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『貴殿の葬方』  作者: 魚目
7/7

魚葬

(潮の香りがする町で)



 ……女だ。

 何故か、魚の中に女が居た。

 俺は思わず、尻餅をついた。

 いや、そんな事もしていられないだろう。俺は仕事をしていたのだ。この女をどうにかしないと、俺の仕事は進まない。

 そう決意して、もう一度、魚の中を覗く。

「……ヒェッ!?」

 女は、俺の方をギョロリとした目で向いていた。俺はもう一度、尻餅をついた。

「……そんな、悲鳴を挙げることかしら」

 気だるそうに呟きながら、魚の中から女は起き上がった。漆黒の長い髪には、魚の鱗が沢山付いていた。キラキラと陽の光で輝く。

「……くっさ」

「あ、当たり前だろ! そんな魚の中にいたんじゃ……」

「さかなぁ? ああ、本当だ、私魚の中で寝てたのか……」

「なに、冷静なんだよ!! 他人の船だぞ!」

 そう、俺は漁師見習いで、今日取ってきた魚を網から出すところだったのだ。それなのに、何故かその網の中に、この女が居た。

「うーん、いや、私もまさかこんな所にいるとは思わなくて」

「どういうことだよ、どう入ったんだよ!」

「……わっかんないや」

 そうしてあっけらかんと笑う女に、俺は溜息を吐いた。

「……そんなとこにいると、今から氷の中にボッチャンだぞ。手貸すからこっちに来い」

「ありがとう」

 女が俺の手を取ったので、網の中から引きずり出す。女はとても軽かった。羽根のようだ、とよく言うが、本当に羽根のように軽かった。

「意外と力あるんだね、君」

「伊達に漁師なんかしてねぇよ」

「それもそうか」

 女はまた、笑った。その顔が、余りにも美しくて、俺は思わず見惚れてしまう。その感情の名前を、俺はまだ、知らない。




「ごちそうさま!」

 そうして、どんぶり茶碗を食卓に置く。

「はぁ、美味しかった。本当に君が作ったご飯は美味しいね。お魚も美味しい」

「そうか、良かったな」

 彼女は食事が速い。俺はまだ茶碗の半分しか飯を食べていない。そして、彼女は食べ終わった後、いつも俺が食べるのを見ている。何故だか聴いたが、何となく、という曖昧な答えしか返ってこなかった。

「見てて楽しいか?」

「うん」

「……そうか」

 それは良かったな、と毎日のように同じ会話を繰り返す。

 彼女を拾ってから、三ヶ月が経った。彼女は俺と同居し、一緒に親方の船を手伝っている。彼女はよく働いた。漁でも非力ながら自分でできることを探して動くし、親方も評価していた。家では料理は出来ないが、他の家事はそつなくこなした。

 彼女は自分の身の上を一切話さなかった。しかし、小さな小さな港町で、そんな事を気にする大人なんか居なかった。そもそも、俺も別の街から漁師になる為にやって来たのだ。地元から俺を追いかけてやってきたと言えば、誰も詮索しなかった。俺もそれで良かったし、彼女もそれを気にしなかった。

 俺も、彼女のことを聴こうとは思わなかった。俺が、彼女にそのことを聴いたら、彼女はこの小さな町から居なくなってしまいそうで、その方が辛かった。

「ねぇ、今日はもう沖に出なくていいんだよね?」

「そうだな。今日は休みだ」

「じゃあどっか、行こう」

「……どっか、って行くとこねぇぞ」

「君となら、どこに行っても楽しいよ」

「……そうか」

 俺は愛想がなく無口だ、その癖にビビりという、どうしようもなく救いようのない男だった。そんな俺と一緒にいることが、どれだけ退屈かということは、俺自身が一番よく知っていた。

 彼女は気が効く。そして分け隔て無く、相手を立てて、気分を悪くさせない。良い女だ。俺じゃなく、別の人間に拾われていたなら、彼女はどれだけ楽だったのだろう。

 食事を終え、オンボロアパートを出ると、彼女と共に海へ向かった。暫く歩き、そうしているうちに、手と手が絡み合った。

「好きだよ」

「……そうか」

「うん」

「好きか」

「うん」

 その言葉だけで、世界が色付いて見える。素晴らしい世界だと思った。それと同時に、俺は単純でとても馬鹿な生き物だとも悟った。




 朝になると、隣に彼女が居なかった。確かに、昨晩この腕の中に納まっていたのに、と頭を抱えた。もう既に、着替えて船に居るのかと思うと、そうでもない。

 ……まさかと、思った。

 まさか、この町を出て行ったなんて、そんなことある訳ない。

 しかし、与えられた仕事を俺はこなさなきゃならないのだ。漁を終えて、網の中の魚を氷水の入った槽に入れる。

「……なんでだよ」

 俺は思わず、呟いた。

「……なんでなんだよ!?」

 青白くなって、魚たちと一緒に落下していったのは、確かに今朝方まで俺の腕の中にいた人物だった。

 ずるりと、俺は引き上げる。なんでだよ、なんでなんだよ、どうしてそうなる、何故だ。何故なんだよ。

「なんとか、言ってくれよ」

 彼女はもう、羽根のように軽くはなかった。鉛のように冷たい四肢がぶらんと力無く項垂れる。

 もう、彼女は何も言わなかった。あの笑顔ももう、見れなかった。




 後から聴いた話、彼女はとある街の権力者の一人娘だった。幼い頃から難病で苦しんで来た彼女は、三ヶ月前、余命を告げられた。余命で死ぬくらいなら、海で死にたいと、彼女は入水自殺を計った。しかし、上手く死ねず、俺に拾われた。つまりそういうことだった。彼女は生きる為に俺の前に現れた訳ではなく、死ぬ為に俺の前に現れたのだと。

「じゃあ、何故、好きと言ったんだ。何故、俺と結ばれることを望んだんだ」

 俺に対する哀れみだったのだろうか、それを問うても、答える人物はもう、この世界には居ない。

 俺は慟哭した。



(只々、愛しいものを失った男の話)

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