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SPY  作者: 吉野
3/5

潜入捜査〜ミサト〜


周りからどんな目で見られているか、知っている。


【男を手玉にとる悪女】

【奔放な肉体派】


身に覚えが全くないとは言わないけれど…。


それでも自分から声をかけた事も、誘った事もなければ、既婚者かどうかの確認を怠った事もない。

決まった相手のいる男性を奪ってやろうだなんてちっとも思わないし、後腐れのない割り切った関係を楽しむ分には、誰にも迷惑をかけていないと思うのだけど。


にもかかわらず女の敵のように見られ、男の誘いを断らないと思われ。




——本当の私はそんなんじゃないのに。



誰彼構わず大声でそう訴える訳にもいかず、せいぜいその噂を耳にするたび、やんわりと否定するしかなかった。


…親しくなれば、そんな事ないとわかってくれる筈。

そう願って。



そんなある日、任務で組む事になった1人の男性。


警官上がりでお固くて、クソが付くほど生真面目で、でもとびきり優秀で。

そんな彼との出会いが、私の人生を変える事になるとは…その時はまだ思いもしなかった。



「トーマ・ラルカンドだ」


「ミサト・マクダールよ。

よろしく、トーマ」



——なかなか良い男。

そう思い、にっこり微笑んだ私を彼は冷ややかに見つめた。


その眼差しが、彼もまた私の【噂】を知っているのだと、そしてその噂を鵜呑みにしているのだと告げていた。


 *


青薔薇(ブルーローズ)



厄介な組織である事は、軍にいた頃から知っていた。

表向きは宗教団体を装っているし、上層部とも繋がりが深い為、迂闊に手を出す事は出来なかったけれど、裏ではかなり非道な事も行われている組織だった。


最近になって、この組織が得体の知れない新薬の開発と…人体実験を行っている、との情報が得られた。



真偽の程とその目的は、未だ明らかではないが人身売買や誘拐をも平気で行う組織だ。

碌でもない事の為にやっているのは、間違いない。




「ラルカンド捜査官、ブルーローズ主催のパーティへ潜入を命ず。

相棒は…そうだな、今回はマクダールと組め」


「マクダール捜査官…でありますか?」



いかにも不服そうな声に、こちらもムッとする。




——私の事、何も知らないくせに。



「色々と聞こえてはくるがな、あいつは確かに腕が立つ。

特に今回のような潜入捜査において、彼女の右の出る物はいない。

いいな?これは命令だ」


とりなすように告げる上司の言葉に、不承不承と言った様子で頷く彼を、ジトリと睨め付ける。


とはいえ、コンビを組む事になった以上、余計な軋轢を生みたくないのはお互い様。



——ここは私が大人になろう。


そう割り切って微笑んで見せたというのに、彼の眉間にはくっきりと深いシワが刻まれていた。


 *


正式なパーティとあって、タキシードを着こなしたトーマは溜息が出るほど素敵だった。

よく鍛えられた上半身は細身でしなやかで、ヒップはキュッとしまっていて、有り体にいえば、もろ好み。

もちろん黙っていれば、だけど。




——それにしても、なんて魅惑的なヒップ!

触ってみたら、やっぱり怒られるのかしら。


ふらふらと手を伸ばしかけた瞬間、彼が振り向いたので慌てて笑みを貼り付ける。


「…いいか?

打ち合わせ通り、時間になったらシステムの切り替えをする。

その間にキミは情報を抜き取りを。

終了後は速やかに撤収。

各自対応が原則だが…万が一、何かあったら呼べ」



思わず不埒な方向へ傾きかけた意識を、任務へ戻す。

けれど、思いもよらない言葉に開いた口が塞がらなくなってしまった。



『何かあったら、呼べ』


って、それはつまり…?



「…なにか?マクダール捜査官」


「それは助けに来てくれるって事かしら?」



切り捨てられ、見捨てられた事ならある。

けれど、助けに行くと言われたのは…そんなヒーローみたいな事、言ってくれたのは彼が初めてだ。


それなのに、トーマときたらとびっきりの仏頂面で


「男が女を守るのは当然のこと」


なんて答えるものだから…目を白黒させてしまう。




——男が女を“守る”のは当然?

“利用する”のではなく…“守る”?



混乱する私をトーマは訝しげに見つめた。


「だから、何か?」


「……いえ、何でもないわ」




——私の周りにはいなかったタイプなのね。


きっと、善良な人なのだろう。

彼なら…あるいは信じてみても、良いのかも。

まだ人を信じる事は怖い、けど…少なくとも利害の一致している間は。



——とりあえずは、様子見。


そう結論づけた私は、差し出された左腕に右腕を絡め、ゆったりと微笑んだ。



「さぁ、抜かりなく頼むぜ。“エマ・ハミルトン”」


「貴方もね、“レオン・リグルド”」


 *


今回の任務はハウザー氏の私室に侵入し、専用PCから情報を盗み出してくる事。

その為、ありとあらゆる情報を叩き込み、シミュレーションを重ねてきた。



脱出経路は最低3つ。

行動プランも4パターン。


重要な事は疑われない事、正体がバレない事。

そして万が一、バレても捕まらない事。


まぁ、逃げ足には自信があるけれどトーマの方はどうかしらね。

お手並み拝見、といきますか。




パーティーを楽しむフリをしながら警備態勢や監視カメラの位置を再確認していると、珍しくトーマと意見の一致を見た。


そんな細やかな事が意外と嬉しくて、つい調子に乗ってダンスに誘ってしまったけれど。

意外にも彼のリードはとても丁寧で踊りやすかった。




私の役割は大富豪の(トーマ)にぞっこんな婚約者、エマ。


誰の書いたシナリオなのか知らないけど、演じろというのなら演じ切ってみせるわよ。

それが任務だというのなら。


彼もまた、下手くそなシナリオ通り婚約者にベタ惚れの大富豪を演じている。



「綺麗だ、エマ。

どんな宝石も大輪のバラも、キミの前では霞んでしまう」




——はいはい。

頑張った割に、棒読みな台詞をありがとう。


と言うか、普段の仏頂面からは想像もつかない爽やかな笑顔ね。

黙っていれば…そして、微笑んでさえいれば、素敵なのに。


いつも眉間にしわ寄せているわ、名前で呼んだだけなのに嫌そうにするわ。

そんな彼の、どこか胡散臭い笑顔に正直引いてしまう。



「…恥ずかしいわ、レオン。

そんなに見つめないで」


ガチガチのカタブツだと思っていたけれど、あまりにも与えられた役に忠実なものだから。

お返しとばかりに上目遣いに見つめると、彼はグッと息を飲んだ。



「…許しておくれ、ダーリン。

あんまりにも魅力的なキミから、目をそらす事なんてできそうにないんだ」



——相変わらず、歯が浮くような台詞ね。

一体誰のシナリオ…?

まさか、彼のオリジナルかしら?

だとしたら笑える。



お互いに笑顔を貼り付けながらも、相手の出方を探り合い、言葉という刃を交わす。


向けられる笑顔も、歯が浮くような台詞も、全ては演技。

そういう役だから。

…これは任務なのだから。


まぁ、ほぼ初対面の私達だもの。

彼がどんな人間で、何を好んで、何が許せないかなんて、何1つ知らない。

当然、信頼なんてないわよね…まだ。


そう思いながらも、敢えて情熱的に言葉を紡ぎ、ゆっくりと距離を縮めてゆく。


ホールではゆったりとした音楽が演奏され、人々がワルツを楽しんでいた。

その中へ溶け込むように、2人でステップを踏む。



「ずいぶん手慣れてるのね」


貼り付けた笑顔はそのままで、けれどあえて素っ気なく言うと、爽やかな笑顔が微かに陰った。



「私の噂は知っているんでしょう?

だからなの?その背中が痒くなるようなセリフは」


その瞬間、怒りにも似た苛烈な視線をまともに受ける事となる。



「…見くびるなよ、任務のためだ」


辛辣な口調に彼のプライドが垣間見え、迂闊な事を言ってしまったと反省した。


けれど、彼は瞬時に笑顔を取り繕い


「こんなに楽しく踊れるなんて、仕事を忘れてしまいそうだ」


さらに【仕事】だから、と釘を差してきた。




そうこうしているうちに曲調が変わる。

身を寄せ合う周囲に合わせるように、スルリと距離を詰めるとそっと耳打ちする。



「貴方って、噂通りの堅物なのね」


どの程度まで言えば彼が怒るのか、見極めるつもりだった。


「悪いな、甲斐性なしなもんで」


けれどアッサリいなされたので、作戦変更。


「…そんな事言って。

なら、私から口説いても?」


本気ではもちろんない。

あくまで今後の付き合い方を含め、私なりに彼との距離を測るための台詞だった。

のに…。


目を眇め、嫌そうな顔をする彼にやり過ぎたかと、またしても反省した。



その時…。


お遊びの時間が唐突に終わりを告げた。




「じゃあ時計を合わせるか」


インカムにもなっているイヤリングの時刻と、彼の通信機になっている指輪の時刻を合わせる。


「気をつけてな」


「あなたこそ、お願いします」



さり気なく人々の輪から離れ、お互いの持ち場へと向かった。


 *


ほんの一瞬、彼が意図的に起こした停電のお陰で、思っていたより簡単に氏の私室に忍び込む事が出来た。



警報装置も鳴らず、警備員もすっ飛んでこない所を見ると彼の腕はなかなかのようね。


彼のプライベートは知らないけれど、仕事の腕だけは…確かに私も一目置かざるを得なかった。



一応用心しつつ、予め用意していたパスワードでロックを解除。

手早く必要なデータだけを吸い上げる。



…あと120秒。


この瞬間だけは、いつも永遠のように長く感じてしまう。

誰にも気づかれてはいない、その筈なのに。



——早く!


ようやく吸い出しの終わったUSBを胸元に隠し、素早く私室を後にする。



後は、レオンとの待ち合わせ場所に向かってここを出れば、任務完了。


そう思った時…。



「誰だ!」


厳しい誰何の声に、ビクリと体が震える。

コツコツコツと靴音が響き、恐らく私服の警備員であろう男が歩み寄ってきた。



見つかってしまった…。

よりにもよって、こんな時に。


何とか上手くこの場を切り抜けなければ。


迷ったと言って助けを求めようか…。

それとも、いっそ黙らせてしまおうか。


警備員が発見される前に逃げ切ってしまえば…そっちの方が楽かもしれない。


そう思い、拳を握りしめた瞬間。



「…んっ!」


いつの間にこんなすぐ傍にいたのか、まるで気付かなかった。


「なっ、レオ…」


抗議の言葉は熱いキスに遮られる。


「いいから、合わせて」


「こんな所で何をしている!」


彼の逞しい首に両腕を絡めると同時に、容赦なくライトが突きつけられる。



傍目から見れば、物陰に隠れて逢瀬を楽しむ2人に見えなくもない…筈。


「何って、分かるでしょう?

ジャマしないでもらえませんか」


更に身体を密着させるよう抱き寄せられ、あとは奪いつくすようなキスに翻弄される。




——なに、コレ。

こんなキス…知らない。


力の入らない手で必死に縋り付くと、さらに強い力で抱きしめられ…。



そんな私達に呆れた様子でため息をつくと


「申し訳ありませんが、続きは他の場所でお願いいたします」


警備員は移動を見守る態勢に入った。



「…分かったよ」


不承不承という顔をする彼は、ここ1番の迫真の演技だった。


渋々といった風を装いながらもその場を離れ、人気のない庭に出たところでホッと息を吐く。


アッサリと疑いが晴れたのは、運が良かったからか迫真の演技だったせいか。

けれど、あの情熱的な素晴らしいキスが引き金となって、私の中でカチリとスイッチが入った。




——彼の事をもっと知りたい。

あの魅惑のヒップもだけど、彼に触れてみたい。


何だろう、こんな風に誰かに興味を持つなんてすごく久しぶりな気がするわ。



「意外と素敵なキスだったわ。

良かったら続きも、どう?」


だから敬意を表してにっこりと微笑んでみせたのに


「いや、遠慮しとく」


つれない返事をするレオン。

だからといってめげる私ではないのよ。



「あら、そう言わずに。

助けてもらったお礼がしたいのよ」


つつつ、と指先で首筋を撫でると…うん、悪くない反応。


「気持ちだけで十分だ」


口では嫌がっているみたいだけど…ねぇ?

ごまかすよう背を向けるレオンに、追い打ちをかける。


「あら、レオンってば冷たい。

試してみるくらい良いんじゃなくて?」


耳元で甘く挑発してみると、彼の身体がわずかに強張る。



「…気持ちだけ受け取っておく

それよりさっさと撤収するぞ」


その、少しの間。

それが彼の心の揺れ幅と、そういう事かしらね。



「レオンったら可愛い。

私、本気になっちゃったかも」


「バカな事言うな、仕事中だぞ」




——あら、仕事を言い訳にしちゃうなんて。


じゃあ任務完了したら、今度はなんて言うつもりなの?



つい、楽しくなってしまって


「仕事中、じゃなかったら…いいのね?」


と目を細め彼を見上げる。



その問いに、彼は肩を竦める事で返事をしたのだった。


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