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7 国王陛下

「この数字、なに?」

 渚は食堂の前の掲示板に張られた紙を指差した。黄色い目立つ紙に、『Today 0/30 Tomorrow 50/20』とだけ書いてある。一見すると、降水確率のようだが。

「DD大規模襲来の予測だ。今日の午後が30パーセント、明日が午前50の午後20。したがって、本日午後から警戒態勢に入る。COに会ってきた方がいいぞ」

 エリックが勧める。渚は素直に従い、CO執務室をノックした。

 来意を告げると、重光が腰をあげた。

「それでは、防空指揮所を案内しよう」

 防空指揮所は、CO執務室の真向かいにあった。かなり広い部屋だ。畳敷きにしたら、五十枚くらいは敷けそうだ、と渚は見当をつけた。一方の壁には作りつけの長いベンチがある。その右側、壁際は通信区画らしく、いくつかのブースに大小の無線機が設えてあった。廊下側の壁には扉が四つあり、その間に長いカウンターが設けられている。中央部には作戦台だろう、大きなテーブルのような台が置かれている。残る一方の壁際には、移動式の黒板やスライド映写機、ビデオプロジェクターなど、普通の会議室に置かれているような備品がやや乱雑に押し込められていた。

 そこではすでに数名の男女が準備を進めていた。クリップボードに何か書き入れている背の低い初老の東洋人。筒状に巻いた紙を手にした若いハンサムな黒人とひそひそ話をしている赤毛の美人。作戦台に身を乗り出し、メモを見ながら何かを書き写している茶色い巻き毛の男性。通信機の調整に余念がないターバン姿の青年と、隅で配電盤をチェックしているちょっと西田敏行に似た四角い顔の中年の男性。

「ヒルトップ・レーダーがDDの大規模襲来を捉えたと同時に、RQAF全体が戦闘態勢に入る」

 説明しながら、重光が作戦台に歩み寄った。長さが十二、三メートル、横幅が五メートルはある大きな作戦台だった。キャリエス島中部と南部の北三分の一ほどが描かれた大縮尺地図……二万五千分の一くらいか……の上に、厚いガラス板を載せてある。

「すでに、出撃計画は組んである……というよりも、毎回同じだから、パイロットと搭乗機、それに兵装を確認すればいいだけだが。現在のローテーションではグループ1がFベース、グループ2がオームラAB、グループ3が予備となっている。まず、戦闘態勢に移行次第、Fベースのアラート機二機が離陸、DD群と接触しその上空で監視に入る。その間にFベースのグループ1とオームラABのグループ2が離陸。その後、予備機四機が離陸。グループ1はそのままDDと交戦、離脱してFベースに帰投。次いでグループ2が交戦。離脱して帰投。予備機はDD群の左右で、はぐれたDDを狩る。この時点で残存DDが少数ならば、上空監視機と予備機がそれらを片付け、作戦終了となる。まだ充分な数が残っている場合は、Fベースに帰投したグループ1から再武装した機が離陸、順次交戦する。仮にそれでもなおDDが残っている時は、オームラABよりグループ2が再武装して発進、交戦する。そういう段取りだ」

「最近、知的哺乳類に被害が及んだことってあるの?」

「ないな。ここ二十年くらいは、一度もない」

 やや誇らしげに、重光。


 昼食後、渚はサロンに行った。宿舎よりも、防空指揮所に近いからだ。

 どうにも落ち着かなかった。週刊誌を手にとって眺め、それを戻し、時計に眼をやり、サモワール……Fベースにはなかった代物だ……から火傷しそうに熱い紅茶を注ぎ、新聞を手にし、大して興味もない家庭欄などを読み、いつの間にか冷めてしまった紅茶をすすり……。

「落ち着けよ、渚」

 見かねたエリックが、声を掛ける。

「……羨ましいくらいに落ち着いてるわね」

「出撃の予定がないからな」

 フランス語新聞……多分リベラシオン……を読みつつ、エリックがのんびりと答える。

「おそらく今日はこないよ。明日の午前中だな。賭けてもいい」

「乗らないわ」

 渚は憮然としてそう言った。明日午前中の確率は五十パーセントなのだから、分が悪すぎる。

 やがて、長すぎる午後が終わった。やはり、DDはこなかった。

 翌日、朝食を済ませた渚はサロンへと顔を出した。だが、エリックの姿はなかった。ふと思い立って防空指揮所へ向かった渚は、すでにそこに大勢の人員が詰めていることに気付いた。慌てて中へと入る。

「戦闘態勢に入ったんですか?」

 たまたま手近を通りかかったモデルみたいにきれいな長身の黒人女性……氷がたくさん入った水差しを手にしている……に訊く。

「まだよ。でも、COの勘じゃそろそろみたいね」

 ウィンクして、女性。

 渚は作戦台に歩み寄った。真剣な眼差しで長方形のプラスチック片……RQAF機かエレメントを示すものだろう……を並べたり、グリースペンシルでなにやら書き込んだりしている人々の邪魔にならないように気をつけながら、覗く。

「こっちだ、渚」

 エリックの声に、渚は振り返った。手招きされ、しぶしぶ作戦台を離れる。

「DDが来るの?」

「COの野生の勘……と言いたいところだが、長年の経験からの判断だ。今ごろの時期で今日みたいに早朝から快晴の場合は、午前の早い時間に来ることが多いんだ。まず間違いなく、来る」

「COは?」

「あそこだ」

 エリックが指差す。

 重光の姿は、通信区画にあった。ヘッドセットを着け、ブームマイクでどこかと喋っている。周囲のざわめきで、声までは聞き取れなかった。

「まあ、のんびり行こう」

 エリックが、渚をカウンターへといざなった。そこにはすでに、コーヒーポットや電気ポット、ピッチャーの類などが林立していた。

「コーヒーでも飲むか?」

「冷たいものがいいわ」

 渚はおそらくレモネードと思われるピッチャーを取り上げ、グラスに注いだ。立ったままちびちびと飲んでいるうちに、通信区画が慌しくなったことに気付く。

 不意に、ブザーの音が鳴り響いた。

「始まったぞ!」

 エリックが、ブザーの音に負けぬように声を張り上げる。

 人々がどやどやと走り回り、それぞれの配置についた。エリックに導かれて、渚はグラスを手にしたままベンチに腰を下ろした。

 ブザーが止む。騒がしかった防空指揮所は、急に静かになった。無線交信を行う要員の押さえた話し声と、紙が擦れる音、それにグリースペンシルの先がガラス板に当たるかちかちという音くらいしか聞こえない。だが、その静けさもエプロン方面から巻き起こったジェットエンジンの咆哮にかき消されてしまう。

 渚が緊張して見守っていると、重光がヘッドセットを外し、作戦台に歩み寄った。下の方に手を伸ばし、もっと小型軽量のヘッドセットをつかみ出す。コードを繋ぎ、ブームマイクを調節した重光は、渚の姿を見てにこりと笑ってから、まじめな顔に戻ってひとつ咳払いした。

「COだ。状況を説明する」

 エンジンの咆哮に負けぬ力強い声が、天井のスピーカーから降って来る。

「DDの規模はオレンジ。アンガス・エレメントが先行離陸した。グループ1十機、グループ2十二機が離陸準備中。予備機は予定通り四機。CSAR(戦闘捜索救難)も待機中」

「オレンジって……何匹だっけ?」

 渚は小声でそう問うた。

「五百未満二百五十以上」

 簡潔に、エリック。

 やがて、ジェットエンジンの唸りも消えていった。グループ2と予備機が、離陸したのだ。

「アンガス・エレメント接触報告。DD規模は四百」

 静けさを取り戻した防空指揮所に、通信員の報告が響く。

 空になったレモネードのグラスをカウンターに戻した渚は、ベンチに座って状況を見守った。重光と同じようなヘッドセットを着けた二人の女性が、作戦台に置かれた色付きのプラスチック片を動かしてゆく。原始的なようだが、確実な戦況表示兼把握法である。渚はバトル・オブ・ブリテンの際の英空軍管区基地作戦室を写した写真を思い出した。

「グループ1、目標視認。交戦許可を求めています」

「許可する」

 通信員の問いに、重光が即座に許可を与える。

 渚は戦闘の模様を思い描いた。グループ1には、ヴァルヴァラとプラサーンのペア、それにホルヘが加わっている。Su−22の翼下に吊られたUPK−23/250……二十三ミリ双連機関砲GSh−23−Lを収めたガンポッド……が火を吐き、撃ち抜かれたDDが滑空しながら落ちてゆく。プラサーンのF−5が積んでいるのは、SUU−23あたりだろうか。固定武装のM39だけでは、弾薬が足りないだろうし……。

 やがて、兵装を撃ち尽くした各エレメントから空域離脱を告げる報告が続々と舞い込んできた。ショーン・エレメント。レナート・エレメント。マイラ・エレメント。ライナー・エレメント。そして、ヴァルヴァラ・エレメント。

「アンガス・エレメントより報告。残存DDは二百」

 通信員の報告に、重光が唸る。

 ……グループ1は五エレメント十機だったから、一機あたり二十匹撃墜ということになる。渚は立ち上がって、作戦台を覗き込んだ。グループ2を示すプラスチック片は、DD群を示す赤い線の寸前まで迫っている。予備機も所定の位置についたようだ。グループ2は六エレメント十二機だから、計算では再出撃なしでDD群を殲滅できる。

「グループ2、目標視認。交戦許可を求めています」

「許可する。ダヤラム・エレメントおよびグリゴリー・エレメントにも交戦許可を」

 重光が命ずる。

 渚は息を詰めて推移を見守った。DD二百対十二機。さて、計算通りに行くのだろうか。

 やがて、グループ2全機が空域離脱を告げた。すぐさま、アンガス・エレメントから報告が入る。

 ……残存DDを認めず。

 重光がすぐさま予備機のダヤラム・エレメントとグリゴリー・エレメントを呼び出す。こちらからも、DD視認せずとの報告が入る。Fベース、ヒルトップ双方のレーダーも、DDの姿を捉えていなかった。

 重光がアンガス・エレメントに帰還を命ずると、燃料に余裕のあるダヤラム・エレメントとグリゴリー・エレメントに低空および地上の捜索を命じた。レーダーに引っ掛からない低い高度をDDが飛んでいる可能性……これは低い……と、いったん撃ち落したものの再び飛行できる状態のDDがいないかどうか探させたのだ。エリックの解説によれば、通常二千フィート以上の空から叩き落されたDDは、地表に激突して大破するが、上翅の揚力のお陰で滑空できた場合には、生きたまま着陸する場合もかなりあるという。両エレメントは燃料の許す限り捜索を行い、原型を留めたまま地表にいるDDに対し、見つけ次第銃撃を加えてこれを破壊した。

 重光が作戦終了を宣言したのは、アンガス・エレメントとグリゴリー・エレメントがFベース……ぎりぎりまで粘ったので、オームラまで帰る燃料は残らなかった……に着陸したあとだった。

「感想は?」

 ヘッドセットを片付けながら、重光が訊く。

「アルファジェットに乗ったときよりも緊張したわ」

 渚は正直にそう答えた。

「そう難しい仕事じゃない」

 後片付けに入っている男女をそれとなく指し示しながら、重光。

「皆優秀で、自分の仕事を心得ているプロだ。COはそれを調整し、決断を求められた時に適切な判断を下してやるだけでいい。経験さえ積めば、おまえにも務まる」

「まあ……多分ね」


 キャリエス国王が王都に帰還したのは、その翌日だった。

「さあ、国王陛下に謁見だ」

 宿舎に重光が迎えに来る。渚は、自分の姿を見下ろした。いつもの淡いオレンジのカバーオール姿である。

「正装とかしなくていいの?」

「おいおい。ここの知的哺乳類はみんな基本的に裸だぞ。人間の服装なんて、誰も気にしない。ただし、鼻は敏感だからな。気になるようだったら、シャワーは浴びておけ」

 重光が笑いながら言う。渚は肩をすくめると、髪だけ梳かしてから、重光のあとに続いた。

 モータープールで、ニッサン・パトロールに乗り込む。運転手は、鼻面の尖った珍獣バンディクートだった。華麗なハンドルさばきで、簡易舗装の道を下ってゆく。

 ほどなく、パトロールは小さな門の前に止まった。降りる重光に続いた渚は、そこが王宮の裏門であることに気付いた。

「正面から堂々と入れないの?」

「あちらはいわば公式行事用の門だ。通常はこちらが使われる。別に軽んじられているわけじゃない。気にするな」

 渚の小声での問いに、重光も押さえた声で答える。

 門番は二人で、両方とも眠そうな眼をしたカピバラだった。重光が来意を告げると、すぐに門の内側から肢の横縞が美しいオカピが現われた。案内役らしい。

「こちらへ」

 オカピに導かれ、二人は王宮の奥へと入っていった。重光のあとについて歩みながら、渚は視線をあちこちに飛ばしたが、興味深いものは一切発見できなかった。この手の建築物内部にありがちな美術品や装飾の類がいっさい見られなかったのだ。ただ単に、面白くもなんともない板張りの廊下が延々と続くだけ。……王宮というより、古い兵舎を訪れたかのようだ。

 やがて、オカピが広い戸口の前で立ち止まった。

「国王陛下。オークリョアム殿と、そのひ孫嬢をお連れしました」

「うむ」

 重々しい返事が聞こえる。国王はいかなる動物だろうか。その渋い声からすると、象とか犀といった雰囲気である。少なくとも、可愛らしい小動物といったオチではなさそうだ。

「お入りください」

 オカピに言われ、重光が戸口をまたいだ。渚もちょっと緊張しながら続く。

 国王は牛だった。


 部屋の中ほどには、二人のために用意されたのだろう、人間用の椅子がふたつ並べてあった。楽にするがよい、との国王の言葉に従い、重光と渚は並んで腰を下ろした。

 見れば見るほど牛だった。水牛とか野牛とかではなく、ごくありふれた家畜用の牛にしか見えなかった。しかも、よく乳製品のCFに出てくるような、白地に黒ぶちの牛である。……声からすると雄牛らしいので、さすがに牛乳は出ないだろうが。くすんだような紫色のカバーがかかった大きなカウチに、足を組んでうずくまっている。

「よくこられた、ひ孫嬢よ」

 雄牛……国王陛下が、語りかけてくる。

「それで、オークリョアム殿。ひ孫嬢は、地位を継ぐことを承諾してくれたのかな?」

「まだ逡巡があるようです、国王陛下」

 重光が、丁寧な口調で答える。

「無理もない。つい先日まで、このような世界があることすら知らなかったのだからな」

 国王が、言う。口元が、ほころんだように感じたのは目の錯覚だろうか。

「ひ孫嬢殿。詳しくは、オークリョアム殿から聞いておると思うが、われらキャリエスの住民はもはやRQAFなしでは生きては行けぬのだ。ぜひ、オークリョアムの地位を継いで、RQAFを指揮していただきたい。そちはわが臣民ではないゆえ、命ずることは出来ぬ。したがって、懇請する。頼む」

「はあ……」

 渚はくちごもった。牛に頼まれても、というのが本音だった。ここでイエスと言ってしまえば、自分の人生は決まってしまう。RQAFのCOというのも悪い生き方ではないとは思うが……自分の可能性をわずか十七歳で摘んでしまうのはためらわれた。

「申し訳ありませんが、もう少し考えさせてください」

 渚はそう述べるに留めた。

「そうか。では、また後日あらためて返答をいただこう」

 国王が言い、話題を変えて渚に当り障りのない質問を発し始めた。渚はそれに丁寧に答えていった。

 ……なかなか感じのいい牛ね。

 渚はすぐに国王が気に入った。威厳があるにも関わらず、威圧的なところが微塵もない。この牛となら、うまくやっていけそうな気もする。

 会話が二十分ほど続いたところで、先ほどのオカピが静かに入室した。それに気付いた国王が、悲しげに首を振る。

「残念だが、仕事に戻らねばならぬようだ。長い時間引き止めてしまい、済まなく思う」

「こちらこそ、楽しい時間を過ごさせていただきました」

 重光が、頭を下げる。渚も、それに倣った。

「渚殿。そちとの会話は面白かった。また機会があれば、ぜひ会いたいものだ」

 国王が、満足げに尻尾を振る。


「COの意向で、明日の便に乗ってFベースに戻るぞ」

 宿舎にやってきたエリックが、そう告げた。

「わかった。支度しておく。……ちょっと待って」

 返事代わりに軽くうなずいて去りかけたエリックを、渚は呼び止めた。

「何だ?」

「入ってくれない? 話があるの」

「……シュザンヌを裏切る気はないぞ」

 冗談めかして、エリック。

「相談よ。座って」

 渚はエリックを空いている椅子に強引に座らせた。

「ねえ、どうしたらいいと思う?」

「何が?」

「オークリョアムのことよ。事情は知っているでしょう?」

 ユリが丸くなって寝ているベッドの端に座り、渚は問い掛けた。新参者の渚にとって、こちらの世界で相談を持ちかけられるほど親しいと言えるのは、当事者である重光を別とすれば、エリックくらいしかいない。

「まあ、大体の事情は承知しているが……COの後継者になるつもりはないのか?」

「判らない。受けなきゃいけないとは思うんだけど……決められないのよ。だから、相談」

「俺に相談されてもなあ……」

 エリックが、頭をかいた。

「まあ、COに案内役を命じられた身からすれば、受けてもらいたいよ。君は年の割にしっかりしているし、聡明だ。経験さえ積めば、COは務まる。……今のところ、パイロット連中への受けもいいしな」

「本当?」

「ああ。COのひ孫だっていうから、どんな娘が来るかみんな内心ではびくびくしてたんだ。昔の映画に出てくるような白塗りお化け面か、COをそのまま女装させたような不細工か……。君は見事に予想を裏切ってくれたよ」

「お世辞でも嬉しいわ」

 鷹揚な笑みで、渚は応じた。

「まあ、まだ時間はあるんだ。じっくり考えてくれ。あちらの世界に戻って、友人にも相談するといい。もちろん、詳しいことは伏せてな」

「友人か……」

 渚は腕を組んだ。彼女にとって一番信頼できる友人と言ったら、従姉妹の磯部早紀であろうか。シロクマの実兄である写真家の磯部亮平の一人娘。渚よりも年下で、家が近いこともあり姉妹同然の付き合いである。

 ……むしろ、早紀の方が適性がありそうね。

 渚はそう思った。父親の影響で渚も相当の軍事マニアだが、早紀はそれ以上に詳しい。暇な時はシロクマの書庫にこもって資料を漁っていることも珍しくないし、渚もコラムのネタに詰まると早紀にアドバイスを求めることが何度もあった。彼女なら、RQAFの司令職を大喜びで受けるだろう。

「ま、君の人生だ。君が決めるしかない」

 エリックが、うなずきつつ言う。

「あたしの人生ねえ……」

 渚はため息をついた。RQAFのCOというのも、悪くない人生だとは思う。航空機は好きだし、おそらく操縦も気に入るだろう。知的哺乳類もいい人(?)ばかりのようだし、国王陛下も気に入った。RQAFのメンバーも、好きになれそうだ。だが、向こうの世界をいわば『捨てられる』だろうか?

 重光は一年のほとんど……十ヶ月以上……をフィリピン、すなわちこちらの世界で過ごしたはずだ。彼の場合、すでに戦争に行く前に結婚し、息子をもうけている。つまり、しっかりとした基盤を向こうの世界に作ってから、RQAFに参加……というよりも、正確には創設メンバーの一人ではあるが……したのだ。だから、奇妙な二重生活にも耐えられたと同時に、城山の家も守ることが出来たのだろう。……あたしにそんなことができるだろうか? 一年のうち大半をこちらの世界で過ごし、年に何回か夫と子供の待つ家に顔を出す……。

 まず無理だろう。家庭崩壊を招くに決まっている。

 ……子供。

 渚はふと気付いた。オークリョアムの地位が世襲ならば、渚自身も後継者を得るために、出産する義務が生じるのだ。なんてことだろう。まだ地位を継ぐ前から、後継者問題に頭を悩ませねばならぬとは。

「ねえ、あなたはどうしてパイロットになったの?」

 渚はそう問うた。エリックの人生の選択も、ひょっとすると参考になるかもしれない。

「ふん。あまりにありきたりで話すのが恥ずかしいんだが……子供の頃にパトルイユ・ド・フランスのショーを見たんだ。当時はミステールIV−Aを飛ばしてた。それ以来、病み付きさ」

 パトルイユ・ド・フランスはフランス空軍のいわゆるアクロチーム……複数の航空機を使って曲技飛行などを行うデモンストレーション・チーム……である。その技量は世界のベストファイブに確実に入ると言われるほどの有力老舗チームだ。

「あんまり参考にならないわね」

 渚は笑った。世界中には自国空軍のアクロチームにあこがれて空軍に入ったという軍人が溢れている。エリックもその一人に過ぎないのだろう。

「とにかく焦ることはない。もし君がオークリョアム就任を断ったとしても……おそらく国王陛下がなんらかの妙案をひねり出してくれるさ」

 エリックが言う。国王のことを語る口調には、敬意がにじみ出ていた。

「ずいぶんと国王陛下がお気に入りのようね」

「数えるほどしかお目にかかっていないが、立派な牛だよ。彼に会って初めて、ヒンズー教徒の心が判ったね」

 至極まじめな表情で、エリックが言う。


 オームラベースを発した定期便のショート・モデル330シェルパは、定刻どおりにFベースへと到着した。渚は宿舎に荷物を置くと、すぐに見知った顔を探しに出かけた。

「おー、帰ってきたか。王都はどうだった?」

 食堂にいたホルヘが、小瓶ビールを掲げて歓迎の意を表した。向かい側では、プラサーンが同じくビールジョッキを手に赤い顔をしている。

「昼間から飲んでるの?」

 渚は饐えたビールの臭いに顔をしかめた。プラサーンはともかく、ホルヘは相当飲んでいるようだ。

「アラートを終えたばかりなんだ。あと四十八時間は飛ばなくていい。彼女もへばっちまったしな」

「彼女?」

「俺の愛するミラージュ5ちゃんさ。アター9Cがついにいかれちまった。9K50が手に入らないか補給の連中に探させているんだが……無理ならクフィルばりにJ79に換装しちまおうという話も出ている」

「それは……大変ね」

 渚は紅茶を一杯淹れると、空いている椅子に腰掛けた。

 ……この二人は当てにならないかな……。

 オークリョアムを受けるか受けないか。この二人に相談するのはやめておこうと、渚は思った。ホルヘは好人物だが、まじめな話の相談相手としては役不足だろう。プラサーンもあきらかにいい人ではあるが、有益なアドバイスを引き出せるとは思えない。

 とすれば、声を掛ける相手は残る一人。

「ヴァルヴァラは?」

「明日の偵察飛行に勝ったんだ。だから、飲めない」

 ホルヘが、言う。

「勝った?」

「くじ引きですよ」

 プラサーンが、説明した。

「偵察飛行は、ヴォーゲオスのコロニーがうじゃうじゃある地域を飛ぶんでそれなりのリスクはありますが、通常の飛行手当の他に五百ドルボーナスが出るんで、人気がある任務なんです。だから、希望者でくじ引きをする。ぼくも参加したんですが、外れました」

「だから、俺とプラサーンが臨時に組んで、アラートに就いていたのさ。お互い、あぶれ者同士でな」

 ホルヘが言い、瓶ビールを呷った。

「ヴァルヴァラがどこにいるか知らない?」

「たぶん、外でしょう」

 プラサーンが、答えた。

「さっき、ペットを連れて歩いてたから」

「ありがとう」

 渚は立ち上がった。紅茶は二口飲んだだけだった。


 いったん宿舎に戻ってユリを連れ出した渚は、見かけた知的哺乳類に片端から声をかけ、ヴァルヴァラの居場所を尋ねた。四匹目に訊いたミーアキャットから、駐車場の近くで見かけたとの情報を得て、足早にそちらへと向かう。

 いた。

 灰緑色のカバーが掛けられたRh−202の台座にもたれかかるように座っている、赤いカバーオールの人物。金色の髪。

「ヴァーリャ!」

 呼びかけられて、慌てて振り返るその顔は、間違いなくヴァルヴァラだった。渚を認めてぱっと笑顔がはじける。

「お帰り、渚」

 立ち上がったヴァルヴァラが、駆け寄る渚の肩にしがみついているユリに気付いた。

「買ったのね。名前は?」

「ユリ。女の子よ。あなたの仔は?」

「スィレブロー!」

 ヴァルヴァラが呼ばわる。すぐに、一匹のミャーシェが駆け寄ってきた。毛色はごく薄いグレイで、尻尾の先だけが黒い。ヴァルヴァラの身体を駆け上り、定位置の肩に座る。

「落ち着いて話がしたいの。いい?」

「かまわないわよ」


 渚は洗いざらいをヴァルヴァラにぶちまけた。

「弱ったねえ」

 ヴァルヴァラが、指で頬を掻いた。

「相談を持ちかけてくれたのは嬉しいけど、こういうのって、苦手なのよね」

「ヴァーリャって、結婚してるの?」

「まさか。独り身よ」

「家庭とか、持ちたい?」

「こういう商売している限り、無理だと思う」

「将来どうするつもりなの? 永遠にパイロット稼業を続けられるわけじゃないでしょ?」

「ずいぶんと、立ち入ったことを訊くのね」

 笑顔で、ヴァルヴァラ。

「ごめんなさい」

 渚は素直に謝った。

「まあ、RQAFにいるのは、飛ぶのが好きだからだし、身体がもつ限りは飛びつづけたいわ。そうねえ、だいぶお金も溜まったし、いずれ引退するしかないわね。ロシアに戻って、いい男でも見つけて両親と一緒に暮らすか、それともRQAFで地上勤務を続けるか……悩むところね」

「ご両親には、どう言ってあるの?」

 渚に問われ、ヴァルヴァラがくすくすと笑った。

「偽装身分のこと? 日本の企業と契約した会社の社員として、シベリアで貨物ヘリコプターを飛ばしていることになってるわ。両親に作り話をするために、日本語もちょっと勉強したのよ。便乗した日本人の重役に教えてもらったとか言ってね」

「ふうん」

 不意に、ユリとスィレブローが茂みの中から飛び出した。二匹とも、ピンポン球くらいのオレンジ色の塊を前脚と顎で挟むようにして支え持っている。

「お、ご馳走を見つけたね」

 ヴァルヴァラが、二匹に声を掛けた。二本足で立ったスィレブローが、ヴァルヴァラに塊を見せつけるように振っている。ユリも、それを真似し始めた。

「判った判った。お食べ」

 ヴァルヴァラの言葉を理解したのか、スィレブローが塊を地面に置き、食べ始めた。ユリが、それを物欲しげに眺める。

「ほら、許可を与えてやりなさい」

「え?」

「この仔たちは、大好物の虫の卵を見つけたのよ。だから、飼い主に自慢したいの。食べていいと言ってやらないと、いつまでも自慢してるわよ」

「……鼠を咥えてくる猫みたいなものね。いいわ、ユリ。食べなさい」

 即座にユリが塊を落とし、かぶりついた。半透明の黄色い液が、卵からわずかに飛び散る。

「……本当に食事シーンはグロいわね」

 仲良く並んで食事する二匹を眺めながら、渚はため息をついた。

「で、さっきの相談だけど」

 真顔に戻ったヴァルヴァラが、渚の顔を見つめた。

「わたしとしては、あなたに残って欲しいの。勝手な言い方かも知れないけど、あなたのことが気に入ったから。でもそれは判断材料にしないでね。結局あなたが決めること。自分で考え抜いた決断ならば、もし裏目に出たとしても後悔はしないでしょ?」

 ……そうだよね。

「判った。ありがとう」

「どういたしまして」

 ヴァルヴァラが答える。発音はちょっとおかしかったが、紛れもない日本語だった。


 ユリの食事シーンを見て、不覚にも空腹を覚えた渚は、軽食でも取ろうと再び食堂を訪れた。

「おう、いいところに来た。プラサーンが帰っちまって、暇してたんだ」

 ホルヘが、渚を手招く。……口調からするとかなり酔いが回っているようだ。

「適当なところで切り上げたらどう、少佐殿」

 半ば呆れて、渚はそう声を掛けた。

「ブラジル人ってのは、コーヒーを飲みすぎてるからな。ビールで中和させなきゃ長生きできないんだ」

 無茶苦茶なことを言いつつ、ホルヘが瓶ビールを一口呷る。

「で、お嬢さん。なんか悩み事があるそうだな」

「早耳ね」

「さっきエリックが、そんなこと言ってた」

 ……余計なことを。

「せっかくだから、俺からひとつアドバイスをさせてもらう」

「傾聴しましょう」

「唐突だが、かつらメーカーってのは、ハゲの味方だと思うか?」

「そりゃそうでしょう」

「みんなそう思ってる。世界中の薄毛に悩む者の味方。幸福を呼ぶ被り物。だが、真実はそうじゃない、とリカルド叔父さんは主張していた」

「叔父や叔母が多いのね」

 渚の突っ込みを無視し、ホルヘが続ける。

「その逆なんだ。鬘メーカーはハゲの敵だ。奴らがハゲはみっともない、恥ずかしい、女に嫌われると言い立てるから、みな金を払って鬘を購入し、ハゲを隠す。そうじゃない、ハゲはすばらしい、恥じることもない、女……には嫌われるかもしれないが、とにかく隠すべきものではないという真実にすべてのハゲが目覚めたとするとどうなるか。年齢を重ねてハゲるのは、乳歯が抜けたり陰毛が生えたり声変わりするのと同じだと気付けばどうなるか。すべてのハゲが幸福になれるだろう。鬘なんぞに金を使う必要もなくなる。そう、鬘メーカーはすべてのハゲの敵なんだ」

「……おもしろい考え方をする人ね、リカルド叔父さんて」

「ああ。いい叔父だった」

「で、この話のどこが、あたしへのアドバイスなの?」

「ハゲたから鬘を買う、ってのは、いわば正攻法の解決だ。だが、リカルド叔父さんみたいに、こんな思想をもって堂々とハゲた頭を他人に見せびらかす解決方法もある、と言うことだ。悩んだら、全く別の方向からアプローチする。それも、いいやり方だぞ」

 ……見た目より、酔ってないのかも知れない。

「ありがとう。参考に……なったわ」

 ……別の方向からのアプローチか。

 ホルヘのテーブルを離れ、野菜サンドイッチとフルーツジュースという軽食を採りながら、渚は彼の指摘をじっくりと考えてみた。オークリョアムと言う地位があるのは、RQAFがDDと戦っているからである。もし……RQAFがなければ、COも存在せず、渚がオークリョアムになる必要もない。

 ……DDがいなくなれば、RQAFも必要ない。

 アイデアとしては魅力的である。爆撃すれば、ヴォーゲオスは殲滅できる。だが、国王陛下……あの心優しき牛はBVの殺戮を認めない。DDだけを選択的に全滅させる方法はないものだろうか。おそらくDDとBVは遺伝子レベルで差異がみられるだろうから、そこを見極めて作用する生物兵器があれば……って、そんな技術も金もRQAFにはありはしない。まさに夢物語である。BVの遺伝子をいじって、DDを産ませないようにするとうのも、これまたナンセンスな案だ。BVの生態すら、詳しいことは謎に包まれているのだから。

 ……やっぱ、無理か。

 渚はグレープフルーツジュースのお代わりを注いだ。


「さて」

 シャワーを浴びた渚はジャスレイン……ドクター・ゲラの助手を務めるウサギ……から貸してもらった百年前の大陸探検隊の記録を手に、ベッドに寝転がった。

 英文であるので、さすがにすべてを詳しく読むだけの気力はない。渚はすでに数日前から飛ばし読みして、参考になりそうな箇所にだけポスト・イットを貼り付けておいた。今日は、そこを精読するつもりである。

 ジャスレインが言ったとおり、ヴォーゲオスに関する記述はごく少なかった。コロニーを発見し、BV……もちろん当時この名称は使われていなかったが……と思われるいくつかの個体を観察した記録が一ページ分ほど。偶然見つけたBVの死体に関する所見……残念ながら解剖しようと言い出した者はいなかった……が少々。それに、おそらくDDのことを見間違えたと思われる『飛行するBV』の目撃談がひとつ。

「うーん」

 メモを取りつつ、渚は唸った。飛ばし読みした限りでは、どこにもヴォーゲオスのコロニーが数多く見つかったと言う記録がないのだ。もしヴォーゲオスの繁殖力が、従来知られているように旺盛であるならば、キャリエス島北部と同じように、大陸もコロニーだらけでなければおかしい。しかも、大陸では他の大型の動物が多数観察されている。

 なぜ大陸ではヴォーゲオスが大繁殖せず、キャリエス島では他の大型動物を駆逐するほど大繁殖してしまったのか?

 餌だろうか。探検隊の記録には植物に関するものも多いが、植生についてはキャリエス島と際立った違いは見られない。むしろ、よく似ていると言ってもいい。南部に森林地帯があり、その北側に草原が広がっているところなどそっくりだ。草自体が異なっており、大陸では大繁殖を阻害……たとえば、栄養障害を引き起こすとか……している可能性もありそうな気がする。

 あるいは気候だろうか。記録では、大陸の気温はあきらかにキャリエス島よりも低い。雪に関する記述も見られるほどだ。キャリエス島には、降雪の記録はないらしい。聞いた話では、もともとこの惑星自体が地球よりも寒冷らしく、キャリエス島は北半球の低緯度にあるにも関わらず、夏季でも摂氏二十五度を越えることはめったにないという。おそらくは海流の影響だろうが、冬でも気温が十五度を下回ることはほとんどないそうだ。大陸では寒さゆえに、毎年大多数のヴォーゲオスが死に、ごく一部だけが生き延びで新たなコロニーを作るなどと考えれば、大繁殖できない理由となる。

 ひょっとすると、天敵だろうか。探検隊の記録には、ヴォーゲオスを捕食できるほどの大きな生物に関する記述はない。しかし、もっと小さな生物が、ヴォーゲオスを蝕む可能性も否定できない。

 それとも、ヴォーゲオスの大繁殖地は大陸の奥地にあり、ただ単に沿岸部を探査しただけの探検隊が、多くのコロニーを眼にしなかったということなのだろうか。

「これ以上は無理か……」

 渚は紙束を閉じた。調べれば調べるほど、ヴォーゲオスというのは謎の生物である。そして生物である以上、詳しく調べるには飼育か継続しての観察、それが無理ならば解剖でもしない限り、その生態を知ることはできないだろう。


第七話をお届けします。お待たせいたしました。次話より事態は急展開となります。 用語解説 バトル・オブ・ブリテン/1940年後半に行われたドイツ空軍の主としてイングランド南部に対する一連の攻撃とイギリス空軍による防戦 SUU−23/GAU−4 20ミリガトリング機関砲を内蔵したアメリカ製ガンポッド M39/アメリカ製20ミリ リボルバーカノン ショート・モデル330シェルパ/イギリス製双発ターボプロップ機。三十席クラス アター9C/フランス製ターボジェットエンジン。推力9500ポンドクラス アター9K50/9Cの改良型。推力11000ポンドクラス クフィル/イスラエル製超音速戦闘攻撃機。ミラージュIIIがベースとなっているが、単なるコピー機ではない J79/アメリカ製ターボジェットエンジン。推力12000ポンドクラス Rh−202/ラインメタル社の20ミリ機関砲。対空機関砲の場合は通常連装銃架に搭載されて運用される

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