浦島太郎と乙姫様
「大丈夫、私に任せておいて」
ちょうどそのとき、警備役の者たちが足音高く集まってきた。
そして麻酔銃を構えた、その刹那。
女が鋭い声を上げる。
「待ちなさい! 彼を行かせなさい。彼は施設の動力ラインを破壊する爆弾を仕掛け、その起爆スイッチを持っている」
思わぬ言葉に、警備員たちが躊躇した。
するとその後ろから、大きな声がかかる。
太郎をここまで連れてきた、赤い髪の毛をした男だ。
「その男に、そんなことができるわけがない。その男はただの原住民だ。所長、あなた、その男を使っていったい何をたくらんでいるんだ?」
「ただの原住民ではなかったのよ。向こう側の工作員だったの」
女の言葉に、あたりは騒然となる。
太郎以外のすべての人間が、彼女の言う『向こう側の工作員』という言葉の持つ、恐ろしい意味を理解しているからだ。
「まさか! そんなわけはない」
「彼は実際に、爆弾の起爆スイッチを持っている」
そういいながら彼女が太郎を指差した。
きょとんとした太郎の顔は、しかし、恐怖に駆られる者から見れば、一種異様なふてぶてしさと取れないこともない。
そして何より、彼の腰につけられた竹製の魚篭から、明らかに軽金属とわかる、鈍い光を放つ金属の小箱が見えていた。
「スイッチよ」
叫びながら太郎を振り向いた女は太郎にだけ聞こえるよう、小さな声で言った。
「魚篭の中の箱を持って」
言われるまま太郎が魚篭に手を入れ、小箱を取り出す。
すると、周りの連中は凍りついたように固まってしまった。
「そのまま、ゆっくり歩いて」
太郎はゆっくりと歩を進める。
それに釣られ、彼と女を取り囲んでいた人々も、ゆっくりと移動した。
「うそだっ! そんなはずはない!」
赤い髪の男が怒鳴る。
その瞬間、女の瞳がきらりと光った。
「そんなはずはない? どういう意味かしら?」
「う……いや……」
「どうやら、ここにも工作員がいたようね? それとも、向こう側への、内通者かしら?」
「ば、ばかなっ!」
「まあ、とりあえずそれは、後で追及させてもらいましょう。今はとにかく、彼の言うことを聞くしかないわ。動力ラインを破壊されてしまっては、私たちの命はない。ここで水圧に押しつぶされるか、極寒に凍えて凍死するしかないのよ?」
「きさまっ! 何をたくらんでいる!」
「その男を確保しなさい。所長命令です。私には、あなた方の命を守る義務があるのです。彼が無実かどうかは、後日きちんと公開裁判を行います。今は何より自分の命を守りなさい」
テロリスト問題を、いつの間にか『自己の安全の問題』にすり替えられてしまっていることに気づかず、警備員たちの数人が、あわてて赤い髪の男を取り押さえ、連行していった。
「さあ、私が案内するから、潜水艇のところまで行ったところで、そのスイッチを渡してもらうわ。いいわね?」
強くそう聞かれ、わけもわからぬまま太郎はうなずく。
彼女は瞬時に振りかえると、警備員に向かって強く叫んだ。
「ここは彼を刺激しないように、言うことを聞きます。みんな下がって、管制室のモニターで、事態を監視してください」
要は何もせずに下がれ、ということだ。
だが、『モニターで監視』と言う、新たな行動命令を与えられている。
命令される側と言うのは、明確な命令を与えられると、そのとおりに動くことで安心できるのだ。
そのため、単純に引けと言われるよりも、心情的に受け入れやすかったのだろう。警備員たちは、上司である、彼女の命に従った。
女は太郎を連れて、潜水艇のある格納庫へ向かう。
そこに入って格納庫の扉を閉めると、メイン電源盤を開け、ブレイカを落とした。
これで、緊急回路が入るまでの30秒間、格納庫は閉鎖される。
「急いで!」
太郎の手をとって駆け出した女は、潜水艇に入り込む。
間髪いれずにメインコンピュータを起動させる。
最大権限のあるIDをスキャンして、潜水艇のコンピュータは、言われたとおりエンジンを起動した。
そこでようやく緊急回路が作動し、格納庫の動力が生き返る。
「ハッチ、オープン」
潜水艇から発せられようが、どこから発せられようが、彼女の命令は、今のところ絶対だ。
格納庫のコンピュータは、彼女の、正しくは『所長のIDを持つ潜水艇コンピュータ』の要求にしたがってハッチを開いた。すぐさま発進した潜水艇は、全速前進で開いたハッチを飛び出す。
異常に気づいた管制塔が、あわててハッチを閉じようとしたときはすでに遅く、潜水艇は深海の闇の中へ消えていった。
「とまあ、こんなところで授業は終わりだけど、何か質問は?」
「質問だらけ。とりあえずわかったのは、あなたが神様じゃないと言うことくらいですかね」
太郎の答えに、女は満足そうに笑った。
いずことも知れぬ、海。
波間に漂う潜水艇。
そのデッキの上で、太郎と女は、燦々(さんさん)と照る太陽を浴びながら、微笑みあっている。
逃げ出した二人は、いずれどこかに上陸し、姿を消さなければならない。
だが、その前に、少しでも太郎に現状を把握させなくては。
女は、噛んで含めるように易しい言葉を使って、今までの経緯を太郎に伝えた。
そして、ある程度話したところで、覚悟を決めた。
自分たちがやってきたことは、太郎側からしてみれば、到底、許せるものではないと思ったからだ。残虐非道のそしりを受けようとも、甘んじて受け入れなくてはならないだろう。
そう覚悟をして話したのだ。
しかし、おそるおそる反応を待っていた彼女が受け取ったのは。
彼女から渡された小箱――それはスイッチでもなんでもない、ただのシガレットケースだったのだが――を海へ投げたあと、満面の笑みを浮かべた太郎のこんな言葉だった。
「間違うことも、誤ることも、人間ならあるでしょう。だったら、気づいたそこから取り返せばいいじゃないですか」
まっすぐなその答えに、彼女は胸のつかえをいっぺんに降ろす。
もちろん、話はそんな単純なことではない。
これから、その償いなりをしてゆかなくてはならないだろうし、その前に、追っ手から逃げなくてはならない。目の前には、不安材料ばかりだ。
だが、彼女には不思議と、何の不安もなかった。
目の前にいるこのたくましい男が、無限の勇気と力を与えてくれるような、そんな不思議な感覚に包まれているのである。女はまぶしそうに、太郎の顔を見つめていった。
「それじゃ時間もないし、もう一度、わからないところをおさらいしましょう。そのあとどこかに上陸して、今後のことを考えなくちゃ」
すると太郎は、手をかざして太陽を見てから、彼女へ視線を落とす。
「ああ、そうですね。でも、それより先に教えてもらうことが」
「なに?」
怪訝な顔をした女に向かって、太郎は。
見る者の胸が痛くなるほど、優しくてピカピカに光った。
最高の笑顔を浮かべて言った。
「決まってるでしょう? あなたの、本当の名前ですよ、乙姫様」
「あ……」
女は声をなくす。
それから、少し唇を震わせた。
やがて、涙と笑みで顔中くしゃくしゃにしながら、女は太郎の胸に飛び込んだ。
その豊満な身体を、太郎は軽々と抱きとめる。
色んなことがある。
今までの責任、これからの仕事、大切なこと、大変なこと、たくさん。
でも今は。今だけは、忘れていいよね?
女は身体中にあふれ出す幸せとともに、太郎の耳元へ口を寄せる。
それから、打ち寄せる波の音に負けないよう、大声で叫んだ。
「私の名前はね……」
拾えてない伏線、つじつまの合わない所などありますが。
ハッピーエンドが好きなので、こんな感じで終わらせていただきます。
説明ばかりで終わるより、アクションとハッピーエンドのがいいかなぁと。
お気に召さなかったら、申し訳ありません。