第四話「始まり」
私が病院を退院したのは、ちょうど1時間目が終わったくらいの時間だった。学校には、電車を使えば昼休みに間に合う時間だ。
まっすぐ学校へ向かった私は、遅刻届を職員室で書いて、教室へと向かう。
堂々と遅刻していく学校というのは、中々に新鮮だ。誰も居ないガランとした廊下を、私はなんとも言えない気持ちで歩いて、教室とドアの前に立った。
そこで、ふぅ、と深呼吸。私は静かにドアを開け、授業をしていた佐藤教諭に会釈して席につく。
───視線が、私に集まる。ヒソヒソと、話し声が響く。
まぁ仕方が無いか。クラスメイトが入院したんだ、そりゃあ良い話題になるだろう。
昼休みは、問い詰められるだろうな。
「つまりだ。マリキュー、お前が言うには……」
そして、昼休み。
『病院に運ばれたらしいけど、何があったの?』『ついに来るべき時が来たの? 頭の方はもう末期で治らないの?』などと、クラスメイトに囲まれた私は、容赦の無い罵声を浴びせられていた。
入院明けの美少女にケンカを売ってくるとは、流石は我がクラスメイト。
売られた喧嘩は買わねばならない。タイムリープとか全部ぶちまけて、お望みどおりに末期な人を演じてやろうかと思ったけれど。
……集まってきた人の何人かは、私を本気で心配してくれている様だ。特に、昨日見舞いに来てくれた、ヒロシを含めた仲良しメンバー。
そんな彼らに、さらに心配をかけるのは申し訳ない。適当な嘘をでっち上げ、 笑って誤魔化すとしよう。
こんなこともあろうかと、優秀な私は完璧な言い訳をしっかり用意しておいたのだ。
「マリキュー、お前は真夜中に無性にカップ麺が食いたくなったと」
「ど〇兵衛が私を呼んでいた」
「そんで深夜にこっそり家を抜け出しコンビニに行った」
「腹をすかせた私を止められる存在などいない」
「そして、道端で出てきたイタチに驚いてうっかり失神して」
「マジ怖わいよね、深夜のイタチ」
「通りすがりの人に救急車呼ばれて、そのまま入院したと」
「うん」
……時間跳躍よりは、まともな言い訳ではなかろうか。
「マリキュー。前から思ってはいたんだが、お前って……アレだよな」
「まぁ、確かにマリキューはアレだけど、いいところもあるし俺は気にしないぜ」
「マリキュー元気出しーや。私はマリキューがアレだからって、そんな気にせえへんし」
「いや、大丈夫だから。そんなに気を使ってぼかさなくても、私はメンタル強い娘だから」
皆の目が、心配から呆れに変わっていく。さ、作戦大成功だね。
ヒロシは、なんとも言えない顔になりつつ、恐る恐る私に話しかけてきた。
「その、マジで俺の告白関係ないんだな? ソレ気にした結果なら、その、バッサリ振ってくれてもいいし」
「あー違う違う。本当に無関係なんだって。むしろ、今となっては告白とかどうでもいいくらいだし」
「それはそれで傷つくかな!? なぁ、だったら返答くれよ!」
……あー。こいつへの返答、何も考えてなかったなぁ。どうしよ。
こいつ結構頼りになったし、映画デートの時。でも、あのデートの記憶はコイツにはない。
うーん……。あ、というかヒロシ側はどうなんだろ。
「というかヒロシよ、お前こそ告白取り下げとかしないの? かなりアレな感じの事件起こしたよ私」
「HAHAHA! 何をいまさら」
「いやいやいや、元々そういう感じのアレじゃんマリキュー」
「むしろアレの化身じゃんマリキュー」
「代名詞が最も似合う女じゃん」
「そこまで言うか」
ヒロシの、私への気持ちはあんまり変わっていない様子。さぁどうしよう。
マジでどっちでも良い。ヒロシを好きかどうかって言われたら多分違うけど……。付き合ったら好きになるかもしれん、そんな気がする。
よし。一回、試しで付き合ってみようかな。合わなかったら別れればいいだけだし。
「……じゃあさ、ヒロシ────」
そう考え、ヒロシのほうへ向き直り。教室のど真ん中、なるべく平静を保ちつつ返答を告げようとして────
「少し、時間もらっていいかしら。弓須さん」
油断しきった折、いきなり誰かに肩をつかまれた。
「ほえ?」
「ごめんなさい。大事な場面だったかもしれないけれど、こちらにも大事な要件があったの」
どこかで聞いた、女性の落ち着いた声が背後で響いた。私はゆっくりと振り向き、その声の主と目を合わせて、
────背筋が凍り付いた。
「……そんな顔をされると、少々傷つくわ」
「え、あ、いや、その?」
そこに居たのは、川瀬だった。
2週間前、私の心をへし折った、悪名高き奇特部の一人。
私が代名詞の化身であるならば、こいつ等は|名前を言ってはいけない例の人《ヤベー奴》の権化。
そんなB組の奇特部女子部員、川瀬が私の肩を掴んでいた。
「な、何か御用ですか……」
川瀬を下手に刺激しないよう、なるべく穏当に声を絞り出す。級友たちは、唐突なキチガイに凍り付いている。
なんで!? なんでこんなヤベー奴がいきなり話しかけてくるの!? 私何かした!?
基本的にこっちから手を出さなければ、こいつ等は人畜無害なはずなのに!
「重要な要件だけど、ここじゃ話せない」
「えっと、場所変えるって事? その、教室から出るのはちょっと……。私、友達とご飯食べる約束あるから」
「大丈夫。要件は、手紙にしている」
そう言って彼女は、手に持った袋から小さな封筒を取り出した。用意が良い。
「この手紙を、誰もいないところで読んでほしい」
「お、おう。おう?」
その封筒を、きょとんとしている私の手に握らせて。彼女は私を見据え、何度も念を押す。
「絶対の絶対の絶対に、人前で読んではいけない」
「わ、わかりました」
「絶対だよ。約束、したから」
私は、川瀬に握らされたその封筒を見る。
ラブレターだった。
ハートマークのシールで閉じられた、私の名前だけが書いてあるピンク色のその封筒。
よく見ると、川瀬さんはほんのりと頬を染めている。その目からは、強い親愛の情を感じる……
『その、何というか。メンヘラと言う奴ですわ、彼女は。しかもタチの悪い事に両刀だから、被害者の数は数え切れず……。調査の結果その話が真実だと分かったので、ウチの部活に収容することになりましたの。野放しは危険ですし』
『この部活そういう立ち位置なの!?』
……はわわ。
「そしてできれば、今日中に返答してほしい」
「や、やだ、積極的……?」
「返事、待ってるから」
そう言って彼女は、私をじっと見つめた後。その場で振り返り、海が割れるように級友たちが避けてできた道を、悠々と歩いてB組に戻っていった。ああ、なんて男らしい。
「……その。マリキュー、川瀬さんの噂、聞いてるよな?」
「い、いえす」
冷や汗を垂らしたヒロシが、それとなく聞いてくる。ああ、当然知っているとも。
奇特部で聞かされた彼女の噂は、すでに学校中に広まっていた。唐突に誰かを好きになり、そのまま付き合った相手を精神崩壊させるヤベー奴、メンヘラ川瀬。
その噂は、奇特部調査によると真実らしい。その証拠に、あの奇特部の連中すらビビっていた。
「知ってるなら話は早い。どうする?」
「ど、どうしたら良いんでしょう……?」
神様はどうやら、とっても意地悪だ。時間跳躍の事で手一杯だっていうのに、さらにこんな爆弾を投下していくなんて。
付き合うのは論外だ。私に同性愛の趣味はない。というか、たとえ異性だったとしてそんなヤベー噂を持ってる人と付き合うわけがない。
問題は、どう断れば川瀬さんを刺激しないか。この1点だろう。
下手な振り方をしてストーカー化されたら、私は精神崩壊するまで追いつめられることになる。
「てかさ、その手紙、なんて書いてあるの?」
「え、えっと」
そうだ。いきなり手紙を渡されて混乱してしまったけれど、ラブレターとは限らないじゃないか。
中身は案外、大した事じゃなくて業務連絡的な────
『約束は破っていませんよね?』
手紙の入った封筒を開くと、その接着面には濃い字でそう、書かれていた。
顔を引きつらせながら手紙を取り出すと、『親愛なる弓須様へ』と書かれた紙が折りたたまれており、さらに、その下に小さな文字で『まさか人前で開けていませんよね?』と追記されていた。
「ヒェッ」
「あかん」
「行動が完全に読まれてる……」
怖いよ。なんだよこれ。
「……怖いから、トイレ行って読んでくる」
「あー……。ドンマイ、マリキュー」
仕方ない。学校で一人になれる場所ってトイレくらいだし、そこで読もう。
「おいカナ、トイレまでついて行ってやれよ」
「んー。まぁ、いっか。マリキュー、連れションしようべ」
「男子の前だよカナ……」
女子が連れションとか堂々と言うなし。カナはそのあたり一切気にしないパワー系の女子だが、私まで下品と思われるだろう。
黙って男子トイレで用を足すのが、真のキチ〇イというものだ。普段は清楚に振る舞うからこそ、行動は変態的でエキセントリックになるのだ。
「んじゃ、読んだら報告ヨロ。出来る範囲で力貸すぜマリキュー」
「ありがと、ヒロシ」
そう言って私は、開きかけの封筒をポケットにしまった。カナの目があるので、仕方なく女子トイレへと向かう事にしたけれど。
さぁ、リベンジだ。一度は私の心をへし折った奇特部だが、流石に手紙だけで私の心を折るのは不可能だろう。一人でも大丈夫。へーきへーき。
……ないよね? さすがに、読んだだけで精神崩壊するような、おぞましい手紙な訳ないよね?
昼休み真っただ中で、人気の少ない女子トイレに、私とカナは連れ立って入る。
個室の入り口で私はカナと別れ、カタリと鍵を閉め。そのあと、私は深呼吸をして心を落ち着かせ、ゆっくりと手紙を開いた。
『最後の確認です。ここは、誰かの前ではありませんね? どこかから、この手紙の内容を盗み見ができるような環境ではありませんね?』
……しつこいな。どれだけ読まれたくないんだ、ラブレター。
川瀬さんは案外シャイなのか、それともこれはサイコパス特有の謎のこだわりなのか────
『ここから先の内容だけは、だれにも読まれないように気を付けてください。単刀直入に聞きます。』
そこで途切れた手紙の1枚目をめくり、2枚目への読み進める。うーん用心深いなぁ、彼女の偏執性が伺えるなぁ。
その2枚目には、冒頭に小さく質問が記されていた。
『貴女は、時を繰り返していますか?』
その一文は、私の頭を真っ白にするだけのモノを持っていた。
────なぜ、それをお前が知っている? いやむしろ、お前は何を知っている!?
『この文の意味が理解できないのであれば、貴方は安全です。何も知らないまま、その平和で掛け替えのない日常を享受していてください』
無駄に達筆な彼女の手紙は、そう続いていた。意味が理解できないのであれば、私は安全だと。
その書き方だと、その文に身覚えがあれば、私はどうなる?
『だがもし、心当たりがあるなら──── 』
頬を伝う冷や汗を感じながら、私は夢中でその手紙を読み続け、そして。
『貴方は、命を狙われうる存在です。可及的速やかに、奇特部の部室に逃げてきて』
その文を目にした時、言いようのない悪寒が背中を伝った。
『奴等に、見つかる前に。貴女は、狙われている────』
狙われる? なんだソレ、意味が分からない。
少し顔を青ざめさせながら、私はその手紙を呆然と眺める。
悪戯? ドッキリ? キチガイの考えることはよく分からない。よく分からないから、キチガイなんだとも言えるけど。
そうだ。私はからかわれたんだ。ビクビクしながらトイレから出てきた瞬間、キチガイどもに囲まれて散々に煽られるのだろう。
きっとこれは、悪ふざけだ。
────その時背後に、誰かの息遣いを感じた。
直後、私は背後へ振り向く。冷汗が背中をびしょびしょに濡らし、制服が皮膚に張り付く。
頭の中にけたたましいアラートが鳴り響いている。
なんだ、この感覚は。誰かに見られた? まさか、ここは女子トイレの個室だぞ。誰も居るはずがない。
振り向いた先には、カギのかかったトイレのドアがあるだけ。隙間から誰かが覗いている様子もない。
なのに、なのに、なんだこの胸騒ぎは────?
……そして、私は、直感的に。
上を、見上げた。
「……カナ?」
いつから、そこに居たんだろう。
虚ろな目をした、仲の良いクラスメイトであるカナが。
トイレの個室の上の隙間から身を乗り出して、手紙を読む私を凝視していた。
「ちょ、ちょっとカナ? 何やってるの? 流石に気持ち悪いよその行動は」
一人であの奇特部の手紙を読む、私を心配しての行動だろうか。でも、だからと言ってコレはやりすぎではないか。不気味にもほどがある、心臓が止まるかと思った。
そんな気持ち悪いカナはというと、私が上を見上げ、カナに気が付いてなお、凝視するのをやめる気配はない。
「……カ、カナ?」
語りかけても無反応。き、気味が悪いってレベルではないぞ。
そんな彼女の顔を見て、私は気づいた。
……目と目が、合わないのだ。カナの目は、私を見ているようで、私を見ていない。
────じゃあ、何を見ている? その視線の先は、私の手元の、
「見ツケタゾ」
無機質な声がして。
それと同時に、私の目と鼻の先に、急降下したカナが居た。
カナは、私が手に持っていた、奇特部の川瀬さんからの手紙を凝視しながら、表情を一切変えずに。
上の隙間からのぞき込んでいたカナは、大きく体を乗り上げて、私を目掛けて個室へと飛び落ちてきたのだ。
「カ、カナ!?」
「見ツケタゾ」
話が通じない。
先ほどまで私と笑いながら話をしていたカナは、眼の光を消して私へと襲い掛かる。
何を言っているのか。これはいつもの悪ふざけなのか。混乱の真っただ中にいた私は、抵抗する事すらせず、
────そのまま首を、絞められた。
理解が追い付かない。何が起こっているのかもわからない。
私が友達だと思い込んでいた彼女は、私の命を奪うべく凄まじい力で首筋を圧迫する。
しまった、声が出ない。こんな、意味の分からない行動をされた時点で絶叫しておくべきだった。
首を押さえられてしまえば、私の口から出るのは掠れた呼吸音ばかり。助けも、呼べない。
こひゅー、こひゅー。
弱弱しい叫びが、人気のない女子トイレに響く。
……目の前が暗くなる。脳に血がいかない。チカチカと、目が危ない光であふれ、そして……
「っ!!」
すんでのところで、カナは私の首から手を放した。同時に、カナは大きく目を見開き、何かを抜こうともがいている。
「ァ、ガハッ、ハァ」
危ない呼吸音が私の口から垂れた。目は涙で充血し、口からは情けなくよだれが滴っている。
殺す気か。殺す気か私を! これは冗談なんかで済ませられない。カナ、いくら友達の貴女でも────
私は顔を上げ、カナをキッと睨みつける。そのカナは相変わらず無表情の、生気のない顔つきで目を開き、ドアに寄りかかって、
死んでいた。
胸から日本刀を生やし、真っ赤な血しぶきを私のほほに浴びせながら、あっけなく絶命していた。
ギィィ、と鈍い音がする。カナの胸から、ゆっくりと日本刀が引き抜かれる。
日本刀が抜けきると、カナの死体が重力でずるりと滑り、私のスカートに生暖かい血を吹きかけながら、ばたりと便器にうつぶせに倒れた。
なんだ、これは。また、夢か。
私は定期的に、誰かが死んでしまう白昼夢をみる病気にかかっているんじゃないか。
時間跳躍なんて、そんなことがあるわけないだろう。全部全部妄想だったんじゃないか。
助けて。誰か助けて。意味が分からない、教えてよ、何が起きたのか、どういう理由でカナが死んで倒れているのか────
「誰も居ないところで読んで、と言ったでしょう。ああ、もう取り返しがつかない」
ドアの外から、声がした。
女子生徒の、声がした。
「聞いているかしら? 弓須さん」
がきん、と耳を切り裂く甲高い金属音がトイレに響く。
直後、日本刀が再びドアへ突き刺さり、そのドアの鍵が切り落とされてしまった。
ぎい、と鈍い音を立てながら、ドアはゆっくりと内側へ開き、死んだカナの太ももに当たって止まる。
開いたドアの隙間から、見えたのは帯刀した少女。
最悪の権化、奇特部の誇る人格異常者、B組川瀬が血が滴る日本刀をぶら下げて、悠然と立ち尽くしていた。
次回更新は1週間後です。