龍の神
「つ、疲れた……」
集女が完全に消えたことを確認し、早苗はそのまま竜也の体にもたれかかった。緊張の糸が解けたせいか、その顔は汗でびっしょりとなっている。
「……結局なんだったのよあいつは」
霊夢がさっきまで集女がいた場所に視線を向けながらそんなことを呟く。まあ何も知らない人からすれば、――いや、事情を知っていても、よく分からない奴が突然やってきて暴れたようにしか見えないだろう。
霊夢の言葉を質問と受け取った竜也は早苗の体を支えながら言う。
「何でも、色んな神様の信仰の力のおこぼれを貰っていた神様らしいですよ」
「色んな神様の信仰のおこぼれ? 何よそれ」
「名前を持たない故にあらゆる神の名前を持つ、とかなんとか説明されましたけど」
「……よく分からないけど、まあいいわ。後でちゃんと説明してもらうとして」
そこで一旦言葉を区切り、霊夢は里の方へと視線を向けた。
「とりあえず怪我人の治療とかしましょう。里の人たちにも終わったことを伝えないとい……」
面倒そうに喋っていた霊夢の口が途中で止まった。その視線はある一点に集中されていて、早苗と竜也は自然とその視線の先を追ってしまう。
民家の近くに、傷つき倒れている女性がいた。いや、怪我人がいること自体は別に不思議ではない。問題は、その女性が倒れていることだ。
その女性は、八雲紫は。
今の今まで、少なくとも集女が消える前までは、無傷で立っていたのに。
集女が消えて、脅威はなくなったはずなのに。
なぜ、倒れている?
「いやー、びっくりしたびっくりした」
集女の声が、辺り一帯に満ちた。
「っ!?」
竜也たちが振り返るのと同時、衝撃波のようなもので吹き飛ばされた。霊夢が咄嗟に結界を張ったが、凄まじい衝撃と共に地面に叩きつけられる。
「あー、死ぬかと思った。いや、そもそも私って死の概念が存在しないんだけどね」
「……な、んで……」
里の中に落ちた早苗は、集女を見上げながら声を絞り出す。
「貴方は、さっき……消え、たのに」
「あー、まあ惜しいところまでいってたとは思うわよ? 実際に消えかけたわけだし」
ただ、と集女は付け足す。
「私を普通の神と同じように考えたのがいけなかったわね。力の総量が莫大すぎて消えるのに時間がかかって、私は力が全部消える前に『叶集女』の神話を作った。それでも結構ギリギリのタイミングで、私の体は消えちゃったのだけど……いやあ今日が祭りで良かったわ。届かない信仰が沢山あったから、全部貰っちゃった」
軽い調子で言い、集女は両手を掲げる。
集女を中心に、雷雲が現れる。それはどんどん大きくなっていき、やがて雨が降り始め、雷鳴が鳴り響く。
「それじゃあ幻想郷を滅ぼしましょうか。せっかくだから、貴方たちの信仰する神の力で滅ぼしてあげる」
「まっ……て、くださ……」
「やーだ♪ ――神話変更」
集女が言葉を紡ぐ。
早苗は必死に体を起こそうとするのだが、体が痛み上手く動かない。
「…………」
「『我は龍の神にして』」
ピキリ、と異質な音が聞こえてきた。
早苗が視線を向けると、そこには早苗と同じように吹き飛ばされた竜也が倒れていた。
その竜也の皮膚に、ヒビが入っていた。音は竜也から聞こえてきていて、ヒビは少しずつ大きくなっていく。
まるで竜也の中にいる何かが竜也の体を打ち破り、何かが飛び出そうとしているかのように。
「……たつ、やさん」
「『幻想郷の最高神なり』」
集女が龍神の力を振るう。
竜也の中から何かが飛び出す。
それよりも早く、『それ』はやってきた。
「……は?」
龍神の力を持った集女の体の左半分が、音もなく消し飛ばされた。何をしたのか、この場にいる誰も分からなかった。
集女の体が消し飛ばされたのと同時に、竜也の体を走っていたヒビが消えていく。代わりに竜也の体から光の球のような物が飛び出し、『それ』の方へと飛んで行った。
光の球は『それ』に近づくと歓喜したかのような声を上げ、そのまま『それ』の鱗に触れ消えていった。
「ありえな、あり得ない。そんな馬鹿な、私が、あらゆる神の力を持った私が……!」
半分ほど残った体で集女は震えた声で言い、『それ』に向けて右手を向ける。
「神話変更。『我が槍は絶対なる勝利をもたらす』!」
集女の右手に槍が作り上げられ、五本に分かれている穂から光が放たれた。
光は『それ』の鱗に当たり、――そしてあっさりと光は霧散した。
「な……あ!?」
集女が驚きの声を上げた瞬間、『それ』の口が大きく開き、そのまま集女の体を飲み込んだ。
グチュリ、と肉が潰れるような音がし、咀嚼しているかのように『それ』の口がモゴモゴと動く。
それを呆然と見ていた早苗は、思わずといった感じに呟いた。
「龍神……」
幻想郷の最高神である龍は、とんでもなく太い体を空でうねらせていた。