Plan-b
紺のワンピースに真っ白なエプロンを身に着け、本物そっくりに偽造されたIDを胸元に止める。
今回は比較的露出の少ない地味なメイド姿だというのに、一体何が気になるのか。
…あるいは気に入らないのか。
眉間に皺を寄せたまま、チラチラとこちらを窺うトーマに、小首を傾げ
「ご主人様?」
と可愛らしく言ってみる。
その途端、グッと息を飲んだトーマは顔を真っ赤にし、ゲホゲホと咳き込んだ。
「ミサト、それ破壊力ありすぎ。
てか、あんまりトーマをからかうもんじゃないよ」
そんな私達を見てアーネストがケラケラ笑う。
「だって、難しい顔してこっちをチラチラ見てるんだもん。
言いたい事があるなら、ハッキリ言ったら良いのに」
鼻で笑いながらそう言うと、トーマはますます激しく咳き込んだ。
そんな彼をきれいに無視し、私はイヤリングに模したインカムの具合を確かめる。
「こちらエマ、今より作戦開始します」
「了解、業務用エレベーターにてレオンが待機。
不測に事態に備えつつ速やかに作業・撤収せよ」
感度良好、準備OK。
「行きますよ」
静かに告げると、それまでの態度を一変させチェックの制服に黒のスラックスを身に着けたレオンは不遜な笑みを浮かべた。
「私はルームサービス、レオンはベルボーイ。
どこから見ても完璧よね」
「じゃあ、作戦もその調子で頼むぞ」
——言われなくとも。
と思いつつ、カートを押してリネン室を出る。
目指すは最上階にあるスイートルーム。
エレベーターにレオンを残し、ドアの前に立ちインタフォンをを鳴らす。
「失礼致します、ルームサービスを回収に参りました」
室内には人の気配。
「入ってくれて構わんよ」
インタフォンからの答えと同時に、ドアのロックが解除された。
「失礼致します」
室内に入ると、小型のノートPCと睨めっこしたままのアズウェルが、顔も上げずに
「済まないね」
と声をかけてきた。
「とんでもございません。
ルームサービスをご利用いただき、ありがとうございました」
ブランデーのグラスとボトル、クラッカー・ナッツ類の入った皿をカートに載せ、恭しく頭を下げる。
「では、失礼致します」
最後まで見向きもせず作業を続けている氏にもう1度頭を下げると、静かにドアを閉めエレベーターに向かう。
「お疲れ」
「では、後はこれをお願いします」
今回の任務は、世界的に有名な遺伝子工学の権威アズウェルの指紋採取。
用意した替えのグラスとボトルを人気の無い廊下ですり替え、何食わぬ顔でカートを配膳室に下げ日誌に記録する。
後は手早くリネン室を片付け、作戦の痕跡が残っていない事を確かめ撤収。
これで今夜の任務は完了。
*
翌日は本当は久しぶりの休暇の筈だった。
けれど朝1番に携帯が鳴り上司の声で目が覚めるなんて…目覚めとしては最悪の部類ね。
「新しい任務だ」
「了解、すぐ行きます」
たまの休みがこんな風に潰れてしまう事は、大して珍しくない。
もう慣れっこだし、別になんとも思わないのだけど…。
けれども、お気に入りのカフェでカフェラテを買いオフィスのドアを開けた途端、トーマのしかめ面を見る事になり、朝の素敵な気分が台無しになってしまった。
——まぁ、トーマのしかめ面は既に見慣れつつあるし、あの顔もデフォルトみたいなものだけどね。
だけど、せっかくの顔面偏差値なんだもの。
どうせなら有効に活用すれば良いのに。
なんて事考えつつ、上司の説明を受けてゆく。
「今回の任務は、アズウェルの遺伝子研究施設パラスアテナに侵入。
氏の発表した、通称ゼウスプランの詳細を奪取し、秘められたその目的を暴く事だ」
昨夜いただいた氏の指紋、もう加工が終了したのね。
いつもながらうちのチームは仕事が早い!
おかげで今日の休みは無くなった訳だけど。
「氏のオフィスへの侵入は彼の指紋が文字通り、鍵となる。
また、無人の際は監視カメラと赤外線感知システムが作動する」
「そこまでして守りたい物なのかしら?
そのプランとやらに隠された秘密ってのは」
揶揄するように肩を竦めた私を、冷ややかに見つめるトーマ。
これも、もう「いつもの事」。
お互いの前職、警官や軍人なら上官の命令は絶対で、疑問を挟むことすら許されない。
そんな所だった。
今の職場でも、彼はそのルールを守りたいみたいだけど…あいにく私は違うのよ。
「ともあれ、君達に与えられた時間はそう多くはない。最善を尽くしてくれ」
「了解」
いつものように資料や準備品の入ったアタッシュケースを手渡される。
「君達の作戦中のコードネームは…」
「“レオン・リグルド”と“エマ・ハミルトン”、でしょ?」
*
作戦のため、髪の毛は金色に染め1つにまとめてアップにした。
少し派手目のメイクに度の入っていない伊達メガネ。
ブラウスのボタンは思い切って第3ボタンまで外し、普段なら絶対穿かないミニのタイトスカートに白衣を羽織って変装終了。
典型的なグラビアモデルをイメージしてみたのだけど…この姿を目にした途端、トーマの目がまん丸になった。
「…あまりジロジロ見ないでくれる?」
「いや…少し短すぎやしないか?
胸元だって開け過ぎだ」
軽蔑の眼差しを向けるかと思いきや。
わざと第3ボタンまで外していたボタンを、トーマは首元まできっちり留めてしまった。
「ちょっ…いいのよ、これくらいの方が。
あなたはともかく、目を引けるんだから」
「しかし、第3ボタンは開け過ぎだろう。
スカートもえらく短いし」
——あなたは私のパパなの?
そう思いながらも、敢えてにっこり笑いかける。
笑いかけられるとは思っていなかったのだろう。
狼狽しつつ目を逸らしたトーマの頬をするりと撫で、見せつけるようにゆっくりと第2ボタンまで外した。
「っ!ミ、サト⁈」
「ホラ行くわよ」
素っ気なく告げ、最後にIDを首から下げる。
勿論エマ・ハミルトン名義、私の顔写真が貼り付けられている代物だ。
そして、なんだかんだ言いながらも、彼もまた変装を終えていた。
黒髪のウィッグをつけ、背まで届く長髪を1つに括っている。
仕立てのいいYシャツを着こなし、パリッとした白衣を纏っている姿は、大病院の医師にだって見えるかもしれない。
「こちらエマ、ただいまより作戦開始します」
「了解、こっちは任せてください」
今回サポートについてくれる新人のアウラの、固さの残る声に思わず笑みが漏れる。
「じゃあ後は頼むわね、ゾロ、フェリシア、それにアウラ」
機材を載せた車から降り、レオンと一緒にパラスアテネへと向かう。
大きなガラス張りのエントランスから堂々と侵入。
金属探知機のゲートも楽々クリアしてIDを警備員に提示する。
「エマ・ハミルトン様とレオン・リグルド様、どうぞお通り下さい」
第1関門はあっけなく突破。
次の関門は重役であるトライン氏に接触、彼のIDを拝借する事。
アズウェルのオフィスのある49階へ向かうには、重役専用のエレベーターを使う以外にない。
そしてそのエレベーターのドアを開けるには、重役のIDが必要なのだ。
この施設に重役と名の付く人物は数名いるが、その中で白羽の矢が立ったのがトラインだ。
彼の行動パターンはこの1ヶ月、みっちり調べさせてもらった。
10時半から11時の間に、休憩室でコーヒーを飲むのが彼の日課。
時間を確かめ、休憩室の前でレオンと立ち話をするふりをしながら彼を待つ。
「ターゲット接近」
タイミングを計りつつ振り向きざまに、ちょうど通りかかったトラインと派手にぶつかった。
「きゃあ!」
せいぜい可愛らしい悲鳴を上げ、大げさに廊下に倒れこむ。
「あ…すまん、大丈夫か?」
助け起こそうと手を差し伸べたトラインの視線が、露わになった太股に釘付けになる。
「すみません、私こそ不注意で…」
その手を借りながら立ち上がった隙に、レオンが何ともいえない複雑な表情を浮かべつつ、しっかりと仕事を果たした。
「本当に申し訳ございませんでした、では失礼します」
ペコリと頭を下げ、踵を返す。
「短いスカートは、そのためか」
そう言うレオンの手には、
すり替えたトラインのIDカード。
「効果、あったでしょ?」
ニッコリと微笑んで見せると、レオンは渋々ながらも頷いた。
「アウラ、今からジャスト10分よ」
「了解、お気をつけて」
アズウェルのオフィスへ直行する館内唯一の2基のエレベーターの前で、拝借したIDをセキュリティシステムに通す。
もちろん本物なので、エレベーターのドアはすんなり開き、そのまま49階へ直行する。
アズウェルの指紋を入手していた私達にとって彼のオフィス、そしてPCへの侵入は困難な物ではなかった。
「問題はここからね」
警備室のシステムに干渉して、トラインのIDを通した瞬間から館内全モニターの映像を、こっちで編集したのに切り替えてある。
それを可能にしたアウラの腕は相当な物だ。
その彼の腕をもってしても、破る事の出来なかったアズウェルのPCのセキュリティ。
しかし外部からの侵入にはガードが固くとも、本体に直接アクセスされる事は想定外だろう。
手早くPCを立ち上げ、目的のファイルを探す。
問題のファイルはすぐに見つかり、データの吸出しにかかった。
「エマ!」
そこへ、緊迫したフェリシアの声。
「警備室の動きが妙よ。
アウラ、氏のオフィスのカメラに問題でも?」
「いえ…待ってください、今原因を」
チラリと時計を確認する。
予定の時間まであと3分ちょっと。
今の所、何も問題はない筈…。
「武装した警備員が多数、そちらに向かうようです。
今重役専用エレベーターに乗り込み、他は階段にて移動を開始してます」
フェリシアの報告にアウラの声が重なった。
「赤外線センサーの表示がオフに…。
すみません、僕のミスです!」
トラインのIDをシステムに通した事も、私達がこの部屋に侵入している事も悟られぬよう、警備システムの干渉しこちらの思い通りに操作していた…筈。
けれど何らかの理由で、本来無人であれば作動している筈の赤外線センサーが、オフになっていたのだ。
怪しまれない訳がない。
「ミスを悔やむよりエレベーターとオフィスのドアをロックして!
どうせ、すぐに破られるでしょうけど時間稼ぎにはなる。
ゾロ、プランBよ、急いで!」
「了解!」
データの吸出しまであと30秒。
終了と同時に部屋を飛び出したとしても、逃げ場はエレベーターしかない。
2基あるとはいえ、1基には恐いお兄さん方が乗り込み大挙してこちらへ向かっているし、もつ1基は間に合わない。
「エマ!」
吸い出したデータを無造作にポケットにしまいつつレオンが、銃を投げてよこした。
「多勢に無勢だな」
「ちゃんと援護してよね、間違っても私に当てないでよ!」
ジャマなメガネを外し、白衣も脱ぎ捨てる。
——ドアの外には、かなりの人数がいるようね。
これは…脱出は相当難しいかも。
早くもドアの焼き切りにかかったらしい。
ここが破られるのも時間の問題だわ。
「破られ次第、閃光弾と一斉射撃でビビらしといて、ここから脱出するわよ」
「ここって…?」
指差したのは、下界を見下ろす強化ガラスの窓。
振り向いたレオンの顔には『コイツおかしくなったのか』と不信の色がありありと浮かんでいる。
「大丈夫、私を信じて」
言い終わるや否や、轟音を立てて焼き切られたドアが倒れ、銃を手にした警備員がなだれ込んできた。
咄嗟にデスクの陰に飛び込み、銃で応戦する。
「321で行くわよ」
「勝算は?」
「デートしてくれたら50%」
書類が散乱し、盾にしているデスクに無数の穴が開き、割れたガラスの破片が降り注ぐ中、彼も腹を括ったのかニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「わかった」
「じゃ3・2・1」
閃光弾を連中の足元に投げ、同時に全弾撃ち尽くす勢いで乱射する。
「行くぞ!」
目が眩むような閃光に、僅かな隙が生じる。
その隙を突いて身を翻し窓からダイブする瞬間、レオンに向かって叫ぶ。
「〇〇!」
落下の風圧を感じたのはほんの一瞬。
あとは耳を劈くような轟音と…。
「って…え?ヘリ?」
ヘリから吊り下げられた網バシゴに腕1本でしがみつき、呆然と呟くレオンに
「任務完了」
と片目を瞑って見せた。