泡葬
(これは、僕と君の物語)
ある日、君が言った。
「ねぇ、人魚姫って最期は泡になって消えちゃうの。知ってた?」
何を言い出すのだこの女は、と思った。ただ、僕は女の隣のレーンで泳いでいただけの赤の他人であったのに。
「……はぁ?」
「あっ、変な女って思ったでしょ?」
「……まぁ、そうっすね」
彼女は、付けていたゴーグルと水泳帽を外す。
「よく言われるの、変な女って」
……変な女は、絶世の美女であった。俺の口はあんぐりと開いたかもしれない。彼女は、そんな俺を見て、クスクスと笑っていた。周りはザブザブと音を立てながら、何かに取り憑かれたように泳いでいる。僕と、君だけが、この水の中で唯一停止していた。
これはとある夏の日、市営の屋内プールで、僕は運命の女とが出会った話だ。
後に、君は語った。
「君の泳ぎ方が、人魚みたいだなぁ、って思ったから、声をかけたの」
彼女の感性は、独特であった。空を見上げながら雲の形を研究する、そして電柱にぶつかる。地面を歩く蟻を追いかける、そして家屋の壁に激突する。そんな光景を何度も見た。
「なんで止めないの!?」
「止めてるけと、聴いてないのは君だろう」
そんな会話を幾度もした。その度に頬を可愛らしく膨らませる。その様子も愛しいと思った。変な女は、愛しい女へと変わっていた。
僕は君の感性が好きだった。この世界は君の瞳にはキラキラとした宝石の様に見えるのだろう。僕には水の中の闇のようでも、彼女を通して光を、太陽を見ていた。
……君自身が、いつしか僕の光となっていた。眩しい、眩しい、僕の光。
夏の終わりの日、君は言った。
「ごめんなさい。貴方のものにはなれないの」
なんの、死刑宣告かと、思う。
そう、これは君からの死刑宣告だった。僕は、もう僕の光を失う事が出来なかったから、失ったら死んでしまう。尾びれも、足も動かなくなってしまう。エラが、肺が呼吸を止めてしまう。全ての生命活動が止まってしまう。
「なんで、」
振り絞った声は、本当に音声になっていただろうか。
「……ごめんなさい」
何故、謝るのだ。謝るのなら、死刑宣告なぞ、出してほしくない。僕のものに、僕の光になって欲しい。僕はまだ、消えたくないのだ。
瞬間、僕は君を風呂場に引きずり込んだ。君は抵抗した、けどその抵抗など、可愛いものだった。もう、どんなことでも全てが愛しい。そして、全てが憎い。
やっぱり、君は運命の女だった。
僕は、君を浴槽に突っ込んだ。彼女は何故そんなことをするのか、という戸惑った顔をした。
「……愛しているよ」
その言葉と共に額に唇を落とす。……次の瞬間に、僕は君の首を締める。そして浴槽に溜まった水の中に頭を鎮める。
ボコォッ、と君の体から泡が飛び出る。人魚姫は泡になって消えるのだ。
……君は死んだ。
君は人魚姫なんかではない。泡となって消えるべきなのは僕なのだろう。僕の光を手に入れる事が出来なかった僕なのだ。
僕の体躯は、彼女の美しい身体と水中で重なる。彼女の身体には僕の身体から溢れた赤い液体で濡れた。
僕と君の物語はこれで終わり。
(人魚姫は悲恋の代名詞って貴女は知っていましたか?)