喧嘩
龍神祭の三日目は、『喧嘩』だ。
これだけ聞くとなんだかよく分からないが、要するに武闘会みたいなものだ。スペルカードルールのように美しさなどない、実力のある者たちが殴りあうのだ。
とはいえ、これはあくまで『喧嘩』であって『殺し合い』ではない。行き過ぎたことをすると博麗の巫女にボコボコにされるので、喧嘩といっても平和なものだ。
……まあ、皆酒が入っているのでそんなことを気にせずにやり過ぎることはあるらしいが。
そんなわけで、竜也が里の中を歩き回っているとあちこちで殴り合っている音が聞こえてくる。周りで見ている人たちはどっちが勝つかを賭けていて、皆かなり熱くなっている。
そんな中、
「……はぁ」
「……ええと、霊夢さん? どうしたんです溜め息なんかついて」
博麗の巫女、霊夢がベンチに座っていた。顔が若干赤いのを見る限りだと、酒が入っているのだろう。
霊夢は竜也の顔を見ると、少し安心したように息を吐く。
「なんだ竜也さんか。また誰かが暴れてるなんて言われるのかと思ったじゃない」
「暴れてる? 誰がですか?」
「そこらの妖怪よ。熱くなってやり過ぎてるのが多すぎてやんなっちゃうわよもう」
「霊夢さん、自警団でもやってるんですか?」
「あー、まあ似たようなもの、なのかしら? 妖怪退治が私の仕事だし。まったく、どうせなら魔理沙も異変の時じゃなくてこういう時に動けばいいのに」
誰か手伝ってくれればいいのに、とぼやく霊夢に、女性が話しかける。
「あの、霊夢さん。向こうで……」
「また? ……喧嘩なんてしなければいいのに」
そう言いながら霊夢は女性に連れて行かれる。途中「お賽銭入れてちょうだいよー」と言ったのが竜也にも聞こえてきた。
「……巫女って、大変なんだなぁ」
そんなことを竜也が呟き、また歩き出す。特に目的があるわけではないが、皆が騒いでいるのを見ているのも結構楽しいものなのだ。
「お、竜也か」
そんな感じにふらふらしていると、津後森朔と会った。今日も変わらず黒ジャージを着ている。年中この格好なのだろうか?
「朔さん、何してるんです?」
「なーんにも。妖夢は幽々子さんに付き合ってるから手持ち無沙汰なんだよ。妖怪と喧嘩したいとも思わないし。お前は?」
「同じくです。俺の方も知り合いが引っ張り出されているので」
「……祭りなのに一人って、何やってんだろ俺たち」
「いや、こうやって騒いでるのを見るだけでも結構楽しいでしょ?」
「そうか?」
「そうですよ、ほら」
そう言いながら、竜也は騒いでいる人たちを指差す。妖怪二人が殴り合っているのを、周りの人妖たちが酒を片手に見ている。応援したり、野次を飛ばしたりなど様々だ。
「プロレスを見るのって、こんな感じなんですかね?」
「……それはいいんだけどさ、あいつらなんか熱くなりすぎじゃねえか?」
「え?」
竜也が改めて見てみると、妖怪二人――片方は狼男、もう片方は川猿――の喧嘩はかなり熱くなっていた。狼男は川猿の喉元に食らいつき、川猿は狼男の皮膚どころか腕をもぎ取っている。いくら妖怪とはいえ、ダメージはでかいだろう。
それを見ている人間たちも妙だ。熱気を放ち、目は充血し、中には隣の人と喧嘩し始めるのもいるくらいだ。
「……ええと、あれって幻想郷では普通なんですか?」
「んなわけあるか。明らかに異常だよ異常。少なくとも去年はここまで酷くなかった」
朔は周りをキョロキョロと見回し、舌打ちする。
「ああもう、霊夢もいないし、俺が止めに入るしかないか」
「え? 朔さんって戦えるんですか?」
「つい最近戦えるようになったばかりだけどな。……妖怪はまだ大丈夫だけど、人間の方は放っとくとやばそうだな」
言いながら朔は身を屈め、――そして一瞬で消えた。竜也が周りを見回すと、朔は喧嘩をし始めていた人間の間に入り込み、そしてまたも一瞬で二人を昏倒させた。竜也の目では朔の動きを捉えられなかった。
「……え、ええと?」
竜也が何が起きたのか分からず困惑していると、妖怪二人が暴れながら竜也の元へと移動していた。殺意の篭った目が、竜也を捉える。
そこからは、殆ど反射だった。
川猿の手が竜也へと伸びてきた。竜也はその手を軽く振り払い、ガラ空きの顔に拳を叩き込む。
狼男が口を開いて竜也に噛みつこうとした。竜也は背中から地面に倒れるようにして噛みつきを避け、その勢いのまま狼男の口を蹴り飛ばす。
ただし、それらの動作を音速の速さでやるとどうなるか。
ゴグシャッ!! という、普通に生きていればあまり聞かないであろう音が響き渡った。
川猿の体が吹き飛び、民家へとぶつかった。それだけでは勢いが止まらず、さらに二三軒民家を壊した。
狼男が空を飛ぶ。重力に逆らってたっぷり五秒ほど宙を舞い、弧を描いて頭から地面に落ちた。
「……あっぶなー」
竜也は起き上がりながらそう呟く。狼男の方に視線をやると、頭を抱えてゴロゴロと地面を転がっていた。妖怪の頑丈さがよくわかる光景だった。
川猿の方は大丈夫かなと思い視線を向けると、川猿はゆっくりと起き上がっていた。ただし、その目には竜也に対する明確な敵意があるが。
竜也は知らないが、川猿は人間から害を加えられた際には、相手の体中の皮膚や肉をかきむしって重傷を負わせてしまう妖怪だった。
川猿が竜也の元へと走り、その肉をかきむしろうとするが、川猿の行く手を遮るようにお札が飛ぶ。
お札は光を発し、紫電は川猿へと飛んでいく。紫電を受けた川猿はそのまま地面へと倒れた。
竜也が視線を上に向けると、霊夢が降りてきているところだった。
「大丈夫かしら?」
「はい。この通り怪我もないですよ」
「……今さっきの見てたけど、妖怪相手に肉弾戦なんてやらない方がいいわよ。基本的に向こうの方が力も強いんだから」
「……覚えておきます」
霊夢はそれだけ言うと離れていく。人妖たちに暴れないように注意し、また空を飛んでいく。
「忙しそうだなぁ」
竜也はそう呟き、またふらふらと歩き出す。
「…………」
その竜也の背中を、朔は静かに見ていた。




