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15_天使の内側(カート)





 カート・ラインバックは、ラインバック辺境伯の三男である。


 生まれてすぐに母親とは死別しており、父と二人の兄、家族同然の執事や親切なメイドたちに育てられた。

 適量の、確かな愛情を注がれている――そういう実感が、カートにはもっとずっと幼い頃からあった。母親がおらずとも、満たされていたのだ。


 父や二人の兄は、決して言葉が上手な方ではなかったけれど、どんなときにも嘘だけは言わなかった。言いにくいことは「まだカートには言いにくい」と伝えてくれたし、言えないことは言えないと教えてくれた。


 なにより、カートは実直な家族が好きだった。


 カートは幼い頃から、それほど活発ではなかったらしい。今でもそれはそうだ。庭を駆け回って棒切れを振り回すより、のんびりと本を読むことを好んだ。文字を教えてくれたのは執事のセバスで、カートを宝石みたいに大事そうに扱うセバスのことも、やっぱり大好きだった。


 でも、ある日、戦争が起きた。


 叔父上が次男のゲイルを連れて行ってしまったとき、カートはゲイルがすぐに帰って来るものだと思っていた。それがどうやら違うらしいぞと気付いたのは、ゲイルが出兵して一年が経った頃だ。

 本来は、ちょっとした小競り合いのはずだ――という話を耳に挟んだ。

 それを不必要に長引かせたのは、カートの見知らぬ『中央』とやらに住んでいる貴族らしい。王や貴族については、本で読んだのである程度知っていたけれど、離れた土地の貴族が、どうしてラインバックで起こった隣国との小競り合いを延焼させねばならないのかは、ちょっと判らなかった。


 とにかく、ゲイルが帰って来ない。


 それに戦争のせいで、父も長男のガーノートも、家を空けることが多くなった。広い屋敷の中は、少し寂しくなった。いや、だいぶ寂しかった。


「ゲイル様が戦っていらっしゃるように、モゥレヴ様も、ガーノート様も、それぞれに戦っているのです」


 セバスがそんなことを言った。子供に言って聞かせる科白ではなかったが、そういうところはやはりラインバックの者である。押し付けるわけではないが、遠慮もしない。だから我慢しろとも、言わない。


 けれども――だからこそ、カートは我慢した。


 寂しさから癇癪を起こしてもいいような年齢だったが、カートもまたラインバックの男だった。そんな無駄なことはしない。意味がないからだ。どんなに願っても母親は生き返らなかったし、ゲイルは帰って来ない。


 勉強をするべきだ、とカートは思った。

 父や兄たちのように戦うのは、自分にはたぶん向いていない。世の中には戦わないけど偉い人がいる。戦わずに偉くなれる人がいる。


 とにかく家中の本を読み漁り、セバスに頼んで買って来てもらうこともあった。同年代の知人がいないせいでカート本人には知りようもなかったが、カート・ラインバックはある種の天才だった。


 乾いた砂に水を掛けるように、カートは知識を吸収していった。

 その賢さを、誰に知られることもなく。



◇◇◇



 戦争が始まって二年を迎える頃、長男のガーノートが結婚した。

 相手は領地を持たない男爵家、ラインバックの遠縁に当たる家の、次女だった。彼女はラインバック領軍で官位を得ており、次期領主であるガーノートをよく支えていたという。

 これにより領軍の結束は高まったが、国境戦にはあまり影響しなかった。大軍を送り込むことは中央からの指示によって禁じられていたからだ。


 この頃には、カートにも『中央貴族』の思惑がなんとなく判るようになっていた。彼らは辺境領とその周囲の力を削ぎたいのだ。おそらくは敵国であるナルバ王国も似たような理由で戦争を継続させている。何故なら、どちらかが大量の援軍を送るだけで、あっさりと戦局を変えられるはずだからだ。


 あまりにも歯痒かった。

 武力を持たず、知力はまだ足りない。年齢だって、一人前として認められるにはまだかかる。カートには時間が必要であり、その時間が、カートを育んでくれたラインバック領を疲弊させ続けるのだ。


 ゲイルはずっと帰っていない。

 もしかすると、もう死んでいるかも知れない。

 だって戦争が始まって一年もしないうちに、武の化身みたいだった叔父が戦死しているのだ。当時十五歳だったゲイルが、そんな場所で生きていられるわけがない……誰だってそう考えるし、カートだって生きていて欲しいとは思いつつ、死んでいるだろうなと諦めていた。


 そんなときだ。

 ラインバック家に、烏色の妖精が舞い降りたのは。



◇◇◇



 彼女の名は、ユウナレア・アーカッシュといった。

 でもすぐに家名が変わった。何故ならユウナレアは、戦争に行ったきりのゲイルと結婚したからだ。書類上の結婚だ。


 とても細く、大人にしては小さく、びっくりするほど綺麗な顔と、濡羽色の長い髪の持ち主。なによりカートが気に入ったのは、彼女の知性だった。


 さまざまな情報の断片から推察するに、どうやらユウナレアはなにかの事情があって、ゲイルと結婚することと引き換えに、ラインバックに智を与えてくれるということらしかった。まだ十六歳の少女にどんな事情があり、その若さの少女にラインバック家がなにを期待しているのかは判らなかったが。


 カートは人生で初めて、媚を売った。

 これまでは嬉しいときに笑い、悲しいときは我慢していた。でも、ラインバックにないモノを持っているユウナレアと、仲良くなる必要があった。

 だからカートは彼女の前では特に意識して微笑みを浮かべ、ことさら丁寧に話すよう意識し、年相応のあどけなさを見せつけた。


 ユウナレアは、あっさり絆された。

 はっきり言ってチョロかった。チョロチョロのチョロ女だった。内心、この人は本当に賢いのかな、と心配になったほどだ。


 しかしそれは余計な心配で、ユウナレアは実にあっさりと成果を出した。最初のうちは父モゥレヴや執事のセバス、文官たちの補佐をするような役回りだったのが、あっという間に主導権を握り、財政を取り仕切るようになった。


 この機を逃すまいと、カートはユウナレアに取り入り、家庭教師を付けてもらうのに成功した。また、そのおかげで家庭教師が帰った後にユウナレアと話をする機会が設けられ、彼女の智の欠片を拾い集めるのがカートの日課になった。


 確かにユウナレアはチョロかったが、能力は本物だ。

 最初のうちは取り入ることが目的だったのに、次第にカートは彼女自身を気に入ってしまった。演技で甘えていたはずが、ユウナレアの細い手がカートの頭を撫でるのを喜んでしまって「僕もチョロいじゃん」と布団の中で拗ねた。


 それはともかく。


 ユウナレアはラインバックの人間ではないので、父や兄たちのように、カートに嘘を吐かない――なんてことはなく、普通に嘘を吐き、物事を誤魔化した。

 が、よく観察すれば、どうやらカートに嘘を吐くことに罪悪感を覚えているらしく、彼女の嘘を見抜くのは簡単だった。といっても、聡明なユウナレアであるから、単純な嘘などほとんど吐かない。微妙に本筋から逸らしたり、大事な部分を言わなかったり、例え話で言い包めたりと、カートが欲しがる真実は、嘘を見抜けたところで容易に得られるものではなかった。


 まあ、これも勉強だ。

 とにかくユウナレアと仲良くなり、いずれ何処かへ出立してしまう彼女の後ろ髪を握りしめて引っ張らねばならない。可能な限り、強い力で。


 何故なら彼女は、ラインバックに必要な人だ。


 どんな事情があり、どうしてゲイルと『書類上の結婚』をする必要があったのかを探り出せば、彼女をラインバックに引き止められる確率が上がるだろう。


 幼く、素直で、あどけないカート・ラインバックを演じながら、カートはどんどん智を身に付けていった。


 そうして。

 ある日、ゲイルが生還した。



◇◇◇



「兄さまのことを聞かせてくれないかな?」


 家庭教師による授業が終わってから、ほんのわずかな猶予。

 カートはゲイルが紹介した双子の姉弟、ジェニーとダニーから話を聞く時間を設けることにした。ゲイル自身はカートと彼らを関わらせるつもりがあるのかないのか、ちょっと掴めなかったが、話をするなとは言われていない。


 浅黒い肌と灰色の髪、どちらも見た目がよく、ジェニーの方は活発そうな少女といった印象で、ダニーの方は落ち着いた思慮深い少年といった印象。


「ゲイル様のことを、ですか?」

「隊長のこと、ですか?」


 双子らしく、息ぴったりに首を傾げる。カートよりふたつ年上の十歳だそうだが、戦争孤児だからか彼女たちはある側面ではカートよりもずっと幼いところがあった。逆に別の側面においては、そこらの大人よりずっと達観してもいたが。


「うん。僕はこの四年間、兄さまがどんなふうに過ごしてきたのかを知らないから。ラインバック家の男として、知らなきゃいけないと思うんだ」


「隊長は、とても優しいです」


 端的に言ったのはダニーだ。言葉の正確性を重視したがためか、逆にふんわりした表現になっている。語彙が少ないのかも知れない。


「ゲイル様は、とても強い……です。私たちは第三大隊という場所に拾われて、ゲイル様はその大隊長でした。磨り潰されるみたいな戦いがずっと続いて――ゲイル様は、いつも誰より前に出て戦っていました」


「前に出て!? 本当に――!?」


 驚きすぎて、あどけない少年の演技を忘れた。

 双子がわずかに気分を害したような顔をしたので、カートは慌てて「違う違う。疑ってるんじゃなくて」と言い訳をしなくてはならなかった。この双子と険悪になって良いことなどひとつもない。


「だって、部隊の偉い人って、後ろの方で指揮をするものだと思ってたから。それじゃあ兄さまは、後ろで指揮なんかしてなかった……ってこと?」


「はい。ゲイル様は、常に前に出ていました」

「敵と当たる前に打ち合わせをしてましたけど、戦い始めてからは、そのときの副官とか、中隊長たちが声を出し合っていました」


「それは……すごいね」


 異常だ。八歳のカートにも理解できるくらいに、異常だ。

 なんで生きてるんだ、兄さまは。

 そりゃあ、生きて帰ってくれて、嬉しいけど。


「そう、凄いんです、隊長は!」

「ゲイル様より凄い人を、私は知らないです!」


 喜色を浮かべる双子の攻略法は、簡単だった。兄を褒めればいい。そしてそれは特に難しいことではなかった。

 だって、少し言葉足らずでぶっきらぼうなところはあるけれど、カートもまた、ゲイル・ラインバックが好きだから。


 だからゲイルのことが大好きな双子と話をするのは、嫌な時間じゃなかった。

 もっともっと、知らないことを知らねば――。


 必要なのは、情報だ。

 全てはそこから始まる。


 そのことを、カート・ラインバックは八歳にして理解していた。






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