4 多国籍パーティ
部屋に戻ると、新しい服が届けられていた。……今着ているのと変わらないカバーロールと、下着のセットだ。渚はさっそくシャワーを浴びると、着替えた。
すっかり時間の感覚を失っている渚だったが、時計を見ると十八時まではまだ三時間ばかりの間がある。ベース内の見学でもしようかと考えていると、ドアにノックがあった。
開けてみると、予想通りエリックが立っていた。
「入ってもいいか?」
「どうぞ」
断る理由もないので、渚はあっさりと招じ入れた。エリックが、ドアを開け放したまま入ってくる。
「まずは俺の恋人を紹介しておこう」
いたずらっぽい笑みを浮かべて、エリック。
「恋人?」
「サビーヌ。来い」
エリックが、戸口に向かってそっと呼びかける。
四本の短い脚をちょこちょこと動かしながら現われたのは、なんとも可愛らしい小動物だった。大きさも形もフェレットによく似た細長く、しなやかな生き物だ。毛色はレモンのような鮮やかな黄色で、腹のほうは白い。ただし尻尾はフェレットのそれよりも長く、体長と同じくらいある。頭部はフェレットよりももっと平らで小さく、首も長いので、イイズナの方に近いかも知れない。
フェレットもどきはエリックに近づくと、おもむろにその身体をよじ登り始めた。グエが載っていない方の肩に器用に座り込み、小さな鼻をひくつかせて渚を凝視する。
「……あー、始めまして」
相手が知的哺乳類である場合を考慮して、渚はとりあえず挨拶した。見た目はどう考えてもペットだが、エリックが恋人だと言った以上、ぞんざいな扱いは危険である。この世界、見た目だけで物事を判断するとひどい眼にあいかねない。
エリックが、笑った。
「こいつは知的哺乳類じゃないよ。頭はいいが、単なるペットだ」
「やっぱり」
「ほら、サビーヌ。渚に遊んでもらえ」
エリックが言うと、いきなりサビーヌがジャンプした。避ける間もなく、渚の肩に飛び移る。
それから十分ほど、サビーヌは渚の身体をよじ登ったり滑り降りたり、あちこちを舐めたり甘噛みしたりして遊びまくった。毛は細かくしなやかで、その手触りはミンクを思わせた。不快な体臭もない。
「気に入ったか?」
エリックが問う。渚はサビーヌを横抱きしながらうなずいた。友人が飼っているフェレットと遊んだことはあるが、こちらの方が断然頭がよく、表情も豊かだ。
「ミャーシェと呼ばれている生き物だ。どう見ても、イタチの仲間だろうな。人気のあるペットだよ。ヴァルヴァラや、プラサーンも飼ってる。王都に行ったら、買うといい。十ドルくらいで買える」
「ドルが通用するの?」
渚は驚いた。
「正式に流通しているわけじゃないが、ベース周辺と王都くらいなら、USドルを受け取ってもらえる」
「十ドルって……安すぎない?」
「ありふれた動物だからな。ミャーシェはこの辺りにはいないが、南部の森林地帯に行けばこいつの仲間が何万匹も暮らしてる」
何万匹、というエリックの説明に、渚の商売っ気が刺激された。
「……大量に捕獲してペットショップに売れば……」
「誰しもそう思うんだがな。だが、国王はこの地の動植物を地球へ持ち出すことを固く禁じている。生態系を汚染したくないんだな」
「へえ。先進的な考えの持ち主なのね」
渚は素直に感心した。
「飼う場合の注意だが……朝晩は必ず外に出してやること。糞はその時に勝手にしてくるから、猫みたいにトイレを作ってやる必要はない。問題は……餌だ」
「……グルメなの?」
渚は家で飼っている『マンタ』を思い起こした。シロクマが甘やかしすぎたせいで、今では安物の猫缶には見向きもしないわがままなグルメ猫に育ってしまった。
「その逆だ。ゲテモノ好きなんだ」
エリックが、首を振る。
「まあ、食堂の茹で肉あたりも食べることは食べるが、好物は生きている昆虫だ。排泄がてらの散歩の時に、そこらの野原やブッシュに連れて行ってやれば、自分で勝手に虫を捕まえて喰う。一番の好物は虫の卵とかだな。可愛い顔して、食事シーンは結構グロい。ミミズとか嬉しそうに頬張っている姿、想像できるか?」
「……ちょっとできない」
渚はFベース内の見学で時間を潰した。
様々な知的哺乳類が、そこかしこで働いていた。レッサーパンダがゴミを片付け、体高一メートル半程度のアフリカゾウが鼻にスパナをつかんで、タトラの六輪トラックの整備をしている。ひょいと覗き込んだファイルキャビネットの並ぶ事務室では、素晴らしい速さでタイプを打つスカンクの横で、トナカイがなにやら深刻そうな表情で特大の電卓を叩いていた。
少し疲労……主に精神的なものだ……を覚えた渚は、お茶でも貰おうと食堂へと向かった。その途中で、サロンのような部屋にエリックがいるのを見つける。コーヒーメーカーが置いてあるから、ここでもお茶くらい飲めそうだ。渚は入ってみた。
結構広い部屋だった。ソファーが大小十脚ばかり。コーヒーテーブルがいくつか。腰高のカウンターの上には、電気ポットやコーヒーメーカーなどが並んでいる。隅には大きな冷蔵庫。一方の壁際には、フラットな大型液晶テレビ。その右側の壁は全て作り付けの本棚のようになっており、かなりの数の書籍と雑誌、それに積み重ねられた新聞が置かれていた。
「なにしてたの?」
渚の問いに、エリックが手にしていたタブロイド紙を掲げて見せた。
「メトロ。一週間分がまとめて届く。十日くらい遅れてね」
「……娯楽に関しては、ちょっと不便ね」
「まあな。もし退屈なら、日本語の新聞や雑誌もあるぞ」
「ここに日本人もいるの?」
「ああ。整備に男が二人、管理部にも一人いる。オームラにはもっと大勢いる。パイロットは一人だけだ。グループ3に、タカノリって元日本空軍のF−4乗りがいる」
渚は苦笑した。セルフ・ディフェンスなどと間に挟んでも、外国人にエアフォースはエアフォースとしか認識されないのだ。
興味を覚えた渚は、本棚に歩み寄ってみた。日本語の新聞は三つだけで、しかもひとつは『東スポ』だった。雑誌は週刊誌が『少年ジャンプ』を含む四誌に、月刊誌が三誌。うちひとつは渚がコラムを書いている『航空マガジン』だった。
「暇だったらホルヘに相談しろ。あいつは充実したDVDコレクションを持ってるから。今度のローテーションでも何枚か持ってきてるはずだ」
背後から、エリックが声を掛けてくる。
「ローテーション?」
「RQAFでは、その全航空戦力を三つのグループに分けて管理している。通常、ひとつがFベースで即応態勢につき、もうひとつがオームラベースで待機、もうひとつは集中整備兼予備となる。DDの不定期襲来の場合は、Fベースからの出撃のみで対応する。定期大規模襲来の際には、オームラベースの機体も全力出撃し、場合によっては予備機も投入する。パイロットは、自分のグループが集中整備に入った場合のみ休暇を許される。地球へ戻るのは、その時だ。もっとも、オームラベースにいればそれだけで予備パイロット手当がつくから、帰る奴はそれほど多くないがね」
「ふうん」
渚はここへ来た理由を思い出して、カウンターへと歩み寄った。冷蔵庫を見て気が変わり、開けてみる。中には冷却効率が悪くなりそうなくらいの量のソフトドリンクの瓶と缶、それにミネラルウォーターのペットボトルと瓶が詰まっていた。ちょっと思案してから、渚はペリエの瓶を取り出した。
「ねえ、XOって、どんな人なの?」
グラスによく冷えたペリエを注ぎつつ、訊く。
「名前はジェレミー・ボーマン。元USAF中佐だ。ベトナムで二期に渡りF−4を飛ばしてた。前席でMiG−17を一機墜としたことがあるそうだ。退役してから、RQAFに入った。いい男だよ。俺は気に入ってる」
「どうやってRQAFに入ったの?」
「詳しくは知らん」
エリックが、ゆっくりと首を振る。
「じゃあ、あなたはどうやって入ったの?」
「知り合いに誘われたんだ。いい金になるし、リスクの少ない傭兵の仕事があるとね。金に困っていたわけじゃなかったが、わがフランス空軍も冷戦後の規模縮小の真っ最中でね。出世の道を選ぶとすれば、地上勤務にまわるしかなかった。民間航空への転職も、中尉風情ではすぐにエールフランスでA340を飛ばすというわけにはいかない。そんなこんなで、気がついたらDDどもを叩き落していたというわけさ」
「その知り合いの人はどうやってRQAFに入ったの? まさか、求人情報誌に募集広告を載せるわけには行かないでしょ? どうやって、これだけの人々を集められたのかしら」
「新入りの募集は、RQAF管理部の仕事だ」
説明口調になって、エリック。
「管理部は、世界のあちこちにダミー会社やオフィスを持っている。物資の買い付けも、そこが行っている。機材、補修部品、エンジン、タイヤ、弾薬、燃料、その他諸々。そこのスタッフが、状況に応じてパイロットや整備員、技術者などを雇うんだ。俺も、形式上はブリュッセルに本社のあるダミー企業の契約社員ということになっている。給与は、そこを経由して俺の口座に振り込まれているわけさ。表向き俺は、サウジアラビアで複数の原油採掘会社と契約して、不定期にファルコン900を飛ばしていることになっている。仮に、女房が会社に電話したとしても……」
「奥さんいるの!」
渚の激しい突っ込みに、エリックが眉をしかめる。
「何だ。俺が女房持ちじゃおかしいのか?」
「いえ、そうじゃないけど……」
もちろん思い込みに過ぎないのだが、なんとなくエリックは独身のような気がしていたのだ。渚は戸惑いを隠せないままに話題を変えた。
「じゃあ、RQAFを維持する資金はどこが調達してるの?」
何十人ものパイロットと、その数倍におよぶ整備要員や技術者の給与だけで、おそらく月に何十万ドルにも上るだろう。軍用ジェット機自体が、新品ならば安いものでも一千万ドル前後、高いものであれば三千万ドル以上する。むろん、保守整備のコストや消耗品の購入費も馬鹿にならないはずだ。その上、あちこちのダミー会社やオフィスを維持する経費が加わるとすれば……RQAFの総経費は中堅国家の空軍関係予算と大して変わらないだろう。
「実は、キャリエス島は鉱物資源に恵まれているんだ」
急に声を潜めて、エリック。
「国王は、あちこちに鉱山を持ってる。掘ってるのは、モグラたちだがな」
「モグラって……ああ、モグラ科も哺乳類だっけ」
「密かに産出物を売却して、ドルやユーロを得ているんだそうだ。アントワープやアムステルダムにオフィスがあるのは、伊達じゃない」
「はあ」
渚は半ば呆れてため息をついた。
「でも、そんなに手広くやっているのに、なぜこの世界のことがばれないのかしら?」
「……パンダが料理作ったりカンガルーがジェットエンジンをいじったりしている世界で、巨大な昆虫相手に戦争しているなんて言って、誰が信じると思う? 強制入院させられるのがおちだ。それに、守秘義務に関しては厳しい罰則規定があるからな」
「どんな?」
「国王の命により、死刑だ。大きな声じゃ言えないが、あの宮廷付き猫どもの中にはとんでもない技を使う奴がいるらしい。まあ、逆らわんほうが身のためだな」
真剣な表情で、エリック。
遅まきながら、渚は気付いた。なんともユーモラスな知的哺乳類たちの姿から、一見すると単なるファンタジックなところにしか思えないキャリエス王国も、実は恒常的に外冦にさらされている戦時封建国家だということに。
「ねえ、RQAFのトップって、誰なの?」
渚はそう訊いてみた。
「COだ」
「あたしをここへ呼んだのはCOの命令なの?」
「まあ、そういうことになるな」
エリックが、歯切れ悪く答える。
「COは誰なの?」
「明日、定期便でオームラに君を連れてゆく予定だ。そうしたら、会わせてやるよ」
「ひょっとして、COはあたしの身内?」
渚はそう訊ねた。もしそうだとすれば、服のサイズや靴のサイズが知られていたことの説明がつく。
「否定はできないな」
……シロクマか。
渚は確信した。傭兵空軍を束ねられる人物など、渚の身内には他にいない。母の利美は装輪APCを指して『戦車』と呼んでしまうほどの軍事音痴。祖父の和典はまじめな元銀行員だし、曽祖父の重光は元海軍航空隊の中尉だったが、すでに六年前に他界している。シロクマの実兄である写真家の亮平でも、無理だろう。そう、すべてはシロクマの差し金だったのだ。どうやってかは知らないが、渚の父はこんなふざけた世界で密かに傭兵空軍を指揮していたらしい。
……でも、それならなぜ手紙を出したりしたのだろう? ひとつ屋根の下に暮らしていたのだから、話せば済むことだろうに。
渚は首をひねったが、答えを導き出すことはできなかった。
Fベースのバーは、厨房を挟んで食堂の反対側にあった。
「空いてるわね。時間が早いせいかしら」
エリックと並んで戸口をくぐった渚は、ざっと室内を眺め渡した。カウンター席が八、四人掛けのテーブルが四つほどのささやかなバーだ。奥にはビリヤード台が置かれ、壁には定番どおりダーツが掛けてある。その両側にある、勝手に張られたと思しき写真やイラストの数は、ざっと百はあろうか。ほとんどが、各種の航空機を写したか描いたものだ。隅の方には、頻繁に利用されているとは思えぬカラオケのセットもあった。
埋まっている席はカウンターのスツールふたつだけで、南アジアっぽい褐色の肌の男性と、がっちりとした体つきの黒髪の白人女性が並んで座っていた。カウンターの奥では、バーテンらしい巨大ゴールデンハムスターが、手持ち無沙汰にグラスを磨いている。
「よう、サラップ。マイラ」
エリックが、カウンターの二人に挨拶する。渚も一応お辞儀をしておいた。だが、返ってきたのはそっけないうなずきだけだった。
「二人ともパイロットだ。午前中のアラートだったから、ブリーフィングには出てなかったがな」
カウンターから最も離れたテーブルに座りながら、エリックが言う。
ほどなく、プラサーンがにこやかに現われた。
「何を飲みます、お嬢さん」
渚はミネラルウォーターを頼んだ。プラサーンはエリックには何も尋ねずに歩み去り、すぐにグラスひとつとペットボトル、それに冷たいビールの入ったジョッキふたつを持ってきた。……エリックとは飲み慣れているらしい。
続いてやってきたヴァルヴァラは、自分で赤ワインのボトルとグラスをハムスターから受け取ってきた。腕時計に目を落とし、言う。
「一分前。見ててごらんなさい。一秒と遅れずに、ホルヘが来るから」
ヴァルヴァラの言った通り、すぐにホルヘは現われた。きびきびとした足取りでカウンターに歩み寄り、緑色の瓶ビールを受け取ってから渚たちのテーブルに歩み寄る。
「では諸君、始めようか。僭越ながらこのホルヘ・シモン・フィゲイラ元ブラジル空軍少佐が、上官風を吹かせて乾杯の音頭を取らせてもらう。ナギサ・シロヤマの初出撃とその無事生還を祝って……乾杯」
「乾杯」
全員が唱和する。渚はミネラルウォーターのグラスをぐいと傾けた。……水とは思えぬほど、旨かった。
雑多なつまみが、テーブルに並んだ。プレッツェル、茹でソーセージ、春巻、レバーペースト、缶詰ものらしいオイル漬けの鯖、ディップ付きのチキンカレー、ナッツ類、それに海老の天ぷら……。多国籍もいいところである。
「ホルヘさんって、少佐殿だったんですか」
「……そんなに貫禄ないか、俺って」
渚の言葉に、ホルヘがしょげ返ったふりをする。……ビールは早くも二本目である。
「いえ、お若く見えるから……」
「単に童顔なだけだ」
エリックが、渚のフォローをひと言で打ち砕く。
「……言っとくが、ホルヘと俺は同い年だぞ」
「はあ」
渚は二人を見比べたい衝動をこらえた。とても同年齢には見えない。
「えーと、ホルヘさんは、どうしてRQAFに入ったんですか?」
「話してやりなさいよ」
くすくすと笑いながら、ヴァルヴァラ。
「あー、アナポリス基地にいたときの話だ。ある晩酔ってベクトラを転がしてたら、横合いから飛び出してきたミッレにぶつけちまった。相手の御婦人は軽傷。ところがこいつが陸軍少将の奥方だった。結局、除隊になる前に自発的に辞表を提出したよ。ブッシュパイロットにでも転職しようかと思ってたところに、RQAFのスタッフが現われた。飛びついたね」
茶化して語ったホルヘだったが、言葉の端々には無念さがにじみ出ていた。
「ヴァルヴァラさんは、どうやってRQAFへ?」
「ヴァーリャと呼んで、渚」
「ではヴァーリャはどうして?」
「彼女はコスモナフト(宇宙飛行士)崩れさ」
にやにやして、エリック。
「……冷戦が続いていれば、今ごろブランに乗って宇宙へ行っていたかも知れない逸材だったんだ」
「逸材だったかは別として、宇宙飛行士崩れというのは本当よ」
ワインをすすりつつ、ヴァルヴァラが言う。
「RASA(ロシア航空宇宙庁)やその前身のRSA(ロシア宇宙庁)が設立される前に宇宙飛行士になりたかったら、科学者としての研鑚を収めつつ空軍で操縦を学ぶのが一番の近道だったの。だから大学で機械工学を主に学び、生物学と医学を少し齧ってから空軍に入って、ウィングマークを得てから宇宙飛行士プログラムに参加を希望したわ。ところが冷戦構造崩壊で有人宇宙ミッションは激減。それどころか、軍縮でパイロットに対する需要もめっきり減ってしまった。ただでさえパイロットが余り気味の時に、女性を残しておいてくれるほどロシア空軍は甘くなかったのよ」
「テレシコワやサビツカヤを夢見ていたら、リトヴァクになっちまったということさ」
ホルヘが混ぜ返す。
「プラサーンさんは?」
「眼を悪くしました。スラターニ基地でF−5を飛ばしていましたが、どうしても視力が維持できなくて。今は、度の強いコンタクトレンズをして飛んでいます。裸眼視力が悪すぎて、空軍の規定では地上勤務に回されるしかなかった。でも、飛びたかったんです。だから、RQAFのスタッフの誘いに応じました」
タイ人青年は、淡々と語った。
「結構みんな訳ありなんだよ……というか、訳ありの人間でなきゃこんなふざけた世界で働いてないって」
ホルヘが自嘲気味に言う。
「よかったら、ヴォーゲオスについてもっと聞かせてくれない?」
座がしんみりしてしまったことを悟った渚は、ことさら明るい声で話題を変えた。
「俺たちの、飯の種だ」
そう言ったのは、ホルヘ。
「ちゃんと説明してないの?」
ほんのりと眼の下をばら色に染めたヴァルヴァラが、エリックを睨む。
「時間もなかったしな。いずれにしろ、明日オームラに行く。そのときドクター・ゲラに聞けばいい」
「じゃあ、予習しておきましょう。ちょっと待っててね」
言い置いて、ヴァルヴァラが立ち上がる。
「ドクター・ゲラって、どなたですか?」
足早にバーを出てゆくヴァルヴァラの背中を眺めながら、渚は訊いた。……なんだか、名前から想像すると怪しい改造人間とか造っていそうだ。
「オームラABにいる軍医だ。ヴォーゲオスに関する研究は先代の軍医が趣味でやっていたから、その資料を受け継いでいる。明日暇があったら、案内してやるよ」
空のジョッキを手に立ち上がりながら、エリックが言う。
ほどなく戻ってきたヴァルヴァラは、大きな書類フォルダを手にしていた。ワインを一口呷ってから、大判のモノクロ写真を一枚取り出す。
渚は写真を凝視した。対象物がないのでスケールはよく判らないが、空から地上を写したもののようだ。濃いグレイに見えるだだっ広い平原の中に、薄いグレイの大きな円がひとつあり、その周りを五つの小さな円……うちふたつはかなりいびつな円……が取り巻いている。
「なんに見える?」
「……ミステリーサークル」
渚の答えに、ホルヘとエリックが同時に吹き出した。
「残念。ヴォーゲオスのコロニーよ。これが、アップ」
もう一枚、写真が出てくる。叢が点在する地面の上に、DDと似てはいるが微妙に異なる生物が何匹も写っている。
「これがBVよ。ベオストなんとか・ヴォーゲオスの略。意味は労働するヴォーゲオス。こいつらはDDと違って飛べないし、おそらくそれほど凶暴じゃない。大きさも一回り小さく、体色もやや薄い。でも、こいつらが働いてDDを養っているらしいのよ」
「蜂か蟻の社会みたいね」
渚はそう感想を述べた。
「島の北側は、このコロニーだらけだ。一回偵察に付き合うといい。バンカーだらけのゴルフ場を上空から眺めているような気分になる」
エリックが、言う。
「以前は、キャリエス王国の領域は島の三分の二くらいはあったのよ。でも、ある時突然ヴォーゲオスが大繁殖し、大挙して襲ってきたので北のほうは放棄せざるを得なくなった。その後国王が人類に助けを求めてRQAFが創設されて戦線が安定し、現在に至っているわけ。今は早期警戒システムが機能しているから、めったなことでは死人は出ないけどね」
ヴァルヴァラが、説明する。
「何でDDは攻めてくるのかしら?」
渚は浮かんだ疑問を素直に口に出した。DDの知能はそれほど高いとは思えない。進んだ知性の持ち主であれば、RQAF機に襲われた時にもっと有効な対策……低空飛行とか、急激な機動とか、分散退避とか、様々な対応を取ったはずだ。とすると、ヴォーゲオスの社会は高度なものではないと考えられる。つまり、これは決して戦争ではないのだ。戦争とは、情けない話ではあるが高度な知性同士の社会的な闘争である。ヴォーゲオスは、おそらく単純な理由……食糧確保とか縄張りの拡大とかの理由で攻め寄せているに過ぎないのだろう。
「それが……実はよく判ってないんだ」
エリックが、肩をすくめる。
「……哺乳類が嫌いなのさ」
ぼそりと、ホルヘ。
「そんな単純なことで、攻撃してはこないでしょう」
プラサーンが、笑う。
「そうでもないぜ。エルビラ叔母さんなんて、庭で虫を見つけるたびに殺虫剤を吹きかけてたからな。蝶にまでかけちまうんだから手におえない」
真顔で、ホルヘが言い返す。
「DDは兵隊蟻みたいな戦士階級だろう。敵がいるから戦う、ってのが、戦士階級だ。ヴァイキング然り、フン族然り、中世の騎士然り……。サムライだって、そうだろう?」
エリックが、渚に水を向ける。
「それは文化の話でしょ。奴らにそんな高度な文化的概念はないわ」
こう言うのは、ヴァルヴァラ。
「……生物学を多少齧った者として言わせてもらうけど、ヴォーゲオスは地球上の昆虫の概念を超越した高い知能を持っているわ。ちょっと専門的になるけれど、神経球が昆虫としては異様に大きいし、そのうちのいくつかは明らかに肥大しているの。おそらくは、補助脳としての機能があるのでしょうね。推定だけど、犬程度の知能はあるはずよ」
「でも、何でそんなこと気にするんだ?」
ホルヘが、訊く。
「……だって、敵のことを知らねば戦略の立てようがないじゃない」
渚の答えに、ホルヘが爆笑する。エリックとプラサーンも、苦笑いを浮かべた。
「……なんかおかしいこと、言いましたっけ?」
気分を害して、渚。
「ヴォーゲオスに勝つなんて、た易いことなのよ、渚」
ヴァルヴァラが、説明した。
「コロニーを絨毯爆撃するだけでいいんだから。おそらく、三日もあればカタがつくわ」
……言われてみればそうである。RQAFの所属機の大半は、爆弾やロケット弾などの対地攻撃兵装を搭載可能だ。ヴァルヴァラのSu−22なら、五百キロ爆弾八発くらいを積んで、キャリエス島北端まで余裕で往復できるだろう。
「なぜ、やらないの?」
「国王陛下のご命令さ」
ホルヘが答えた。
「悪いのは攻めてきたDDだけで、BVは悪くないという考えなんだ。BVはむしろDDに搾取されている気の毒な階層だと、国王をはじめここの連中はみなそう考えている。かなり低いとはいえ、ある程度の知能を持っている生物を無制限に虐殺するわけには行かないんだそうだ」
「ちょっとテロの被害にあっただけで、でかい戦争に踏み切るどこかの国の大統領に見習って欲しいくらいだな」
皮肉な口調で、エリック。
「でも、それなりに知能を持っているのならば、和平交渉……は戦争じゃないから無理としても、なんらかのコミュニケーションは取れないものかしら。協定とか、取引とか……」
「それくらい、とっくに試してるよ、ここの連中は」
渚の意見に、エリックが応える。
「DDの侵入が始まってから何度も、国王は和平のための使節を北に向けて送り出した。だが、一人も帰ってきていない。交渉なんて、するだけ無駄だ」
「和平の概念なんてないのかも知れないわね」
自分でワインのお代わりを注ぎながら、ヴァルヴァラ。
「所詮犬程度の知能だ。吠えまくる馬鹿犬に意見するようなもんだよ」
投げやりな口調で言ったホルヘが、大きくビールを呷った。
「あー、おはよう」
エリックが顔を見せたのは、翌日の昼近かった。
「二日酔い?」
「いや、大丈夫だ」
やや疲れた表情で、エリックが答える。それほどアルコールに強くないというプラサーンと、慎み深いヴァルヴァラは渚とともに早々にパーティを切り上げたが、エリックとホルヘはかなり遅くまで飲んでいたらしい。
「ええと……1400に定期連絡便がオームラに向け離陸する。荷物をまとめて、1350までにエプロンに出てきてくれ。いいな」
「了解、元中尉殿。……できればバッグか何かをもらえると嬉しいんだけど」
「ヘケリーンウスを探して頼め。事務の方にいる愛想のいいアルマジロだ」
部屋を出た渚は、廊下をモップで拭いていたヤマアラシに尋ねて、アルマジロを探し当てた。エリックが言った通りに愛想のいいアルマジロが、備品倉庫から新品のフライトバッグを持ってきてくれる。礼を言って受け取った渚は部屋へ引き返すと、さっそくわずかな私物を詰め込んだ。
準備を済ませた渚は昼食を摂るために食堂へと向かった。一人で食事していたヴァルヴァラが、渚の姿を見つけて手招いてくれた。
「一緒にどう?」
「喜んで」
渚は適当に料理を選ぶと、そそくさとヴァルヴァラの待つテーブルへと運んだ。
今日の定期便でオームラへ行く、という話をすると、ヴァルヴァラの顔が曇った。
「なんだ。もう行っちゃうの? さみしいわ」
「あたしもです」
昨日パーティで顔を合わせただけだが、渚はこの女性にかなりの好意を持つようになっていた。美人で、落ち着いていて、知的。しかも、宇宙飛行士を目指していたパイロットとなれば、憧れに似た気持ちを抱いてもおかしくはない。
「RQAFに女性は少ないからね。せっかく知り合いになれたのに……」
ピラフにフォークをつき立てながら、ヴァルヴァラ。
「もう一人の女性パイロットはお友達じゃないんですか?」
渚は訊いた。
「マイラのこと? 別に仲良くはないわ。彼女とは合わないのよ」
やや声を潜め、女同士のひそひそ話のトーンで、ヴァルヴァラが言う。
「彼女ねえ、すっごくプライドが高いのよ。腕は確かに悪くないけどね。はっきり言って付き合いづらい人。グループ1の中でも、結構孤立してるのよ。本人は気にしていないようだけど」
「もともと何をしていた人なんですか?」
「アメリカ海軍のF−18乗りよ。着艦技量未熟で放逐されたうちの一人。本人は、認めていないけどね」
ヴァルヴァラがため息混じりに言い、ピラフを口に運んだ。
エリックに言われた通り、渚は全ての支度を整えて十四時十五分前にはエプロンに出た。
待っていた機材はBAeジェットストリームだった。双発ターボプロップの小型旅客機である。
「乗っていてくれ」
整備員らしい巨大プレーリードッグとなにやら打ち合わせていたエリックが言う。渚はうなずくと、機体左側後部のドア兼用タラップを昇った。トイレの前を抜け、客室に入る。
先客は一人だけだった。入ってきた渚に気付き、シートに寝そべっていたほぼ原寸大のシベリアトラが、巨体を起こしてにやりと笑う。
「やあ、お嬢さん」
後ずさりした渚は、転げるようにタラップを降りた。エリックが、怪訝そうな顔を見せる。
「どうした?」
「と、トラがいる!」
「ああ、よくあることだ。王都に用事のある者を便乗させてやるんだ。彼は近くの村の村長だ。ちょうどいい、色々とキャリエス王国について教えてもらえ」
涼しい顔で、エリック。
「だって、トラよ? 猛獣よ、肉食よ!」
「たしかに肉食だが、人間は食わんよ。それとも君は、同じ飛行機にステーキ大好きな外国人が乗り合わせていたら、怖いとでもいうのかい?」
からかうような口調で、エリック。
「そういう問題じゃないと思うけど……」
「とにかく、心配するな」
結局、渚はシベリアトラから最も離れた最後部の席に座った。扉をロックしたエリックが、トラと気さくに世間話を交わしてから、さして離れていない席に座る。
ジェットストリームは定刻どおりに離陸した。短いフライトだった。二十数分で、ジェットストリームはオームラABに着陸した。
オームラABは、規模がやや大きくなっただけで、設備その他はFベースとたいして変わりばえしなかった。エプロンに並ぶ軍用機材も、Fベースのもとのそれほど変わらない。MiG−21が数機と、単座型のジャギュアがいるのが目新しいくらいか。少し離れたところには、双発の小型輸送機と古臭いヘリコプター……たぶんH−34……が駐機していた。
「では、さっそくCOとご対面といこうか」
フライトバッグを手に、エリック。
……いよいよシロクマと対決か。
渚はエリックのあとについて建物のひとつに入った。いかにも軍事施設らしいくすんだ色のペンキを塗っただけの無味乾燥な廊下を抜け、とある扉の前へと導かれる。
「さあ」
エリックが、ノックするように促す。
渚はシロクマにどのような皮肉を浴びせてやろうか思案しながら、黒光りする木製の扉を叩いた。
「どうぞ」
扉越しに聞こえた声は、シロクマの声ではなかった。もっとずっと太く、深みがある。……秘書か副官か、それとも従卒の声だろうか。
渚は扉を押し開けた。
そこはかなり広い執務室だった。ありきたりの事務机がふたつ、ひとつは右の壁際に、もうひとつは窓を背にした位置に置かれている。左の壁際には灰色のファイルキャビネットが並び、その脇には古風な帽子掛けが立っている。手前には、使い込まれたソファーとテーブルのセット。サイドテーブルにはポットと急須と湯呑み茶碗。茶色い陶器の花瓶に生けられているのは、慎ましい野の花だ。
「やあ、渚。久しぶりだな」
微笑を見せて歩み寄ってきたのは、渚が小学校五年の時にフィリピンで客死したはずの曽祖父、城山重光だった。
第四話をお届けします。 用語解説 ブッシュパイロット/人口希薄な辺境の地で小型機やヘリコプターを操縦する職業 ブラン/ソビエト版スペースシャトル テレシコワ/ワレンチナ・テレシコワ。史上初の女性宇宙飛行士 サビツカヤ/スベトラーナ・サビツカヤ。史上二人目の女性宇宙飛行士にして、女性初の宇宙遊泳に成功 リトヴァク/リディア・リトヴァク。第二次大戦における女性エース(撃墜王) MiG−21/ロシア製の戦闘機 ジャギュア/イギリスとフランスが共同開発した攻撃機兼練習機