第二十二話「罪悪」
『ここが私の家』
『……一人暮らしですか?』
『家族はみんないなくなっちゃったからね』
『……すみません』
タク先輩達と別れた後、私がミサさんに案内されたのはマンションの一室だった。高校生が1人で住むには分不相応な、いわゆる高級マンション。
ヤクザ小飼いの能力者であるミサさんだ、さぞ豪勢な暮らしをして居るのか……と思いきや。彼女の家に、生活感はまるでなかった。まるでロボットに手入れされていたかのような、飾り気のない味気なく無機質な部屋だった。
『ここが私のベッド』
『はい』
『以前の私は人形だから、プログラムされた規則正しい生活しこなし続けているわ。夜12時きっかりに眠り始めて、朝まで目覚めなかった』
『なら、私が大きな音を立てない限りは目も覚まさない』
『ええ』
私にそう説明しながらもタラリ、とミサさんの火傷した跡から赤黒い汁が滴る。見るからに痛そうだ。
顔も真っ青、全身火傷の重症だというのに彼女は、その痛みに耐えて私を案内してくれている。そんな彼女の想いには、応えてあげないといけない。
『お願い。頼んだわ。私を────、お兄ちゃんを、助けて』
心の奥底からの頼みであろう。私は震えるようなミサさんのその声を、確かに耳に入れ頷いた。
救って見せる。救わないといけない。だって、彼女を救うことができるのはこの世で私1人なのだから。
『任せてください。私が、全部全部ぶち壊しますよ』
それは、私の仕事なのだ。その場で涙を溢したミサさんの手を取って、私は微笑んだ。
そして、私はタク先輩にスマホで「準備完了」と連絡し。直後、耳を切り裂く不協和音とともに、世界の逆行が始まった────
「ぐーすかぴー、なのです……」
「……」
巻きもどって時刻は、昨日の深夜4時。
私は静かに一人、洗脳されたミサさんの眠るベッドの前に立ち尽くしていた。
「むにゃむにゃ……」
狙い通りだ。恐らくまだ催眠状態にあるだろうミサさんが、無防備に鼻提灯を膨らませて爆睡している。今なら赤子の手を捻るより容易く、彼女の唇を奪うことができるだろう。
時計の音だけがカチカチと響くベッドルームで、私は静かに獲物を見下ろす。最早彼女は、まな板の上の鯉だ。
────ただ問題は。ベッドの中でミサさんが一糸まとわぬ姿で熟睡している、その一点に限る。
裸族なんだ。ミサさん、寝るときは裸族なんだ。
さて、どうしたものか。このままだと、裸の女性の寝込みを襲って唇を奪う事になる。どうみても変態ですね。
……いや。ちゃんと本人の許可も貰っているんだ。未来の彼女から、助けてくれと念を押されているんだ。私はやるぞ。やらなきゃいけない。
こうしてみると、結構ミサさん美形だな。睫毛が長くて、髪もサラサラで身体も豊満で、って馬鹿! 私は何を考えているんだ、変な気分になるだろうが。
余計なことを考えるな、慎重に行かないと。出来るだけ音を立てないように、私は静かにミサさんに覆いかぶさり、そして。
「……んあ? マリキューちゃん?」
「あ」
パチクリ、と見開いた裸の女性と目が合った。
殆ど気配を殺しきったつもりだったが。不幸にもミサ……泉小夜は目を覚ましてしまった。ベッドに体重をかけたのがまずかったか。
「え? えー……なのです。これ、何ですか?」
「夢ですよ泉先輩」
「そっかー。夢かー」
だが、幸いにも彼女は寝ぼけている。今が最後のチャンスだ、完全に覚醒されたらめんどくさい。
彼女は確か、ヤクザに合気道を仕込まれていたはずだ。肉弾戦になったら押し負けてしまう。
「夢の中のマリキューちゃんは何でこんなところに?」
「先輩の唇を奪うためですよ。泉先輩?」
「…………え?」
よし、行くぞ。ミサさんの洗脳を解くのは、状況が飲み込めず惚けきってている今しかない。私は裸の泉小夜に覆いかぶさり、そして体幹を逃げられぬように押さえ込んだ。体重を使って押さえ込めば、非力な私でも力押し出来る。
────目と鼻の先に、泉先輩の顔がある。そして、
「目をつぶってください、泉先輩」
「…………はい?」
「いただきます」
「…………んっ!? んん、むん────」
私はそのまま、彼女の唇を強引に頂戴したのだった。
「信じられない!! このレズ強姦魔!! 私に近寄らないで!!」
「痛たたた。な、投げ飛ばさなくても」
ミサさんの唇を奪うことに成功した私は、涙目のミサさんに腕を捕まれ軽やかに宙を舞い、受け身も取れずフローリングの床に叩きつけられた。合気道ってスゴい。
「どうやってうちに入ってきた!? このマンションのセキュリティはどうなっている!?」
「いや、その忍び込んでなんか居ませんよ。私は、普通にミサさんに部屋に入れて貰った訳でして」
「馬鹿言わないで、そんなことしてないし! あなたが勝手にやったんでしょう!?」
「違うんですよ、聞いてください。実は私は未来から来た人間でして、未来のミサさんが私に許可をくれたんです。このままだと貴女は不幸な事になりますので、どうか寝込みを襲ってくれ、よろしく頼みますって」
「いやあああああ!! 電波ね! これが噂に聞く、本物の電波ね!! あなた、頭がおかしいんでしょう!?」
せやな。自分で言ってて何だけど、電波にしか聞こえない。
全部事実なんだけどなぁ。
「落ち着いてくださいってば。……ゆっくりと、今の自分を思い出してください」
「電波には何を言っても無駄ね。悪いけど通報させてもらうから!」
「警察だけはやめてください。本気で、マジで」
警察経由でヤクザに情報が漏れたりしたら洒落にならない。と言うかそれ以前に、私にとんでもなく不名誉な前科がついてしまうからやめてほしい。
「ソコを動かないでよ……、近付いたら大声出すからね……!」
「落ち着いて。このままだと貴女は、生き残った唯一の肉親を殺す事になるのですから」
彼女は頑なに私の話を聞こうとせず、スマートフォンを取り出して通報の構えを見せた。だが、じきに彼女も気が付いてしまうだろう。その、自らの過去に行った所業を。
「は? 私の家族は誰も死んで、なん、か……」
「全部思い出すのは辛いと思います。でも、貴女は思い出さなきゃダメなんだ。前に進むために、家族を守るために、思い出さないと」
「わた、し、は」
だって、もう彼女の洗脳は解けているのだから。私の接吻の後、ミサさんの口調は明らかに変化している事からもそれは確実だ。
だから、あとはゆっくり説明してやれば良い。
「私は、何で─────」
「大丈夫。大丈夫です、貴女のせいじゃない」
「あ、あ、あ─────」
「大丈夫、ですから」
だから私は、彼女が早まった行動をしないよう。混乱し崩れ落ちたミサさんを、ゆっくりと抱きしめたのだった。
「……未来の私は、何て?」
「えっと。『私はナオヤのお嫁さんになるのが夢』、こう言えば信じてくれるだろうって」
「そうね。私が正気だとしたら、きっと合言葉にそれを選ぶでしょう。貴女が単なる敵対組織の人間じゃないってのは信じるわ」
「良かった。それじゃ、私はタク先輩に連絡を取りますね」
スマートフォンを通じて、私は彼に「首尾は上々」と送信した。これで、作戦の第一段階はクリアだ。後はタクさんと合流し、アジトに向かうだけである。
「兄さんは、生きているのよね」
「元気にしてますよ。私の肩を切り刻めるくらいには」
「そう。ご、ごめんなさいね?」
最も、ミサ兄につけられた傷は大分塞がって来たけれど。でも、女の子として一生残る傷をつけられたのはちょっと腹が立つ。
うん。全部終わったら、一回ビンタしよう。それくらいは許されるかな。
「タク先輩からの連絡待ちです。ちょっと待っててくださいね」
「分かった」
時間逆行から、それなりに時間も経っている。恐らく、タク先輩も準備を終えているだろう。返信まで、そんなに時間はかからない筈だ。
「ですので、ミサさんは今のうちに服着ててください」
「……え、ええ」
だから私は、未だに堂々と全裸で仁王立ちを続けるミサさんに、それとなく着替えを促した。
いくら同姓とはいえ、さっきから気まずいんです。
こうして私は無事、ミサさんの洗脳を解くことに成功した。ここまでは作戦通り。後は、タク先輩と合流するのを待つばかりだ。
因みに、ミサさんは少し天然系らしい。あのボケボケしたキャラクターは作っているモノだと思っていたけど、本人も少しボケていた。
何故なら。全裸を恥じたのか頬を赤らめ「服を着る」と言って部屋を出ていった彼女は、何故か熊の耳がついた茶色の着ぐるみ風パジャマを装着して現れたからだ。
今から我々のアジトに来てもらう、と説明して再度着替えて貰った。どうやら彼女、明日の朝まで寝るつもりだったらしい。
ミサさんは生まれもってののんびり気質のようだ。寝惚けて頭が回ってないだけかもしれないけど。
外は、まだ真っ暗だ。まだ季節は春である、午後4時に太陽が上るべくもない。
そんな早朝に、タク先輩から送られてきた地図を見ながら私とミサさんは並んでアジトに向かう。タク先輩とは、アジトで待ち合わせるのだ。
「と言うかミサさん。あのパジャマ何なんですか」
「冬用パジャマよ」
「いや、そうじゃなくて」
道中話題もなく気まずい沈黙が続いていたので、あの熊さんパジャマについて聞いてみたが。そっか、冬場は寒いから裸族じゃないんですね。いや聞きたいのはそこじゃなくてセンスの問題で……。
小学生みたいなパジャマ、と言いかけてふと気づく。
そっか、もしかして。小学生の頃に人格を歪められたから、そう言う嗜好も小学生で止まっているのかも。少なくともあれは、高校生女子のセンスでは無い。
────チラリと、自宅に封印されている赤い蜘蛛男スーツが頭をよぎる。あ、私も人の事言えないや。
「変に見えるかしら? 昔ね。兄さんが、あんなタイプのパジャマ着たら可愛いって言ってくれたの。それだけよ」
「……ミサさん」
「兄さんは、その、貴方達のアジトに居るのね? もうすぐ会えるのね」
「はい」
ジワ、とミサさんの目尻に涙が浮かぶ。そっか、彼女に取って彼が唯一の肉親か。家族を殺し尽くした後の、最後の生き残りか。
「覚えているわ。兄さんをね、殺そうとした日の事を」
「え? ミサさん、1度あの人を殺そうとしたんですか?」
「ええ。洗脳する人数がいっぱいになったから、枠を開けるために洗脳を解いて東京湾に沈めようとしたの。そしたら、逃げられちゃった」
「自力でですか?」
「そう。今思うと、兄さんも能力に目覚めてたんだね。ドラム缶に詰めていざ捨てようとした瞬間、あの人は煙のように消えていた。化かされたみたいに」
「……成る程」
そっか、あの人は殺される直前に能力に目覚めて助かったのか。
それで、生き延びた挙げ句自分の妹を殺しかけて、逆に妹に殺されてしまうのだから彼も報われない。
「兄さん、私の事をどんな風に言ってた?」
「今の時点だと怨敵、て感じだと思います。でも、全部知ったらミサさんを愛しているって絶叫してましたよ」
「……そう。でも私、パパもママもお姉ちゃんも、皆殺しちゃったわ。謝って、許してくれるかな。許して貰おうなんて無視がよすぎるかな」
「ミサさんは悪くない。それは私が保証します」
ポロポロと、ミサさんは涙をこぼし始めた。やはり、洗脳が解けた直後の彼女はまだ心の整理はついていないようだ。
「兄さんに嫌われたりしないかな。土下座して、一生懸命謝れば良いのかな」
「大丈夫です。大丈夫ですから」
「私、私────」
小さく震え、崩れ落ちそうになるミサさんの肩を抱いて。私はゆっくり、アジトの中へと入っていった。
私がここで100の言葉を掛け慰めるより。実の兄に会って、彼の言葉を聞く方がずっとずっと支えになると思ったから。
「怖い。兄さんに会うのが、怖い!」
「……大丈夫です」
私は、パニックになりかけているミサさんを両手で優しく包み込んだ。それはそうだろう、自ら家族を殺した彼女の心の傷は、きっと誰よりも深いのだから。
だけど。きっと、あのミサ兄に会って話をすれば全部上手くいくはずだ。あの優しい男なら、絶対にミサさんを許すはず。
私は、震えるミサさんを抱き締めたままゆっくりとタク先輩の指定した三階の部屋の扉を開け────
「どうかぁぁぁぁぁぁ!!! 俺のチン●削ぎ落とすのだけは許してくださいませ安西様ぁぁぁぁぁ!!」
「ガハハハハハ!! その調子だ、お前の立場は何なんだ!? 教えた通りに言ってみろぉぉ!!」
「俺は卑しい豚野郎です!! 豚野郎の粗末なポークビッツに、安西様の御慈悲をくださいませぇぇぇぇ!!」
「ガッーハハハハハッ!! そうかぁ! 私の慈悲が欲しいかこの豚野郎!!」
「ブヒブヒブヒィ!!」
ノリノリで土下座している男を目視し、そのまま無言で扉を閉めた。
私達は何も見ていない。
うん。おとなしくタク先輩が来てから、部屋に入ろうか。
「────てな訳でして。安西さん、今はミサちゃんは味方って訳です」
「……ほう! なかなか修羅場を潜ったようだな」
タク先輩と合流した私はソファの上にどっしりと腰を下ろした女傑、安西に報告を行った。その傍らには、先程必死で股関乞いをしていたミサ兄も立っている。
「マリキュー!」
「は、はい!」
「能力無効とは凄いな! 惚れ惚れする! これからは洗脳された憐れな人間を、洗脳上書き以外の方法で救うことが出来るのだろう?」
「そうなります……」
「いや、天晴れ!」
安西女史は、豪快に笑いながら天晴れと書かれた扇子を広げた。
何だこの人。真夜中だと言うのに物凄い勢いで、矢継ぎ早に話しかけてくる。
深夜のテンション、というやつなのか? いや、この人はなんかコレが地っぽいぞ。あまり関わりたく無いな。
「ミサ……なのか!? うおおおおお!! ミサ、ミサぁぁぁぁぁ!!」
「ごめん兄さんはちょっと近付かないでくれるかな。キモいし」
「あれぇぇぇぇぇ!?」
一方で、妹の目前でSMプレイに興じていたド変態は、感動の再会から早くも兄妹の縁を切られかかっていた。そうよね、汚すぎてドン引きするよねあの光景は。出来れば私も、記憶から消し去りたい。
「で、だ。安西さん、今度はこっちから攻め込まねえか?」
「ふむ?」
そんな微笑ましい兄妹喧嘩は捨て置いて、これから真剣な話だ。タク先輩は安西女史に、最終決戦を提案した。これは、ついさっき逆行する前に奇特部みんなで話し合って決めた提案である。
「ミサちゃんの内通がバレてない今が一番のチャンスだ。敵のアジトの場所も能力者の数も種類も、かつてないほど情報が揃ってる」
「成る程な。大チャンスには違いない」
「加えて、日にちが経てば経つほどミサが洗脳されてないと露見するリスクが増える。もしバレたら、ミサが再度洗脳されたり殺されたりして一気に不利になる。時間をおいて行動するメリットなんざ皆無だぜ」
「そうだな。しかも、仮に失敗してもタクが自殺しまたやり直せば良い訳だし」
ソレは、今日この日に全員で奇襲をかけて、全てを終わらせると言うもの。私さえいれば、洗脳された哀れな人たちをすべて救済できるのだ。ミサさんの様な不幸な人間を、もう見たくはない。
この世の不幸な能力者を、一人残らず笑顔にしてやる。それが、私の立てた誓いだった。
「徹夜でそこの馬鹿を苛めてたせいでちと眠いが、うむ、良かろう! 兵隊に準備をさせておく。お前達も今は休んでおけ」
安西女史は自信満々にそう言い放って腕を組んだ。……乗ってくれるようだ、私たちの決戦に。
体感でほんの数週間ではあるが、私を散々に翻弄し追い詰めた敵。ヤクザの親玉には、どれだけ文句を言っても足りない。
「ようし! 各自散会!! 作戦開始に向けて鋭気を養え!」
「はい!!」
「ようしミサ、積もる話もあるしここは俺と一緒に────」
「私は眠いから寝る。1人にして、兄さん」
「あれぇ?」
あと兄は、早く失った信用を取り戻せ。さっきからミサさんの目が死んでるから。
あ、そう言えば……。
「あ、あの……。お兄さん? そういや貴方の名前、聞いてないんですけど」
「お? そっか、名乗ってなかったかマリキューちゃん」
心の中ではずっとこの人を「ミサ兄」と呼んでたけど、名前も知らないのは失礼だよね。一度聞いておかないと。
「肩の傷の件は悪かった、この通り謝るよ。俺は、轟ナオヤと言う。罪滅ぼしなるかはわからんが、困ったことがあれば何でも言ってくれ。何でも力になろう」
「……え、ええ。よろしくお願いしますね轟さん」
「ナオヤで良いぜ。ミサだって同じ苗字なんだから」
お、おお。昭和の番長みたいな名前だ。ってことは、ミサさんは轟ミサって言うのか……。ちょっとカッコいいな。
それにしても轟ナオヤか。ナオヤ、どこかで聞いたような。……ナオヤ?
『私はナオヤのお嫁さんになるのが夢』
バッ、と私は咄嗟にミサさんの方へ振り替える。私の目線を受けたミサさんは少し頬を染め、目を背けながら「何よ」と睨み返してきた。
あ、あー……。ミサさん、あんたそう言う……。




