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14_天使と双子、そして手紙。(ユウナレア)





 翌日。

 朝食の時間より少し前にユウナレアは双子の姉弟を連れたゲイルと合流し、まずは改めて挨拶を交わすことに。


「ユウナレア・ラインバックです。ゲイル・ラインバックの妻です」


 できるなら優しく微笑みかけてあげたかったが、ユウナレアには無表情か作り笑いの二択しかない。ただの報告みたいな挨拶になってしまったけれど、ジェニーとダニーは気にしていない様子だった。


「ジェニーです。よろしくお願いします、奥様」

「ダニーです。よろしくお願いします、奥様」


 まだ十歳だというのに、騎士や兵士がそうするような型通りの挨拶。戦争孤児、という単語が脳裏をよぎり、ちくりと胸が傷んだ。

 そして――胸が痛む己自身の浅はかさに、また自己嫌悪する。


「俺の弟と会ってもらう。挨拶をして、敬意を払え。無礼は許さない」


「判りました、ゲイル様」

「了解しました、隊長」


 ゲイルの方は双子に命令するのも慣れたもの、といったふうで、気遣いを含まない言い方をし、双子も当然のように敬礼を返した。


 それから食堂へ向かい、席へ座らず、使用人たちが料理を運ぶ様子を眺めながらカートを待つ。さほど時間を置かず、カート・ラインバックは食堂の扉を開けた。


「おはよう、カート」


 まだ眠気があるのか、いつも穏やかな表情をいつもより少しだけ緩ませるカートに、いつも通りの挨拶。


「おはようございます、姉上。おはようございます、兄さ――」


 兄さまと言い切る寸前に、カートはゲイルの脇に控えている双子に気付いた。視線がゲイルと双子の間を何度か往復し、聡明なカートは兄であるゲイルに視線を固定した。眠りの余韻など、もう消え去っている。


「おはよう、カート。この双子は、戦地で保護した。俺の部下として働いている。家庭教師が来ている時間、同じ部屋に立たせてやって欲しい」


「ジェニーです」

「ダニーです」


 揃って深々と頭を下げる姉弟。貴族的な作法とは違う一礼は、もしかすると軍の中ではこれが一般的なのかも知れない。


「カート・ラインバックです。兄さまを助けてくれていたんですね。ありがとうございます。それで、兄さま、同じ部屋に立つというのは?」


 ふわりと微笑むカートは、やはり天使だった。戸惑いがあるのだろうに、それを双子には見せず、労いさえしてみせた。


「こいつらには教養というものがない。まあ、俺にもそれほどないが。とにかく、社会というやつを様々な側面から知る必要がある。伯爵家の三男がどのようなことを学んでいるのか、それを見てあれこれ学習できるはずだ」


「ミュエル婦人には、これからお願いしてみますけれど……カートが拒否するのであれば、もちろん、彼らには別の機会を提供するわ」


 と、ユウナレアは付け足しておく。

 カートは少し考えるようにしてゲイルを見上げ、首を傾げた。


「同席するのでも、一緒に勉強するのでもないのですか?」


「ああ。おまえが家庭教師から学んでいる時間、同じ部屋の壁際にでも立たせておく。おまえの勉強の時間だからな。こいつらのために時間を使う必要はない」


「そうなのですか。僕は構いませんけれど、ひとつお願いがあります」


 お願いですって――?

 ユウナレアは思わず眉を上げた。ラインバックの天使がそれを口に出すのは、非常に珍しい事態だ。

 随分と仲良くなったつもりのユウナレアだって、カートから『お願い』をされたことなど、数えるほどだ。それこそ最初に「あねうえとお呼びしても」と言われてからは、実に一年以上もお願いなんてされなかった。


「ふむ。『お願い』か。内容によるが、なんだ?」


 ゲイルの返しに、カートは彼らしいやわらかな微笑を浮かべた。


「椅子を用意してあげてください。立ちっぱなしでは、疲れるでしょうから」



◇◇◇



 朝食後に屋敷を訪れた家庭教師ミュエル婦人に事情を話してみれば、二つ返事で快諾してくれた。彼女もまたカート・ラインバックという天使を崇める信徒であるから、てっきり授業の邪魔になる可能性には難色を示すかと思っていたが、あまりにもあっさり承諾してくれたので拍子抜けしてしまった。


「だって英雄様のお願いですもの、もちろんお受けするわ。それにカート様には同年代のお友達……どころか、知り合いですら、いらっしゃらないでしょう?」


 なるほど、それは考えてもみなかった。

 ユウナレア自身、幼少期に同年代の友達など一人もいなかったせいだ。義母と義妹、その二人に洗脳された父と兄によって、ほとんど軟禁状態で過ごしてきた。本さえあれば、友達なんて別に要らなかったのだ。


「感謝する。ジェニーとダニーには言い聞かせてあるが、万一授業の邪魔だと感じたら、遠慮せずに退室させてくれ」


 同席していたゲイルが、平坦な口調で言った。それから、やはり同席させていた双子へ視線を向け、同じ口調で告げる。


「学べ。それが今のおまえたちの任務だ」


 これに双子は、びしりと直立して敬礼を見せた。


「判りました、ゲイル様」

「了解しました、隊長」


 大丈夫だろうか?

 そう思ったけれど、今更やっぱり駄目ですというわけにもいかなかったし、ジェニーとダニーが授業の邪魔をするとも思えなかった。

 きっと本当に一切口を開かぬまま、カートの授業風景を観察し続けるだろう。



◇◇◇



 それからは、それなりに平和な日々が訪れた。


 カートの授業風景には『壁際の双子』が加えられたが、家庭教師が帰った後、カート当人に話を聞けば「とても真剣に僕が学んでいる様子を見ていました」とのことだ。「見られていると気が抜けなくて、大変ですけれども」と苦笑して見せる天使を、ユウナレアは思わず抱きしめてしまった。


 とにかく、邪魔にはなっていない。

 カート自身も双子を厭うてはいない。


 ゲイルは朝食を済ませた後は、イニアエスとマーヴィを連れて毎日何処かへ出かけている様子だった。しかし日課になっているエスコートの練習をこなすため、昼過ぎには戻って来る。


 彼の分厚い手の上に自分のちっぽけな手を乗せ、屋敷や庭を歩くのは……案外、嫌ではなかった。


 ゲイル・ラインバックは不思議な男だ。


 能力――その一点において、ユウナレア・アーカッシュは認められてきた。学院の生徒会に入ったのも能力を示したからだし、第二王子であるエドワード殿下の興味を引いたのも、能力を示し続けていたからだ。

 ラインバック家がユウナレアの無理筋ともいえる契約結婚を呑んだのも、能力があってこそだ。さすがに能力がなければ、死ぬと判っている次男と結婚させようなどとは思わなかったはずだ。


 そして実際に、ユウナレアはラインバック辺境領においても成果を出している。赤く傾きかけていた財政を、一年で地面と平行までに戻し、今では黒い傾斜をつくることに成功している。停戦が発表されれば、黒をより黒く染める手筈だって整えている。自画自賛になるが、能力はあるのだ。


 しかしゲイルは……たぶんユウナレアの能力には、あまり興味がない。

 確かに彼は「敬意を払う」と言ったし、実際に敬意を持った対応を心がけている――貴族的な作法とはズレているにしても――ようだが、たぶんユウナレアが全くの無能だとしても、対応は似たようなものだったのではないか。


 とにかく、現在の自分の妻である。

 その妻は、いずれ離婚して何処かへ行く。


 そのふたつの条件から導き出される対応と距離感には、ユウナレアの能力というものが全く考慮されていない気がするのだ。

 不快か、と問われたなら、少し困る。

 自分には能力しかないとユウナレアは思っていた。結果を出せる能力こそがユウナレアの存在意義である。だから、その能力を考慮されないのはユウナレアを傷付けるはず……なのに……別に、嫌じゃない。


 おまえの能力なんてどうでもいい。

 そう言われたら、絶対に腹が立つはずなのに。

 ……いや、書類上の『旦那様』はそんなことを言っていないのだけれど。


「ゲイル様は、姿勢が良いですね」


 放っておくと黙ったまま庭や屋敷を練り歩くことになるので、時折ユウナレアはどうでもいいような話を振る。


「そうか? まあ、姿勢が悪いと疲れるからな」


 ユウナレアの手を取って静かにゆっくりと歩くゲイルの所作から、優雅さは感じられない。なんというか、余白がないのだ。

 隙がなさすぎる、とでもいうべきか。

 これが例えばエドワード殿下であれば、動作と動作の間に気品を漂わせ、それが所作の優雅さを醸し出している。ゲイルの場合は下品では全くないものの、動作と動作の合間に余分がないのだ。


 静かだけれど獰猛な四足獣のよう。

 モゥレヴ伯爵や長男のガーノートは熊みたいな印象だが、ゲイルは違う。細身にすら見えるほど引き締まった身体つきも、寡黙なところも、意外に温厚なところも――狩りのときにだけ牙を見せる、虎や豹みたいだ。


 今から彼に気品や優雅さを叩き込むのは不可能だろうし、その必要もないだろう。彼は戦争の英雄であり、戦う者としての風格は十分以上に感じられる。まだ十九歳で、彼ほどに歴戦の戦士は、おそらく王国中を探してもそうはいない。


「旦那様には、不満はありませんか? 私のような者を妻として扱い、衆目に晒さねばなりません。いずれ王都にも呼び出されるでしょう。私は財政管理能力には自信がありますけれど、社交や貴族的な駆け引きには、自信がありません」


「特に不満はない。こちらこそ、粗野な振る舞いを我慢してもらうことになる。努力はするが、一朝一夕で身に付くものでもないだろう」


 実は今も落ち着かないのだ、とゲイルは洩らす。

 女に気を使って冗談を言う男ではないので、たぶん本音だ。


「例えば、どのようなところが落ち着かないのでしょう?」


 ユウナレアの手を取って歩を進めるゲイルの姿勢には乱れなどないし、歩幅もユウナレアに合わせてくれている。気品や優雅さを考慮しなければ、エスコートとしては及第点だろう。


「こうして左手で妻の手を取る。ということは、妻が左手側にいる」


 重ねられた手より下――自分自身の腰あたりへと視線を落とし、ゲイルはわずかだけ苦笑を見せた。


「これでは剣が抜けない。どうせ王城に招かれたときは帯剣できんだろうが、剣を帯びていないこと、それ自体が落ち着かん。メイドに取り上げられた剣はいつの間にか部屋に戻されていたが、どうにも、な」


「それは……我慢していただくしかありませんね」


「いざというときは、おまえを小脇に抱えて逃げることにする」


 そのときの無礼は許せ、とゲイルは言った。本気なのか冗談なのかは判らなかったが、彼の心がまだ戦場から帰って来ていないのだけは理解できた。


 隙がないのではなく――隙をつくれないのだ。

 そういう場所で四年間も戦い続け、生き残った。


 英雄だ。


 そんな男の経歴に傷をつけて、自分だけ望みを叶えようとしている。

 少なくとも、彼のことを知ろうとすべきだった。死ぬのが判っていても、ゲイル・ラインバックがどのような人物だったのか、どのように生き、どのように思われ、どんなふうに死んでいくのかを、知ろうとすべきだった。

 それが最低限の礼儀だ。

 どうせ死ぬから――なんて、あまりにも非礼で外道だ。


 ――姉さまばっかり、ずるいわ。


 ずるいのかも知れない。姑息で、卑劣なのかも知れない。そんな人間にだけはなりたくなかったはずなのに。


「旦那様。私はラインバック領に富をもたらすために来ました。それが契約です。少しずつ成果は出ています。もっと成果を出します」


 それだけが存在意義だ。

 死ぬはずだった男が、その生を賭して護ろうとしたものに、豊かさを。

 反省も後悔も自己嫌悪も、ただの自己満足でしかない。


 やるべきことを、やるのだ。

 そう思った。


「ふむ。無理はしなくていいぞ」


 と、ゲイルは普通の顔をして呟いた。

 部下の背中に声をかけるくらいの気安さは、あったと思う。



◇◇◇



 ゲイル・ラインバックが帰還してから七日目。

 ユウナレアに手紙が二通届いた。


 一通は、義父であるモゥレヴ伯爵から。

 停戦協定が結ばれたので、手紙が届いた五日後には帰還できる、とのこと。

 であれば、領都で行う戦勝祭について具体的に詰めていく必要があった。これはガーノートとも相談しなければならないだろう。

 それに、ゲイルとの契約結婚について、契約内容の再検討を契約者であるモゥレヴと話し合う必要もあった。現状、契約に不備があるまま、契約が履行されているし、このままではされ続けるだろう。


 もう一通は、エドワード第二王子殿下から。


 もちろん本名は使われていない。学院を卒業する前に教えられた偽名が、手紙には記されていた。手紙を開封してみれば、学院生時代に見慣れている彼の筆跡で、こんなふうに書かれていた。


『ゲイル・ラインバックの生還は計算外だっただろう。こちらも彼の生還には驚きを隠せない。どのような手段を用いて生き延びたのかは判らないが、彼には気をつけるように。彼を王都に招く際には書類上の妻である君も同行するだろう。そのときに僕たちの未来について相談したいと思う。少し早めに王都に着くよう調整して出発してくれ。王都に着いたら以下の住所に手紙を。要件のみで申し訳ない。会える日を楽しみにしている』





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