魔女先輩と秘密の共有鍵
翌朝の昇降口は、生徒たちの喧騒に包まれていた。
僕は靴箱の前で、見慣れた長い黒髪を見つけた。
「……あ」
先輩も僕に気づいた。
いつもなら「おはよー透くん、今日の運勢は最悪だよ」なんてからかってくるところだ。
しかし、今日の先輩は違った。
「っ……!」
僕と目が合った瞬間、顔を真っ赤にして、脱兎のごとく逃げ出そうとしたのだ。
「待ってください、先輩」
「き、聞こえない! 私は何も聞こえない!」
先輩が耳を塞いで早歩きする。
無理もない。昨日の今日だ。自分の黒歴史を後輩に読まれ、しかも「論理的に正しい」と肯定されてしまったのだから。
メンタルが崩壊していてもおかしくない。
僕は少し歩調を速め、先輩の隣に並んだ。
「おはようございます。昨日の『重要資料』ですが」
「わあああ! 言わないで! その単語を出さないで!」
「クラウドにバックアップを取っておきましょうか? 物理的紛失のリスクを回避するために」
「やめて!! ネットの海に放流しないで!!」
先輩が涙目で僕の袖を掴んでくる。
その反応が新鮮で、少しだけ意地悪をしたくなった。
以前までのパワーバランスは「魔女>一般人」だったが、今は「秘密を握られた魔女<秘密を知る共犯者」に変化している。
「冗談です。あれは僕の脳内メモリにのみ保存されています」
「……それも嫌なんだけど。忘れてよぉ……」
「無理です。インパクトが強すぎました」
先輩は「うぅ……」と唸り、恨めしそうに僕を睨んだ。
でも、その瞳にいつもの怯えはない。
僕たちは肩を並べて、教室への階段を上がった。
*
放課後の部室。
先輩は大人しかった。窓際で紅茶を飲んでいるが、視線はどこか遠くを見ている。
僕が参考書を開いても、茶々を入れてこない。
(……調子が狂うな)
静かなのは勉強に最適だ。論理的には歓迎すべき状況だ。
でも、物足りない。
この部室には、胡散臭い魔女の笑い声と、非科学的な実験が必要なのだ。
先輩が「魔女」を演じにくくなっているなら、僕がお膳立てをするしかない。
僕は参考書を閉じた。
「……先輩」
「ひゃい!?」
先輩が素っ頓狂な声を上げてビクリとする。
「今日は『召喚術』の実験をするんじゃなかったんですか?」
「え……?」
「ほら、先週言ってましたよね。異界の門を開くとか何とか」
そんな予定はない。適当な出まかせだ。
先輩はキョトンとして僕を見ていたが、やがてその意味を理解したのか、口元が少しずつ緩んでいった。
「……ふふ。透くんも物好きだね」
先輩がカップを置き、水晶玉を撫でる。
その瞳に、いつもの悪戯っぽい光が戻ってくる。
「一度ならず二度までも、魔界の深淵を覗こうなんて。……私の手下になりたいの?」
「手下じゃありません。共同研究者です」
「生意気な後輩。……じゃあ、準備はいい?」
先輩がニヤリと笑い、指を鳴らした。
――バンッ!!
その時、部室のドアが乱暴に開かれた。
タイミングよく(悪く)、漆間が飛び込んでくる。
「マスタァァァーーー!! 大変です!!」
いつもの光景だ。
先輩が「あら、召喚に応じた使い魔第一号ね」と笑おうとした、その時。
「組織からの『最後通告』が届きました!!」
漆間の手には、いつものアルミホイルではなく、一枚の厚紙が握られていた。
ただならぬ気配に、僕と先輩の表情が強張る。
「……何それ」
先輩が紙を受け取る。
そこに書かれていたのは、無機質な明朝体の文字。
『部室使用許可の取り消し、および同好会への格下げ勧告』
差出人は、生徒会執行部。
理由は――活動実績の不明瞭さ、校庭使用に関する苦情(第8話)、および近隣からの異音に対する通報(第4話)。
「……嘘」
先輩の手が震えた。
紙がカサリと音を立てる。
「私の……せいだ……」
先輩の顔から、さっき取り戻したばかりの「魔女の仮面」が剥がれ落ちていく。
この場所を守るために、必死で演じてきたのに。
それが逆に、この場所を奪う原因になってしまった。
部室に、重苦しい沈黙が落ちた。
漆間ですら、おろおろとして言葉を失っている。
――バッ。
僕は先輩の手から、その勧告書を奪い取った。
「……透くん?」
「論理的欠陥だらけの文書ですね」
僕は内容を一読し、鼻で笑った。
「活動実績不明? これだけの『現象』を起こしておいて、実績がないとは言わせません」
「でも……」
「校庭使用の件も、異音の件も、すべて事象としては観測されています。解釈の違いにすぎません」
僕は勧告書を机に叩きつけた。
「先輩。戦いましょう」
「え……?」
「僕たちがここで積み上げてきた『時間』が、無意味じゃないと証明するんです」
僕は先輩を真っ直ぐに見つめた。
昨日の「黒歴史ノート」に書かれていた、先輩の切実な願い。『君の隣に立つために』。
その場所を、こんな紙切れ一枚で奪わせてたまるか。
先輩が、潤んだ瞳で僕を見上げる。
やがて、その唇がギュッと結ばれ、力強い弧を描いた。
「……そうだね。私の魔術をコケにするなんて、いい度胸だね」
先輩が立ち上がる。
その背中には、もう迷いはない。
「行くよ、透くん、漆間くん。生徒会室に『呪い(抗議)』を届けに行くよ!」
「了解ですマスター!!」
オカルト部の魔女と、その共犯者たち。
僕たちの「居場所」を賭けた、新しい戦いが始まろうとしていた。




