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踊る相手を変えて

 ヴォルフは微笑むと、王女の手を恭しく取った。


「もちろん。光栄でございます、王女殿下」


 これも、あらかじめ取り決めておいたやり取りだった。ヴォルフリート将軍は、決して恐れるべき存在ではないと喧伝するために。舞踏さえこなせば人間扱いなのか、と思うとそれはそれで腹立たしくもあるのだけれど。王女が躊躇わずに手を差し伸べる絵は、人々の印象に残るだろう。

 そして、夫を貸し出した格好のエリーゼにも、また別の相手が必要だ。これは、アポロニアの傍に常に控えるヴァイデンラント伯爵が買って出てくれることになっている。


「奥様は、私と踊っていただけますでしょうか」

「はい、伯爵閣下──」


 やっと「奥様」と呼んでくれるようになったことに安堵しながら、エリーゼは伯爵の手を取ろうとした。でも──


「すまないが、順番を譲ってもらえるだろうか」


 喜んで、と答える前に、エリーゼは横から割って入った腕に抱え込まれていた。ヴォルフのものではない腕と胸板の感触は、コンラートを思い出させてエリーゼの呼吸が乱れる。

 仮にも夫のいる女にこのような無礼を働くのは、一体誰なのだろう。疑問は、エリーゼ自身が問うまでもなく、ヴァイデンラント伯爵の焦りを孕んだ呟きによって答えられる。


「マクシミリアン殿下……!」

「婚礼では父親代わりを務めた縁があるからね。娘、とまでは言わずとも、妹のように思っているのだ」


 伯爵の声には確かに非難の響きも宿っていたのに、マクシミリアン王子が頓着する気配はなかった。それどころか一層間近に抱き寄せられて、エリーゼの喉から声にならない悲鳴が上がる。拒まなければ、と思っても、身分と力と体格の差のために、ろくな抵抗もできない。手を突っ張っても逃れることができないのはもちろんのこと、抗議の声さえ、恐怖のために掠れてしまう。


「あの、私は……」

「お久しぶりだね、エリーゼ嬢。お元気そうで何よりだ」


 間近に見上げるマクシミリアン王子の微笑は、甘く美しい、と評されるものなのだろう。でも、この方の企みを知った今となっては、エリーゼにとっては恐ろしいだけだ。美しいというならコンラートもそうだったけれど、あの青年がエリーゼに残したのは恐怖と痛みの記憶ばかり。エリーゼは見目麗しい貴公子にうっとりとできるような清らかな乙女ではない。ヴォルフの腕の中で幸せを感じたのが嘘のように、殿方の強い力も低い声も恐ろしかった。


(アポロニア様……ヴォルフ……!)


 助けを求めてアポロニアを探すけれど、彼女もヴォルフも既にエリーゼからは離れたところで踊っている。妹姫が十分に離れたのを見計らって、マクシミリアン王子は声を掛けてきたのに違いなかった。


「貴女のことはずっと気に懸けていたのだ。少しぐらい付き合ってもらっても良いだろう?」


 気に懸けていた、というのは文字通りのことのはずがない。この方はトラウシルト家と──ギルベルタと繋がっている。エリーゼをヴォルフのもとに送り込んだのは企みがあってのことに違いなく、案じていたのはその首尾以外にあり得ない。


「ヴァイデンラント伯爵、失礼を」

「あの……!」


 伯爵の目は、エリーゼの懇願に対してすまないと告げていた。王子が非礼を詫びつつ誘ったなら、譲らない訳にはいかないのだ、と。強く逆らえば、それこそアポロニアの不利益にもなるのかもしれない。


(一曲踊るだけよ……他の方々も見ているのだし……)


 気丈に振舞えば大丈夫なはず、と自分に言い聞かせながら、エリーゼはマクシミリアン王子に手を引かれて広間の中央へと導かれた。ヴォルフとアポロニアは、人波に隔てられた遥かな場所にいる。


「緊張しなくて良いのに」

「いえ……」


 曲がりなりにも形になっていた先ほどとは違って、王子と踊るエリーゼのステップは惨憺たるものだった。できるだけ身体が触れないように、抱き寄せられる腰を懸命にずらし、絡め取るような相手の足から逃げようとしているのだから当然だ。舞踏の相手に避けられる経験などないのだろう、王子は彼女の嫌悪に気付かないようで、寛容に微笑んでいるけれど。


「美しい令嬢が獣の餌とは、もったいないと思っていたが。よくもあの狼を飼い馴らせたものだ」

「あの方は獣などではありません」


 まただ。会う人会う人、揃ってヴォルフのことを餓えた獣扱いする。正式に結婚した夫婦に対して、飼い馴らすなんて表現を使う。あの方には心があって、戦場での死を悼み、自身の罪を恐れているのに。驕りなどとは程遠く、むしろ優しく謙虚な方だというのに。


 反発心はエリーゼの声を尖らせて、マクシミリアン王子の目を軽く瞠らせた。口答えされる──それも若い娘に! ことなど、普通ならあり得ないことなのだろう。


「……それとも、貴女の方が飼い馴らされたのかな。ものの道理が分からなくなるほど──何をされてしまったのか」

「そのような……!」


 食って掛かるエリーゼを軽くいなして、マクシミリアン王子は足を止めた。ただし、エリーゼの腰に回した手が離れてくれることはなかったけれど。


「まあ、何があったかはゆっくり聞かせてもらおうか」


 マクシミリアンの長身に視界を遮られていたエリーゼは、この時やっと気付く。ぎこちなく踊るうちに、広間の端──小さな扉の近くに誘導されていたことに。扉の脇に控える侍従は、王子とその連れに恭しく頭を下げた。何らの不審の色もない侍従の表情に、悟らざるを得ない。夜会から女性を連れて忍び出るのは、王子にとってよくあることで、エリーゼが声を上げたところで取り合ってはもらえないだろうということを。


「ヒルシェンホルン夫人も、貴女には会いたがっている」

「大奥様……!?」


 恐ろしい方の名を聞いて、エリーゼが身体を竦ませるうちに、マクシミリアンは扉を通ってしまう。そしてふたりの背後で扉が閉まると、夜会の喧騒はすっかり聞こえなくなってしまった。

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