話もありますが、服飾職人を呼びます。先日の買い物をした際、旦那様の衣服だけ購入されていなかったのもありますが……儀礼の衣装からなにから、まるで足りていないのに気付きませんでした」
申し訳ありません、と頭を下げるユウナレア。
「構わん」
とゲイルは言って、少し考えてから続けた。
「できれば『この街一番』とかいう評判の店は避けて欲しい。先日買い物に行った際、予約なしは入店できんと断られたからな。実際に買い物をした店では、随分と親切にしてくれた」
「断られた? それはどこの店ですか?」
「忘れた。マーヴィあたりなら覚えていると思うが」
「後で確認します。服飾職人は、既製品の店舗を構えておりませんので、その点についてはご安心ください」
「ああ。細かいことは任せる」
「食事が終わりましたら、執務室までお越しください。申し訳ありません、少し食欲がありませんので……先に退席させていただきます」
ほとんど食事に手を付けずに立ち上がるユウナレア。
なにか声をかける隙もなく退室していった彼女の背中を見送り、ゲイルは少し考えてから卵料理にナイフを入れた。
「兄さま」
と、そんなゲイルに、空席をひとつ挟んだ位置のカートが言う。
「姉上の顔色が悪いように思えました。気にしてあげてください」
「判った。カートはユウナレアをよく見ているのだな」
「大切な姉上ですから……それと兄さま、今日は家庭教師がありませんので、ジェニーとダニーをお借りしてもいいでしょうか?」
「構わない」
双子を借りてどうするのかは判らなかったが、家庭教師の時間はカートの部屋にいる予定だったのだ。家庭教師が来ないなら、二人の予定は空くことになる。カートが二人となにか話をしたいのだとすれば、悪くない。
カートにも同年代の知り合いがいなかったし、ジェニーとダニーも同年代の相手と話をすることがなかった。
「ありがとうございます、兄さま」
にっこりと笑う弟の頭を撫でてやりたくなったが、食事のマナーとしてはよろしくないので、我慢した。
◇◇◇
「義父上様――モゥレヴ伯爵から手紙が届きました。四日後には領都へ戻れるとのことです。これに伴って、戦勝祭についての草案を元に具体化していくことになりますので、多少、手を煩わせることになるかと思います」
執務室で待ち構えていたユウナレアが、文章を読み上げるみたいに言った。しかし彼女の怜悧な眼差しは机の上ではなく、ゲイルへ真っ直ぐに向けられている。
顔色は……悪いような気もする。
だが考えてみると、ゲイルと相対しているときのユウナレアは、カートを前にしたときのように穏やかに微笑んだりしないので、そもそも顔色の良いユウナレアをゲイルは知らないのである。
「……どうかなさいましたか?」
返事もせずにじっと自分を見てくる木偶の坊が不気味だったようで、ユウナレアがほんのわずかに眉を寄せた。
「判らん」
と、ゲイルは言った。顔色が悪いのであれば、きっとどうかなさったのだろうが、ゲイルには知りようのないことだ。訊けば答えてくれるかも知れないが、答えてくれないような気がした。
「とりあえずは、気にするな。今後についての指示は聞く。なにかあれば言え」
「直近の今後ですが、お伝えした通り、服飾職人を呼んでおりますので、来客用の談話室までお越しください。それと……その、服飾職人は、少々奇矯なところのある人物ですので、もし不快に思われましたら、同席しますので私にお伝え下さい。言動は褒められませんが、人格は悪くありませんし、技術は最上です」
「奇矯なところのある人物には慣れている」
拳で黙らせるのも慣れているが、それは言わないでおいた。もし腹が立つような人物であれば、我慢できなくなった時点で殴ればいいのだ。
それでは、と立ち上がったユウナレアが、当然のようにゲイルの左側へ近づいて来る。毎日の練習で、さすがに慣れたものだ。
腰のあたりで平皿を持つようにして、掌を上に。ゲイルのごつごつした手の上に、ユウナレアの白く細い手が乗せられる。
「では、少々空けます。各々、仕事を続けてください」
というのは、執務室の他の面々へ告げられた言葉だ。
専属らしいメイドのシェラだけがついて来て、護衛騎士を含む他の連中は執務室に残った。ユウナレアの歩調に合わせるのにも慣れてはきたが、落ち着かない気分には、未だに慣れなかった。
帯剣していないのが理由のひとつではある。
だが、落ち着かなさの最大の理由は、左隣に寄り添うユウナレアがあまりにも華奢なせいだ。手に乗せられた彼女の手があまりにも細くて、ゲイルには非常に不安なのだ。ちょっと無遠慮に動いたら、壊してしまうんじゃないか、と。
ユウナレアの方は、ゲイルに害される心配を……どういうわけか、最初からしていないような気配があった。
警戒心がないのだ。
たまにゲイルの話に怯えているようなときもあるが、ゲイル自身に対する警戒が感じられない。そもそも考えてもいないのかも知れない。
その割には気安さなどないし、好意も別に感じない。まあ、嫌悪も感じないのだが……好きでも嫌いでもない男は、それなりに警戒して然るべきではないか。
いや、どうだろう。
好きでも嫌いでもない夫には、どのような態度を取るのが正解なのか……ゲイルに判るわけもなかった。
◇◇◇
来客用の談話室に入ってみれば、服飾職人と思しき人物はとっくに待ち構えており、入室したゲイルとユウナレアを一瞥した瞬間「あらやだ!」と声を上げた。
「ラインバック婦人ったら、もう旦那様とそんなイチャイチャしちゃってんじゃないのよ。キャー! 参っちゃうわね! それに英雄様ったら、絵になること絵になること――あらあら、アタシったらご挨拶もまだだったわ。ごめんなさいねぇ」
言って、中背の中年男は、にまにまと笑顔を見せて慇懃な礼をした。
「服飾職人、コーレス・リーヴスと申しますわぁ。本日はお呼びいただきまして、大変嬉しく思います。英雄様の服装図案を任せていただけるなんて、まさに僥倖、アタシも本気でやらせてもらいますわね」
声は低いのだが、喋り方が女言葉だった。いや、厳密には女言葉とも微妙に違うのだろうが、ゲイルはそこの厳密さに興味がなかった。
「服装図案?」
気になった単語に首を傾げる。寸法を測るための道具やらは用意しているらしいので、服飾職人であることは間違いないのだろうが……手付きや態度が、縫製の職人という感じがしなかったのだ。
「彼は正確には……いうなら『意匠士』とでも評しましょうか。リーヴス氏が勘案した意匠、それ自体に価値があるのです。『あの商家の商品』みたいなものに信頼がおける場合がありますでしょう?」
「名のある工房の鎧だったら信頼性が高い、というようなことか」
自分に理解しやすいように置き換えて考えてみる。
ユウナレアはこくりと頷き、続けた。
「ええ。この場合は『リーヴズの意匠』であることに価値がある、そういう商売なのです。衣服の場合、敵の攻撃を受けるわけではありませんから、縫製などが一定以上の品質を保っていれば、後は色や形……意匠が重要になってきます」
「あらやだわぁ。ラインバック婦人、あなた女の子にしては服に興味がなさすぎるわよ。今日も黒のデイドレスじゃないの。以前も見たわよ、それ」
「なにか問題がありますか?」
不思議そうに首を傾げるユウナレアだった。もちろんゲイルにも、なにが悪いのか判らなかった。
中年の『意匠士』は、大仰に溜息を吐いてから、ぱちんと手を叩いた。
「そうねぇ、せっかくだから英雄様とラインバック婦人、二人分の図案をつくっちゃいましょ。直ぐに図面を起こして一着ずつなら、バリ速でやらせれば五日掛からないわ。まずそれをやっちゃって、他のは追々ってことでどうかしら?」
「……私は構いませんが、旦那様はいかがですか?」
かなり興味の薄そうなユウナレアである。ゲイルとしても、はっきり言えばどうでもよかった。式典なら領軍の軍服でも着ればいいくらいに思っていたのだ。
「俺も構わん。好きにしろ」
「夫婦揃って服に興味ナシって感じねぇ。でもいいわ。婦人はアタシの仕事を評価してくださるし、英雄様はアタシの個性を気味悪がらないものね」
呆れ半分、というふうにコーレス・リーヴスは言って、テーブルの上に置いてあった仕事道具を詰め込んでいるらしい鞄を開いた。
「おまえは来客でもないし使用人でもないだろう。おまえは職人だと聞いた。どんな話し方をしようが、どんな個性を持っていようが構わんぞ。こちらをナメているわけでないのは、態度で判る。おまえに求められているのは、能力だ」
彼は彼なりに礼節を保っており、敬意も抱いているのだろう。そう感じたし、だったら喋り方くらい、どうでもいいことだった。
コーレス・リーヴスは、ゲイルの言葉に少しの時間だけ表情をなくしてから、底意地の悪い作戦を思いついた部下みたいにニヤリと笑んだ。
「嬉しいこと言ってくれますわね、英雄様」
◇◇◇
意匠士はゲイルの身体の寸法を余す所なく計測し、持参した紙にあれやこれやと書き込みをしまくり、合間にユウナレアとあれこれ意見調整をし、ああでもないこうでもないとしばらく唸った後、不意に奇声を上げた。
「キタキタキタキタァ――っしゃあオラァッ!!」
ぱん! と、いきなり自分の頬を引っ叩き、女言葉の中年男は猛烈な勢いで全ての仕事道具を鞄の中へ押し込めると、挨拶も早々に退室して行った。
談話室に残されたのは、全身を隈なく測られたゲイル、椅子に座ってコーレスの奇行を眺め続けたユウナレア、壁際で彫像のように控えていたメイドのシェラ。
「……あれは、どういう男なのだ?」
さすがに少しの興味が湧いたので、聞いてみる。
「以前は自分で縫製までこなして一着一着仕上げていたそうですが、勘案した意匠が店のものとして取り上げられるのが悩みだったとか」
「店で働いていたのであれば、そうなるだろうな」
ゲイルの部下がどれだけ活躍したところで、それは『第三大隊の活躍』であり、その大隊長であるゲイルが恐れられることになる。まあ、それを不満に思っている部下はいないようだったが。
「学院に通っている頃、一度だけ彼に会ったことがありました。その当時から奇矯な人物ではありましたが、当時から技術は確かでした」
「ふむ。つまり、引き抜いたわけか」
「その通りです。しがらみのある王都から、なんのしがらみもないラインバック辺境領へ。彼の仕事は『意匠の勘案』ですから、この意匠を売ることさえできれば、わざわざラインバックで服をつくる必要がありません」
意匠の代金は、当然コーレス・リーヴスに入ってくる。
彼の収入から計算された税が、ラインバックへ収められる、ということだ。
「あれこれ考えるものだな」
「彼の事業については、ついでのようなものです。財政の基本は『詳細をよく見て、まともに考える』ことです。きちんと道理を立てて考えることさえすれば、整理整頓ができます。当事者では判断がつかなかったり、都合が良いから目を瞑ったりといった状況になりやすいですから」
仕事の話になると、比較的饒舌になるようだった。
ゲイルとしては財政運営についてはさっぱり判らないので、素直に尊敬するところだ。前線で四年戦い続け、一部の者には英雄などと呼ばれているようだが――もしかすると、早めに死んでいたほうが、財政的には良かったのかも知れない。
ふむ、と鼻息を洩らしてゲイルは座ったままのユウナレアに近づき、彼女に教えられたとおり、手を差し伸べて起立を待った。ひとまず用は済んだ。いつまでも談話室で世間話をしていても仕方がない。
無骨な手の上に、白く細い手が乗せられる。
濡羽色の妻が静かに立ち上がろうとして――ふらりと、崩れた。
「……っと」
そのままでは床に倒れてしまうので、思わず抱きとめる。あまりにも軽く、あまりに華奢で、ゲイルはちょっと怖がりながら腕の中のユウナレアを確認する。
頬が上気しており、抱きとめた腕が感じる彼女の体温が子供みたいに高い。
「あっ、申し訳……ございません……」
ぼんやりとゲイルを見上げるユウナレアの、目の焦点が合っていない。
「お嬢様!?」
壁際の彫像が悲鳴のような声を出した。慌てて駆け寄ってこようとするメイドを片手で静止させ、ゲイルはひょいとユウナレアを抱き上げた。
本当に軽い。
腕の中でぐったりと身体を弛緩させる妻の体温が高いことに、むしろゲイルは反射的にほっとしてしまった。
何故なら、死体は冷たいから。
発熱しているということは、まだ生きているということだ。
「熱を出しているようだな。医者じゃないから原因が判らん。とりあえず寝室に運ぶぞ。シェラといったか。案内しろ」
と、ゲイルは言った。
部下に命令する口調だったかも知れない。
感想いただけると嬉しいです。




