蛇となった人間
「……ふわぁぁ」
龍神祭三日目、竜也は寝不足だった。結局、寝た時間は二時間ほどか。疲れを取れるとはとても思えない睡眠時間だった。
竜也は里の休憩所に座っていた。その手には緑茶があるのだが、どうにも味が気に入らず、中々量が減らない。
「どうしたのさ竜也。寝不足?」
その隣にいる諏訪子が、串団子を片手にそう聞いてくる。
「いやまあ、ちょっと色々ありまして……」
「ふーん? よくわかんないけど体には気をつけなさいよ? 弱ったところを何されるかわかったもんじゃないし」
「……気をつけます」
よいしょ、と言いながら諏訪子は立ち上がり、串をゴミ箱に放り投げる。
「それじゃ、私もちょっと行ってくるよ。竜也がお酒飲めたら連れて行ってもいいんだけど……」
「遠慮しておきます。というか俺は酒無理です」
「だよねぇ」
そんな短いやり取りを交わし、諏訪子はトコトコと歩き去っていく。歩いた先には、酒を飲む沢山の人妖がいる。
諏訪子はそんな人妖たちの隙間を通り抜けていき、椅子に座って酒を飲む一人の男の前へと立つ。
「隣、空いてる?」
「……どうぞ」
男、元は少し移動して諏訪子の座る場所を作る。諏訪子はその隣に座り、帽子から瓶入りの酒を取り出す。
「……お前の帽子は四次元ポケットか何かなのか?」
「さあねぇ? 神様の不思議な力かもよ?」
「帽子から色んなものを取り出す術なんて見たことも聞いたこともねえよ」
そう言いながら元は諏訪子の帽子を取り上げ、ポンポンと叩くが、そこから何かが出てくることはない。
諏訪子が取り返し、帽子を叩くと饅頭が出てきた。出てきた饅頭を小さい口に無理やり詰め込んでいる諏訪子を見ながら、元はポツリと呟く。
「……何十億年生きてても、知らないことはあるもんだな」
「ふぉんなふぉんふょ? ふぁんねんふぃきてても」
「食うか喋るかどっちかにせい」
「もぐもぐ」
「食う方優先してんじゃねえよ! 何しに来たんだよお前は!? ――ってなんで俺はツッコミ側に回ってんだ!?」
頭を抱えて唸る元の横で、諏訪子はコップに酒を注ぐ。
「なーんか、人間くさいわねあんた」
「あん?」
「そういう反応がさ、一々人間くさいのよあんたは。あんた本当に八岐大蛇? そもそも八岐大蛇って早苗みたいな処女を毎年パクパク食べるような奴じゃなかった?」
「ああそれ? あの神話嘘だぞ」
諏訪子が元にコップを渡し、元はグイッ一気に飲み干す。元は別のコップに酒を注ぎ、それを諏訪子に渡す。
「素戔嗚の奴が勝手に自分の英雄伝に変えちまったけど、本当はあれ素戔嗚が櫛名田比売を誘拐した話だからな?」
「誘拐? なんでそんなことを」
「一目惚れじゃね? そもそもさあ、誰かあの神話に疑問を持てよ。今まであっちこっちで散々好き勝手やってた素戔嗚の奴がさ、なんでわざわざ交換条件で結婚なんて持ち出すんだよ? あいつの性格考えたら一目惚れした瞬間誘拐しちまうつーの」
諏訪子が酒を飲み干し、元のコップに酒を注ぐ。それを元が飲んだら諏訪子のコップに酒を注ぐ。その繰り返しだった。
「実際、あいつはクシナダを攫おうとしてた。そこに八岐大蛇が割り込んで、素戔嗚の奴をぶちのめしたんだよ」
「……さらっと言ってるけど、八岐大蛇って素戔嗚より強いの? 後なんで八岐大蛇が櫛名田比売を守るのさ?」
「だってその土地の守り神だったし。あとさ、素戔嗚の方が強いんだったらなんでわざわざ酒で酔わせるんだよ? 自分に実力がありませんって言ってるようなもんだろ。知識もないからクシナダの親に酒を作らせてるし」
そこまで聞いていた諏訪子は、ふと疑問が浮かび上がる。
「あれ? 素戔嗚は八岐大蛇を酔わせたのは本当なんだよね? そして酔わせるお酒を作ったのは櫛名田比売の両親」
「そうだけど?」
「……なんでその二人はお酒作ったのさ? 娘の恩人を罠に嵌めるなんてこと、普通する?」
「ヒント、櫛に変えられた櫛名田比売。……殆ど答えだな、これ」
元はそう言いながら苦い顔をする。当時のことでも思い出してるのかもしれない。
そうこうしていると、酒がなくなってしまった。諏訪子は帽子からさらにもう一本の酒を取り出し、注ぐ。
「櫛名田比売を、人質にされた?」
「正解。クシナダの親はクシナダを人質に取られ、八塩折之酒を作らされ、それを八岐大蛇に献上した。『娘を荒ぶる神から守ってくださったお礼』だったけか。んで、後は神話の通り。八岐大蛇はガブガブと酒を飲み、グースカと寝たところを素戔嗚がズタズタにしましたとさ」
めでたしめでたし、とふざけた調子で言い、酒を飲み干すと席を立つ。そのまま手をプラプラと振りながら歩き去ろうとする。
「ご馳走さん。酒で酷い目にあったけど、やっぱり酒は美味いよな」
「ちょいちょい、話がまだ終わってないわよ。神話の通り殺されたなら、あんたは何者なのか。ついでに、櫛名田比売とその両親はどうなったのか」
「…………」
諏訪子に背を向けたまま、元の動きが止まった。
人間の背中だった。少なくとも、諏訪子にはそう見えた。
背中を向けたまま、暫く元は黙っていた。やがて、ゆっくりと口を開く。
「死んだ」
恐ろしいほど、感情のない声だった。その声を向けられたわけでもないのに、周りで騒いでいた人妖たちが口を閉ざす。
「死んだ。ああ、死んじまった。クシナダの奴はあの野郎に強姦されて精神が壊れてそのまま自殺したし、その親のアシナさんとテナさんは直接話を聞きに行った時に素戔嗚に殺されちまった」
そこまで言い切り、元は諏訪子の方に振り返る。
あらゆる感情がない顔をした男は、諏訪子の疑問にこう答える。
「俺は八岐大蛇だよ。ただし、人間で、二代目だがな」
それだけを言うと、元は今度こそ歩き去る。
その歩みを止める者は、誰もいなかった。




