叶集女
「神話変更。『あらゆる神の偉業を我は成し遂げる』」
「神話変更。『八の頭と尾を持ちし蛇は姫を喰らう』」
「神話変更。『我が雷の槍は全宇宙を焼き尽くす』」
女性が何かを言うたびに、女性の力の性質が変わる。
女性が何かを言うたびに、周りの人妖が蹴散らされた。
「……もう、そんなに暴れなくていいのに」
女性が呆れたような、困ったような顔で言う。
「そんなに心配しなくても、皆の『願い』は私が叶えてあげるのに」
「誰もそんな心配してないわよ」
女性の言葉に、一人だけ応じる者がいた。
紅白の巫女こと、博麗霊夢だ。その体は何故か不透明で、女性が放つ攻撃は全て霊夢に当たることなく通り抜けていた。
女性は心底不満そうにしながら炎の剣やら氷の槍だのを叩き込むのだが、やはり霊夢に当たることはない。まるで世界そのものから『浮き出ている』ようだった。
「便利ねそれ。私も使えればいいのだけど」
「……あんたがこんなのまでできるようになったらそれこそ終わりよ終わり」
「でも攻撃力は大したことないのよねぇ。……そもそも私を傷つけることってできるのかしらね? 神話には『絶対に傷つくことはない』なんてものはゴロゴロあるし、それらには幾つかの穴があるけど神話を組み合わせて仕舞えば穴も無くなる。どうすれば私って傷つくのかしら? 巫女である貴女なら分からない?」
「知らないわよそんなもん。死にたいなら勝手に火山の溶岩に潜って死ねばいいじゃない」
「火の神様なんてそれこそ腐るほどいるのよね……。って、そんなことよりも」
女性は霊夢から視線を外し、里を指差す。
「貴女の攻撃は大したことないし、私からの攻撃は貴女に当たらない。じゃあもう、貴女は無視しちゃっても良いわよね?」
「ちょ、待ちなさ――!」
「――神話変更。『我が稲妻を象徴する槌は全てを破壊する』」
バヂンッ! と静電気のような音と共に、女性の手元に稲妻を纏った槌が出現する。
その名はミョルニル。北欧神話の雷神トールが振るう、圧倒的な破壊力を持つ神器だ。
そんなものが振るわれたらどうなるか、考えるまでもない。
霊夢が夢想天生を解除し結界を張って女性を妨害しようとするが、そんなこと意に介さずに女性は槌を振り下ろす。
「お待ちください」
直前、早苗が女性と地上の間に割り込んだ。
「?」
「早苗!?」
突如現れた早苗の行動に疑問を感じ、女性の腕が止まる。あと数ミリ振り下ろしていたら、早苗の顔にミョルニルが当たる所だった。
「あら、どうかしたのかしら、人と神の間にいる不思議な子」
「……私がここに来たのは、あなた様にある提案をする為です」
腰を低くして、女性を持ち上げるようにしながら早苗は言う。
「あなた様の目的は、『幻想郷を滅ぼす』で相違ないでしょうか?」
「ええそうよ。それがどうかしたのかしら?」
「でしたら、それを少しばかり遅らせてもらえないでしょうか?」
「?」
「早苗、どういうつも……」
霊夢が二人の会話に割り込もうとしたが、いつの間にかその背後にいた竜也がその肩を掴む。竜也が当たり前のように空を飛んでいることに霊夢は驚くが、竜也は無視して二人の会話を聞く。
「あなた様の目的が幻想郷の破壊ならば、幻想郷に住む人々まで危害を加える必要はないはずです」
「……つまり、ここにいる人妖が幻想郷から出て行くまで待って欲しいっていうことかしら?」
女性は驚いたような、困惑したような顔になっていた。女性に何かしらの交渉をしようとした者は今までいなかったのだろう。体験したことない事態に、どうすれば良いのか分からないのだ。
「別にそれで幻想郷が滅ぶのなら私としては構わないのだけど、それだと一つ疑問が生まれるのよね」
「それは何でしょうか?」
「土地を破壊したからといって幻想郷が『滅んだ』と言えるかどうか、ということね。よく言うじゃない? 国民さえ生きていれば国は滅びない的な。もしそんな感じで『滅んだ』と言えなくなってしまうのだとすれば、私二度手間になって面倒だし、どちらにせよあなた達を滅ぼすことに――」
「それを理解した上での『お願い』です」
早苗は深々と頭を下げ、女性に『お願い』する。
「どうか、私の我儘な『願い』を聞き入れてくれないでしょうか?」
「……………………………………………………………………………………むむむむむー」
女性が悩むように唸り始める。
女性の本質は『人々の願いを叶える』ことにある。幻想郷を滅ぼすという行動も、竜也の両親を殺し幻想郷に来るように誘導したのも、全て願いを叶える為だ。
そんな彼女故に、誰かから『お願い』されると叶えなければいけないという使命感が湧いてくるのだが、それが現在進行中の『願い』を台無しにしてしまうことになる可能性があると少し困ってしまう。
別に早苗の『願い』を聞き入れた結果幻想郷が滅ばなかったとしても、別にまた滅ぼしに行けばいいから問題ないように思えるかもしれないが、時間は(願いを叶えて貰う側からすれば)有限だ。二度手間かけたせいで時間がなくなり、別の『願い』を叶えられなくなったなんてことは避けたいのだ。
かといって『願い』を無視するのも……といった感じに女性は思い悩み、
「ああもういいわ、好きにしなさい。それな貴女の『願い』なら、それを叶えるのが私の役目よ」
「ありがとうございます。……それともう一つ、お聞きしたいことがあります」
「なに?」
「あなた様のお名前は何でしょうか?」
「名前はないわ。私はあらゆる神でありながらどれにも属さない名前無き神。……まあ名前があった方が便利な気もするんだけどね。私の力は結局のところ他人の物で、私の物は一つもないし」
「……でしたら、私に名前を決めさせてもらえないでしょうか?」
「本当!? 名前を貰ってもいいの!?」
「うぇ!?」
女性の反応が予想外すぎて早苗が平静を装うことができずに素っ頓狂な声を上げてしまう。
そんなことに一切気づかず、女性は鼻息を荒くして興奮していた。
「いやー、時々私個人を信仰しようとする人はいたんだけど、私自身に名前も神話もなくて困ってたのよね。いや名付け自体はできるのだけど、名前は他人から付けて貰わなきゃ意味がないし」
「そ、そうですか……」
「それで? 私にどんな名前を付けてくれるのかしら?」
「え、ええとですね……」
女性のテンションの上がりように若干引き気味になりながら、早苗は考えるフリをする。
数秒ほどしてから、早苗はゆっくりと口を開く。
「……集女。叶集女、なんてどうですか?」
「あら、てっきり日本神話の天照だの素戔嗚だの難しい名前を付けられるのかと思ったのだけど」
「外の世界でもそうですけど、最近はフレンドリーな神様が好まれるので、固そうな名前は避けた方がいいかと」
「ふふっ、まあ私としては名前を付けてもらえたこと自体が嬉しいのだけどね」
それじゃあ、と女性は言い、
「私はこれから叶集女と名乗るこ――」
ビギィ!! と。
集女の体の内側から、亀裂が走るような音が聞こえた。
「……え」
音は一度ではなく、何度も何度も聞こえてくる。まるで、集女の体が崩壊を迎えていることを教えるように。
同時に、集女の体から力が消えていく。あらゆる神の性質を持った力が、亀裂から漏れ出すかのように。
「な、なんで? なんで私の力が!? なんで私の存在が消えていくの!?」
「……貴女は神というのがどのような存在なのかを理解していませんでしたね」
集女の顔を真正面から睨みつけ、早苗は言う。
「神様って、名前によって存在そのものが変わることはよくあるんですよ? 神奈子様だって元は別の名前だったのに、山の神としての力を持つために『八坂』の性に変えました。最も分かりやすいのはオーディンでしょうね。名前を大量に持つオーディンは、名前を変えることで様々な神格を得てるんですよ」
「あ、……あ」
「貴女は名前を持たないからこそあらゆる神の信仰のおこぼれを貰うことができてたんです。なのにたった今名前を貰い、『叶集女』という存在として安定させました。神話も何も持たない神が、信仰の力を得られるわけないじゃないですか」
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
集女は雄叫び、早苗に掴みかかろうとした。
竜也がその間に割り込んだが、その必要はなかった。
集女の手は竜也に届くことなくボロボロと崩れていく。
「今の貴女は『叶集女』という名前の、新米の神です」
もはや人としての形を保てていない集女に向けて、早苗は言い放つ。
「出直して来なさい、若輩者!」
それが、集女の聞いた最後の言葉となった。
早苗が言葉を放った直後、『叶集女』の肉体は完全にこの世から消え去った。