波紋を残して
途中で力尽きて急展開です。すみません。気力があれば治したい…。でも多分やんない…
最近学校で噂が流れている。ここはきっと地名を言えば十人中十人が首を傾げるであろう田舎にあるちっぽけな学校だ。近くには一つ無名の山があって、小学生までは皆そこから流れる川で川遊びをする。
ある日僕の友達、水瀨大智がその噂について調べてみよう、と言い出した。噂の内容は、その川の下流に船人がいて、その舟に乗せてもらうとその一週間に幸せが訪れるというものである。僕も、大智も、知名度を上げようと必死になる大人たちの嘘だと思っていた。
川の下流につくと、周囲を見わたした。辺り全体に目を凝らすも、矢張り船人らしき人は見えない。僕は、大智に帰ろう、あれは単なる噂に過ぎなかったんだ、と撤退を促そうとした時だった。カコン、カコンと舟を漕ぐ音がした。
驚いて音がなった方を見る。そこには、もうおじさんと呼ばれるくらいの男性が船の上に立って、棹で船をゆったりと漕いでいた。男性は僕らに気づくと、にこりと人が良さそうな笑みを浮かべた。
「こんちには。川遊びですか」
「いや、貴方に会いに来たというか」
「おや、私になにか御用で」
「これといった用は無いが、噂を聞いて」
「噂?」
「貴方に舟に乗せてもらうと一週間の間に幸せが訪れると」
「ははは、そんなことが。でも、特別なことはないよ。私は私のしたい事…謂わば趣味をやっているだけだからね」
「船渡しが、趣味ですか」
「趣味といえば趣味だね。食べていくのに不便は無いもので」
男性は、お金持ちなだろうか。身なりは今時には珍しい純日本風な着物であった。物腰は柔らかで、ご子息と言われれば納得しそうだ。
「折角だから、乗っていきなされ」
これは趣味だからお金は取らないさと笑う男性に、僕たちは顔を見合わせた。そして、結局子供の高い好奇心を抑えることはできず、乗ることにした。
舟に片足入れるとギギギと音を立て、舟が揺れて波紋を立てる。男性が差し出した手を取り、そっともう片方の足ものせる。僕達が座ったのを確認し、男性は舟を漕ぎ始めた。
暫くは、初めて乗る小舟の感覚と流れる景色に見惚れていた。それから、ゆっくりと話し始めた。
「おじさんは、どうしてここで船渡しをしているの?」
「ん?うーん、これが一番あっていて、一番、やっていて楽しいからかな。誰かを乗せて、水の上を進むのがすごく楽しい。なにより、無聊を託つ必要がない。これはすごく重要だ」
「ふーん」
僕にはただ舟を漕ぐことの何が楽しいのか、なんて考えたが何かを愛しむ様に笑う男性を見てそれを口にすることは憚られた。「僕には、暇でないことがどうして重要なのか分からない」
「それは、とても幸せなことだ。知らないならいい。ずっと、知らないでいたらいい。」
僕は又、この男性の言葉が理解できなかった。
それから、なんとなしに会話が途切れ僕は居た堪れなくなり、水面を覗いた。
規則正しい水を掻く音と音が鳴る度バラパラと水面に広がる波紋。そして、舟が澪を引く様。僕は、そのどれもに心を奪われた。僕が夢中になってそれらを見ていると、頭上から笑い声が降ってきた。
「そんなに、水を見るのは楽しいか?」
「水ではありません。水にできる波です」
「そうかい。いや、君は初めて見るな」
「ええ、まあ。初対面ですから」
「そういう意味じゃないさ。君みたいな子は初めて見るということだ。生まれてから結構経つが、何時でも新しい発見があるものだ」
「…変、ですか?」
「変といや、変だが、気にしなくていい。人は皆それぞれ違うからこそ面白い」
男性は僕から視線を外し、また規則正しく舟を漕いだ。僕は後ろ向きに座っていた姿勢を正し、また前を向いた。すると、肩にトンと何かが乗った。見ると大智が僕の肩に凭れて寝ていた。
「おや、寝てしまったかい。仕方ない、もう少ししたら元いた場所に戻るから今日はお帰り」
男性はそういい、先程より少し早めに舟を漕ぎ出した。僕はその間、何かいう気にもなれず、ただ子供の遊びのように飛び跳ねる波紋と、緩やかに子とともに動く澪を見つめた。
そうして時間を過ごすうち、何かにぶつかり舟が揺れる。見ると、どうやらはじめの場所へと着いたようだった。
「最近の船は安定しているけど、こういう小舟で寝るのは急にバランスが崩れたりしたときに危ないからね」
「そうですか…」
「さて、私がこの子を家まで連れて行く、というのも家庭によってはご法度だったりするからね、ここで起こしてやってくれ」
僕はコクリと頷き、大智を揺すった。
「大智、大智。もうそろそろ、帰ろう?」
気持ち良さそうに眠る大智を見て、眠気が移ったのか僕の瞼は重くなる。大智の輪郭がぼやけて見える中、僕は寝る寝ないで葛藤していた。
「寝ているのは、お前のほうだろ?」
呆れたような声が、聞こえた。
「大智…?」
目の前の大智は寝ているが、僕の頭には響くように大智の声がする。
「おうよ。他に誰がいるんだ。まったく、今日は噂を確かめに行こうって話てただろ。なのにお前は寝てるし」
まばたきをした瞬間。僕は教室に戻っていた。
「あ、あれ?噂はもう確かめに行った筈…」
「何言ってるんだ。これからだよ。それとも楽しみすぎて夢で見てたのか?」
「…そうかも」
夢にしては僕の頭には船に乗った感覚、棹で漕ぐ度跳ねる飛沫、船が進むたびに揺らめく澪がはっきり鮮明過ぎる程に残っていた。夢、なんて結論は到底僕には納得できるものでは無かったが、それ以外に説明のしようがないため僕はそれを甘んじて受け入れた。
またあの男性に会えたら、問うて見たいと考えながら僕は二回目の都市伝説の真偽を確かめに大智についていった。
「噂の下流はここらへんのはず…」
大智は目的の場所に来ると辺りを見回すが僕が見たはずの男性もどこにも見当たらなかった。
「噂は、噂に過ぎなかったんだよ」
その声は、自分自身にも言い聞かせるように言った。大智は、だよな、と力無さげに同意して、変える準備を始めた。僕は、この川が流れてくる場所、無名の山に足を向け、歩き出した。
あれをただの夢と言ってしまえばそれまでだが、どうにも僕には違うように思えてならなかった。そこで、無名の山の麓にある神社に行けば、何か分かるのではとそれこそ何の根拠もなしに神社へと、向かうのだった。
この神社は、今は誰も管理するものがおらず、鎮守の森の木も、無秩序に伸びている。そんな木々を眺めながら拝殿の前まで歩く。ここには手水舎と拝殿しかない。しかも、鈴も賽銭箱もない。拝殿の前に立つと、丁度目の前に川の上流が見える。川の周りは木々が少なく、ほぼ真っ直ぐに流れているのがよく見える。拝殿の隣を通って僕らの住まうところまで流れてくる。
神社に来たと言っても何も違和感を思う所もないし、矢張り意味もなかったかと少し落胆して見せる。折角だからとお参りをして帰ることにした。
お参りのあと、あれからどうしても頭を離れない水面の波紋を思い出し、また川の下流に行った。すると、そこには人影があった。見れば、あの船人であった。
「あ、川の噂の!」
「貴方は…」
普通なら急に人に大声で呼びかえるなどしないが、ただまた会えたことがあれをただの夢ではないと肯定されたように感じ、嬉しくなったのだ。
「よかった!夢じゃないんですよね?」
「ええ、まあ。でも、現実とも言い難い」
「でも、いいです。僕がおかしい訳ではないと言えるのなら。なにより、安心が欲しかった」
「…そうですか。ふふ、また船に乗りますか?」
「それもいいですけど、それ以上にあなたと話してみたいですね」
「私と話しても面白いことなどありませんよ」
「それは僕が決めることですよ。そうですね…まず、以前に何故船渡しをしているか訪ねたとき、一番あっていると仰ってましたが、以前にもこのような仕事をしていたことがあったのですか?」
「そうではありません。ただ、この川の近くでいたいから、でしょうか」
そういった男性の川を見る目は、慈愛に満ちていたのに何故か、その瞳は見ていると胸が詰まり、酷く息苦しい気分になった。
「貴方の、名前を聞いても?」
「ふふ、面白い子ですね。でも教えれません。自由に決めて呼んで貰って結構ですよ」
「ふーん。お家から逃げ出してきたの?」
「えっ?いえ、そうではありませんが…」
「前に食べるのに不自由しないって言ってたし、どっかのお坊っちゃんだから名前を言ったら狙われるのかなって思ったんだけど」
「へぇ、お坊っちゃんですか。そう見えます?」
「正直なところ、お坊っちゃんに仕える側の感じがする」
男性はくつくつと喉を鳴らして笑った。僕には何で笑ったのかわからない。笑った理由だけでない。この男性のことは何一つわからない。
しかし、良く考えればそれは当たり前なことである。なぜなら僕は男性ではないからだ。自分ではないことを、完璧に理解するというのは無理なのである。だが、それを差し引いても僕は男性がわからなかった。
それから数分、他愛もない話をして、男性のもう暗くなるから家にお帰りという一言で帰路に着いた。
次の日、僕は放課後に同年代の遊びの誘いを断って、川に向かった。そこには矢張り男性が船の上で立っていた。男性は僕に気が付くとニコリと笑って見せた。
「また来たのか。お友達と遊んだらどうだい」
「どうだっていいじゃないか。僕の勝手だ。それに、同世代とかけっこするよりも貴方と話してた方が余程為になる」
「ほお、それは至極光栄。だけど、為になる、ならないではなく、楽しいと感じるものを取るんだよ。それが許されるのはとても有り難い事だから」
僕には男性の言う有り難さは分からない。それが当たり前だからだ。失わなければそれは分からない。しかし、ならばどうしてこの男性は知っているか。僕はこの時この男性が只の金持ちの跡継ぎではないかもしれないと考えた。僕は今一度、一からこの男性に付いて考え直すべきと思った。
それでも僕の頭では納得できる答えなど出せる筈もなかった。僕はそうなれば聞くのが一番と考えていた。
「急に黙りこくって、どうかしました」
その言葉で、僕はつい考え込んでいた事に気付かされた。
「おじさんは、人と話すの、好き?」
男性は急な質問に一瞬不意をつかれたが、すぐに言葉の意味を理解すると、にこりと笑いかけた。
「勿論。好きでなければこんな事、してません」
男性は船を見遣りそういった。確かに、と僕は納得した。人を船に乗せる船人は、人と関わらないのは無理だ。人を遠ざけたくないのであれば、残りは一つである。
「じゃあ、おじさんは何か隠し事、してる?」
僕は声に出した途端、酷く自分が醜く思えた。聞いてはいけないことを、聞こうとしているのではないか。見つけてはいけないものを、見つけてしまったのではないか。僕は男性からこれの答えが欲しかったが、聞いたら何か変わりそうで、この状態から脱するために男性にいつもどおり戻り僕には理解できない言葉で返してもほしかった。
「隠し事ね。そうですね、君に名前を隠してる。あと、住所とか、年齢とか。何一つ君は知らないだろう?しかし、こちらも生憎と簡単には個人情報は明かせないもので」
男性はいたずらっぽく笑った。僕は急激に力が抜けてくるのを感じていた。そして、それが過ぎれば、質問に答えてもらえなかったと言う怒りが湧いてきた。自分から聞きたくないとも思っていたのに、僕は聞けなかったことに苛立った。それは矛盾していて、理不尽に思えるだろうが、僕はまだ子供だから喉元を過ぎた熱さを忘れただけだ。そうしてまた気付かず熱いと喚くことになろうとも。
「そんな、お茶を濁すような回答は求めていない」
「ははは、手厳しいことで。でも、本当は答えてほしく無かった人が、それを言うのかい?」
僕はドキリとした。あれを見破られていたのかと。
「茶化したの?僕は本気だったのに」
「いつか真正面を向いて聞けるようになったら答えてあげようか」
その言葉は、確かに僕の欲しい隠し事があると言う事だ。僕はその時男性から見せた妖美な微笑みに目が奪われた。
「貴方と話していると、まるで霧を掴もうと試みてる気分になる」
「それは褒め言葉として受け取って置きましょう」
男性はそう笑って、ひと呼吸置いて「私のことが知りたいなら、貴方のことも教えてもらわないと。不公平だからね。だからまだ言えないな」と言った。この人は、僕のことを知ったら縁を切るだろうか。
雨が地面を叩くように強く打ち付ける。一尺先も雨で遮られるほど絶え間なく振り続け、今日は会いに行けないと断念する。雨は嫌いだ。じめじめしているし、服が濡れる。それに空が暗いからどうにも気分が上がらない。
しかし、今日の雨は、どうにも嫌ではなかった。試しに、手を雨に当ててみた。しかし痛くはなかった。ざあざあと強く降る雨は、何かを祈願するように感ぜられた。僕は、夢中になって雨を掴もうとした。掴みたいのではない。ただ、この雨に触れていたかった。
あの川で、水の波紋を見てからどうにも水に興味が湧いた。水が僕の服からぴたんぴたんと耳の奥に残る音を立てて滴る。寒くもなく、音に反した穏やかな感触。遠くにぼやけた船人の姿を捉え、これは夢の中なのかと思った。何故なら、船人はこの大雨の中で一切濡れていなかったからだ。しかし、まるで水の精霊のように水と共にあるのが自然だった。普段から川の近くにいるところしか見たことがないからかもしれないが。
それから何があったのか覚えていないまま次の日が来て、あの川へと足を運ぶ。男性が、僕の顔を見るとニコリと笑い、僕が話しかければ、その口をゆっくりと開いて応じてくれる。
「おじさんは、舟が好きなのか川が好きなのか、分からない」
「両方ですよ。自然に出来た流れに沿って海へ帰る川も、その流れを蔦って流れを感じれる舟も愛おしい」
「愛おしい、かぁ」
「ええ、好きという言葉では言い切れない程のこの胸に溢れるもどかしい気持ちは、きっと愛おしいのですよ」
「それだけ、夢中になれるものがあるの、いいなぁ」
「君は無いのですか?」
「無いよ。どれをやっても、途中で飽きちゃう。なんか、こうじゃないって思ってる」
「…こうじゃない、ですか。それはなにかする事ではなく、日常的に、不意に思うのではないのですか?」
「さあ。あまりにも自分の心も見てこなかったから、わからなくなっちゃったよ」
口をついて出た言葉。その言葉に、僕自身も疑問だった。僕は、まだ子供で好きなように動いている。なのに、ずっと言いなりになって無理をした感覚がぼんやりとある。
知らない。可笑しい。きっと疲れてるんだよ、僕。そういえばこの前もそうだった。いつの間にか時が流れて、次の日になって。夢の中にいるように自然とおかしなことが起きている。ああ、そうか、夢なんだな。ここは夢なんだ、きっと。…夢だ、夢じゃなきゃ、可笑しい。
「…本当に、夢ですか?夢じゃないんでしょう?現実とも言い難いですけど」
不意に、男性が話しかけてきた。
「貴方は、本当は知っていますよ。でも信じたくない。ここから出たくない」
男性の姿が、水に入ったようにぼやける。
「知ってるよ。自分のことなんだから知ってたさ。でも、知らないふりした」
嗚呼、そうだ。ここは僕の精神世界。
「貴方は何者?僕の記憶にないんだけど」
楽しかった少年時代を繰り返してる。ずっと、ずっと。
「…もう、大丈夫ですね。私は、川の神、それも元、ね」
「そっかぁ。神様かぁ。死神様とかが来ると思ってた。ねえ、あの世ってどんなところなの」
「死神様か、お目にかかったことはないな。あの世は、きっと楽しいさ。残念ながら私も知らないけどね」
「へぇ、神様でも知らないことってあるんだ」
「そりゃあ、全知全能なんていないんだから」
「そっかあ、神様の中でもいないんだあ。ねえ、大智君は?」
「舟に乗った時、一足先にあの世に連れていきました。あの子の魂はここの影響を受け、潰れそうでしたよ。なんとまあ強い執着だ」
「それは悪いことをしたな。許してくれるかな」
僕は周りを見回した。僕が作り上げた世界は壊れ、一面に薄く水が張っていて、鏡のように反射する。
男性と雑談を交わしながら、とんと軽い飛びをして男性に付いていく。静かになったそこには、水の波紋が出来ているだけだった。