魔女先輩と呪いのビデオ
部室のカーテンが閉め切られ、部屋は薄暗い闇に包まれていた。
ブラウン管テレビの砂嵐が、チカチカと青白い光を放っている。
「……これを見たら、一週間後に死ぬらしいです」
部屋の隅で体育座りをしている女子部員・小箱さんが、無表情でビデオデッキの再生ボタンを押した。
彼女はホラーマニアの一年生だ。ヘッドホンで常に心霊音声を聴いているため、会話のキャッチボールが成立しないことが多い。
「マジで? すげーじゃん! 俺も見せてよ!」
その横で能天気に騒いでいるのは、僕のクラスメイトの佐藤だ。サッカー部の練習帰りに、僕を冷やかしに寄ったらしい。
制汗スプレーの匂いと、無駄に白い歯。この「陽の者」のオーラが、オカルト部の淀んだ空気には合わない。
「あ、静久先輩チース! 今日もミステリアスで美人っすね!」
「あら、ありがとう。佐藤くんも元気そうで何より」
先輩は優雅に微笑んでいる。
佐藤の軽いノリにも動じないのは流石だが、僕は面白くない。部室という聖域を、土足で踏み荒らされている気分だ。
「じゃあ、みんなで鑑賞会といこうか。一番ビビった人が、全員分のジュースを奢るってルールで」
先輩がパンと手を叩き、僕の隣に座った。
配置は、前列に僕と先輩。後列に佐藤と小箱さん。
画面にノイズが走り、不気味な井戸の映像が映し出された。
「うおっ、音こわっ!」
「……静かに。霊障が逃げます」
後ろで佐藤と小箱さんがやり合っている。
僕は画面を凝視した。
――チープだ。
画質の劣化具合からして、VHSを三回はダビングしている。音声には低周波が含まれているが、これは人間の不安感を煽るための古典的な手法だ。
恐怖など微塵も感じない。僕の脳内は、映像解析モードに入っていた。
その時。
太腿に、何かが触れた。
「……透くん」
先輩の声が、耳元で囁かれる。
暗闇の中で、先輩の手が僕の膝の上に乗せられていた。
「怖い? 手、繋いであげよっか?」
先輩は、僕が怖がっていると思っているらしい。
いつものパターンだ。僕がビビって先輩にしがみつくのを期待している。
だが、今日の僕の心拍数を上げているのは、呪いのビデオではない。
後ろで佐藤が、身を乗り出して画面を覗き込んでいる。
その視線が、時折チラチラと、先輩の背中や横顔に向いていることに、僕は気づいていた。
(……何見てんだよ、佐藤)
無意識に、奥歯が鳴る。
先輩の綺麗な黒髪や、制服の襟元。それを部外者に見られているという事実が、得体の知れない不快感を呼び起こしていた。
ガタッ。
僕は椅子を強く引き寄せた。
「……っ?」
先輩が小さく息を呑む。
僕は先輩の手を握り返すことはしなかった。
その代わり、自分の体を先輩と佐藤の間に滑り込ませるように、大きく左に傾けたのだ。
「……透くん?」
「佐藤、うるさい。映像に集中できないだろ。少し後ろに下がれ」
僕の声は、自分でも驚くほど低かった。
恐怖による震えではない。
ただ、自分の領域を守ろうとする、野生動物のような威嚇。
先輩の目が、暗闇の中で大きく見開かれた。
いつもなら「怖がってるねー」と笑うはずの場面だ。
けれど、先輩は口を半開きにしたまま、僕の顔を凝視している。
(……あれ? 先輩?)
その表情は、動揺していた。
僕が怖がっていないことに驚いているのか、それとも僕の態度の変化に戸惑っているのか。
先輩の頬が、みるみるうちに赤く染まっていくのが、暗がりでも分かった。
「……透くん、なんか、男の子っぽい顔してる……」
ボソリと漏れたその言葉は、呪いのビデオの悲鳴にかき消された。
ギャァァァァァッ!!
突然、画面から女の霊が飛び出し、爆音が響いた。
「うおぉぉッ!?」
「……きゃっ」
「……びくっ」
佐藤が椅子から転げ落ち、小箱さんが肩を跳ねさせ、先輩が僕の腕にしがみついた。
僕だけが、眉一つ動かさずに画面を見つめていた。
「……ただのジャンプスケア(脅かし演出)ですね。音量バランスが悪いです」
照明がついた。
佐藤は顔面蒼白で床に這いつくばっている。小箱さんは満足げに頷いている。
そして先輩は――僕の腕を掴んだまま、まだ少し呆然としていた。
「……静久先輩? 大丈夫ですか?」
「え、あ、うん……びっくりした……」
先輩はパッと手を離し、制服の裾を整えた。
いつもの余裕を取り戻そうとしているようだが、耳まで赤い。
「佐藤、お前の負けだ。ジュース奢れよ」
「マジかよー、透、お前心臓ねーのかよ……」
佐藤が逃げるように部室を出て行く。小箱さんも「……除霊してきます」と言ってどこかへ行ってしまった。
再び二人きり。
気まずい沈黙が流れる。
先輩はまだ顔が赤い。いつもの調子が戻っていないようだ。
「……先輩、大丈夫ですか? 意外と怖がりなんですね」
僕が優位に立てるチャンスだと思って軽口を叩く。
すると、先輩はようやく顔を上げ、じっと僕を見つめた。
その瞳には、いつもの観察眼が戻りつつあったが、どこか潤んでいる。
「……透くん」
「はい」
「さっき、妬いてたでしょ?」
ドキリとした。
「は? 何のことですか」
「佐藤くんが私を見てたから、隠そうとしたんでしょ。……独占欲?」
「ち、違います! 視線誘導による恐怖効果の減退を防ぐために……!」
言い訳を並べようとしたが、熱が顔に集まっていくのが自分でも分かった。
自覚はなかった。でも、言われてみれば、あの時の感情は明らかに「嫉妬」だった。
「ふふ。……顔、真っ赤」
先輩が、僕のシャツの裾を掴んだままの手で、クイッと引っ張った。
「計算外だったけど……まあ、嬉しかったから許してあげる」
小声で囁かれた言葉に、僕は何も言い返せなくなった。
幽霊よりも、科学よりも、何よりも。
やっぱりこの人には勝てない。
オカルト部の魔女先輩は、僕の心を読み違えたふりをして、結局は全部お見通しなのだ。




