名前のない神様
奇妙な感覚だった。
竜也は全力で走っているのに、いつまで経っても蒼に追いつけない。走ろうが歩こうが、一定の距離を常に保っている。
(……まあ、ここは幻想郷。常識で語る方がおかしいのかな)
走っても変わらないので、途中から竜也は歩いていた。流石に全力疾走は疲れる。
歩いて五分経った頃、竜也たちは里の外れに着いた。蒼の足が止まる。
「八岐大蛇さん、連れてきたぞ」
トンッという、軽い音がした。
「…………竜也」
いつの間にか、元は竜也の後ろに立っていた。その表情は堅く、何やら怒っているようにも見えた。
「……えと、どうしたんですか」
「……加賀竜也」
元は再度竜也の名前を言い、
「――おっそいんだよ!!」
竜也に全力で頭突きをかました。
「っ!?」
ゴンッ! と鈍い音がし、竜也の体が傾く。だが元は竜也が地面に倒れるのを許さず、その首根っこを掴み取りガックンガックンと揺らす。
「遅い! 遅すぎる! お前欠片の欠片とはいえ龍神の力持ってるだろうが! なんで八回もあの女に突っ込んでんだああん!? 八回って俺の首と尻尾と同じ数じゃねえか多すぎるわ!!」
「うぼ、おぼぼぼ……」
元が何やら叫んでいるが、竜也は超高速で体を揺らされているのでまともに頭に入ってこない。
見るに見かねた蒼が元を止めに入る。
「八岐大蛇さんよ、そいつ何も知らないんだから止めとこうや」
「……つーか、お前はなんでずっと八岐大蛇って呼んでんだ?」
「偽名なんて呼ぶ気になれないからね、仕方ないね」
「……名前なんざとっくの昔に捨てた。いや、今はそれどころじゃないな」
ようやく元は竜也から手を離す。竜也は支えを失い、地面にパタリと倒れる。
「さてと、それじゃあ何もわかってない竜也に状況を説明してやろうか」
「…………」
「おーい、生きてるかー?」
元は地面に倒れている竜也の首根っこを掴みんで持ち上げる。竜也は捕まった猫みたいにぶらーんと空中で垂れ下がる。
「……生きてます。生きてますから、なんで俺がこんな目に遭ってるのかの説明をお願いします」
「オーケーオーケー」
元は首根っこから手を離し、竜也を自由にする。竜也も今度は倒れずに立つことができていた。
「……とりあえず、お前も気づいてるだろ? なんか何を見ても妙な既視感があるのを」
「あ、はい。さっきのパレードとかも、見てて綺麗だと思うのと同時に、どっかで見たことあるなと」
「それな、実際に見たことあるんだよお前」
「……? どこでですか?」
「今日。幻想郷の里で」
「???」
「まあ、その疑問はごもっともだな」
ふむ、と元は少し考え、こう聞いてくる。
「お前はさ、ループものって知ってる?」
「えと、一日が終わったら、何故かその日の朝に戻ってた、的な奴ですか?」
「うん、今まさにその状態」
「へ?」
「あれだよあれ。誰かさんが死ぬたびにこの世界の時間が巻き戻ってんのよ。……その誰かさんが誰かについては、言う必要ねえよな?」
「え、いや、え? 俺が死ぬたびに朝に戻る? そんなこと……」
「じゃあお前の既視感についてどう説明するんだ?」
「…………」
竜也は、反論ができなかった。
はっきり言って、スケールが大きすぎる。龍神が云々の時点で、彼の理解できる範囲を超えてるのに、そこに「お前が死んだら世界が巻き戻る」なんて言われてもわけがわからない。
元は竜也の反応を見て、軽く溜め息を吐く。
「……まあ世界が巻き戻る云々は気にしなくていい。要は死ななければいいんだからよ」
「……あの、なんで俺が死ぬたびに世界が巻き戻されるなんてことに……」
「そりゃあ、あいつの行動原理は『叶わない夢を叶えること』だからな。お前が龍神に力に身を委ねても巻き戻すだろうさ。たった一人の願いを叶える為に万の人間を殺すような奴だし」
「……あいつ? 奴?」
竜也が頭に疑問符を浮かべていると、元は空を指差す。
「あいつ。あの空に浮かんで里の奴らを見てニヤニヤしてる奴」
そう言われて竜也も空を見上げるのだが、竜也が見ても誰もいるようには見えない。
(……まさか宇宙から見てる、なんて言ってるんじゃあ)
「あ、流石に今の竜也には見えんか。成層圏にいるし」
「マジで言っちゃったよちくしょう!」
ガクッとその場に膝をつく竜也。そりゃ見えないわけだ。
……というか、成層圏にいる人の姿が見えるって、やはり妖怪を人間の常識で考えるのがおかしいのだろうか?
(この幻想郷では常識に囚われてはいけない、と)
幻想郷に染まってきた竜也。まだ滞在数日目である。
「……あいつって、結局誰なんですか?」
「神様」
「……へ?」
「だから、神様」
元は空を指差したまま、あっさりと口にする。
「名前も神話も存在しない。故にどんな願いも叶えられ、些細な願いを叶える為にその他の全てを叩き潰すことを厭わない、くそったれな神様だよ」