彼はイケメン。但し元気な鼻毛がチラリズム
初投稿です。よろしくお願いします。
いったいなぜなのだろうか—―と羽那太郎は思う。
ショーウィンドウに反射している自分の姿を見て、愕然としたことがあった。
格好つけて立っているつもりなのに、そこには地面に突き立てたキュウリみたいな健やかさがあった。
グラウンドを走る自分の映像を見て、愕然としたことがあった。
雄々しく疾駆しているつもりなのに、どんぐりが転がっているような微笑ましさがあった。
ああ、いったいなぜなのだろう。
どうして奴らはあんなにもカッコいいのだろう。
太郎はどうしたって腋汗をかくと、とても大きな染み――ちょうどアジサイくらいの大きさ――がすぐにできてしまうが、奴らがアジサイと結びつくことなど万に一つもない。ありえない。汗腺ひとつとっても太郎とは異なるパーツで神様に作られたのだ。
そう、奴らとは生まれながらに容貌の優れし者たちのことである。
太郎は、羨ましい。
太郎は羨ましくて、羨ましくて、うらやましい。
思うに、イケメンたちは神様の両手に大事に守られている。
その片手は、優れたる容姿による圧倒的パッシブバフ効果である。
さらに片手は、その甘美な相貌によって見るものを惑わし、失敗が失敗に見えないことだろう。
ーーもしも天地がひっくり返って、立ち姿がキュウリのように見えたとして「なんかかわいい。好き」となるし、脇にアジサイが咲こうとも「……でもわたしは気にならないよ? 好き」となるのだろう。
かくいう太郎とて、そうである。
イケメンがしたのを見たことがあるが、喉元までせりあがったのは「ったく、どうしようもないんだから……好き。僕が絆創膏を張ってあげるから、待っててね」の台詞なのだ。
悔しい。血涙を流せる。
そもそも、この世のどこを探しても太郎ほどこの苦しみと向き合った人間はいないだろう。
マンションの壁を隔てた隣室に、「奴」がいた時点で、太郎の苦難の運命は決まっていたのだ。
聞くところによると「奴」は、ベッドのうえで転がるばかりの幼児期においてさえ、愛くるしく無垢な笑顔によって、ありとあらゆる老若男女の内なる母性を激しくかきたてたらしい。
幼稚園児ともなれば取り巻く大人たちの愛をひとり占めにし、小学生にして数多の女子と無数の男子を恋に狂わし、中学生時代に至っては、彼を巡って三つの勢力が文字にするのも恐ろしい抗争を繰り広げた。
その、すべてを太郎は幼馴染として隣で見ていた。
太郎とて小さい頃はその彼のことが好きだったのだ。幼馴染で仲良しであることが誇らしくすらあった。これからも一緒にいられたらと胸のなかで思っていた。
だが、決定的な事件があった。それは小学生のときである。
当時、太郎にはひそかに想いをよせる初恋の相手がいた。
にっこりと笑う顔が可愛く、無邪気で、誰にでも優しいS子ちゃんである。
それはもう、ピュアな恋だった。
太郎は初めての恋に、人知れずピュアな妄想をし、ジタバタし、ひたすら悶えていた。
S子ちゃんが困り顔をしていたのならば、即座に声をかけた。
S子ちゃんが恥ずかしがっているときは、守ってあげたくなった。
S子ちゃんが好きだと言ったものは、無条件に太郎も好きだった。そのせいで「シルバニアファミリーが欲しい」と言い放ち、親から変な目で見られても、一向に構わなかった。
ただ、遠くからS子ちゃんの笑顔を見るだけで、太郎は、言葉に言い表せぬほどの幸福感に包まれた。
だが、そんなあるときだった。
S子ちゃんは、突然、イケメンにやられた。
同じ教室の、並外れた魅惑の持ち主――そう、奴である。
誰にでも優しかったはずの彼女は、ある日を境に、イケメンにだけ特別な笑顔を向けるようになった。イケメンを前にすると、ほんのり顔を赤くした。席替えでイケメンの隣の席になると、恥ずかしそうに照れるように顔を伏せた。
太郎はそれを見て、がたがたと打ち震えた。
行き場のない感情の高ぶりを、シルバニアファミリーにぶつけた。人の真似事をする、二本足のウサギに、無性に怒りを覚えた。
奴は、S子ちゃんとは話したこともないような、薄い関係であったはずである。
にも関わらず、なぜS子ちゃんの心を奪うことができたのか。
……イケメンだからだ。
この世は生まれなのだ。容姿なのだ。見た目なのだ。
イケメン=正義なのだ。
それから今に至るまで、幾度となく同じような事件は繰り返された。
どうにかして失恋から心を持ち直して、日常を取り返すのに太郎はいつも苦心した。そしてまたすべてを忘れかけたとき、「この子……素敵な子だな」とひとりの女子が気になりはじめ、好きになり、人生が輝きはじめたころ、イケメンは必ずその子の心を奪った。
イケメンは知らないだろう。
太郎がどれだけの月日が経とうともS子ちゃんのことを大事に想っていたあのひと時を忘れはしないことを。S子ちゃんだけじゃない、そのあとのM美さんも、E理さんも、Y樹さんも、みなそうだ。イケメンにとっては、そんな彼女たちも近づいてくる数多の女子の一人なのだろう。許すことなどできない。
もう、終わりにしなくてはならなかった。
同じ高校に進学してしまって以来、彼はイケメンの隙を伺い続けた。
わずかでも欠点を見せようものなら、即座に、高らかに指摘し、奴の地位を下げてやろうと憎しみの炎に燃えた。
そして、高校二年生の春。
ただのひとつも隙を見せぬイケメンに、すべてが徒労かのように思い始めたその頃。
――とうとうその日はやってきたのだ。
■
それは、5月の中旬だった。
春の慌ただしさも少しばかり落ち着いてきて、ほんのりと暖かくなり始めた頃。
たまたまいつもより早く目が覚めた太郎は、早めに学校へ行くことにした。
人も少なめの電車を乗り継いで、通学路をのんびりと歩き、学校へとたどり着く。そしていつものように、太郎は2-3の教室に入った。
朝が早いにもかかわらず教室には、すでに何人かの生徒が席に着いていた。
何気なく見渡していた太郎の視線が、すぐに、ある男のところで止まる。
(……ったく。良い感じに朝日を浴びてやがる)
窓際の奥の席に陣取る、優雅な男子高校生。
机の上にノートを広げ、なにやら勉学に励んでいるようである。
窓から差し込む光に照らされて、まるで絵画のような美しさだった。
太郎は構わず歩む。彼の席はそのイケメンのすぐ隣の、窓際から二列目。
こちらから声をかけるわけでもなく、しかし人の気配を感じ取ったのか、自然とイケメンは顔をあげてこちらを見る。
さて、いつまでもイケメンとばかり呼ぶのもあれである。
改めて、彼という男のことを説明せねばならない。
かの悪の化身たるイケメンの名は――立花元。
先にも述べた通り、並外れた美貌の持ち主である。
保育園から中学校まで彼は女子から絶大なる人気を誇ったのだと語ったが、それは高校に進学しても同じことだった。
否、同じどころか、むしろ増している。
こと女子生徒の間での人気は、それはもう圧倒的である。
『彼に触られた右肩が美肌になった』
『彼と目が合ったら、額のニキビが恥じらって消滅した』
などという妄言や、世迷い言の類いが蔓延しているほどである。
確かに悔しいことに、同じ男から見てもなかなか惚れ惚れするほどの美形ではある。
きっと日本中をくまなく探しても、これほどまで整った顔立ちの高校生はいないだろう。
例えるなら、物語に登場する西洋の騎士のようなのだ。女性すらも嫉きかねない透き通るような白い肌に、目鼻立ちのすっきりした顔。如何なるときも爽やかな微笑を絶やさず、そしてよく通る男らしい声。
その優しげな眼差しにさらされた女性は、もれなくハートを射殺される。
……簡潔に述べるのなら、立花元は、そんな男である。
そして太郎からしてみれば、まさしく人類社会の敵なのだ。
「おはよう太郎」
相変わらずの爽やかな挨拶をしながら立花は太郎に向けてニッコリと微笑んだ。
いつものように、太郎もまた挨拶を返そうとし――
「おは……」
その瞬間、思わず太郎は通学鞄を床に落とした。
言葉を失った。彼の顔に、なにか、おかしな点がある。
彼の完璧な顔立ちに水を差す、ある異物が、確かにあるような気がする。
(まさか……そんな、はずは! あの立花元に……)
太郎は何度も我が目を疑った。
その、異物の正体。
そう。
鼻毛、である。
飛び出ていたのだ。一本の鼻毛が。
元気に、飛び出して、いたのだ。黒々とした鼻毛が、鼻の穴から。
「……で、でで」
「ん? どうかし」
「――出てる」
思わず心の声が漏れる。
「出てるって?」
不思議そうに小首を傾げつつ微笑を浮かべるそんな彼の鼻の穴には、いくら首の角度を変えようとも、鼻毛は実在し続ける。決して見間違いなどではない。
彼、立花元は、鼻毛を出している。
「いや何も起きてない。なにもないんだ」
思わず、口からウソが出た。
太郎は混乱して、頭を抱えたくなった。
(どうすれば、どうすればいいんだ……何がどうなっているんだ。なぜ完璧なはずの彼がひょっこり鼻毛を出しているんだ……)
「え? どうしたの?」
ぱちぱちと不思議そうに瞬きをするイケメン。チャーミングなその仕草も、鼻毛の前には無力。あまりにも無力。
「いや、はな、は……」
致命的な言葉を口走りそうになり、太郎はハッとなる。
(鼻毛が出てるって……もしかして自分は今そう伝えようとしたのか? いったいなにを言おうとしている。この機会、これこそが、ずっと待ち続けた瞬間ではないのか。一人の戦士として、これは気付かぬフリをした方が良いに決まっている)
だが、一方で太郎のなかの善意が、なぜか首をもたげる。
(いくら憎き敵だとしても、ここを攻撃するのは人として許されることなのか。この鼻毛を野放しにすることは、あまりにも、あまりにも残酷過ぎはしないか……)
彼の頭のなかで、天使と悪魔が戦争を始める。
悪魔は囁く。
『ほら、分かるだろう。何も言わずそのままにしておくんだ。教室中の女子たちがこの事実を知ったとき、何が起きるか。くっくっく。盛大な鼻毛祭の幕開けだ』
天使は叫ぶ。
『ダメよ! 自分に置き換えて考えなさい。あんな鼻毛で人前に出てごらんなさい。それは死よ。死を意味するわ! あなたがやろうとしていることは、人を殺めるのと同じよ!』
悪魔は、力強く声を張り上げる。
『今こそ下克上の時ではないか! 十数年に及ぶ苦節の日々、ようやく報われるのだぞ。今をおいて他にない。これはイケメン階級社会に風穴を開ける、最大にして最後の好機だ!』
悪魔は、立ち上がり、拳を振りかざす。
『さあ想像しろ! あのイケメン立花に「鼻毛マン」なんてあだ名がつけられるそのときを……! どうだ。どう感じる? そうだ途方もない快楽を感じるはずだ! それこそがお前のずっと求めていた光景だ!』
「……ぐ、ぁあああああっ」
「太郎、どうしたんだ急に頭を抱えて! 具合でも悪いのか」
太郎の視界が、白と黒にちらつく。
追い込まれた太郎の心が、じわりと悪魔の侵入を許し、一瞬、恐ろしい光景をみせる。
イケメンが、女子達から「鼻毛マンうける~」なんて笑われる未来。
あれほどまで絶大な信頼を得ているイケメンが、墜ちる姿。蔑まれる姿。
イケメンは泣き叫び、そして唯一の救いを求めて、太郎の足に縋る。
太郎は、思った。
なんと、なんと甘美な光景か。気分が良いなんてものじゃない。最高だ。そんな光景を見られるのなら、彼はこの生涯、間違いなく前を向いて、希望をもって生きていける。
「それにさっきはハナ、ハって……。なにを言いかけたの?」
「花のように美しい顔だなと、そう言いかけただけだよ」
天使は死んだ。たった今、地獄の底へ落ちていった。
グッバイエンジェル。フォーエバー。
「太郎の口からそんなお世辞が出るなんて、びっくりしたよ」
「いや、ほら。太陽の光がちょうどピカーって後光みたいだったから。それはもう、すぐに言葉に出てこないぐらい綺麗な光景でさ、そう、まるで天使みたいに。君は天使だよ」
自分でも驚くほどに、すらすらと言葉が出てくる。
飛び出した鼻毛をまっすぐに見据えながらも平然とウソをつき、偽りの微笑みすらつくってみせる。
もはや今の彼は、太郎ではない。悪魔の化身デビタローである。
「そんなことないよ。褒めてもなにもでないぞーハハハハ」
そう照れくさそうに言って、立花は爽やかに笑った。
「あぁっ!」
思わず声が出た。
とんでもない光景を太郎は目の当たりにしてしまった。
笑うことで自然と口角が上がり、それに引っ張られるように、鼻毛が降りてきたのだ。
そう、言うなれば、立花の鼻毛が「こんにちは」状態である。
一時的に現れて、すぐに元に引っ込むのなら、まだよかった。
だが、違うのだ。
このイケメンは、イケメンであるがゆえに、『一度表情が和らぐと、しばらく優しげな笑みを絶やさない』という美点を持っている。日頃では、あらゆる友人関係を瞬く間に築くことのできる良きところだが、この場合は状況をさらに悪化させた。
「……なんてことっ!」
「こんにちは」している鼻毛が、その間ずっと、人間社会に姿をさらけ出されている。
その姿「我ここに有り」と言わんばかりの、堂々たる存在感である。心なしか鼻毛も嬉しそうであった。
それもそうだ。この毛は一夜にして伸びたのではない。長年、暗い穴のなかで耐え忍びながらも成長しつづけ、その努力の末に日の光を浴びることができたのだ。
これは儚き一本の毛の、サクセスストーリーなのだ。
「さっきから様子がおかしいけど。……やっぱり体調でも悪い?」
立花は心配そうに眉を寄せる。だが、圧倒的鼻毛。鼻毛が気になる。鼻毛しか目に付かない。鼻毛の高い戦闘力を前に、眉毛は白旗をあげている。
困り眉の叫び声が聞こえるようだ。
太郎の胸の中が、なにか黒いもので満たされる。
なんと、良いものか。この光景は。
このイケメンはいつも、困り顔、優しい顔、魔性の微笑みによって人を惑わしてきた。
だが、そんなモノが通用するのも、過去の話に過ぎない。
今はもう、彼がどれだけの表情を浮かべようとも無意味なのだ。
今となってはどんな表情も、どんな表情筋の動きも、すべては鼻毛というメインディッシュを彩るための、パクチーにすぎない。
圧倒的すぎるのだ。まるで王だ。神々しき王だ。
この鼻毛は、この鼻毛こそは、立花の顔に突如として君臨した王なのだ。
王の威光を前にしては、その整った眉も、目も、鼻も口も、ただひたすら頭を垂れるのみ。
革命である。
立花の顔面で、革命が起きているのである。
なればこそ、その新王に最も親愛と忠義を捧げる存在――羽那太郎こそが、唯一の臣下。
彼は今この瞬間をもって、王国の民となったのである。
「……ねえ聞いてる? 太郎」
「あーなんだっけ。体調? 絶好調だよ。むしろ最高だよ」
それにしてもこの立花、透き通るような白い肌が仇となっている。そのせいで、否。そのおかげで、新王の黒き偉容は、くっきりと存在を示している。
「なら良かったよ……さて、と」
ひと息ついて、立花はおもむろに立ち上がる。
「ん? どうした」
「ちょっとお手洗いに」
「ああそう……待て、トイレ?」
太郎はとっさに、立花の腕を掴んだ。
「ダメだ」
なぜって、トイレには鏡がある。気付いてしまうではないか。目映い威光を放つ鼻毛王に。これは王国の存亡に関わる一大事であった。
例えこの身を挺してでも、太郎は鼻毛を守らなければならない。
「どうして?」
だが、問われてから太郎は焦る。
まさか「その飛び出た鼻毛王を確認されないようにね!」なんて言えるはずがない。
それっぽい理由が必要だった。太郎は持ちうるすべての知能を総動員させて頭を働かせる。
「トイレは……壊れているんだ」
「壊れてるって。まさか全部じゃないだろうし」
「全部だ。1階から4階まですべて、壊れている」
「……何で知っているんだ」
「確認したから、だよ」
「全部?」
「全部だ」
「一つずつ?」
「一つずつだ」
「……」
「……」
「あはははっ! 太郎ってたまに変なこと言うよな。ははははっ」
流石にウソがばれた。
愉快そうに彼は声をあげて笑った。
そのとき、太郎の予想だにしなかった出来事が起きた。
普通ならば大口を開けてしまう状況でも、彼はイケメンゆえに、上品に口を閉じぎみに笑うのだ。
それが悲劇を生んだ。
人間が笑うときに口を閉じればどうなるか。
そう、当然、鼻から息が漏れる。すなわち――
突然の気流に、鼻毛は元気に踊るように動いた。
それも、激しく。
日常では気にならないその息吹もこの緊急的状況下においては致命傷であった。
もし彼の毛があと5ミリでも長かったのなら、風に流されることもなくどっしりと構えていたに違いないが、不運なことに彼の鼻毛は絶妙なサイズの長さであった。ゆえに、小刻みにちらちらと暴れまわる。
まるで家電量販店の扇風機につけられた、ぴろぴろ(紐)のように。
ぴろぴろぴろぴろぴろぴろ。
■
さて。
そうこうしているうちに、少しばかり時が経っていた。
鼻毛にばかり注視していた太郎は気がつかなかったが、教室内には段々と学生が集まり始めて、ちらほらと雑談の声が行き交うようになっている。
太郎の口元に、ふたたび悪い笑みが浮かぶ。
ここまで来ると、もはや「立花鼻毛マン計画」は盤石である。
彼ほどの注目を集める人物、あとは人さえ増えれば、必ずや誰かが気付く。
「鼻毛マン」の生誕までのカウントダウンは、もう誰にも止められない。
隣の席の立花を見る。もちろん、鼻毛はひょっこりと顔を出してこちらを見ている。
――しかし、本当にこのままでいいのか
太郎のなかで、新たな欲望が芽生えていた。
それは、「鼻毛マン、生誕祭」を、開幕させたいという欲望である。
どうせならば、より多くの生徒が注目した状態で、テロ的に、鼻毛を披露したいのだ。
最高の興奮と、最高のフェスティバルを、皆と同時に味わいたいのだ。
だが、セッティングは苦難が多い。
たとえば立花を教壇に立たせると仮定した場合、相応の理由と説得材料を用意しなければならない。
より深刻なのは説得段階において、「太郎と立花が熱心に話し込んでいた」と誰かに記憶されてしまうことにある。
これは危険である。
なぜならば、これは太郎の責任問題にまで波及する恐れがあるからだ。
彼らは、声高に責め立ててくるだろう。
『近くで話し込んでいた太郎は、当然鼻毛に気が付いていたはずである。ならば、なぜ太郎はそれを黙っていたのか』
『これは立花を「鼻毛マン」へと陥れるための陰謀ではないか』
『太郎はいやしくも、立花の鼻毛を利用して教室内の地位向上を企んでいたに違いない』
このように太郎と鼻毛の関連性を指摘されたのなら、太郎の革命家生命は終わりである。
立花=被害者、太郎=加害者。
この構図ができあがってしまえば、もはや鼻毛の事実など吹き飛んでしまい、教室の話題は太郎の性格の悪さに着目されることだった十分あり得るのだ。
教室中に真相を悟られるのは、何としてでも避けるべきである。
これらの難解な問題を、太郎は切り抜けなければならない――。
「ねえねえ」
そんな思索に耽っていたとき、不意に、つんつんと肩をつつかれた。
振り返ると、そこには同じクラスの女子生徒がいる。
「あの……少しの間、席貸してくれない? 少しだけでいいから」
恥ずかしそうな、ささやき声だった。
太郎はその意図を、一瞬で理解した。
この女子は、立花の隣の席に座り、立花と会話をしたいのだ。ついでに、近くに太郎がいると恥ずかしいから離れていてほしいのだろう。
立花と一緒にいると、こんなことは日常茶飯事である。
あの魔性のイケメンに魅入られた女、とくに女子高生はなりふり構わないことがある。
(この女子……俺の陰で見えないせいか、まだ立花の鼻毛に気付いていない。これは利用できるのでは……?)
そのとき、天啓のようなひらめきがあった。
太郎は笑う。
それはあまりにも素晴らしいシナリオではないか、と。
そう。もしここで太郎がそっと席を立ったとしよう。そうするとどうなるのか――
このひそかに立花へ想いを寄せる女子は、このあと、鼻毛とご対面することになるのだ。
彼女はきっと悲鳴をあげるだろう。
すると、何事かと教室中が騒ぎ立て、立花の周りに人が集まることになる。
そして、皆は同時に、彼の鼻毛に気が付くのだ。
その瞬間こそ、歴史的な「鼻毛マン」生誕となる。
――だが、待て。そう上手くいくものか。
太郎の革命戦士としてのプロ意識が、すぐさま問題点を指摘する。
そもそも、彼女が悲鳴をあげる確証はないではないか。
何なら彼女が、鼻毛すらも受け入れられるほどの深い慈愛を持っている可能性すらある。
そうなれば「立花くん、鼻毛生えてるよ♡」「本当かい?」「私がこっそり抜いてあげるね♡」「ありがとう。優しいね」「立花くん、好き♡」なんてことにもなりかねない。そうなれば、鼻毛は秘密裏に処理をされ、立花の地位は下がるばかりか芽生えるはずもなかった愛すら芽生えてしまう。あのイケメン立花に、今以上の愛を与えてしまう。
ここは、慎重に、この女子の思惑を見極める必要がある。
太郎は、咳払いをした。この計画が成功するかしないかの、重要な瀬戸際である。
「いったい、どうしてだい? よければ理由を聞かせてくれ。できるだけ詳細に」
「あの、立花くんに話したいことがあって……」
話 し た い こ と ?
いつもならば告白めいたものだろう一瞬で察する太郎であったが、極限まで研ぎ澄まされた彼は、そのとき思った。
これは、鼻毛の話であると。
鼻毛の話をする可能性がきわめて高い、と。
彼女はすでに、立花の鼻の穴から鼻毛が出ていることに気づいていて、それをこっそり教えようとしているのかもしれないのだ。
……だが、果たして本当にそんなことがあるだろうか。
太郎の思考は疑念に直面し、パニックになった。疑心暗鬼の太郎には、もはや「愛の告白」なのか「鼻毛の告白」なのか、判断がつかなくない。
……こうなれば直接確認を取るしかない。
「それは、その、ある特定の部位の話かい?」
こっそりと、隣の立花に聞こえないように、彼女にささやきかけた。
「えっ」
「なんだ違うのか? ……良かった。なら君は立花が好きなんだね? 一人の女性として、立花に好意を抱いて、話しかけようとしているんだね?」
「なっ、ち、ちがう」
太郎は、混乱した。
なぜ彼女は否定したのだ。
言葉の通りに捉えるのなら、それはつまり、立花に鼻毛が出ていると教えようとしていることなる。
「そんな、まさか。だが本当に……」
「……」
そんな優しさに満ちた彼女を追い払うことなど、太郎と心苦しい。
だがここまできた計画、たった一人の優しさに邪魔をされてよいはずがなかった。
ここは、心を鬼にしなければならない。
「……すまないが。頼む。今は見逃してくれ。」
「え」
「君も、ことが終わったあと、もし本当に優しさがあるのなら彼を支えてやればいい」
「えっと」
「さあ今は帰ってくれ」
「あの、なにか勘違――」
「帰ってくれ!!」
「……ご、ごめんなさい!」
危難は去った。
何か恐ろしいものでも見たような顔をして、怯えながら走り去っていった彼女の後ろ姿を見ながら、太郎はひと息つく。
「太郎どうしたんだ、すごい剣幕じゃなかったか?」
大声が気になったのか、隣の席の立花が心配そうに話しかけてきた。
「いやなんでもないんだ。なんでもないんだよ。……ふう」
先ほどからの毛の動きに刺激されたのか、立花は鼻のあたりを掻いている。白い指先が何度もニアミスして、内心冷や冷やとする。
だが、この毛は器用にもその指先をすり抜けて、困難をやり過ごしてみせる。
太郎は改めて、立花の鼻毛にじっと見入った。
なぜだろうか。
少し前まではあれほど混乱していたのに、この黒々しい鼻毛をみていると、心が穏やかになる自分がいた。
この飛び出す毛こそが、今後の立花の命運と、太郎の悲願実現の鍵を握っているのかと思うと、太郎は何だか不思議な物体を見ているような気持ちになってくる。
そう、これはもしかして、「鼻毛」であって「鼻毛」ではないのではないだろうか。
このような「運命の毛」を、軽々しくも「鼻」の「毛」などと呼んでよいものなのか。
人間の鼻毛の多くは、鼻の穴のなかでその生涯を真っ当する。
それも当然である。そもそも毛の役割として外界にまで伸ばす理由がないし、外にはみ出たたころで人間からも忌み嫌われるため早々に摘み取られてしまう。
なればこそ、この「毛」は何なのだ。なぜ伸びたのだ。なぜ幾多もの力尽きる鼻毛のなかで、唯一その身を外へ伸ばしていったのか。
そのとき太郎は、なにかに気付いた。
(もしかしてこの鼻毛……? まさか。俺と似ている?)
次の瞬間、太郎は総毛立った。そして、この鼻毛のすべてを理解した。
なぜこの毛は、無謀にも外へ出ようとしたのか。
なぜこの毛は、危険を顧みずに安寧の地から飛び出したのか。
なぜこの毛だけが、外へ出ることができたのか。
いいや、――出ずにはいられなかったのだ。
暗い世界。抑圧された世界。そこから見える、唯一の光。その希望の光に身体を伸ばすことを、いったい誰が責められるだろうか。理屈などいらない。理由などない。ただ彼は、光を近くで見たかっただけ。……生きるとは、そういうことだ。
それはイケメンを忌み嫌い、この社会を恨み、イケメンが失敗することを希望の光と信じて待ち続けていた、どこかの誰かと似ている。
そう。この毛は、太郎と似ている。
その生き方も、境遇も、在り方も。
太郎は、たったひとつの真実にたどり着く。
太郎は鼻毛であり、鼻毛もまた太郎であったのだ。二人はまるで表裏一体。
だからこそ太郎は、悔しい。
ただひとつ、鼻毛とは異なるところがあるからだ。
それはこの毛が、すでに夢を実現したこと。
誰に褒められるわけでもなく、誰に祝福されるわけでもなく、ただ自分自身だけのために身体を伸ばし、光へ到達してみせたことだ。
それがどれほどの偉業であったか、他ならぬ太郎ならばわかる。
太郎はいまだ夢の途上にあるのだから。
太郎の夢は、この鼻毛を人々に見せて、ようやく実現する。
ならばこの自分もまた、この鼻毛を見習ってひたすらに光に向かうだけだ。
太郎の心が、未だかつてなかったような使命に燃え始めた。
熱く、熱く、もはや誰にも消すことができないような、火。
それは鼻毛に灯してもらった希望の炎。
――立花の鼻の穴から飛び出した毛を、皆に見せたい。
かつて考えていたものとは、もはや意味は違う。
ただ立花を辱めたいのではない。
この鼻毛の勇姿を、ひとりでも多くの人間に見せてやりたいのだ。
それはひたすら純粋な、死線をともにくぐり抜けた戦友を想うような、強い友情だった。
この毛はひとりでは、その成し遂げた奇跡を皆に見てもらうことができない。
太郎もまたひとりでは、イケメンを倒すことができない。
二人で力を合わせて、ひとりではできぬ偉業を共に成し遂げようではないか。
……
かくして、予鈴が鳴った。
まもなくしてホームルームが始まるというサイン。
あたりを見回せば、すでに生徒はほとんど集まっている。
かつての自分とは別人であるかのように、太郎は、冴えきった頭脳で勝利への道筋を計算していた。
過去の出来事。過去の考察。そのすべてが、ひとつとなる。
〈立花がすでにトイレを1度我慢しているという事実〉
〈立花に鼻毛の存在を教えようとした女子がいる事実〉
〈立花がすでに鼻周辺にかゆみを覚えているという事実〉
〈人の増えた今――何らかの不確定要素が生じる可能性〉
彼の頭が高速で、一瞬にして最適解を導き出す。
立花を確実に、人前に立たせるには……それは「今」しかない。
教室の生徒がほぼ出揃った上で、これからホームルームが始まるために皆の動きが制限されつつある現状。さらに、時間が経てば経つほど、イレギュラーが起きるリスクが高まるという点。
そのような客観的事実とともに、彼の主観――本能が「今が好機だ」叫んでいる。
ゆえに今をおいて、完璧に計画を遂行できるときは、他にないのだ。
心、体、ここに極まった。
太郎は静かに深呼吸をしたのち、立花の肩を叩く。
「なあ立花、真剣な話がある」
「なに……?」
「ずっと気になっていたんだ。あの黒板の消し残しが、どうも気になる。…どうしても、どうしてもお前に消してきてほしい」
「え、僕が?」
立花は驚いた顔をしている。
「あ、そうそう。このシャーペンが床に落ちていたんだ。黒板を綺麗にするついでに、皆に問いかけてくれないか。落とし主は誰か、と」
「でも……そのシャーペン、いつも太郎が使ってるのだよね? ほらフランスパンの模様がついてる」
なかなかのディフェンスを見せる立花。
だが、ここからが太郎の本領発揮。怒濤のたたみかけの開始である。
「そうだよね。うんうん。ならひとつゲームをしよう」
「え」
「互いに教壇に立って、生まれたての天使の真似をするんだ。手をパタパタ羽ばたかせたり、鼻の穴をヒクヒクさせてね! 知ってるかい? かの大天使ガブリエルは、鼻をヒクヒクさせるのが得意だったそうだよ」
「えっと……」
「どうしたんだい立花。今日はノリが悪いね。ほら、先手は譲ってあげるから」
「太郎、今日の君はどうかしているよ。もうすぐホームルーム始まるよ。あんまり遊んでも――」
「遊びではない! はやく、やるよ。エンジェルゲーム!」
「……よくわからないけど、こわいからやだよエンジェルゲーム」
そうこうしているうちに、とうとう教室に先生が入ってきた。
教室内の空気が、少しだけ変わる。席を離れていた者たちが、ちらほらと自分の席へ戻りつつある。
それはいつもと同じ、学校の光景。
だが、この穏やかな朝の教室のなかで、太郎だけは焦っていた。
(なぜ、なぜ立花のガードはこれほどまで堅いんだ……。次々と策をはね除けて見せるその力は何なんだ。立花……お前はやはり神に愛されているとでもいうのか。……だが、例え神に祝福されていようとも、俺と鼻毛の二人を悲願は阻止させない……! ならばやってやる。最後の手段を……!)
十数年間、太郎は立花のすぐ側で青春を過ごしてきた。
嫉妬も、憎しみも、あった。
だからこそ太郎は、他の誰よりもこの立花のことを知っている。
そして実は、ひとつだけ、弱点を知っていた。
過去、幾度となく使おうとし、革命家としての誇りから思いとどまってきた必殺の一手。
絶対に使いたくのなかった、最後の切り札。
そのひた隠しにしていた宝刀を、彼はようやく、抜き放つ――。
「立花! どんなことでも、なんでもする。靴も舐める。望むのなら靴下も舐める。だから、頼む。前に行ってくれ。そして皆の注目を集めてくれ。この通りだ! お願いだ立花。一生のお願いだ!!」
――その弱点こそは、泣き落とし
どこまで行ってもイケメンである彼は、他の人間よりも明らかに、情に弱い。
理屈で納得しないのならば、感情で訴えかければよい。
困った人間を見ると助けずにはいられないのが、彼なのだ。イケメンなのだ。
この行為は、ある面からすると革命家としての敗北を意味するのかもしれない。
確かに、彼の信条からは外れた、忌避すべき行為である。
だがそのプライドをねじ曲げてでも、やらなければならない理由が太郎にはある。
それは、鼻毛。
これは彼ただひとりの為ではなく、鼻毛のためでもあるのだ。鼻毛の儚き希望を背負って、彼は今ここにいる。例えこの身を犠牲にしようとも、より多くの人間に、この鼻毛の晴れ姿を見せる使命が、太郎にはある――
「……なあ太郎。僕はね。君のことを少し勘違いしていたよ。君はそんなに真っ直ぐな眼を持った人だったんだね。……状況はよく呑めないけど、僕行くよ。君のその瞳を信じることにするよ」
「立花……お前、良い奴だ」
そう言うと、立花はすっと立ち上がった。
(すまない立花……お前の勇姿は忘れない。俺と鼻毛の、贄となってくれ……!)
そうして、立花は歩いて行く。
自らの足で。
太郎はそれを固唾を呑んで見守っている。
この長き戦いの、結末。
二人の奇跡の、実現。
そして、立花の足はなぜか途中で、止まった。
「立花、なぜ……もしかして鼻毛に勘付いたのか!?」
立花はおもむろに、口元に手を持っていく。
「ふぇっくしゅ!!」
くしゃみだった。
ああなんだ、と太郎が安心しかけたそのとき――
そのとき、彼は見た。無残にもひらひらと落ちていく鼻毛の姿を。
「鼻毛、鼻毛ェ!」
教室中に響き渡る声で、彼は叫んだ。
静まりかえる教室。すべての生徒が、一斉に太郎の方を見た。
「……そんな、そんなウソだと言ってくれ!」
太郎は、我を忘れて鼻毛のもとへ駆けていた。
あれほどまで元気に存在をアピールしていた鼻毛が、今このタイミングになって、鼻の穴から抜け落ちてしまうなど……そんなことあってよいはずがない。何かの間違いに違いない。
太郎は、再び叫んだ。
「鼻毛、鼻毛ェー!!」
「羽那君、落ち着きなさい!」
先生が叫ぶように制止を求める。
その光景に、何人もの生徒が怯えて身体をこわばらせた。
「これが、落ち着いていられるか! みんな、聞いてくれ。たった今、鼻毛が――落ちたんだ……!」
せめて、この革命の時を失ってはたまるかと、いっそう声を張り上げた。
これは弔い合戦であった。
鼻毛死すとも、太郎は死せず。
例え太郎だけであっても、この革命を成し遂げなければならない。
「さっきまで鼻毛が! あんな元気な鼻毛が……生えていて」
だが、そんな太郎の視界が涙でかすみ始めた。
脳裏によぎるのは、鼻毛との数々の思い出――。
思い返せば、出会いは突然だった――。
何の変哲もない彼の日常に、突然現れたその毛は、まさしく希望の光だった。
今思えば鼻毛はあのとき、懸命に太郎に伝えようとしていたのだろう。
『お前も、光の世界へ来い。俺が支えてやるから。一緒に行こうぜ』
鼻の穴から背伸びしてみたり、ぴろぴろと暴れてみたり、彼はその身を犠牲にしてでも太郎に光を見せた。生きる意味を、教えた。
「俺、もう、戦えないよ……お前がいなきゃ」
太郎はこみ上げる涙を、必死に堪えた。
教室中の生徒は、ただ呆然とその姿を見守っている。
「羽那君、落ち着いて。いったい何が起きたの?」
おそるおそる先生が声を投げかける
その怖がったような声音を聞いて、太郎は顔をあげた。
そして辺りの皆の表情を、見渡した。
――疑われて、いる?
彼らは、鼻毛があったことを信じていないのだ。
皆は明らかに、鼻毛の実在を疑っている。鼻毛の偉業を疑っているのだ。
(この状況、どこかで……? これはまるで……!)
そう、ここは――鼻の穴の中と同じ。
暗くて、誰も助けはなく、たった独り孤独な世界……
そう気付いたとき、消えかけた革命の炎が再び燃え上がった。
使命感が、強く燃えたぎった。
光を求めると、そう約束したのは他ならぬ太郎ではないか。
太郎こそが、あの鼻毛の意思を受け継ぐ、唯一の存在。
そのとき床に寂しそうに落ちている鼻毛の姿に、太郎は気がついた。
人差し指と親指で摘まみあげ、そして高らかに、掲げる。
「……立花の、毛なんだ! これは、立花の鼻――」
とうとう禁断の言葉を、口にしようとし、
「叫ぶのをやめなさい! ちょっと、誰か彼を取り押さえて!」
寸前で、先生の言葉に遮られた。ついに教室中がざわざわと騒ぎ始める。
――これでは、伝わらない。
――もっと、わかりやすく。もっと、よく見えるようにしなければ……!
太郎は勢いよく、近くの机に飛び乗った。
その手に持った鼻毛を、蛍光灯の光に、かざす。
光に照らされて輝くその姿、まるで生前の、王として君臨していたときの鼻毛。
その威光に恐れをなしたか、教室は再び、一瞬だけ、静まり返る。
太郎は、思った。今しかない。今、言うのだ。
「みんな、これは鼻毛だ! これは……立花の鼻毛なんだァー!!」
太郎は決定的な台詞を、腹の底から、大絶叫した。
そして、歓声が湧き上がるのを、待った。
盛大な鼻毛祭が始まるのを、待った。
人々がその事実に狂乱するのを、待ち続けた。
いつまでも、待ち続けた。
だが――教室はいつまでも張り詰めたような静けさで、彼らが太郎を見る目は、そう、まるで変人を見るような、そんな同情と憐れみに満ちていた。
力の抜けた指先から、鼻毛が、ゆっくりと落ちていく。
――まるで、一筋の希望の光が、落ちていくように。
それはイケメンに嫉妬し、逆恨みに燃えた孤独な革命家の、悲しき末路だった――。
■
……この話には後日談があった。
あの事件以来、彼らのクラスは確実に、何かが変わった。
彼の当初の狙い通り、イケメンは以前と比べて少しだけ存在感を小さくしていた。
それは、イケメンより目立つ存在が現れたからである。
その目立つ存在……
彼の名を、畏敬の念を込めて皆はこう呼ぶ。
……「鼻毛マン」と
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