第十ニ話「陽炎」
「恨むのです、恨むのですよ……」
それは、月曜日の朝の出来事。
楽しい人生初デートを満喫し、ヒロシの恋人として初めて登校する日。そんな記念すべき一日の、朝一番に私はヤンデレから急襲を受けていた。
「譲ってくれるって言ったじゃないですかー!! マリキューちゃんの嘘つきー!」
「えっと、その。先輩に詰め寄られて思わず頷いちゃったんですけどね。その夜、ヒロシを振るって考えてたら自分の気持ちに気づいちゃいまして」
「藪蛇だったぁー!! 余計なことしちゃった私ー! うええええん!!」
登校して間もなく廊下のど真ん中で壁ドンされた私の目の前には、頭を抱えプルプルと震えながら慟哭する泉小夜がいた。
情けない仕草だ。無様な姿だ。今まで私は何をこの先輩に怯えていたのだろうかと、馬鹿らしくなってくる。涙を浮かべながらポカポカと貧弱な筋力で殴りつけてくる泉小夜からは、いつぞやの凄みを一切感じなかった。
「何で私ばっかり、ロクな男に引っかからないのですかー? 嵌め手に手を出した私への天罰なのですかー! 神様ー!」
「……泉先輩?」
「うぐっぐー、付き合っちゃったなら諦めますよもうー! でもマリキューちゃん、顔広いでしょー? 代わりに一年のいい男を紹介して欲しいのですー」
涙声で私をゆすりながら、廊下のど真ん中で男乞いをする先輩。チラチラと道行く同級生から奇異の目で見られている。あんたそれでいいのか。
「え、いい男? いや、そんなこと言われても」
「約束破った罰としてそれくらいは、それくらいはー!! 顔は最低限でいいです、面と向かって私を好きだといってくれる、浮気性じゃない男の子を紹介しやがれー!」
「そんな無茶な」
泉小夜はそんな情けないことを叫びながら、目を吊り上げて私に詰め寄った。分かった、この人アレだ。ヤンデレじゃなくて、単なるダメな人だ。適当に弄ばれて三十路まで売れ残る系の残念女子だ。
「ひ、ヒロシの友人勢くらいしか紹介できませんぜ先輩。もう、アイツ等とは知り合いでしょ?」
「……ヒロシ経由以外の男友達、いないのですかー?」
「えっと。あ、二年ですがヤクザに喧嘩売るのが生きがいのタク先輩、女装で女子の自信を粉砕するマイ先輩とかも知り合いですよ」
「ヒェッ……。そ、その辺は紹介されたら困るかなー? うん、もう彼らはよく知ってるのです。あんたっちゃぶるなのです」
そんな男に飢えた泉先輩でも、奇特部はNGらしい。
ヒロシ経由以外の男性で、話ができるのはその二人くらいなのだが。流石は我が敬愛すべき奇特部の先輩方、既に悪名は学年中に轟いている様だ。
「絶対、絶対にその二人を刺激してはいけないのですよー?」
「そんなにヤバイんですか?」
「……男に彼氏を寝取られる、そんな悪夢を現実にしたくなければ舞島君に近付いては行けないのですー。柊君に至っては、彼と恋人になったが最後ヤクザに売り飛ばされますよー」
「成る程」
────色々と話に尾ひれがついている。タク先輩はむしろヤクザの天敵なんだが。
その後、我が頼もしい先輩方に戦々恐々と震える泉小夜は、結局男に対する愚痴を喋るだけ喋って私を解放してくれた。
こうして話してみると、泉小夜は思ったほど悪人では無い印象だ。ただ単に、人としてダメな先輩というだけだった。彼女はどうしようもないクズなだけで、危険人物ではない。
泉小夜と仲良くしていくつもりは無いが、私にとって大きな障害にはならないだろう。よかったよかった。
「成る程ね、だから泉の奴は俺に話しかけられた瞬間に脱兎のごとく逃げ出したのか」
「タク先輩、嫌われすぎでしょ」
「能力者は嫌われてナンボなんだよ。特にマイは去年、ロクに能力を制御できてなかったしな。先輩と相談して、一緒に学校で孤立するような噂を流すことにしたんだ」
放課後、奇特部の部室にて。
私は日曜日のデートの結果と、泉小夜との朝の話し合いを報告していた。
「その、おほほほほ? 泉さんの彼氏を寝取ったのは事故と言うか、うっかりしたというか? まだ、怒ってますのこと?」
「マイ先輩、アンタやっぱり寝取ったのか……」
「だから、単なる事故ですわ! 着替えを見られて発情させてしまっただけです! 今はもう、彼とは何の関係もありませんわよ」
「こいつ、女装始めたことを忘れてて男子更衣室で堂々と着替えやがったんだ。あの時はパニックになってたぜ」
「忘れてくださいましぃぃ!!」
何故男が男子更衣室で着替えてパニックに発展するのか。私、気になります。
「そんな事より。後輩、お前あれから何か変な事起きたか?」
「いえ、何も。強いて言うなら痴漢にあったくらいで」
「あー、お前見てくれだけはまともだもんなー。超常現象が起きてないなら構わん、好きなだけ痴漢されろ。俺の考えが正しければそうそう発火は起きんだろうし」
チンピラ染みた見た目のくせして嫌に難しい数式をノートに羅列しながら、タク先輩は呟いた。その隣では、相変わらず悪魔じみた美貌で紅茶をすする美女♂が、なんとも蠱惑的な流し目で私を見つめている。一方で部屋の隅では、川瀬さんが一人でスマホを弄っていた。
いつもどおりの奇特部の部室だ。
「ただ、今度から俺が死んで時間逆行する度に、霧吹きと水を用意しとけ。普段から携帯しといた方が良い」
「水?」
「何なら小さな消火器でも構わん。俺の考えが正しければ、時間逆行が起こるたびに発火が起こる危険性がある」
「タクがそういうなら従っておきなさいな。この男、頭の良さはピカイチですわ」
「またまたそんなご冗談を。こんな社会のド底辺丸出しの男が、そんな馬鹿な」
「お前、先輩をなめすぎだろ」
ヤクザと抗争してるチンピラ高校生が頭良かったら、キャラがブレすぎだ。
とはいえ、タク先輩は頭がいいアピールしたいのだろう。恥ずかしい男だ。やはりチンピラ、自分を大きく見せたい習性を備えているらしい。
「じゃ、伝えたからな。水か消化器、ちゃんと用意しておけよ」
「分かりましたよ。それじゃ、今日はこれにて帰ります」
「何だ、もう帰るのか。ははん、成程な」
「そういえば恋人が出来たんですってね。一緒に下校でもするのかしら?」
「悪いですか」
「!?」
マイ先輩の言うとおり、私は今日、ヒロシと一緒に帰る約束をしていた。奇特部の部室には、泉小夜の報告をしに寄っただけである。
ニタニタと面白いものを見つけたかの如く、二人の口元が歪む。この場で焦った顔をしているのは、B組川瀬だけであった。
「ちょっ……、え、聞いてない。私聞いてない」
「じゃぁなマリキュー後輩」
「それではさようなら」
何故か上ずった声を上げる川瀬さんを尻目に、私は先輩二人に頭を下げて奇特部を後にした。こんな瘴気の吹き出そうな小汚い部室に用はない。何せこれから、楽しい楽しい下校デートの始まりなのだから。
『ご、ゴメン佐藤教諭に捕まった……、再テストさせられるらしいから1時間待ってくれ』
……そんな私はウキウキしながらヒロシに連絡を取ろうとスマホを開いて、愛しの彼からそんな連絡が届いていたのを知る。またか。また私の前に立ちふさがるのか佐藤教諭。よくも放課後デートの邪魔をしてくれおってからに。
……そういや、アイツも能力関係者なんだろうか。初めて部室へと訪れた日に、上級生組とSMプレイをしていた衝撃映像は、未だに私の目に焼き付いている。
時間も出来てしまったし、佐藤教諭についてタク先輩に聞いてみよう。私は肩透かしを食らってため息をつきながら、今来た道を引き返し、部室へと戻った。
「あ、あははははっ!! マイ、お前それはヤバいって!!」
廊下を歩く最中、タク先輩の大きな笑い声が聞こえてくる。よほどおかしな話なのだろう、廊下には彼の笑い声が響き渡っていた。
「それマリキュー後輩が死んでしまうだろ、アハハ! いやでもまぁ俺の能力で生き返せるし、採用しよっか。く、くくく」
……ちょっと待て。何の話だ。
部室からは心底愉快そうな、タク先輩の笑い声が木霊している。
「そうそう、ちょっと荒療治だけど、能力が判明してくれないと対策が取れん。もし奴が消化器を用意してなかったらさらに酷い目に遭う、それもいい忠告になるかもしれん」
何やらキチガイ共は不穏な計画を立てていやがるらしい。冷汗を垂らしながら部室の廊下の前に立った私は、息を潜めて部室の会話に耳を傾けた。
「じゃあ、マリキュー後輩による、炎のタネ無し脱出マジックは近日開催する方向で────」
……本当に何の話だ!? その謎イベントは何なんだ!?
嫌な予感しかしない。ただ一つ確実なのは、ロクでもないことに巻き込まれるということだ。一刻も早く奴等の計画を叩き潰さねば。
「ちょっと待てこのキチガイ共!!」
「うおっ!! 何だ、まだ居たのか後輩」
気合一発。部室のドアを力いっぱい開け放ち、私は部室へ足を踏み入れる。本人のいないところで何を話しているんだ、私に何をさせるつもりだ────
────不協和音が、耳をつんざく。
タク先輩は、笑っていた。
部室の中で一人きり。タク先輩はマイ先輩の隣の席に腰をかけ、一人笑っていた。
タク先輩の他には、誰もいない。先程まで紅茶を飲んでいたマイ先輩やスマホを弄っていた川瀬文子は、部室の中には存在すれど、そこにはいなかった。
────首から生々しい血飛沫をあげた、首の無い生徒の死体が二つ、奇特部の部室に転がっていた。
「いやいや、先輩にキチガイはいかんぜマリキュー後輩。ブン子といいお前といい、近頃の若い連中は敬意が足らん。そう思うだろ、マイ」
タク先輩は笑顔のまま、ドクドクとドス黒い血を垂れ流し倒れ伏す死体に向かって話しかけた。
その死体の先には、ひしゃげたボールみたいに歪んだ人の生首が転がっている。紛れもなく、マイ先輩の生首であろう。
壁の傍にはセーラー服を真っ赤に染め上げた首のない女生徒が椅子に座り、その足元には黒い球体が転がっている。顔が見えないから断言は出来ないが、おそらく川瀬文子の遺体に相違ない。
「そう、マイの言うとおり。今の話はお前の呪いに対しての検査の一環なんだよ」
濁流が噴き出すがごとく飛び散る血飛沫を顔に浴びながら、タク先輩は可笑しそうに笑っていた。何も変わらぬ日常の如く、いつもの飄々とした笑顔で笑っていた。
私の頭は真っ白になる。二の句が継げない。
異常な光景だ。ありえない景色だ。そんな摩訶不思議な光景に気を取られ、私は背後から迫りくる脅威に気付くのが遅れてしまった。
「……っ!」
血しぶきを纏った黒い刃。
重く硬く鋭そうなその刀身は、いつか見た、川瀬文子の持っていた日本刀だろう。
私の左肩が、激痛と共に血飛沫を上げる。ぶおん、と日本刀が風切り音を奏でる。
幸いにも私の首を両断しようと振り下ろされた凶刃は躱せたが、体をひねるのが精いっぱいであり左肩に受傷することまでは避けられなかった。
だが、激痛なんて気にしている余裕はない。状況は何も把握できないが、この場に留まってしまえば私は殺されるだろう。走らねば、逃げねば。
「どうした後輩、妙に乗り気だな。まぁお前は目立つのが好きだもんな」
タク先輩の能天気な声が、部室に響く。彼の目は、虚空を見つめ嬉しそうに笑っていた。
ダメだ、先輩は頼りにならない。洗脳か、幻惑かは分からないが、私の声が届いているようで届いていない。
「なら、明後日くらいでいいか。準備は任せろ、派手にやってやるよ────」
私は襲撃者の方へと向き直り、その姿を視認する。
ソイツは、男だった。黒ずくめの衣装を着て、顔をマスクで覆った不審者だった。
その男は私に向け、改めて日本刀を振り上げている。即座に踵を返し、私は廊下へと駆け出した。
その、第一歩目。全身に力を込めて駆け出したその瞬間、肩に激痛が走り、思わずつんのめる。左肩の傷は、思った以上に深い。走ろうと手を動かすだけで、身を焼く激痛が走るようだ。
だが、それが幸いした。思わず屈み、前のめりにバランスを崩した私は、奴の第二撃を奇麗にかわすことが出来た。奴が放ったのは首狙いの横薙ぎの一閃だったのである、前のめりになることで剣劇は私の頭の薄皮をかすめるだけにとどまった。まさに奇跡的回避だ。
そして前かがみになった状態からクラウチングスタートの要領で、私は全速力で駆け出していく。地面を階段に見立て、強く蹴り進むことにより通常よりもずっと早く加速できるのだ。陸上をやっていた友人の受け売りだが。
追撃はないどうやら、追ってくる気配もない。私は無事に部室の外へと脱出し、そして。
……右足に衝撃が走り、バランスを崩し倒れてしまう。
廊下に金属音が鳴り響き、私の足元で音を鳴らし滑る日本刀を目視した。敵は、日本刀を投擲したらしい。逃げる私を目掛けて、背後から日本刀をぶん投げたのだ。
だが、幸いにも私の足は切れていない。刃が当たったのではなく、柄の方が当たった様だ。襲撃者は未だ部室の中、転倒したとはいえこの距離なら逃げきれる――――
奴の位置を確かめようと振り向いた私の目に映った光景は。ハンドガンを構えて私に狙いを定める男の姿だった。
銃声が響く。私は無我夢中に転がるように、部室の外へと逃げ出した。廊下の床には黒い穴が開き、小さな煙が上がっている。
外れた。奴の銃撃を、私は回避した。
あとはもう無我夢中で逃げるのみ。痛む左肩と右足を堪えながら、私は廊下を全力で疾走し、部室から逃げ出した。
もうすぐ佳境に入るので頑張ります。
3か月以内に完結したい。