W-Rainbow
~トーマ視点~
熱い風が頬をなぶる。
澄み切った青い空には雲1つなく、眼前に広がるビーチは完全に人気がない。
それもその筈。
ここはプライベートビーチ…というか、無人島なのだから。
そう、ここは組織の「施設」の1つ。
本来の使用目的は「上陸作戦」並びに「ゲリラ戦」の訓練施設。
一般人の立ち入りは許可されていない「地図に載っていない島」だ。
*
「ムチャクチャだな」
あの時、ヘリを操縦していたのは「ゾロ」ことアーネストだった。
「あなたなら、きっとやってくれるって信じていたわ」
「何が信じてただよ。
俺が間に合わなかったら、今頃トーマ諸共ミンチだったじゃないか」
「だから、信じてたんだって」
頭上で交わされる軽口が、茫然自失の状態から現実に戻してくれた。
49階からのダイブを経て、ヘリ内部にどうにかよじ登るまで、俺の心臓は暴走を続けた。
それも当然だと思う。
私を信じてと彼女は言ったけれど…。
確かに彼女を信じたけれど、ヘリを待機させているなら、そうと言ってくれれば!
「トーマ、もう大丈夫よ。って……トーマ?」
「…ミサト・マクダール!」
反射的に怒鳴りつけていた。
突然の大声に、反射的にビクッと身体を震わせたミサトを睨みつけつつ、ビシッと指を突きつける。
「もう、金輪際お前とは組まん!
心中なんてごめんだ」
「何で?」
きょとんとしている彼女のマヌケ面が、今は心底憎たらしい。
「何が私を信じて、だ!
危うく死ぬところだったじゃないか」
「でも、結果的に助かったでしょ?」
「結果的にはな!
だがヘタしたら2人とも…お前も俺も、今頃…」
昂ぶりすぎてセーブできなくなってしまった感情をどうにかコントロールしようと、両手をキツく握りしめ意識的に深呼吸する。
ギリっと爪が掌に食い込むほど握りしめたというのに、効果があった気が全くしない。
「何なんだ、一体。
007にでもなったつもりか?
トム・クルーズ?
そんなのどっちでも良い!」
言いたい事は山ほどあった。
なのに、そのどれもこれもが言葉にはならず、悔しくて唇を噛みしめる。
「お前…お前なんか」
——もう、絶対信じるものか。
子供っぽくてもいいから、そう言ってやりたかったのに。
「信じてくれたから一緒に跳んだんでしょ?」
なのにこの状況に不似合いな、衒いのない子供のように無邪気な笑顔に毒気を抜かれる。
——くそ!
ここでその笑顔は反則だろ。
素直に認めるのも癪でプイとそっぽを向いたのに、わざわざ正面に移動するとマクダールは俺の目を真っ直ぐに見つめた。
「ごめんなさい、あの時はああするしかなかったの」
「なっ…!」
下手に出られ、返す言葉に詰まってしまう。
確かにあの時はあれ以外の選択肢など無かったであろうから。
屈強な警備員の数はざっと12~13。
所持している武器の性能は段違い…、なんせ向こうは自動小銃にレーザーカッターなんて物まで持っていたしな。
あんな奴らと対峙して、運良くあの場は切り抜けられたとしても地上100m越えのあのオフィスから逃げ出すのは至難の業に思われた。
「ホント、ごめん」
いつもの軽薄さが嘘のような、真摯な口調に少し戸惑う。
「…いや、こちらこそ。
感傷的に怒鳴ってすまなかった」
——いい加減、大人気ないか。
向こうが真剣に謝っている以上…何より、彼女の機転によって命を救われた以上、こちらも態度を改めなければならないだろう。
「今までの態度もそうだが…色々とすまなかった、ミサト」
軽く頭を下げた俺が見たものは…ぽかんと口を開けたまま固まるミサトの姿だった。
「…‥あの、トーマ?」
——そんな驚いた顔しなくとも。
思わず苦虫を噛み潰したような顔になってしまったのは、仕方のない事だと思う。
それでも
あの時の言葉を真に受ける訳じゃないし、そもそも約束した訳でもないんだが…。
「本気かどうか知らんが、どこか行きたいところ…」
「海!」
食い気味に答えるミサトに、思わず苦情が漏れた。
*
~ミサト視点~
「…ナニ、これ」
困惑の眼差しで見上げた私に、トーマはしれっと
「セスナ」
と答えた。
「それは見れば分かる。
でも今日は確か、海に行く約束よね?」
朝1番に迎えに来た彼の車で向かった先は、小型の飛行場だった。
「だから、これで行くんだ」
「…は?」
——一体どこへ行こうというのだ、この人は。
「いいから早く。
計器チェックが済んだら離陸だ」
さぁ乗ってと促され、彼の隣に乗り込む。
「もしかして、あなたが操縦するの…?」
「任せろ」
ざっと計器のチェックをこなしていくその姿は、確かに慣れているように見受けられる。
「じゃ、行くぞ」
言葉通りセスナはゆっくり進み、滑走路の端まで移動すると管制の指示を待つ。
そして動き出した機体はみるみる加速し、フワリと浮きあがった。
あっという間に地面が遠くなる。
小型機故にそう高度は取れないけれど、それでも自力ではまず目にする事の出来ない風景。
どこまでも青い空と澄み切った海の間を力強く飛んでいく。
潮の香りが鼻腔をくすぐり、煌めく水面が眩しい。
こうやって、見渡す限り何もない海原を飛んでいると、どこからが海でどこからが空なのか境目が曖昧になる。
自分で言うだけあって彼の操縦は自信に満ちていて、そしてとても楽しそうだった。
普段のしかめ面が嘘のようにリラックスして操縦するトーマの横顔を、チラチラと窺ってしまう。
それにしても…風を切って空を翔ける空中散歩は、思っていたよりも遥かに快適でとても気持ちが良い。
けれど、今日は本来の目的は海だった筈。
「そろそろどこへ向かっているのか、教えてくれてもいいんじゃなくて?」
黙って前を見つめているトーマの視線の先に小さな島が見えてきた。
「……もしかして、あそこ?」
「ご明察」
降りてみてまずその小ささに驚いた。
直径1キロにも満たない、人の気配のまるで感じられない小さな島。
あるのは手付かずの自然と、眼前に広がるとても綺麗なビーチ。
トーマに聞いていなければ、ここが「施設」だなんて信じられないくらいだ。
サンダルを脱いで砂浜を歩く。
砂が本当にサラサラで、足の裏がこそばゆい。
そのまま波打ち際まで行き、寄せては返す波を手で掬い上げてみた。
——こんな透明度の高い綺麗な海は初めて。
密かに感動していると、後ろから声がかけられた。
「お気に召したかな?お嬢さん?」
「えぇ、とっても素敵」
いつもの皮肉げな口調ではなかったせいか、とても素直に答えていた。
冷たい海水に足を浸す。
湿気もなくカラッとしているので、それ程でもないけれど。
汗ばんだ身体に、心地よい冷たさがじわじわ効いてくる。
「気持ちいい~」
「ミサト?」
振り向くと同時に、顔に何かが当たった。
悪戯っ子のように瞳を輝かせたトーマが、してやったりと笑っている。
「やったわね!」
後は子供のようにお互いにむきになって、水のかけあいっこが始まった。
遠浅の浜辺を水飛沫を上げながら走り回り、着ていた服が絞れる位ずぶ濡れになった頃、突然雲行きが怪しくなってきた。
あんなに青かった空が、一転真っ黒な雲に覆い尽くされ、ビュウビュウと風が吹き付けてくる。
「スコールか?」
言ったそばから、大粒の雨が叩きつけるように降り出した。
どうせ元からずぶ濡れになっていたので、雨で濡れた所でどうという事はない。
真っ黒な空を見上げると、顔中結構な勢いで雨粒が打ち付けられる。
それが妙に心地良かった。
「濡れるぞ?」
「もう濡れてるわ」
そう言うと、彼は僅かに肩をすくめた。
「この雨が止んだら火を熾すから乾かそう」
手を伸ばし、雨に打たれて頬に張り付いた髪を梳き流してくれる。
あまりにも自然で優しい仕草に動きの止まった私の手を取り、枝の張り出した大きな木の下まで引っ張って行った。
更に吹き付ける雨風から庇うよう風上に立ち、さりげなくガードしてくれる。
ホント、こういうトコだけは気がきくっていうかマメなのねと思いつつ、そんな彼の気遣いが嬉しかったりしたのだけど。
繋いだままの手から彼の温もりが伝わってきて、今頃になって体が冷えきっている事に気付く。
吹き付ける風に、ゾワリと鳥肌が立ったのに気付いたのだろう。
「…寒かったら脱ぐか?」
「は?」
なんか、もの凄い事をさらっと言われた気がしたんですけど、聞き間違いかしら。
至極真面目な顔のトーマは、顔だけ見てれば作戦中と大差ない。
あくまで表情を変えない彼を、ジトッと見上げる。
「いや、変な意味じゃなくて!
どうせ水着を着てるんだろ?
その上からタオルでも羽織っときゃ、少しはマシかなって」
……確かに。
濡れた服にこのまま体温を奪われるより、乾いたタオルを巻きつけてた方がマシかもしれない。
それは一理あるのだけど…。
「覗かないでね」
「男として確約できな…ってギブギブ!
冗談だって」
半眼で睨みつつ、繋いだままの手を取り問答無用で逆に捻りあげると、トーマは腕を振り解いた。
「絶対よ?覗いたら蹴り倒すわよ。
あと、真面目な顔して笑えない冗談言うのもやめて」
「わかったから、指差すな」
ビシッと突きつけた指を避けると、トーマは苦笑し
「じゃ、セスナに荷物取りに行ってくる」
止める間もなく雨の中、走り出していってしまった。
言い過ぎた…?とも思ったけれど、ともかく今のうちに着替えを済ませる事にする。
ワンピースからは水が滴り落ち、素肌にべったりと張り付いて、気持ちが悪い事この上ない。
本当は熱いシャワーを浴びたい所なんだけど…ないわよね、こんな所に。
「ミサト?もう済んだか?」
「あ、えぇ、もう大丈夫」
いつの間に戻っていたのか、遠慮がちにトーマが声をかけてきた。
「雨止んできたから、ここにロープを張って服乾かそう。
一応火も熾すし、雨さえ止めばすぐに乾くから」
それと、ホラ、と肩からふわりと何かが掛けられた。
「え…?」
「寒いだろ?そのかっこじゃ」
見ると男物のシャツ。
…って、トーマの?
「…ありがとう、ございます」
私だって、女性としては背の高い方だと思っていたけれど。
明らかにサイズの違う男物の、しかも太陽の匂いに混ざって仄かに彼の匂いのするシャツに包まれていると、何故か不思議な気分になった。
——何だか彼の腕の中に包まれて、守られているみたい。
…って、ナニ考えているの、私は。
一瞬、何があっても何処までいっても、あくまで同僚であるべき2人にあるまじき姿を想像しかけ…慌てて頭を振って浮かんだ妄想を払う。
妙な素振りをして気付かれはしなかったかと、彼の方を窺ったその時
「あ!ミサトっ、虹!!」
トーマの大声に、心臓が口から飛び出るかと思うくらい驚いた。
「ほら!ダブルレインボー」
嵐の過ぎ去った空は、つい先程までの荒れた天気が嘘のように、穏やかさを取り戻していた。
風に流された雲の切れ間から虹が一筋くっきりと浮かび上がっている。
そしてもう一筋はうっすらと。
「ダブルレインボーって滅多に見れなくてさ。
だから逆に見れたら良い事があるんだって」
少年のような眼差しに、不覚にも見とれてしまう。
——この人って……。
いい歳して、こんな事で子供みたいに目を輝かせるくせ、普段はぶっきら棒で仏頂面がデフォルトで。
いざって時は頼りがいがあって、でも今日みたいに下手くそなジョークを言ってみたり。
誰にでも優しい訳ではないけれど、少なくとも仲間思いで信頼も厚くて。
かと思うと、時々信じられないくらい怖い目をして…。
本当、どういう人なんだろう…?
「そんなに気になる?」
「なっ…いいえ、別に」
いつの間にか食い入るように見つめてしまっていたらしい。
慌てて目を逸らすと、二筋の光の橋が早くも消えかかっていた。
「見つけたら良い事があるというのは、四つ葉のクローバーと同じような事よね」
強引に話題を変えようとしたものの…
「だとしたら…私の良い事って、トーマとダブルレインボーが見れた事かも…」
——うわっ!
私ったらナニ口走っているの!
動揺が裏目に出て、とんでもない言葉が口から飛び出した。
こんな事言っちゃったら、間違いなく嫌そうな顔して…って。
……え?
恐る恐る振り向いた先には、いつもの眉間に皺は何処へやら。
耳まで真っ赤になって俯くトーマの横顔があった。
「…トーマ?」
「うるさい。何も言うな、見るな」
ふい、と顔を背けるトーマが、何だかとても可愛く思えてくるだなんて。
「ねぇ、いつもそうやっていればいいのに。
眉間にしわ寄せて、難しい顔してる貴方よりよっぽど好きよ」
彼のますます赤くなった顔を覗き込みながらそう言うと、彼は小さく悪態をついた。
「なんで誘いに乗ってくれたの?
そういう事、しそうにないのに」
今なら素直に答えてくれる気がして、ずっと聞きたかった事を聞いてみる。
そう長い付き合いではないけれど、それでも仕事は仕事、プライベートはプライベート、きっちりと分けて干渉を嫌うタイプに見えるのに。
「俺の知る限り、俺とは真逆の存在だから…かな」
「なにそれ?」
キョトンとする私に、どこか開き直った様子でトーマは言葉を重ねる。
「これからもチームを組まされる事になりそうだし、少しはお互いを知るきっかけになればと!
それに、俺達の間に挟まれて気まずいだの、仏頂面が怖いからだの、ジョークの1つも言ってみろだの…」
最後の方はごにょごにょと、言いにくそうにするトーマの様子に、ピンと来るものがあった。
——アーネストとターニャね、諸々仕組んだのは。
「で、その口車にまんまと乗せられたと?」
呆れた様子を隠さない私に、トーマはなおも言い募った。
「正直、噂を鵜呑みにしていたんだ」
「あら、そう。一体どんな噂だったのかしらね」
——どうせ、碌でもないものなんでしょうけれど。
肩を竦めた私に、トーマは意外にも労わるような慰めるような…詫びるような眼差しを向けた。
「だが、実際の君はクールで、清楚で、妖艶で、儚くて、強かで、可憐で。
コロコロ変わるその表情から、目が離せなくなっていた。
人を簡単に信じないくせ、時々こっちが切なくなる程、寂しい目をして…。
一体、どれが本当の君なんだろうと、そう思うようになっていったよ」
…確かに。
最初の頃の冷ややかな視線も、名前を呼んだだけで嫌そうな雰囲気も、最近は無くなってたけどね。
だけど…。
だからといって、あくまで仕事上の付き合いでしかない貴方と私よ?
多少、仕事がやりやすくなるという以外、特にどうという事はない気もするのよね。
まぁ、やりにくいよりはやりやすい方がよっぽど助かるけど。
「なぁ、それよりもプランBって、一体なんだったんだ?」
ずっと気になっていたんだ、アーネストがどうしてあんなタイミングよくヘリで現れたのか。
興味津々といった顔をするトーマから目を逸らしたのは…きっと本能的な物。
「あぁ…アレ?」
正直あんまり言いたくはなかったけれど、聞かれてしまっては言わない訳にもいかない。
「前に一緒にご飯食べた時に、飛ばした与太話というかネタというか。
あそこ、エレベーターも非常口も封鎖されたら逃げ場ないでしょ?
だからああなった場合の脱出方法として、色々相談してた訳。
プランAでジェットパック装備、Bでヘリ待機させといてダイブ。
で、Cでグライダーで逃げるってね。
だけどAとCは現実的じゃないし、装備的に不可能だったから。
まぁあの時は冗談のつもりだったんだけど、ホント助かったわ」
アハハハと笑って誤魔化す私にトーマは遠い目をした。