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第2話「妄想」

コメディは何処に行った? と言うご感想をいくつか頂きました。

ご安心ください、本作はコメディです。

 変人とは。


 行動が常軌を逸してしまっている、理解しがたい人間である。


 キチ〇イとは。


 変人を呼称する際の侮蔑的な罵声であり、その行動は変人より更に常軌を逸してしまっている。




 そして、可哀そうな人とは。


 変人やキチガ〇とは区別されるべき存在であり、“夢と現実の区別がつかない、有りもしないことを本気で思い込んでしまう”等と言った特性を持った同情されるべき人である。





「ひ、ヒロシ?」

「どうしたマリキュー。まだテンパってんの?」


 登校した私を澄ました顔で出迎える、私に告ってきやがった雰囲気イケメン。


 何という事だ。ヒロシ少年は既に死んだ筈なのに、こんな朝っぱらから化けて出てくるなんて。


 おそらく彼は自分が死んだことに気付かず、血迷って学校に化けて出て私に話しかけているのだろう。



 ────いや、待て。お化けなんて非科学的な存在、有るわけない。これはつまり、私の妄想の産物なのだ。目の前に居るヒロシは私にしか見えない、非実在青少年なのだ。


 何という事だろうか。私の頭がトチ狂っているという自覚はあるが、遂にここまで来てしまったか。



 ……いや、まだ他にも可能性がある。昨日のヒロシの死こそが、私の勘違いではないか?


 目の前で現在進行形に、幻覚が語りかけてくるなんて事はあり得ないだろう。だとしたら、私はどれだけ末期なんだ。


 昨日の事故こそ、妄想。夢で見た光景を、私が現実だと思い込んでしまったパターン。


 目の前のヒロシさんが、幻想。幻覚に侵され、私の脳はとうとう終末期パターン。



 ……さぁて、どっちだ? どれが妄想で、どの記憶が事実なんだ。ここは対処を誤ると、今後の私の学園生活は大変なことになるぞ。



 この教室のクラスメイトから見た私は、誰も居ない場所を見つめ続け、死んだ筈のヒロシ少年と歓談しているとてもアレな図なのか。実在するヒロシ少年に、顔を青ざめながら後ずさっている彼が不憫な図なのか。


 ウゴ、ウゴゴゴゴ……。


「どうしよう。私って、ひょっとしたら可哀そうな人なのかもしれない……」

「いきなりどうした? 朝からそんなまともな事を言うなんて、マリキューらしくない」

「どういう意味だコラ」


 色々とショートした私の頭が、自身を可哀そうな人認定していたらこの始末。


 コイツ本当に私の事好きなのか? 実はからかってるんじゃないか?


「冗談だよマリキュー。それより告白の返事、早いとこ頼むぜ」

「あー……。その返事が聞きたくてこんな朝から化けて出て来たの?」 

「おいおい、人をお化け扱いしないでくれ」


 お化けが何を言う。


「告白? 何、ヒロシ遂に告ったの?」

「おう、昨日ガツンと決めてやったぜ!」

「マリキュー狙いは正解だよなぁ、隠れた名店みたいな女子だし」

「その例え、シックリ来るような来ないような」


 ふぅむ。皆、このお化けに話しかけている。ヒロシ少年は、皆にも見えているようだ。


 よし、これで虚空を見つめて死んだ少年と談笑しているパターンは除外できるな。


「あ、そーだみんな。今日の現国、抜き打ちテストらしーから勉強しとけよ」

「うげ。またかー」

「あーまただよ。あの不細工、抜き打ちテストは成績に加味しませんとか言っときながら補習にはかけてくるからな。面倒くさいったらありゃしない」


 ん、現国の抜き打ちテスト? それ、昨日もやったじゃないか。


「2日連続でやるの? 面倒だなぁ」

「ん? 2日? まぁ何だ、放課後を補習なんかに縛られたくないからみんなベンキョーしとこーぜ」

「だな。マリキュー、じゃあな」

 

 そういってヒロシは、私の手にハイタッチをかました後にゆっくり自分の席に戻っていった。


 その時私はほんの少し、周りの雰囲気に違和感を感じたけれど。ヒロシの手に触れて、ヒロシの存在を確認できたことで頭がいっぱいだった。


 勿論テスト勉強とかはしていない。それどころじゃないし。








 「……あれ?」


 現国の不細工がニタニタしながら、着た瞬間に配り始めた小テスト。全てを諦め菩薩の様な目になっていた私は、その問題文に目をやって、気付く。


 ────昨日と、同じ問題じゃん。あの不細工、間違えやがったな。


 これはラッキーだ。あの不細工自身が間違えたんだから、文句を言われる筋合いもない。わざわざ報告して別の日に再テストされるのも馬鹿らしい。


 昨日覚えた解答を頭に浮かべながら私はサクっと問題を解き終わり、残りの時間を爆睡して優雅に使い切った。










 そしてその日の、昼休み。


 いつも通りの、仲の良いメンバーと机を合わせて昼食タイム。


「ねぇ、その。今日の授業、なんか変じゃなかった?」

「そうかぁ? 別に普通じゃね。……マリキュー、どうかした? 元気ないぞ?」

「いや、うん。大丈夫、ありがと……」


 今日、いつになく私は疲弊しきっていた。


 なぜ誰も突っ込まないのか。来る先生、皆揃って昨日と全く同じ内容の授業をしていったぞ。


 というか時間割まで昨日と一緒だ。


 というか。


「スマホの日付も、昨日と一緒……はぁ。私、頭が変になっちゃったのかなぁ」

「マリキュー……。貴女がいきなり頭がおかしいことを自覚しちゃうなんて。これ、ホントに頭の病気なのかも知れないよね」

「確かに心配だな。病院に行くか? カナの家、確か医者だったろ?」

「アタシんち? ウチ耳鼻科だぞ、鼻詰まりしか治せねぇ。マリキューに必要なのは、頭の病院やわ」

「お前ら、もう少し私に優しく心配する気ない?」


 そうだけど、そうじゃない。


 だって、コレって。私の主観が確かなら、同じ日を繰り返している事になるよね。


 昨日は4月20日。今日も4月20日。じゃあ明日は何日?


「何よこれ……。あー、頭がおかしくなりそう」

「お、良かった。いつものマリキューだ、どうやらまだ頭がおかしい事に気付いてない」

「待って、安心しちゃダメ。これ以上頭がおかしくなると、マリキューが奇特部ラインになっちゃうかも。ここらで医療機関を受診しておく方が良いよ」

「そうやな。予防は大事やしな」

「おかしい。誰も私をまっとうに心配してくれない」


 とは言え、こんなこと誰にも相談できないのだけれど。私のキャラ的に、こんな話をしたところで新しい設定と思われるのがオチだ。


 真剣に話せば話すほど、場が白けていくだけだろう。うぐぅ、自身の奇天烈なキャラのせいでこんなことになるとは。




 結局、その日の午後からの授業も私の記憶のまま全く一緒で。



 私は、昨日と同じ板書を、昨日と同じノートに書き連ねた。


 不可解なことに、昨日の私が写したノートは昨日の分だけ綺麗さっぱり消えていて。昨日私が授業を受けた痕跡なんて一切残っていなかった。


 4月20日という日を私が過ごした痕跡は、何一つ残っていなかったのである。


 これらをすべて踏まえ、私は結論づけた。


 昨日の私の記憶の方こそ、事実無根の妄想だ。今私が過ごしている、ヒロシの生きているこの世界こそ、現実だ。


 私は、悪い夢をみてしまっただけなんだ。













「よー、マリキュー。今日は1人で帰さねぇぞ?」

「野生の ヒロシが 現れた! マリキュー は どうする?」



 それも昨日と、同じだった。


 いや、”私の妄想”と同じだった。


 ヒロシ少年と、その友人の男子生徒が、私の靴箱近くで待ち伏せしていたのだ。話しかける台詞も、仕草も表情も、何もかも記憶の通り。


 いや、よく見るとヒロシ少年が少し照れている。昨日は突然のヒロシの襲撃に戸惑って気付かなかったが、どうやら彼も、私の手を取って誘うのは照れくさい様だ。


 やや顔を赤くしたヒロシは、強引に私の手を握り、一緒に帰ろうぜと笑いかけてくる。


 ────記憶と、全く一緒だ。


 ……つまり。私の妄想は今のところ、全て的中していると言うこと。


 このまま帰宅すれば、ヒロシ少年は帰り道に事故に遭い、そして────






「やだ。私、あんたと一緒に帰らない」

「……え?」


 私は出来る限り冷静に。ぱっ、とヒロシの手を振り払った。


 これで、昨日とは違う展開。ヒロシが死ぬ可能性は、グッと減った筈。


 だが、ヒロシ少年は非常に傷ついた顔をしている。そりゃそうだ、これじゃあ振ったようなモンだ。


 それに、私がいないからといって事故に遭わないとも限らない。


 こんなに気まずくヒロシと別れて、明日事故で死んでましたじゃ、すこぶる後味が悪い。


「……ヒロシ、私は今日、映画見に行くって決めてたの」

「は? 映画?」

「だから、そ、その」


 だから、これは監視的な意味を込めて。ヒロシが事故死した時間までは、責任を持って私が一緒に居てやろう。


「私と一緒に映画、どうかな?」


 そう言って私は、顔が熱を持つのを自覚しつつ、おずおずとヒロシに右手を差し出した。







 そんな私の言葉を聞いたヒロシ少年は、靴箱の前で腕を突き上げガッツポーズをかまし。


 ヒロシ少年の友人である男子生徒は、ガラ空きになったヒロシのボディに、割とマジの拳を叩き込んでいた。


 鈍い音だった。














「いやー面白かったな、”俺の名を”」


 そんなこんなで、放課後。私はヒロシと共に、今流行っているらしいアニメ映画を鑑賞しに行ったのだった。


 ちまたで大流行しているだけあって、その映画は次々に怒濤の展開で観客を魅せ、盛り上げた。正直、めちゃくちゃ面白かった。


「まさか仮面の男が主人公の兄とはね~。あの弟への妄執には心打たれたなぁ」

「仮面の男がビルの屋上でガソリン撒き散らして火を放つシーンは、圧巻だったな。アレ、CGじゃなくて手書きなんだろ?」


 ああ、気分が高揚してやまない。良い映画を見た後は、こうして誰かと話をしたくてたまらなくなるな。ヒロシが話を聞いてくれて、ホント助かる。


 もう完全にデートしちゃってるが、コレはヒロシを生かす為には必要な処置だったから仕方が無い。


 代金は全てヒロシ持ちだったし。ありがたや、ありがたや。





 ……そんな、凡俗な美少女の様な一日を過ごした罰が当たったのだろうか。


 大ヒット映画だけあって映画館を出た付近の人混み激しく、手を繋いでいた私とヒロシは人肉の圧力で分断されてしまった。


 彼と繋いでいた手が、引き剝がされる。


「……いたっ」


 人混みをかき分けて、ヒロシとはすぐに合流は出来た。けれど、彼と繋いでいた私の手には、薄く血が滲んでいる。


 軽く切ったらしい。


「ん。なんだマリキュー、手怪我してんじゃん。ちょっと見せて」

「え、あ、うん」


 私は左の掌を持ち上げ、血の出所を探す。どこを切ったのだろうか?


 痛む部位を探し、私は手を裏返す。


 左手の甲には、強く何かに引っ掛かれた古傷があった。そこの傷口が開いて、ジンジンと痛み、血が垂れてきてしまっている。


 ────いつのだ? いつ私はこんな怪我をしたんだ?


 受傷して1日くらい経った、まだ少し痛々しいミミズ腫れみたいな傷痕────





 ヒロシの死に顔が、フラッシュバックする。




 事故の瞬間まで彼に握り締められていた、私の手。


 そうだ、この傷は。


 ヒロシが車に跳ね飛ばされた時、彼が吹き飛んだ勢いで手が離れ、強く引っ掛かれて、そして。


「お、おいマリキュー。どうした、顔真っ青だぞ」


 いや、違う。


 昨日のアレは妄想だったと、そう結論付けたじゃないか。ありえない、何であの時の傷がまだ私の手に残っている?


 それとも昨日の記憶は、妄想じゃなかった? 今目の前に居るこのヒロシこそ、ひょっとして幻覚?


 今のこの状況自体が、ヒロシとデートしているこの時間がすべて私の妄想で、夢で、虚構?


 もし今頬をつねれば、私は誰も居ない部屋の中で目を覚ますのか?



 ────くらり。くらり。



 ああ、頭がふわつく。吐き気が込み上げてきて、地上が歪んで見えて────


「っ!! マリキュー、おいってば!」


 突如襲ってきた眩暈で立っていられなくなった私は、姿勢を維持することを早々に放棄し、空中へと身を委ねた。


 ……そして支えを失った無様な私の身体は、誰かに優しく抱きしめられたのだった。


 ガッシリと、筋肉に包まれる感触。ゴツっとした、温かい生身の人の温もり。


 目の前には、心配そうにのぞき込んだヒロシの顔。


「……大丈夫かマリキュー。体調、悪いのか?」


 ……居る。


 ヒロシは、目の前に居る。だから昨日、ヒロシが死んだなんて事実はない。


 そうだ。この傷は、きっと知らない間にどこかで付いた傷だ。何を私は混乱していたんだ。馬鹿じゃないのか。


「ご、ゴメン。その、少し気分が悪くなって」

「風邪か? ちょっと待ってろ、タクシー呼んでくる」

「だ、大丈夫だから! そんな大げさに……」


 ヒロシの目は真剣だった。うわ、やらかしちゃった。


 ……私って最低だな。


 いきなりぶっ倒れて、人にこんなに心配かけておいて、その理由は“夢でアンタを殺してました”だからなぁ。


 ああ、人として恥ずかしい。でもよし、これで冷静になった。


 昨日のアレが、リアルな私の妄想。今の目の前の光景こそ、ちゃんとした現実。


 もう迷わない、もう惑わない。


「マリキュー。良いから、俺に任せてくれ」

「ホントに、ホントにただの立ち眩みで。タクシ―呼ばなくたって……」

「オレがタクシーに乗りたくなっただけだ。マリキュー、ついでに家まで送っていくから、一緒に乗ってけ」


 そう言って私を抱きしめたまま、ヒロシはスマホを片手に電話を始めた。此処にタクシーを呼ぶつもりらしい。もう大丈夫だってのに。


 とはいえ、存外に頼りになるなこの男。


 律儀というか、カッコつけというか。私の色香に惑っているとは言え、ヒロシの奴は全く……。


 ……待て。


 この状況でずっと、タクシー来るまで待機?


 公衆の面前で、抱き合ったまま?


「えっと!! 本当に、本当にもう大丈夫だから。ちょ、恥ずかしい! 恥ずかしいから放せって! てか胸にガツガツ手が当たってるし!! セクハラだぞ!」

「ふらついて倒れかけた奴が何をぬかす。セクハラで訴えたけりゃ好きにしろよ、俺は放さん」

「いや、あ、あ、ホントに恥ずいってば」


 ヒロシめ、変な所でガンコな。こんな思いっきり抱き合って人の目とか気にならんのか────人の目?


 横目で周囲を見渡してみる。


 うわ。よく見たら私達めっちゃ目立ってる。人混みに野次馬がめっちゃ居る。生暖かい目で見られている。


 そりゃそうか。映画館の前で、人目もはばからず抱き合ってるなんて完全なバカップルだ。


「はな……放して、本当に、コレ、恥ずかしくて死ぬから」

「あん? うおっ! 今度は顔真っ赤になっとる、スマン!」

「うん、その、羞恥心ヤバイから勘弁してホント」

 

 私の本気で困った声を聴いて、周囲の目を自覚したのだろうか。辺りを一瞥し、私の顔を見て慌てたヒロシは、シュバっと私を解放した。


 ふぅ……。


「……す、すまん。ちょっとマリキュー心配し過ぎて暴走してたわ」

「いや、その、それはありがとうって言うか。ゴメンね、心配かけて」


 ヒロシ少年も、いきなり私がふらついてテンパったのだろう。確かに暴走していたが、それはまぁ仕方のない事だろう。


 むしろ良く咄嗟に支えてくれたモンだ。


「タクシー、呼んでくれたんだよね」

「おお。あと10分くらいで来るらしいから」

「ありがと」


 電話を終えたらしいヒロシが、性懲りも無く私の手を握ってくる。


 今はその温もりが心強かったから、私もその手を握り返した。


「その、ヒロシ。聞いてくれる?」

「何をだ?」

「少し、変な話。その、ね、凄く失礼で変な事を言うけど」


 ……謝ろう。勝手に人を死人扱いして、その挙句ぶっ倒れて。正直に話した上で、笑い話にしよう。


「ヒロシが、死んじゃう夢を見たんだ」

「俺が? どういう事さ」

「……分かんない。でも変にリアルでさ、本当に現実みたいで」


 私は、そこで目を閉じた。


 想起する。ヒロシの死に顔を、昨日の事故を、あの残酷な景色を。


「でも、それは現実じゃなくて、ただの私の妄想。それは分かってるんだけど、頭が認識しきれてなかったみたいで」

「……」

「この手の傷もね、その夢の中で負った傷と酷似してるの。それで、一瞬夢と現実がごっちゃになって、ヒロシが死んじゃった気がして。それが怖かったの」


 目を閉じたまま。私は、想起した昨日の景色を強い気持ちで否定する。


 今度こそ。これでもう、私はヒロシが死んだなんて妄想を完全に否定して、正気に戻る。


「ごめんね、失礼で変な事を言って。聞いて欲しかったんだ、嫌だったよね自分が死んじゃうなんて話────」






















 目の前には、誰も居なかった。






「え?」


 ヒロシは何処へ行ったのか。


 先ほどまでずっと一緒に居たのに。私が数秒目を閉じている間に、私を置いてこの場を離れたらしい。


 手が、いつの間にか空を握り締めていた。さっきまでの温もりは、もう何処にもない。


 なんだよ、離れるなら一言言えよ。目を瞑ってペラペラ喋っていた私が馬鹿みたいじゃないか。



 ────いや、待て。誰も居ないのはおかしくない?


 今さっきまでたくさん人がいたぞ? たくさんのギャラリーの中で抱き合って、辱められたのは記憶に新しい。


 そんな映画館の客が、一瞬で全員消え去るってどういうことだ?





 私は振り返った。先ほどまで居た映画館の方へ。


 ヒロシが何処かへ向かったとしたら、映画館だろう。何か忘れ物をして、慌てて戻ったのかもしれない。


 なんて奴だ。女の子を一人置いて、一人で勝手に忘れ物を取りに行くなんて。


 そんな文句を頭に浮かべて────



 電気の落ちた真っ暗な映画館の、開かない自動ドアを目視した。



 私は、呆然と立ち尽くす。


 辺りには人っ子一人いない。当然だ、営業していない映画館の入り口に、人間が集まるもんか。


 ぽつん、と独り。私は、誰も居ない映画館の入り口の前で、立ち尽くしていた。



 ヒロシは、居ない。














 その場で待つこと、一時間。タクシーは来なかった。


 当たり前だ。だってタクシーを呼んだのはヒロシ少年なのだ。


 既にこの世を去ったヒロシに、タクシーを呼ぶ事なんて出来るわけが無い。


 ────私は今日、誰とデートしていた?


 ────私は今日、何処で何をしていた?


 この時ようやく私は悟ってしまった。妄想は、どちらだったのか。


 虚構なのは昨日の記憶か、目の前に広がる現在進行形の景色か。





 ああ。授業を受けた記憶があった時点で気付くべきだった。ただの妄想が、ああも正確に未来を予知できるモノか。


 今日の私の見た景色は。今日の私とヒロシのデートは。


 先程までの、幸せな1日こそが。



「あ、あ、あ────」


 全て私の、妄想だったのだ。



 そこで、私は遂に意識を手放した。


 冷たいアスファルトの感触に抱かれ、私はドサリと倒れ込む。


 今度は、私を抱きとめてくれる人は、居なかった。



次回更新は1週間後です。

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