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13_エスコートの練習(ユウナレア)





 ――愛人と隠し子を連れて街を練り歩いている。


 ユウナレアに報告をしたメイドは退室して行ったが、残された文官や護衛騎士、カイラスにメイドのシェラたちの不機嫌さがひしひしと伝わってきて、むしろ不機嫌になるべきは私のはずじゃないか、とユウナレアは苦笑した。


 執務室の仲間たちは、私のために怒っているのだ。

 ラインバック領へ来てからもう二年、もっとも長い時間を過ごしている仲間たちは、ユウナレアに対して忠誠のような感情を向けてくれる。


 それにしたって、愛人と隠し子?

 四年間も最前線にいたのなら、そんなものを作っている余裕などなかったはずだが……可能性として考えられるのは、実際には最前線にいなかったのではないか、という線だ。いくらなんでも死んでいなければおかしいほど過酷な戦場で四年間も戦い続けていたと考えるよりは、姿を眩ませてどこぞで愛人をつくっていたと考える方が、筋が通る。


 しかし――それもどうだろう?

 だったらユウナレアとの書類上の婚姻について、もっと感情を見せてもいいような気がするし、さっさと離婚したがるはずではないか。


 思考はまとまらず、ぴりぴりした空気の中で仕事を続ける。

 ふと、執務室の扉がノックされた。

 入室を促してやれば、件のゲイル・ラインバックが当然のような顔をして執務室へ足を踏み入れ、後ろを向いて誰かに目配せする素振りを見せた。


 続けて入室してきたのは、白に近い金髪の女、まだ小さな男女の子供。

 ぎゅっ、とおなかの奥が重くなった気がした。


「……愛人と隠し子を連れて街を練り歩いていると聞きましたが」


 反射的に口から吐き出した嫌味に、ゲイルはきょとんと首を傾げる。ユウナレアとは違った意味での無表情は変わらず、引け目を感じているふうではなく、開き直って怒り出すでもない。


 いや、むしろなんだか呆れたような――。


 そこでようやくユウナレアはゲイルの後ろに立っている女性をもう一度確認した。自分の黒い髪とは真逆の、白に近い金髪に目を奪われていたが、どうして気付かなかったのか……彼女は目隠しのように、両目を覆う眼帯を付けていた。

 それに小さな二人の子供。この地方の者とは違う、浅黒い肌の色。


 さらには、もう少し後ろに、中年の男性が立っていた。

 その人物はユウナレアと目が合うと、人懐っこい苦笑を見せて頭を下げた。


 眼帯の魔法士、イニアエス。

 双子のジェニーとダニー。

 斥候のマーヴィ。


 そうだ、昨晩その話を聞いていたはずだ。昨晩のうちに申請書を作成して軍部に届けさせたのは、正解だったのか間違いだったのか……。


「誰からなにを聞いたかは知らんが、こいつらは俺の部下だ。昨日言っていた通り、引き抜いて、俺個人の配下にした」


 わずかに面倒そうな言い方をされた。

 実際、面倒な女になってしまったのだから仕方がない。

 ユウナレアは立ち上がり、その場できちんと頭を下げた。


「大変失礼しました。ゲイル・ラインバックの妻、ユウナレア・ラインバックと申します。ラインバック伯爵領の財政運営を任されております」


 ゲイルに、というよりは彼の部下たちへ。

 真っ先に反応したのは、眼帯の女性だった。


「あぁ、こちらこそ申し訳ありません。頭をお上げください。戦場しか知らぬ無作法者ですが、どうかよろしくお願い致しますわ。私はイニアエス、こちらの双子がジェニーとダニー、後ろのはマーヴィと申します。ゲイル様のために粉骨砕身、魂の一片までも磨り潰す所存でございます」


 ふわふわと穏やかな雰囲気でありながら、言葉そのものは物騒だった。当人の言う通り、戦場暮らしが長いせいだろう。


「さっき街の服屋でこいつらの服を買って来た。後で屋敷に届けさせるから、支払いを頼む。それと、少し話があるが、構わないか?」


「服を、ですか? 話は……ええ、もちろん構いませんが」


「では、そこのおまえ。セバスを呼んで、こいつらに部屋を用意してやれ。使用人の区域でいい。マーヴィは護衛たちの詰め所があるだろう、そこを案内してもらえ。生活の細かいことはセバスに聞け。明日の朝、仕事について話す。今日は待機。以上だ。判ったか?」


 口調は軽いのに、ゲイルの言葉には逆らい難い厳格さがあった。部下でないはずの『そこのおまえ』ことカイラスまでもが直立して、彼の命令に従ったくらいだ。もちろんイニアエスたちも、びしりと直立してゲイルの言に敬礼しながら「了解」の返答をしていた。


「では、少し話をしよう」


 と、ユウナレアに向き直るゲイル。なんだか主導権を全て持っていかれているようだけれど、それほど悪い気はしなかった。


 確かに、話をする必要がある。

 何故ならユウナレアにはゲイルがなにを考えているのか、全く判らないからだ。予想すらつかない。愛人と歩いていると聞かされても「彼はそんなことをしない」なんて、全く思わなかったほどだ。


 これでいいわけがない。


 ユウナレアは意識的に微笑を浮かべ、ゲイルのすぐ隣まで移動した。やや不思議そうにする彼の左手側に立ち、身長差に辟易する。本当に見上げなければならないのだ。ユウナレアは、イニアエスより頭ひとつ分ほども背が低い。


「もののついでですから、エスコートの練習もしましょう。旦那様、左手の甲を上に向けた状態で、肘を外側へ突き出すようにしてください」


 言われたゲイルは素直に肘を出してくれたが、やっぱり身長差がありすぎる。ゲイルの肘に掴まれば、エスコートされる婦人ではなく父親にぶら下がる女の子になってしまうだろう。


「……すみません。私の背が低いせいで、不格好になってしまいます。腰のあたりで皿を持つように、左の掌を上に向けていただけますか?」


「了解した」


 今度はちょうどいい位置にゲイルの手が降りてきた。そこにユウナレアの手をそっと乗せれば、まあ、父親にぶら下がる女の子よりはましだろう。


「それでは、少し庭のあたりを散歩しながら、話をしましょう。……カイラス、旦那様に言われたことをしなさい。セバスをお呼びして、部下の皆様をご案内するのよ。シェラたちは、少し休憩していなさい」


 言って、ゲイルを見上げる。

 書類上の夫は、特に表情らしい表情を浮かべていなかった。嫌がってもいないし、嬉しそうでもないし、面倒そうでもない。


 必要だから、そうしている。

 なんだ、それなら――気が合うかもしれない。

 そう思った。


「では旦那様、私よりも先に歩き出してください。歩幅が違うので、私との距離が一定になるよう調整をお願いします」



◇◇◇



 ゲイルのエスコートはなんだか微妙だった。


 十五歳のときに出兵したはずだから、そのときまでは貴族社会にいたはずなのだけれど、考えてみればラインバック辺境領では社交をまるで重視していないのだ。いわゆる中央貴族のような立ち居振る舞いを期待するのが間違っている。だからそこに文句を言うつもりは、最初からない。


 ただ、洗練された所作ではないが、隙はなく、姿勢が良く、歩きやすかった。たぶんユウナレアの歩調をあっという間に把握して、歩く速度を調整してくれたのだ。要求通りではあるが、紳士の作法というより戦士の観察眼だ、それは。


 なんというべきか――白鳥のような優雅さを求められているのに、荒野の岩場に降り立った大型猛禽類。そんな違和感。


「ラインバック家の庭は、木々が多くて散歩に適していますね」


 ゲイルの分厚い手の上に自らの小さな手を乗せたまま庭を歩き回り、なんとなくの世間話を振ってみる。

 別に無言であってもユウナレアは気にならない方だが、そもそもが話をするために来たのだ。雑談を振るくらいの社交性は有している。


「そうだな。幼い頃は兄上と木登りをして遊んでいた」


 他よりも少しだけ大きな樹を眺めてゲイルは言った。

 ユウナレアは自分と同じくらいの背丈のゲイル少年を想像してみようとしたが、どうにも上手くいかなかった。


「カートは、庭で遊んでいるか?」


「散歩をすることはございますけれど、木登りは……」


 たぶん、していない。それにしたがってもいないだろう。どちらかといえばカート・ラインバックは大人しい子供だ。外を走り回るより、机に向かって本を読んだりすることを好んでいる。


「そうか。俺の部下の双子だが――」


 いきなり本題が来た。ユウナレアの手を乗せているゲイルの手からは、なんの緊張感もない。世間話と全く同じ調子。


「――カートの家庭教師の時間に、同席させてやりたい。といっても、カートが教わっている部屋の壁際に立たせているだけでいい。教師があいつらになにかを教える必要はない。頼めるか?」


「ミュエル婦人にお願いすることはできますけれど、断られるかも知れません。そこは確約できませんが、それでよければ」


「構わん。悪いが、頼む」


 あまりにも平坦な口調に、ふとユウナレアは自分自身を顧みた。感情のない人形だとか、話していてもまるで楽しくないとか、なにが楽しくて生きているのか――そんなことを学院では言われていた。もちろん直接ではないが、その手の陰口は伝わってしまうのだ。

 この男を学院に放り込んだら、はたしてどうなるだろう?


 私は少し傷付いたし、うんざりもしたけれど……ゲイル・ラインバックなら、きっと気にも留めないだろう。ほんのわずかにも、傷付かないかも知れない。


「承りました。ですが、あの双子はどのような、その……存在なのですか? 旦那様の部下というには、幼すぎるように思いますが」


「魔導爆雷という武器を知っているか?」


 不意に言われて、さすがにユウナレアは眉を持ち上げた。


「ばくらい……いえ、存じません」


「出来損ないの魔道具だ。魔力を込めると爆発する。魔力を込めなければ爆発しない。近い距離で『点火』する必要があるのに、爆発する」


「…………」


 そんなもの、自決以外に使い道がない。

 訝るユウナレアに構わず、ゲイルは淡々と話を続けた。


「ある戦いのとき、開戦前に魔導爆雷を抱えた双子の子供が歩いてきた。最初、俺たちはその双子が抱えているモノがなんなのか判らなかった。敵の罠だろうとは思っていたが、どんな罠かは、かなり近づくまで誰も気付かなかった」


 戦場で、子供に自爆用の魔道具を持たせて、敵陣へ――。

 ぞっとする。ゲイルの手の上に重ねた自分の手が強張るのを自覚した。


「部下の一人が気付いた。そいつは猛烈な勢いで走り出し、双子から魔導爆雷を奪って敵陣の方向へ走り続けた。『点火』は既に済んでいた。被害は、その愚かな部下一人だけだった。そういうわけで、俺たちはその双子を第三大隊で引き入れて、隊の中で面倒をみることになった」


 まるで見知らぬ国の物語みたいだ。現実にそんなことが起こり得るだなんて、想像を巡らせたことすらユウナレアにはなかった。


「二人は敵の貴族に買われた子供だったそうだ。連中からしてみれば、俺たち第三大隊があまりにも強すぎたらしいな。子供を使ってほんのわずかにでもこちらの戦力を削ぎたかったらしい。そういうことを、ジェニーとダニーは理解していた」


 それはつまり、自分たちが死ぬことを、理解していたという意味だ。

 あまりにも話が重すぎて、とてもではないが抱えていられない。


 なのに――ゲイルはどうということもなく、話を続ける。

 持ち慣れた手荷物だ、とでも言わんばかりに。


「とりあえず部下として扱っているし、あいつらは俺の部下でいたいと思っているようだが、いずれにせよ、教養はあった方がいいだろう。隊の部下たちも、あの双子を大切にしていたしな」


「では、彼らにも家庭教師を……」


「どんな名目で? 別に、あいつらを養子にするつもりはないぞ」


「それは何故です? 名目は、どうとでもなりますが」


「ひとつ、あいつらと同じような子供を片っ端から養子にするわけにはいかない。ふたつ、あいつらを貴族にしたくない。四年も息子を戦場へ送り込んだまま、勝手に結婚させられるような人生は、まあ貴族でも珍しいとは思うが」


 ぱっ、とゲイルの手から、手を離してしまう。

 書類上の夫の表情は変わらず、口調にも乱れがない。今の発言はユウナレアやモゥレヴ伯爵に対する皮肉という意識はなかったのだろう。


 実際、ゲイルは手を離してしまったユウナレアへ、やや不思議そうな眼差しを向けている。なにかエスコートが間違っていたのか? とでも言わんばかり。


 違う。違うの。

 なにも間違ってなんかいない。

 間違っているのは――私の方だ。






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