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12_自己嫌悪(ユウナレア)





 ――姉さまばかりずるいわ。


 義妹の口から吐き出された言葉の中で、おそらくユウナレアが最も耳にしたのがそれだ。続けて「私だって」と彼女は己の欲求を吐露し、父も兄もソーラリアの望みを叶えんと立ち振る舞った。


 ユウナレアは、何度か真剣に悩んだものだ。

 はたして本当に自分はずるいのか、と。

 無論、思索を幾度重ねようとも答えは変わらない。


 私は、ずるくなんかない。

 ずるいのは、義妹の方だ。


 ――ああ、けれども。

 本当は、私もずるかったのではないだろうか。



◇◇◇



 長いようで短い、けれどもやっぱり長い一日が終わる前、ユウナレアにはやるべきことがあった。

 地下牢へ放り込んだ己の部下、カイラス・コートと話をすることだ。


 彼はアーカッシュ家で最も世話になった執事長の息子であり、アーカッシュ家での財政を取り仕切っているときも、ユウナレアをよく助けてくれた。あの家の中ではソーラリアに心惹かれていない希少な者であり、むしろユウナレアを迫害する全てのものに嫌悪を抱いているようだった。


 ほとんど無条件で、カイラスは味方をしてくれた。

 それが仇となってゲイル・ラインバックに殴られ、気絶させられ、ユウナレアの命令で地下牢へ放り込まれたのだが……ゲイル自身は、別にカイラスに対し怒ってはいないという。おそらく本当だろう。

 きっと、心を動かすほどの出来事ではなかったのだ。

 好悪もなく、ただの無関心。カイラスはゲイルがユウナレアと面会するのを拒否したそうだが、ゲイルはそんな彼を説き伏せる手間を惜しんだのだろう。手間をかけるだけの価値が、なかったのだ。


 たぶんそれだけ。面倒だから黙らせた。

 だからこそ、伯爵家の次男に無礼を働いたにも拘わらず、赦すとさえ言い出した。ユウナレアの仕事にとって必要なのだろう、と。


 溜息を吐きながら地下へ降り、ひとつしかない牢の前へ。

 鉄格子の向こうで座り込んでいるカイラスは今まで見たこともないくらいに不機嫌そうだったが――ユウナレアの姿を認めると、ぱっと表情を明るくした。


「お嬢様!」


 まるで救い主を見つけた迷い子だが、まず誤解を解く必要があった。


「カイラス。勘違いしているかも知れませんが、貴方を牢へ入れるように命じたのは私です。誰かから説明を受けたはずですが」


「ええ、もちろん存じております。愚かな私を護るために、地下牢へ放り込むよう先手を打ってくださったのですよね?」


 間違ってはいない。

 咄嗟にカイラスを地下牢へ、と命じたのは、それが理由だ。

 だが、ただ赦され、許して終わりというわけにもいかなかった。


「カイラス。私の旦那様に対し、無礼を働いたそうですね。私と話をするために来た旦那様に、お引き取りを願ったと聞きましたが、本当ですか?」


「それは――本当です」


「何故、そのようなことを?」


「少し待てば話をする機会などあるでしょうに、わざわざ職務中のお嬢様の手を止める価値を感じませんでした」


 はぁぁあ、とユウナレアは深い溜息を吐き出す羽目になった。

 無条件で味方をしてくれるのは、ユウナレアにとって嬉しいことではない。

 何故ならそれは、道理を無視した場合でも味方をするということだ。ソーラリアが周囲にそうされていたように。


「カイラス。貴方の父には、とても世話になりました。感謝してもしきれません。ですがそのことによって、貴方の評価を左右するつもりはありません。伯爵家の次男に無礼を働くような部下を持つ上司が、どう思われるのか、考えなかったのですか? 私が旦那様にどう思われてもいいと、それが貴方の意思ですか?」


「だって……契約結婚でしょう? 死ぬはずだった男が近寄って来ても、お嬢様にとっては、迷惑なだけでは?」


 不思議そうに答えるカイラスは、嘘を吐いているようには見えない。誤魔化しのない本心を吐露しているように見えた。

 であれば、なおさら性質が悪い。


「四年間も前線で戦い続けて生還したゲイル・ラインバックになんの否があるのですか? 私と彼との婚姻、その契約条件に関して責任があるとすれば、それは代理で押印した義父上様と、彼の生還を考慮していなかった私自身にあります。まして彼にとって私との結婚は、つい十日前に聞かされたのですよ?」


「知らなかった……のですか? お嬢様との結婚を」


「契約結婚の相手である当人、つまり私と話をするべきと判断するのは当然でしょう。貴方はそれを、なんの権限も権利もないというのに、拒否したのです」


「…………」


 黙り込むカイラスに、ユウナレアはもう一度溜息を吐き出した。


「幸い……というべきかは判りませんが、旦那様は『赦す』と仰られました。カイラス、貴方に対する気遣いでないことは、理解できますね?」


「……はい」


 煮詰めた苦渋を口の中いっぱいに頬張ったような表情。


「貴方には助けられてきましたし、これからも力を貸してもらいたいと思っています。ですから、一度だけ、旦那様の『赦し』を、私もありがたく受け取ります。しかしこれは『借り』になると考えてください」


「『借り』……でございますか」


「旦那さまは『貸し』などとは思いもしていないでしょうが、それでも、です。カイラス。カイラス・コート。次はありません。次は貴方を解雇します。その上で、まだ私に力を貸してくれますか?」


 ああ――これは、義妹と同じだ。

 周囲を自分の都合のいいように動かして、自分にはなんの非もないような顔をして、正しさを疑いもしない。


 おなかの中に石塊でも詰められたような気分だった。



◇◇◇



 翌日。

 朝食の時間になってカートと朝の挨拶を交わし、席に着いたところで青い顔をしたメイドがやって来て、ユウナレアに耳打ちした。


「お嬢様。その……ゲイル様ですが、外出してくると言われました。夜には戻るとのことですが……」


「外出?」


 朝食すらとらずに外出しなければならない用事など、四年ぶりに帰って来た男にあるのだろうか? ユウナレアがラインバック領都へ越してきておおよそ二年になるが、市井の民人からゲイル・ラインバックの話を聞いたことがない。

 義理の父たるモゥレヴや、義理の兄であるガーノートの口からゲイルの話をあまり聞かなかったのは――やはり彼が死ぬことを前提としていたからか。それは口も重くなるだろう。


 そういう意味では、ユウナレアはゲイル・ラインバックのことを、なにも知らないに等しいのだ。

 唯一、義弟のカートだけはゲイルのことを話してくれたが、いかんせん、ゲイルが出兵した四年前のカートはまだ四歳だ。優しくて、強くて、ちょっと変なところがある……そういうふうにカートは兄のことを語っていたが、そのくらいのことは誰にでも当てはまるだろう。まして子供が身内を見る目線だ。


「兄さまは、お出かけしたのですか?」


 残念、と書いてあるような顔をしてカートがユウナレアを見上げてくる。あまりの愛らしさに思わず頭を撫でてしまったが、いつもなら嬉しそうに頬を緩めるカートの表情は、晴れてくれない。


「……ええ、そのようね。なにか用事があったのかも知れないわ。夜には帰ると仰っていたらしいから、夜には帰って来るでしょう」


「また、ずっといなくなったりしない?」


「もちろん。お兄さまは、いなくなったりしないわ」


 いなくなるのは、ユウナレアの方だ。

 ゲイルが生還してから、自己嫌悪を感じる機会が多い。


 つまりは気付いていなかっただけ、気にも留めていなかっただけ、思うことすらなかった――そういうことだ。


 自分が汚いだなんて、



◇◇◇



 落としたハンカチに泥水が染み込むみたいに、じわじわと気分が落ち込んでいくのが判る。それでもユウナレアの仕事の手は止まらなかった。


 能力がある。ラインバック家が欲しがり、実際に重用する能力が。

 そのことだけは、ユウナレアにとって多少の救いだった。


 牢から出したカイラス・コートも、こと仕事という面ではこれ以上ないほどに有能だ。彼が事前にユウナレアへ渡す書類を選別してくれなければ、業務の軽重を図り間違えて物事の優先順位の判断を誤りかねない。


 執務室で書類を読み解き、参照すべき数字を睨んでいる間は、ユウナレアは自己嫌悪と腹部の鈍痛を忘れられた。


 昼食時には仕事の手を止め、カートの家庭教師から進捗を聞いた。

 ラインバックの分家にあたるミュエル子爵家の夫人がカートを教えており、彼女もラインバックの天使に魅了されている一人である。

 カートがどんなことをどんなふうに学び、どんな世間話をして、どんなことに喜び、どんなことを憂いているのか、夫人からそれを聞くのはユウナレアにとって有意義な時間だったし、夫人の方も気兼ねなくカートについて話してくれた。むしろ話したくてたまらない、といったふうだ。


「セバスから聞きましたけれども、カート様はやはり母の不在に寂しさを覚えていたそうなのです。けれど、私が家庭教師を始めてからは、そのことに気が付きませんでした。ユウナレア様のおかげでしょう」


 カートの寂しさを、ユウナレアがわずかなりとも埋めているのだ、とミュエル婦人は言う。それが本当であれば、どれだけ嬉しいことか。


「救われているのは、私の方ですわ」


 意識せずに微笑しながらユウナレアは言った。

 人間に対して「かわいい」なんて感情を覚えたのは初めてのことだったし、そんな天使に慕われて嬉しくないわけがない。能力以外に取り柄のない人形女を、カート・ラインバックは能力なんて度外視して、懐いてくれている。


 この辺境領を富ませるために頑張れるのは、間違いなくカートの存在が大きかった。ただの契約だけであっても、それなりには仕事をこなしただろう。けれども、今のようにのめり込んでいたかは、やはり疑問だ。


 彼の生まれた土地を、豊かにしてあげたい。

 少なくとも金銭的には――ユウナレアは、豊かさを増やしてあげられる。


 そうしてまた仕事に取り掛かる。

 日が暮れる少し前に、メイドがやって来て言った。


「ゲイル様が――その、愛人と隠し子を連れて、街を練り歩いているとの報告がありました。申し訳ありません。どう言えばいいのか……聞いたそのままをお伝えしましたが、どうかお嬢様、気を確かに」


 私は正気だ、とユウナレアは思った。

 話が本当なら、正気じゃないのはゲイル・ラインバックの方ではないか。








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