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第十七話「種籾爺」

 それは、吐息のかかる距離。


 かけがえのないマリ(とも)の手は遠慮なく、学生服の中へと侵入してきて。突然の出来事に私は反応できず、身体を強ばらせてされるがまま。


 ────私は親友に襲われていた。












「……で? 申し開きはあるかマリキュー後輩」

「何となくムラムラしたので、おとなしそうな川瀬さんに迫りました!」

「頭は大丈夫ですの?」


 そんな夢のような、いや想定外の展開は部室に来た先輩方によって間もなく阻止された。


 放課後になれば、元々みんなで部室に集まる予定だったのだ。こうやって邪魔が入るのは目に見えていた。私とマリの蜜月は、最初から彼女の悪ふざけの産物らしい。


 そもそも、本気で私に性欲を向けてたなら廃人になるだろう。焦りすぎて、そんな基本的なことも忘れてしまっていた。


「……」

「ちょっと、そんなに怒らないでよ川瀬さん。ほら、ここは退院記念と言うことで1つ」

「昨日の今日だというのに、随分と元気になりましたわね」

「いつも明るく、元気なキチ◯イがモットーですから!」


 そう言ってニコニコと笑っている彼女を、可愛さ余って憎さが沸く。私の動揺と焦燥と期待を返して欲しい。


 だが、このエキセントリックさが今の彼女なのだろう。肩に巻いた包帯が痛々しい事以外は、マリは既に普段通りと言えた。


「じゃ、話を始めんぞ」

 

 柊先輩は、そんなマリの様子を特に気にすることもなく、昨日に起こったことをツラツラと彼女に説明した。


 襲撃者を捕らえたこと、安西女史の元へ連行したこと、彼を組織で保護したこと、そして股間を削ぎ落とすこと。


 途中、マリは安西女史の話を聞いて大いに興奮していた。『そんなに残念で頭のおかしい大人がいるとは』との事だった。


 確かに安西女史と今のマリエキセントリックモードは、相性が良いかもしれない。普通の人間はポコチンを削ぎ落とすなどと宣言しない。


「良いなー、私も削ぎ落としたい」

「女ってのは、なんでこう猟奇的かなぁ」

「いやだって殺されかけたし。あいつ自身、復讐であんなこと仕出かしたんだから自分も復讐されても文句言えないでしょ」

「ま、まー……一理ありますわね?」

「それに、『男のブツを削ぎ落とした女』ってフレーズ、カッコ良くないですか!?」

「誰がどう聞いてもキ◯ガイだな」


 目を爛々と輝かせて男性器切除のロマンをを語る親友は、私の肩に手を置いたまま手刀で素振りを始めた。彼女の発言を聞いている限り、アレを切り落とす素振りらしい。
















 その後の話し合いの結果、マリは暫く部活不参加で治療に専念する方針になった。退院したとは言え、まだまだ肩の傷は癒えていないのだ。


 能力の制御トレーニングも、負傷してしまっていては効率が悪いだろう。暫く、マリの顔が見れなくなるのは残念だが致し方ない。


 私は私でいつも通りに、舞島先輩の能力制御講座を受け続ける。今週はマリの負傷や殺人鬼の襲撃などかなり盛沢山だったが、ようやく一息がつける様だ。


 戻ってきた、日常。いつも通りの日々。


 柊先輩の時間逆行は、本当にありがたい能力だと思う。淡々と柊先輩の指示に従うだけで危機を乗り切ってはいたが、それも彼の能力による繰り返しがあってこそ。


 私もどうせなら、そんな人の役に立つような能力が良かった。彼は彼なりに悩みを抱えているらしいが、他人と話が出来てその悩みを分かち合えるだけで十分に幸せだと思う。


 人間は、誰かに認められてこそ人間たりうる。誰とも話が出来なかった私からしたら、他人の役に立てる時間逆行能力と言うのは酷く魅力的に思えた。



『隣の芝は青く見える、そんなものですわ。……彼は彼で可哀想ですのよ』



 電話越しに、舞島先輩はそんな事を言った。


「可哀想ですか?」

『死ねば1日巻き戻るからと言って、いつもいつでも理想の展開を選べる訳ではない。そう言うことですの』

「自殺してやりなおせば、選べるのでは?」

『自分の命と大事な人の命を、天秤にかけないといけない時。彼が選べるのは、自分の命だけですの』

「……成る程」


 そんな無敵に見える柊先輩の能力にも、意外に制限が多いらしい。


『自覚なさい。能力と言う呪いが、その人に取ってプラスに働くことは有り得ません。貴女と同じように、能力者はみな苦しんでいるのです』

「それは、舞島先輩も?」

『……無論ですわ。能力を制御できるまで私は────、いえ、何でもありません』


 舞島先輩は暗い声で何かを話しかけて、そして強引に会話を切った。


 成る程。先輩方も苦労していたらしい。あまり詳しく話してくれるつもりは無さそうだけど。















 翌日マリは、部活に顔を出さずさっさと帰ってしまった。肩の傷が癒えるまでとは言え、少し寂しい。


 柊先輩や舞島先輩は、いつも通りに部活に顔を出して佐藤先生を相手に怪しげな事をしていた。縛られた佐藤先生が恍惚の表情で悶えているのを、私は意図的に無視してスマートフォンを弄り続ける。


 ……先生については単なるドM教師だと思っていたが、さりげなく様子を伺う限り虐められているのは能力の制約の様だ。


 舞島先輩も柊先輩も、加虐癖は無さそうである。わざわざ太った中年男性を苛め尽くしても、彼等からしたら何の得も無かろうて。


「ぬるっぽう!! はぁはぁ、はぁはぁはぁ」

「生徒にこんな無様を晒してまで、貴方に生きる価値はあるのかしら!? オーっホッホッホ!!」 

「おいおいオッサン。鼻息荒いぜ? 何興奮してんだよ」

「ふぁびゅーぅぅ!! はぁはぁはぁ」


 ただ、佐藤教諭がドMなのは事実だろう。おそらく性的興奮をキーに発動する呪いを持っている、と言った当たりだろうか。


 というか何あの喘ぎ声、キモい。












 そして、私はいつも通りに帰宅する。


 部活に顔を出し、能力制御の資料を読み、興奮したドMを無視し。この高校に入ってからの、これまでと違う新しい日常。


 相変わらず、誰とも話はできないけれど。大事な人が近くにいてくれる、それだけで今は満足だ。


 あと暫く待てばマリは部活に復帰するし、それまでに私が能力を制御出来るようになっていれば簡単な世間話が出来るかもしれない。


 そんな幸せな日々が待っている、空っぽだった私に訪れた明るい未来。私は、かすかに胸を躍らせながら校門をくぐり抜け────




「……むむー。まったく、マリキューちゃんは横暴なのですー」




 喧騒の中、何より大切な親友の名前が聞こえてくる。さりげなく目をやれば、校門前でのんびりとした表情の女生徒が困り顔の男子生徒に話しかけていた。


 ……その女生徒に、見覚えがないではない。確か、マリの知り合いの上級生だったか? 


「泉先輩も、厄介な事を押し付けられましたね」

「……これで本当に男を紹介してくれなかったら、呪い殺してやるのですー」

「いや、そんなに期待しないほうが。マリキューの男子の知り合いってそんなに多くない筈……。あ、柊先輩狙いとかっすか? 奇特部の」

「その名を出すな、なのです。奇特部はあんたっちゃぶるなのです」

「アッハイ」


 どうやらマリは、あの女に何か頼みごとをしたらしい。何が頼みがあるなら、私に言ってくれれば良いのに。


 ……まだ、今の彼女と親交を深めれていないのは理解している。けれど、親友が悩みを相談してくれないことに、私は一抹の寂しさを覚えた。


「でも、マリキューがバイトしてたって話は聞きませんでしたけどね。ウェイトレスやってたなんて知らなかったなぁ……。てか先輩、接客とかできるんですか?」

「まぁ何とかなるのです。いきなりバイトを代わってくれだとかー、あの娘は礼儀がなってないのですー」


 ……何やら、マリはあの女にバイトを代わって貰った様だ。マリ、バイトなんて始めてたのか。


 これは気になる。バイトをドタキャンしないといけない様な何かが、彼女の身に起こったのかもしれない。マリの事情を知りたいが……。


 ────少し、彼らの記憶を盗ませてもらおうか。いや、まずは普通に聞いてからだな。答えてもらえなかったら、呪いに頼ろう。




「少し、良いかしら」

「あらー? どちら様ですー?」

「ウゲッ!!?」



 思い立ったら即行動だ。校門前で駄弁っていた二人の間に、私は割って入った。


 私を見て、心底嫌そうな声を上げたのは同学年の生徒だった。確か、マリとよく一緒にいる男子だったか。名前はよく覚えていない。


「さっきの弓須さんの話が気になって」

「弓須さんって誰ですかー?」

「……マリキューですよ」

「おおー。では貴方は、マリキューちゃんのお友達ですか?」

「……違いますね。そういう訳ではないです」


 話してみると、女生徒は何とも間延びのする眠たい口調の女だった。そして、少し媚びた声を出している。同性から嫌われそうなタイプの女子だ。


「なんか、急に野暮用が出来たとかだそうですー。どーせ急にデート誘われたとか、そんな話なのですー」

「……そんな訳ないですよ。マリキューは案外律儀だし、そんなことでバイトさぼったりしませんて」

「どーだか。男が出来ると、女は愛に生きる機械になっちゃうのですよー。覚えておくのです、ヒロシ」

「何が言いたいのかよくわかんないです先輩」


 ぷんぷんと自分で擬音を口ずさみ、頬を膨らませる上級生。色々と狙ってやってそうだ。


 そして、ヒロシと名前を聞いて思い出した。この男の名前はヒロシだ。マリと付き合ってるとか噂が飛び交っていたが、この二人の会話の様子だと噂はデマらしい。


 マリとこの男が付き合っているのであれば、デート云々の話が出る訳ないだろう。


「あ、そーだ。バイト先の店長なら、詳しい理由とか聞いてそうですねー。よかったらウチの店に来ますかー?」

「……わかりました。ご一緒します」

「せ、先輩? あ、いや、この子は奇……。あー、行きます、俺も付いていきます」


 余計なことを言いそうだった男子生徒を一睨みし、黙らせる。


 マリのバイト先。何それすごく知りたい。


 偶然を装って店に行けば、休みの日でも堂々とマリに会えるのだ。そんな素晴らしい情報を、取り零してなるものか。


「じゃあ、しゅっぱーつ!! なのです」

「よろしくお願いします」

「……」


 こうして私は、このよくわからない3人組で喫茶店に行くことになったのだった。


 ……この先輩がバイトで抜けるなら、私はこの男とサシで席に座ることになるのだろうか。ヤダなぁ、必要な情報がもらえたら一杯だけ飲み物を頼んでさっさと帰ろう。














「いらっしゃいませ、お館様!!」

「殿中にござる! 殿中にござる!」

「ぬっ! 曲者!」



 ……何これ。



「えっと……戦国女中喫茶『淀』って此処ですかー?」

「左様にござる」

「私はその、マリキューちゃんの代理でバイトに来た……」

「ぬっ、つまり曲者か!! 出あえ出あえ!」

「バイトだって言ってるのですー!」


 マリは一体、何の店でバイトしているのだろう。


 店のなかでは妙に裾の短い着物を着た女性が、時代がかった口調で客を応対していた。恐らくメイド喫茶の亜種……なのか?


 客層は若い男性だけでなく、時代劇が好きそうなお爺ちゃんも来ている。衣装の貸し出しもやっているらしく、武士っぽい格好をした客も散見している。


 ……成る程。エキセントリックモードのマリには、ピッタリの職場かもしれん。


「神妙にせよ! お店長様のもとに引っ立ててやる!!」

「お店長様!? あー、店長の所に連れていってくれるのですねー?」

「そこでお上の沙汰を待つが良い」

「……その口調、徹底しているのですねー」


 店の中身は色々と衝撃だったが、結構客は入っている様だ。意外と流行っているのだろうか。


 「お館様ぁ! 座して料理をお待ちください」と、目の座った店員に案内されて「この程度のもてなししか出来ませんが」と巻物にかかれたメニューを渡された。


 団子やお茶等の和風なメニューに加え、オプションで『浪人モード』『打ち首獄門』などよくわからない単語が並んでいる。


 取り敢えず、あの女を待つか。マリが休んだ事情を聞けたら、こんな場所に用はない。メニューを見る感じ、お茶だけを頼むのが一番安上がりだな。


「店員さーん、この打ち首獄門お願いします」

「毎度あり……曲者じゃ、引っ立てろぉ!!」


 目の前の(ヒロシ)は果敢にも、打ち首獄門とか言う意味不明なオプションを頼んでいた。


 興味があったのでチラチラ見ていると、彼は引っ立てられて箱に入れられ、首だけ出して生首みたいになった。


 晒し首みたいだ。そのまま村娘っぽい服を着た店員が、涙を流しながら料理をヒロシの生首に食べさせていた。


 ────どういうプレイだ。










「マリキューちゃんの都合って、なんか病院に行くことになったらしいのですー」

「病院!?」


 和服っぽい衣装になったその先輩が、店員として姿を見せたのは30分ほど経ってからだった。私は待ちに待ったマリの情報を、聞くことが出来た。


「泉さん、どういう事だ。マリキューの奴、また怪我でもしたのか?」

「何かマリキューちゃん、今週の初めに肩を怪我したらしいのです。そこの包帯から血が滲んできてて、傷口が開いたかもしれないから病院に行ったそうなのです」

「あー、肩の傷が開いたのか。……怪我してる時くらいおとなしくしろって言ったのに」


 話をまとめると、そういう事らしい。結局、マリにあんなに深い傷を残したクソ男が諸悪の根源だ。


「ラインして容態を聞いてみます。泉さん、ありがとう」

「どういたしましてなのですー。さて、私はバイトに戻るのでゆっくりしていくとよいのですー」


 知りたいことはもう知れた、後はもうここに用はない。この男越しにマリの容態を確認して、帰るとしよう。


「……泉先輩、情報ありがとうございました。ですが、私はここで失礼いたします」

「あらら、つれないのですー」


 泉という女生徒に礼を言って、私は会計を済ますべく伝票を手に取った。……この男の代金も、私が奇特部だと黙っていてくれたから奢ってやろう。


 ……私の財産は、両親の遺産とマリを虐めていた連中から奪った金だ。それなりの額が、銀行に預けられている。


 ここで多めに支払うことくらい、造作もない。


「気を付けて帰ってくださいですー。この店の治安はあまり良くないのでー」

「店の治安って」

「店の治安、なのですよー」


 彼女に一礼して席を立つと、先輩はずいぶんと妙な事を言い出した。最初は意味が分からなかったが、つられて周囲を見渡すとその言葉の意味に納得する。


「あぁん? 貴様、この私を愚弄するのか?」

「お許しをー、お許しをー」


「ヒャッハー!! 新鮮な種もみだぜぇ!!」

「おやめくだされ……。その種もみは我らの希望、我らの明日なんじゃぁ」


 見れば店の中のあちらこちらで、小芝居が繰り広げられていた。これは確かに、治安が悪い。


「寸劇に巻き込まれたらちゃんと乗るのが、この店のルールなのです。巻き込まれない様にお気をつけて」

「……善処します」


 ニヤニヤと面白そうな笑みを浮かべた先輩に手を振って、私はレジへと歩いた。



 コツ、コツ。



「おい女ぁ。俺好みの顔じゃねぇか、少し御酌をしてくれよぉ」


 間もなく、武士の格好をした客が話しかけてくる。これは、寸劇にかこつけたナンパだろうか。成程、そういう目的の奴もいるのね。


「あー、病気の父のもとに向かう途中ですので、何卒ご容赦を」

「何を!? この宇治御奉行様の癪が出来ないだとぉ!? 貴様、自分の立場が分かっているのか!」

「えー、急ぐ道筋ですので、失礼します」


 ……やりづらい。


 寸劇に乗るのがこの店のルールらしいから、私はキッチリ時代劇風に断った。が、武士風の男は逆上して今にも詰め寄ってきそうだ。


 劇にのめりこんでいるのか、はたまたそういう輩なのか。


「出あえ!! 狼藉者だ、この女をひっ捕らえろ!」

「そんなご無体な」

「この俺に逆らった罪、後悔させてやるぞ」


 あぁ、面倒くさい。この店でナンパを断るの、無駄に骨が折れる。


 もういっそ、素で対応してやろうか。店の空気を壊してしまうが、いつまでもこの男の相手をしていたくない。


「お武家様、この女でございますね。引っ立てておきます故、何卒怒りをお沈めください」


 男を睨みつけて罵倒しようとした、その瞬間。店員らしき女が十手を持って現れ、『御用だ』と言いながら私をその場から連れ出した。


 ……後ろから男の罵声が聞こえてきたが、別の店員が割って入って男を足止めしている。何で私が御用されるんだと思ったが、あぁ成程、私を助けてくれたらしい。




「……お客様、対応が遅れて申し訳ありません。えー、私が店長の松本と申します、改めて謝罪いたします」


 そのまま女の店員に連れられ、私は従業員用の個室へと通された。


 何事かと思って身構えたら、奥に座っていた偉そうな男が土下座せんばかりの勢いで謝ってきた。


 ……謝罪、らしい。


「たまになのですが、その、出会いを目的に当店を利用されるお客がおりまして。あの男は出入り禁止としますし、今回のお代は結構です。ですので何卒、今後も当店をご利用くださるとありがたいです」


 そう言うと男は、机にぶつからんばかりの勢いで頭を下げた。


 「対応が遅れた」と言っているが、あの店員さんが割って入ってくれたのはかなり迅速だったと思う。それでもこんなにキッチリと頭を下げるのか。


 この店、エキセントリックな店の空気とは裏腹に割と客への対応はしっかりしているらしい。


「ええ、気にしておりません。こちらこそ、助けていただいてありがとうございました」

「そんな、頭を下げないでください。店の中での出来事はすなわち、店長である私の責任です。不愉快な思いをさせてしまい、誠に申し訳ありません」


 額の汗をこぼしながら、申し訳なさそうに頭を下げ続ける男性に会釈して私は席を立つ。


 私の呪いの都合上、あまり長時間他人とサシで話すのはマズい。不愛想に見られるかもしれないが、さっさと帰らせてもらうとしよう。


「いえ、申し訳ありません。誠に申し訳ありませんでした」


 ペコペコと頭を下げ続ける男を尻目に、私は部屋のドアを開こうとする。が、


「あ、あのー。鍵、閉まってますよ」

「ええ、申し訳ありません」


 部屋のドアが、開かない。見ると、ドアの取っ手には鍵穴がついており、部屋の外側から鍵をかける構造になっているらしい。


 まさか、外から鍵を閉められた? 一体何故、何のために?


「申し訳ありませんじゃなくて。鍵開けてよ」

「おっしゃる通りです。今回はお代は結構ですので、どうかご容赦ください」


 振り向いて店長に向き直り、私は文句を垂れる。だが、店長は壊れたスピーカーのように噛み合わない謝罪を繰り返すばかりだ。


 店長の、様子がおかしい。


「あの。私の声、聞こえていますか?」

「今後ともどうか、当店のご利用を続けていただけると幸いです」


 そして、気付く。店長の目の、焦点が合っていない。やがて彼の足は小刻みに痙攣をし始め、グルリと目が上転する。


 そのままエヘエヘと不気味な笑みを浮かべて、男はスマートフォンを取り出しどこかに電話を掛け始めた。


 ……この男、正気ではない。


「申し訳ありマセン、誠ニ申し訳アリまセン」


 ……これは。この様子、どこかで見たことある。そうだ、まるで洗脳された生徒と同じ────


 そう思い至った私は警戒心を最大に高め、今まで座っていたイスを手に武器として構えた。ヤツが誰かと電話している今がチャンスだ。


 全身の筋肉をフル稼働し、男目掛けて椅子を振りかぶり、







「ナルホド、貴女のお力ハ危険です。味方にシテモ、役に立ちソウにナイ。ソウデスネ」






 そんな、私の貧弱な戦闘態勢をあざ笑うかのように。男は懐から小型の銃を取り出して構えた。


 体が、恐怖で硬直する。


 店長はブツブツと、目に見えない誰かと会話しながら。ニヘラと笑みを作って、唐突に私に向けて発砲した。


「記憶を奪ウ、そンな能力恐ロシい恐ろシイ。殺すベキ、そうすベキ。お前ハ下僕に必要ナイ」


 その銃弾は、まっすぐに私の眉間を貫く。


 反応する余裕なんて無かった。硝煙の煙が立ち込めるその銃身を薄目で捕らえ、私は全身の力が抜けてへたりと腰から砕け落ちる。


 腰元に、熱い液体が滴る。股間に不快感が広がるのを自覚し、自分の眉間を指でなぞって────





 幸いにも、特に怪我はない様だ。




 さっき、間違いなく銃弾は私にまっすぐ飛んできた。走馬燈がよぎり、目の前に超スローペースで銃弾が迫る光景を幻視した。


 というか、思わず死の恐怖で失禁した。だと言うのに、私は無傷だ。


「エエ!! 始末しマシたとも、女は殺しマシた! では、死体を引き取りに来てくだサイ。そレマで死体は、この部屋に放置しておキマす」


 私を銃撃した店長はというと、何もないところを見つめて満足げに笑い、喜々として電話に応じている。そして懐に銃をしまい、近くの椅子に腰かけた。


 ……私を殺した? 思わずへたり込みはしたが、私はまだピンピンしているぞ。あの男、洗脳されているせいで知能レベルが下がってるのか?


 何にせよ、今が好機。不意をついてこの男を殴り殺せば……








「あー。何も話すな、何もするな。そこで静かにしててくれ」


 そんな私の耳元から、聞きなれぬ男の声がした。思わず振り向いたが、私の周囲には何もない。


「あの男が出て行ってから姿を見せるけど、絶対に大声出すなよお前。ここ、ヤクザの下部組織だからな? 敵の本拠地だ、騒いで生きてるのがバレたら今度こそお陀仏だ」


 その幻聴はなおも続く。そして、立ち上がろうとした私の肩を誰かが抑えている。


 姿は見えぬ、謎の男の声。だが、私はどこかでこの声を聞いたことが有るような?


 やがて、店長は部屋の鍵を開けて出ていった。そして部屋の外側から、ガチャリと鍵をかける音がする。


 閉じ込められてしまったらしい。


「もういいか。おいアンタ、姿を見せるけど騒ぐなよ」

「……」


 そして、ゆらりと部屋が揺らめいた。


 至近距離の蜃気楼が、ゆらゆらと揺れて黒い影を形成していく。今の今まで気づけなかったが、何かが私の傍らに立っていた。


 その、何かとは。




「────お前、は」

「……まーそう言う反応だよな。信じてくれ、味方だよ俺ァ」




 マリに肩の傷を負わした、張本人。


 つい数日前、奇特部の部室を襲撃し私や舞島先輩を殺したかもしれない男。


 復讐に取り憑かれた殺人鬼が、黒い防弾装備を身に纏って私の背後に立っていた。

二週間ペースで更新続けます

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