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第十九話「泉小夜と言う女」

 狭い裏路地に、のんびりとした怒声が響き渡る。


「ぷんすかぷーん!!」


 女生徒の口からこぼれた、アニメ調の間抜けな擬音。それは、きっと彼女なりの怒りの表現だったのだろうか。


 非力な泉小夜(せんぱい)は、尻餅をついた私の前に立ち、目元を釣り上げて洗脳された二人を睨み付けていた。


「そコをどケ」

「お前ハ標的(ターゲット)ではナい」

「むー? 反省の色、なっしんぐですー」


 二人は彼女を脅しつつ、戸惑ったように硬直していた。


 マリと男子生徒は、想定外の事態にどう動いたものか混乱しているらしい。命令され動く人形である二人は、自分で思考してものを考えるのは苦手なんだろう。


 この女先輩には悪いが、逃げ出す好機だ。まさに、九死に一生を得た。柊先輩に連絡を取り、この時間をやり直す事さえ出来れば万事解決である。


 背後には、ヤクザのモノらしい車が止まっている。あの方向に逃げ出すのはリスキーだろう。ならば、奥へ行くしかない。


 行き止まりかも知れない、待ち伏せされているかも知れない、リスクだらけなこの裏路地の奥へ!!


「マて!」


 二人の脇を、私は屈んだまま全速力で駆け抜ける。当然それを見逃す男子生徒ではなく、先ほどのように私の首根っこを掴もうとして、


「秘技! 小手返しなのですー」


 その手を掴まれ、女の先輩に綺麗に投げ飛ばされていた。……え、強っ!


「マリキューちゃんもまだ暴れちゃいますかー? ふふふ、いいのですよ? 合気道黒帯の私に勝てると思ってるのであるならー」


 ドヤ。


 満面のドヤ顔で男子生徒を見下し笑う先輩、泉。コイツ、予想外に役に立つ。


「一旦逃げて、人の多い所に行きましょう泉さん!」

「それもそーですねー」


 とはいえ、このまま泉を放置していたら洗脳されて敵に回るのがオチだ。この謎に強い合気道黒帯が、敵に回るのは避けたい。


 最悪この人は見捨てて逃げるつもりだったが、護衛にもなりそうだから同行してもらおう。


「連絡ヲ……」

「我らの手ニ負えヌ……」


 洗脳された二人は、追いかけてこなかった。ただ、どこかに通話して連絡を取っているのが見えた。


 何か策でもあるのだろうか。
















 駆け抜けた先にあったのは、開けた道路だった。薄暗い街灯に照らされて、仕事帰りであろうサラリーマンが往来を行き来している。


 早くタクさんに、柊先輩に連絡を取らねばならない。だが私のスマートフォンは、既にマリの手の中だ。


 公衆電話を使うか? 万一に備えて、柊先輩の電話番号は記憶している。……いや、携帯電話の普及しきった今の時代で公衆電話を探すのは一苦労だ。それよりも、


「あの、泉先輩。……申し訳ないんですが、とある人に連絡を取らないといけなくて。さっきマリにスマホ取られちゃったので、貸していただきたいんですが……」

「ねー、災難だったのです。私のスマホでよければ、どうぞなのですよ」


 目の前の女性に借りるのが一番手っ取り早いだろう。


 泉先輩は眠たそうな目付きのまま、嫌な顔一つせずにスマホを貸してくれた。それだけじゃなく辺りにマリや男子生徒が来ていないかキョロキョロと警戒してくれている。この人は、かなり良い人らしい。


 言葉に甘えて私は柊先輩に電話をかける。これで、後はこの男がうまくやってくれる筈……。








『────お前らは何とまぁ。何でこう次から次へと、厄介事を運んでこられるんだ?』

「……私の責任じゃありません」


 幸いワンコールで、柊先輩はスマートフォンに出てくれた。通話ごしに、機嫌の悪そうな彼の様子がうかがえる。


「そちらも、大変だったんですか?」

『まぁな。ソレはどうでも良い、マリキュー後輩があっち側に行ったのが最悪だ。奇特部の情報全部筒抜けじゃねーか……。とりあえず自殺して時間戻す』

「お願いします」

『ブン子、お前は情報集めにかかれ。マリキューカップルに突撃して、誰と通話しているのか探ってこい』

「……はぁ」

『過去に戻るにしろ、情報は多い方が良いからな。万一死んでも大丈夫だ、俺の能力で生き返れる』

「えー……」


 そして先輩は、何と私に「二人に自殺特攻しろ」と言う命令を出した。どうせ巻き戻すから、私がどうなろうと知ったことじゃない訳か。


 まぁ、実際に問題ないんだろうけど。私が死ぬ前提で作戦を立てられるのは、あんまり嬉しくない。


『マリキューのためだぞ、ブン子』

「はいはい分かったやりますよ、やりますけど先輩は人間としてアレです」

『好きなだけ文句垂れろ。お前からの信頼がいくら下がっても、時間が戻れば元通りだ。とっとと有益な情報を落として死ねブン子』

「それがアンタの本性ですか……」


 柊先輩には、少しも悪びれる様子がない。


 機嫌悪そうに暴言を吐き捨て、冷たく私に命令を出した。


 こ、こんな人だったのか柊先輩。私達能力者のために一人で戦ってるって聞いて、ちょっとは尊敬してたんだけどなぁ。


『奴らが通話しているスマホを奪って連絡先を見られれば最高だ』

「そう簡単にいくでしょうか?」

『ま、失敗して元々だよ、失うものは何もない。じゃ、頑張れ』


 そんな身勝手な指令と共にツー、ツーと無機質な音が流れ、柊先輩との通話が終了した。


 あの野郎。能力者はだいたい性格がひん曲がっているって聞いたけど、あの先輩も例外じゃなかったか。


 だが、マリの為と言われたら断る理由はない。やってやろうじゃないか、自爆特攻。少しでも情報を多く稼いでやる。


 小さな決意を固め、私は切れたスマートフォンを先輩へ手渡した。


「通話は終わったのですか~?」


 ニコニコと笑いながら、泉先輩が私からスマホを受けとる。うん、この人が手伝ってくれたら、成功率はかなり上がるだろう。


 さて、でもどうしたものか。本当にこの人の良い先輩を巻き込んでしまって良いものか? 


 どうせ、全部無くなる事だ。柊先輩の言う通り、信頼を損ねてでも有益な情報を拾えた方がいい。


 この女も巻き込んで、マリと男子の二人を襲撃した方がよっぽど成功率が高い筈。何せ合気道の黒帯だ、一対一なら負けないだろう。


 でも、もしマリが応援を呼んでいたら? もう一度あそこに向かったら、山のようにヤクザが(たむろ)しているかもしれない。そうなれば、私や泉先輩の末路も想像がつく。


 いくら、時間が戻って何もなかった事になるからって────




「ありがとうございました、泉先輩。また絡まれると厄介なので、早く帰りましょう。ここでお別れです」




 巻き込んでいい、なんて話にはならない。私は、ここで泉先輩に別れを切り出した。


 今日、泉先輩には十分すぎるほど助けてもらった。これ以上、何の関係もない彼女を巻き込むのは気が引ける。


 そもそも、タク先輩と連絡がついた時点で私たちの勝ちなのだ。あとは、より勝利の質を高めるだけの作業。


 この人の良い先輩を巻き込むのは、忍びない。


「そうですかー、気を付けて帰るのですよー」

「ええ。先輩もどうか、気を付けて」


 その言葉と共に、私は来た道を引き返し。単身、先ほどの裏路地へと走っていった。












 気配を殺して、裏路地を進む。


 あの二人は何処だ。路地に、人の気配はない。もう別の場所に移動したのかもしれない。


 更に、進んでいく。辺りはシンと静まりかえっており、人影ひとつ見当たらない。都会の喧騒から切り離されたままである。


 結局、裏路地を大通りに抜けても、誰とも出会えなかった。先程、裏路地の出口付近に停車していた車も何処かに消えている。


 もう引き上げたのだろうか。


 ならばこれ以上、この辺を彷徨いても時間の無駄である。私はふぅ、と一息ついて踵を返した。


 周囲は、喧騒に包まれている。往来に人の行き来する、安全な場所に私は立ち尽くしている。


 さて、私の手元にもうスマートフォンは無い。でも、駅の近くにいけば公衆電話くらいあるだろう。


 これ以上粘っても、情報獲得は難しいだろう。柊先輩に連絡を取って、もう時間を戻して貰うとしよう。


 そう考え、私は駅に戻るべく来た道を引き返した。再び人の居ない裏路地へと足を踏み入れて────















 そして、私の足が吹き飛んだ。






 痛みより先に、身体がぐらついた事で私は自身の異変を察知する。往来から道一つ外れた裏路地で、私は血を撒き散らしながらバランスを崩して路上に突っ伏した。


 驚愕で、一瞬意識が飛ぶ。その一瞬の空白の思考停止時間に、私は誰かにのし掛かられ取り押さえられた。


「ハァイ、川瀬さん? ご機嫌イカが?」


 聞きたくなかった、親友の声。


 冷たい何かを私の後頭部に押し当てながら、マリは私を嘲るように笑っていた。


 つけられていた。私は、尾行されていたんだ。


「ふぅん。音を聞こえナクするだけデも気付かれないもんナンだね?」

「日本で生きていれば普通、銃の存在なんて頭にない。銃声を聞こえなければ、発砲したなんて誰も思わんよ」


 マリのお尻にのし掛かられて、全く身動きのとれない。そんな私の背後から聞き慣れぬ声がした。


 先ほど見た、洗脳された男子生徒の声か? いや、とても流暢な話し方だ、とても操られているようには思えない。声も嗄れて、幾分年を食っているように思う。


 となると、こいつは。


「お前、ヤクザか」

「んー? ま、確かにそう呼ばれているけどのぅ、ヤクザ呼ばわりはあんまり良い気持ちがせん」


 マリに押さえ込まれているせいで、その男の姿を確認できない。だが、その声や態度からはっきりと分かった。


 この男は、悪だ。


 何の躊躇いもなく人を撃ち殺せる、悪の権化だ。直感的に、私はそう悟った。


「そういう貴様こそ、なかなか危険な能力持っとるそうじゃないか。記憶簒奪、とは恐ろしい。確か目で見て話をするのが条件、だったかの? お前ら目を潰せ」

「仰せノマまに」


 私にのし掛かり体重を預けるマリは、男の命令に応える。彼女は無表情に私の眼球を抉るべく手を伸ばして、私は両目を強く抉られる。思わず、苦悶の声が漏れてしまう。


「ごめんナサい川瀬さん」


 圧が、強くなる。私は、観念して抵抗をやめた。


 駄目だ。殺されてしまうか洗脳されてしまうか分からないが、作戦は失敗らしい。


 まぁ、ダメで元々だ。後は柊先輩に任せよう。


 ……そして、彼女の白い指が元金を抜き取るべく私の眼窩を強く圧迫したその一瞬。不意に、彼女の指の動きが止まった。


「……どうした?」

「妙な気配がアリます」


 マリは、訝しむヤクザに向き直り。釣られて私も、男の方向を向いて、気が付いた。


「────あっ」


 先ほどからずっとマリに命令を出していたその男は、今まさに殴り掛かられようとしていたのだ。マリは機敏に私から離れ、自らの腕でヤクザの男を庇った。


 襲撃者は小さく舌打ちして、一歩距離をとる。そして、倒れこむ私にハンドサインで逃げるように指示をした。


 私を救った、若い女の襲撃者。目付きは鋭く、ヤクザの一挙手一投足に集中して睨み合っている。


 彼女は肩で息をしながら、新聞紙を丸め剣のように構えて立っていた。


 その男を威圧し、そして私を守るべく立っていた。



「……やっぱり、嫌な予感がしたのですー」



 先ほど別れたはずの、泉先輩。


 眠たそうな眼を見開いて、額に汗を浮かべながら彼女はヤクザに対峙した。


「この女は?」

「同ジ学校の知リ合いでス。この現場を見られてシマったので洗脳スることを提案シマす」


 なぜ、彼女が此処にいるのだろう。この先輩を巻き込みたくなかったから、私は彼女と別れて一人でここに戻ったのに。


 危険だ。相手は銃を持ったヤクザなのだ。私のように足を撃たれてしまったら、いくら合気道の達人でも勝てる訳がない。


「殺すと始末が面倒だしな。よし、捕らえろ」

「捕獲ハ先ほど失敗していマス。あノ女、体術を使いマス」

「面倒だな、ハァ」


 男はそういうと、再び銃を構えた。やはり、足を撃ち抜く算段らしい。


 銃を見た後の、泉先輩の反応は早かった。ギリ、と新聞紙を握りしめ彼女は銃に臆さず単身突っ込んでしまう。


 それは無茶だ、近づいたらますます当たりやすくなってしまう。そもそも男の近くにはマリと男子生徒が立っているのだ、接近戦を挑んだら囲まれて取り押さえられてしまうのがオチだ────


「新聞紙は、広げて使うものなのですよ!!」

「なっ!?」


 そして、彼女は予想外の行動に出る。泉先輩はなんと、丸めていた新聞紙を突如広げ男目掛けて派手にばらまいたのだった。


 一瞬とはいえ、男は視界を失う。風に舞う新聞紙の目隠しを振り払い、再び銃を構えた男の目に映ったのは。


 ────自分に向かってぶん投げられた、ガタイの良い男子生徒の姿だった。


 泉は新聞紙でヤクザの視界を塞ぎ、慌ててヤクザを庇おうとした男子生徒の腕を掴んでヤクザに投げ飛ばしたのである。自分より重い男がタックルの如くぶつかってきたわけで、ヤクザは堪え切れずに尻餅をついて男子生徒ごと倒れこんだ。


「……はぁ、はぁ。捕まるのですー」


 見れば、男は転倒した際に銃を取り落としたらしい。マリが慌てて、路地の奥に転がった銃を追いかけている。


 その間、完全にフリーになった私を担いで。泉先輩は、裏路地から人気の多い往来へと逃げ込んだのだった。















 彼女は、足を撃たれた私を往来へと運び、そして叫んだ。


「通り魔です、この娘は足を怪我しています、誰か救急車を呼んでください」と。


 いきなり重症な私を担いだ人間が、道端で叫んだのだ。周辺は大パニックである。


 遠目に、裏路地を引き返すヤクザの姿が見えた。


 流石に、ヤクザたちはこの状況でなお襲ってくるようなことはしないらしい。リスクリターンを考えての事だろう。


 救われた。完膚なきまでに、私はこの人に救われた。


「はー、はー。心臓が止まるかと思ったのですよー」

「い、泉先輩……」


 彼女は顔面も蒼白なまま、引きつった顔で私に話し掛ける。


「本当、馬鹿じゃないのですかー……? 何で貴女、戻っているのですー?」

「その、少し事情がありまして……」

「マリキューちゃんもヒロシも、どー見ても正気じゃなかったのですよ。下手したら殺されていたのですよ?」


 泉先輩が私を説教するその声には、僅かな怒りと多分な私への心配が篭っていた。そこは本当に申し訳ない。


 確かに、どうせ生き返るからと私は自身の命を軽く見ていた。


 でもやはり、冷静になると殺されたとして大丈夫だなんて思えない。どんな状況でも、死は死なのだ。


 私は、死にたくない。マリがあんな状態だというのに、彼女をおいて死ぬ訳にはいかない。


「助けてくださってありがとうございました、先輩」

「ん? そんなの、人として当たり前なのですよ。それより、あの二人です……。何がどうしたら、あんな感じになっちまうのですかねー?」


 泉先輩は、私の肩を抱いたままウンウンと唸っている。マリと男子生徒の知り合いだったらしいからな。二人の豹変ぶりに困惑しているのだろう。


 ……まさか、超能力で操られているだなんて想像だに出来まい。


「何か知っていませんか、川瀬ちゃん?」

「……いえ、何も」

「むむむ、隠すなですー。貴女にどんな事情があったか知らないけれど、少しは先輩を頼れですー」


 何も知らない振りをして誤魔化そうと試みるが、残念なことにアッサリ見破られた。私は、嘘をつく才能が無いらしい。


 眉間にシワを寄せた泉先輩は、慈しむように私の肩に手を回した。


「貴女は人を信用する事を覚えるのですー。手始めは、私からで良いですから」


 そして泉は、私の肩を抱いたまま手元に引き寄せ、ギュッと体幹を抱き締める。


 は、はわわ。目を、目を反らさないと。


「私には、何に巻き込まれているのか知りませんけれど。貴女は他人に甘えることに、怯えすぎなのですよー」

「……」

「困った時に、助けてと言う勇気を持つのですよ。私でよければ、力になりますから」


 必死で目を背け顔を見ないようにしている私の頭を、泉先輩は優しく撫でて。心地よい、柑橘系の香水が香る。


 駄目だ。この優しさに甘えては駄目だ。私はまだ、能力を制御しきれていないのだ。


 泉先輩の差し出した手を握ってしまったら、彼女を深く傷つける事になってしまう。


 マリの時みたいに。


「何を怖がっているか知りませんけれど、大丈夫なのです」

「……」


 やめて。その優しさが、今は辛い。


 他人の体温を、肌で感じる。私が求めてやまなかった、自分以外の誰かの温もり。


 足の痛みで、気が弱くなっている。このまま、誘惑に負けてしまいそうになる。冷静になれ、自分を見失うな。


 優しいこの女性を、傷つけたらだめだ。


「ほら、目をそらさないで。じっくり、私の顔を見て話すのです」


 ぐい、と顔に手を押しやられ。泉先輩は、強引に私と顔を向い合せた。


「……あ」

「そう、人と話をするときは、ちゃんと目を見て話すのですよー」


 そう言って笑う彼女と、目が合う。


 その瞬間に凄まじい幸福感が、全身を包みこんだ。澄み切ったその泉先輩の目に、何もかも吸い込まれそうになった。


 良いかもしれない。こんなに頑張って逆らわなくても、良いかもしれない。


 だって、泉先輩はこんなにモ素敵な人だ。優しくて、頼りがいがあって、何より私の命を助けてくれた。


 いずれ巻き戻ってしまうとはいえ、彼女は命の恩人なノだ。泉先輩に何もかも、任せてしまってもいいかもしれない。


「そうなのです。ゆっくり、私の目を見て深呼吸するのです」

「……はい」


 彼女の言うとおりに、ゆっくりと泉先輩の目を見て深呼吸する。


 すぅ、と足の痛みが和らいでいく。ビリビリとした快感が、全身を支配していく。


 ああ、幸せだ。他人に抱きしめてモらって、頭を撫でられるなんて幸せだ。


 泉先輩に抱きしメラれるのは幸せだ。


 彼女の言うとおりニスるのが、正解だ。






















 そして。再び、街中に銃声が木霊する。


「それが、お前のやり口ね。貴重な情報ありがとさん」


 心地よい微睡は、凄まじい発砲音で切り裂かれた。ハっと私は銃声がした方向を振り向いたが、そこには誰も見当たらない。


 ただ陽炎が、微かに揺らめいているだけだった。


「あ、い、痛っ……」

「泉先輩!?」


 だが、銃撃の被害者は確かにそこにいた。見れば、泉先輩は呻き声をあげながら赤いシミが広がる腹部を押さえ倒れこんでいる。


 泉小夜が、銃撃されたのだ。


 私を取り囲んでいた野次馬が、再び騒然とする。自分も打たれるかもしれないのだ、無理はないだろう。


 彼らは慌てて散開し、動けない私が一人ポツンと泉先輩の傍に取り残される。


「何で、誰が、私を……?」

「泉先輩、しっかりしてください。動いては……」


 冷汗を浮かべ、泉先輩はうずくまる。その眼には、困惑と焦燥が浮かんでいた。


 ヤクザの奴、やりやがった。私だけではなく、無関係な泉先輩を巻き込みやがった────





「声出すな、ブン子とやら。俺だよ、さっきぶり」




 その時。


 私の耳元で、聞き覚えのある囁き声が聞こえた。


「その、声……」

「いや、助けに入るのが遅れてすまなかった。俺の責任じゃねぇよ? 安藤さんが様子見ろっていうからさ」


 それは、あの男の声だった。マリの肩に重傷を負わせた、子供染みた復讐者。今は安藤女史の指揮下で何やらコソコソ動いていた、股間をそぎ落とされかけた男。


「助けに、って全然間に合ってない。どこかからヤクザに銃撃されてる、もう泉先輩が怪我を────」

「その女を銃撃したのは俺だよ」

「は?」


 理解不能なその返答に、一瞬理解が遅れて私は閉口した。


 直後ビシャリ、と不思議な音がする。何か液体をばらまいたような、みずみずしい音だった。


 同時に、香り立つ科学的な異臭。何だ、何が起きているんだ?


「そこに……誰かいるのですかー?」

「おうとも。……話すだけで口が腐り落ちそうだ、とっとと死ねよお前」


 ジッ。


 それは、何かを擦るような音だった。同時に私は誰かに強く引っ張られ、泉先輩から引き離される。




「ぎゃあああっ!!!」




 そして、人が燃えた。


 泉先輩は、ごうごうと燃え盛る炎に身を包まれ絶叫する。咄嗟に燃え盛る服を脱ぎ捨て、半裸になり体を赤く腫らしながら泣き叫んでいる。


 ガソリンだ。そうか、さっきの異臭はガソリンだ。この男、ガソリンを泉先輩にぶっかけて燃やしやがったんだ。


 その凄まじい光景を見た野次馬の中から、二人の人間が飛び出してきた。


「マリっ!?」


 それは、男子生徒とマリだった。2人は全力で泉先輩の元へ駆け寄って、そして手に持った消火器を彼女へ噴射する。


「行くぞブン子、ここも危ない」

「待って、何をやってるの!? アンタなんで泉先輩を────」

「状況から察しろ! まだ分かんねぇのか、洗脳された二人が慌ててあの女を助けに入ってんだぞ!? それとももう洗脳されてんのか?」


 ……洗、脳?


「教えてやるよ。俺があんた達に目をつける前からずっと追っかけていた能力者候補の名前。おそらく洗脳系能力者で、10年間も俺を操っていた諸悪の根源。それが────」



 吐き捨てるように。


 私の手を引いてその場から離れようとする襲撃者は、二人に消化されている泉小夜を見て、そう言い捨てたのだった。



「あの悪魔みたいな女。弱った人の心に付け込み、信頼を得て服従させる能力者。それがアソコで無様に燃えてる、泉小夜って奴だよ」



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