魔女先輩と手相占い
放課後の部室は、珍しく静まり返っていた。
宇宙と交信していた漆間くんは、昨日受信した電波の発生源を突き止めるため(恐らく近所の工事現場だ)、早退している。
「……透くん。手、出して」
静久先輩が、読みかけの分厚い洋書をパタンと閉じて言った。
「嫌です。どうせまた、何か企んでるんでしょう」
「人聞きの悪い。今日は『手相』を見てあげようと思って。魔女の嗜みとしてね」
先輩は机の上に両肘をつき、手招きをする。
「手相なんて、非科学的の極みですよ。掌のシワなんて、胎児期に手を握る動作でできた『屈曲線』に過ぎません。脳の活動や運勢とは無関係です」
「あーあ。相変わらず可愛くない。……透くん、もしかして怖いの?」
「……は? 何がですか」
「自分の未来を知るのが。それとも――」
先輩は目を細め、挑発的な笑みを浮かべる。
「私に手を握られるのが、恥ずかしいとか?」
カチンときた。
その安っぽい挑発に乗るのは癪だが、ここで逃げたら肯定したことになる。
「……どうぞ。何も出ませんよ」
僕は右手を差し出した。
先輩の白くて細い指が、僕の手を包み込むように取る。
ひんやりとしているのに、どこか柔らかくて温かい。
先輩は僕の手のひらを上に向けると、親指の腹でゆっくりと線をなぞり始めた。
「ん……」
くすぐったい。
物理的な刺激以上に、神経が過敏に反応している。
先輩の顔が近い。俯いているせいで表情は見えないが、サラサラの黒髪が僕の手首にかかって、そこもまたくすぐったい。
「生命線は……長いね。しぶとく生き残りそう。知能線は……うわ、くっきり。理屈っぽい性格がそのまま出てる」
「ほっといてください」
「で、気になる感情線だけど……」
先輩の指が、小指の下から人差し指に向かう線をなぞる。
そこで指が止まった。
「……あれ? これ、ちょっと複雑だね」
「何か悪い相でも?」
「ううん。透くんの感情線、先が二股に分かれてる。『あげまん線』の一種かも」
「あげまん……?」
「付き合った相手の運気を上げる相だよ。透くん、意外と尽くすタイプなんだ?」
先輩は顔を上げ、ニシシと笑った。
「へぇー。透くんに愛される未来の彼女さんは幸せだねぇ。論理的に尽くしてくれるんでしょ?」
「ちゃ、茶化さないでください。ただのシワです」
顔が熱い。手を引っ込めようとしたが、先輩がギュッと握って離さない。
「待って。まだ一番大事なところを見てない」
「まだあるんですか?」
「結婚線」
先輩は僕の小指の付け根あたりを、じっと凝視する。
「……ふむ。晩婚かな。でも、一本だけ、すごく濃くて強い線がある」
「そうですか。それは良かった」
「相手はね……年上で、ミステリアスで、ちょっとわがままな女性だって出てるよ」
僕は思わず先輩の顔を見た。
先輩は澄ました顔で僕の手を見つめている。
それって、完全に自分のことじゃないか。
「……ずいぶん具体的な手相ですね。コールド・リーディングにも程がありますよ」
「手相に出てるんだから仕方ないじゃん。諦めて、その運命の女性に尽くしなよ」
そう言って、先輩は僕の手を両手で包み込んだ。
占いは終わったはずなのに、手は離されない。
部室の空気が、甘く重くなる。
ガチャ。
「あー! 先輩! 呪いのビデオのノイズ除去終わりましたよー!」
唐突にドアが開いた。
放送室に行っていた一年生の小箱さんだ。ボブカットの彼女は、USBメモリを片手に入ってきて――僕たちの手元を見て固まった。
「……あ。お取り込み中でした?」
「!!」
僕は弾かれたように手を引っ込めた。
「ち、違う! これは屈曲線の医学的検証を行っていただけで……!」
「はいはい、ご馳走様ですー。データ置いとくんで、あとは若いお二人でどうぞー」
小箱さんはニヤニヤしながらUSBを机に置き、逃げるように去っていった。
パタン、とドアが閉まる。
最悪だ。完全に誤解された。
「……透くん」
「……なんですか」
「手、汗ばんでたね」
先輩は悪びれもせず、クスクスと笑っている。
この人は、本当に――。
「もう帰ります!」
「あ、待ってよー。駅前のクレープ屋、新作出たんだって」
僕は鞄をひっつかんで立ち上がった。
これ以上ここにいたら、手相通りに運命を操られてしまいそうだ。
――もちろん、僕は知らない。
僕が背を向けた後、静久先輩が自分の掌をじっと見つめていることを。
『……透くんの手、男の子の手だったなぁ。ゴツゴツしてて、大きくて……』
そして、自分の「結婚線」をそっと指でなぞりながら、誰にも聞こえない声で呟いたことを。
『私の手相にもさ……「年下の理屈屋」が現れるって書いてあったらいいのに』
オカルト部の魔女先輩は、今日も僕の手を握る口実を作って、自分自身の未来に淡い期待を抱いている。




