魔女先輩と忘却の詩(ポエム)
放課後の部室に、漆間の絶叫が響き渡った。
「マスタァァァーーー!! 発見しました! ついに見つけました!」
アルミホイル帽子を被った漆間が、埃まみれになって飛び込んでくる。
手には、黒い革表紙の古いノートが握られていた。
「図書準備室の開かずの扉(ただの用具入れ)の奥底から、禍々しいオーラを放つ『禁断の魔導書』を発掘しました!」
漆間が恭しくノートを掲げる。
窓際で紅茶を飲んでいた静久先輩が、何気なくそちらを見た。
「へー、すごいね漆間く――」
ガチャン。
先輩の手からティーカップが滑り落ち、ソーサーの上で甲高い音を立てた。
紅茶がこぼれるのも構わず、先輩は顔面蒼白で立ち尽くしていた。
その瞳孔は開ききり、唇は震えている。
「……え。嘘。なんでそれ……捨てたはずなのに!」
「おお、マスター・シズクがこれほど動揺するとは! やはりこれは世界を滅ぼす禁断の書!」
「違う! 漆間くん、それ見ちゃダメ! 今すぐ燃やして!」
「えっ!? 焼却ですか!?」
「いいから寄越しなさい!」
先輩が獣のような俊敏さで漆間に飛びかかった。
いつもの優雅さは欠片もない。必死の形相だ。
「うわあ! マスターが闇堕ちした!」
「うるさい! それを渡せば命だけは助けてあげる!」
揉み合いになり、黒いノートが宙を舞った。
スローモーションのように回転しながら、僕の方へと飛んでくる。
パシッ。
僕はそれを片手でキャッチした。
古びた革の感触。表紙には、銀色のペンで何か紋章のようなものが描かれている。
「透くん!!」
先輩が悲鳴に近い声を上げた。
「お願い、開かないで! それを見たら死ぬ呪いがかかってるの! 私の社会的生命が死ぬの!」
その必死さは異常だった。
普段の僕なら、「他人の所有物を無断で閲覧するのはプライバシーの侵害だ」と判断し、そのまま返していただろう。
だが、今の僕は違う。
昨日の先輩の言葉。『もし私が、本当は魔女なんかじゃなくて……もっと、つまらない人間だったら』。
このノートには、その「バグ」の原因が記録されている可能性がある。
これは、解析に必要なログデータだ。
「……失礼します」
僕は先輩の制止を振り切り、ノートを開いた。
「いやあああああ!!」
先輩がその場にへたり込み、頭を抱えた。
漆間が「透先輩、勇者すぎる……」と震えている。
僕はページに目を走らせた。
そこには、震えるような文字で、びっしりと何かが綴られていた。
『孤独な星の巡り合わせ』
『言葉を持たない私は、透明な壁に爪を立てる』
『もしも心が読めたなら、傷つく前に逃げ出せるのに』
『世界はノイズに満ちている。私の声は誰にも届かない』
「…………」
これは魔導書ではない。
中学時代か、あるいはもっと前の先輩が書いた、孤独と不安を綴った日記――いわゆる「ポエム」だ。
痛い。物理的に心が痛い。
厨二病全開のフレーズの端々に、切実なまでの「寂しさ」が滲んでいる。
先輩は床に突っ伏し、微動だにしない。
僕は静かにページを捲った。
日付が新しくなるにつれ、筆跡が力強くなっていく。
そして、最後のページ。
『だから私は魔女になる』
その文字だけが、大きく書かれていた。
『弱い自分を守るために。強い仮面を被って、笑って、君の隣に立つために』
『もう二度と、誰かを遠ざけたりしない。嘘でもいいから、繋がりを作るんだ』
手が止まった。
「魔女」は、人を遠ざけるための壁じゃなかった。
臆病な少女が、誰かと関わるために、勇気を振り絞って作った「鎧」だったのだ。
そして、「君」とは誰のことなのか。
パタン。
僕はノートを閉じた。
「……透先輩、どうでしたか? やはり悪魔の召喚術が?」
漆間が恐る恐る聞いてくる。
僕はノートを自分の鞄にしまい込んだ。
「ああ。危険すぎる。一般人には毒だ。僕が責任を持って封印(管理)する」
「おお! さすが透先輩! 自己犠牲の精神!」
「漆間、お前はもう帰れ。記憶を消される前にな」
「ハッ! 了解です!」
漆間は敬礼し、嵐のように去っていった。
部室には、床に突っ伏したままの先輩と、僕だけが残された。
「…………終わった」
先輩が呻くように言った。
顔を上げない。耳まで真っ赤だ。
「もうお嫁に行けない……。透くんの記憶消去したい……物理的に……」
「……素晴らしい文献でした」
僕が真顔で告げると、先輩がガバッと顔を上げた。
涙目で、今にも噛みつきそうな形相だ。
「バカにしてるんでしょ……! 笑えばいいじゃん! 中二病で痛い女だって!」
「笑いません。この著者の切実な願いは、論理的に筋が通っています」
僕は鞄のベルトを握りしめ、先輩を見下ろした。
「弱さを隠すためにキャラクターを作る。それは防衛機制として有効な戦略です。……それに」
「……それに?」
「その願いは、もう叶っていますから」
先輩がキョトンとして瞬きをした。
「『誰かと関わる』『君の隣に立つ』という目的関数は、現在、最適解として達成されています」
僕は部室を見渡した。
漆間が忘れていったアルミホイル。小箱さんが置いていったホラービデオ。佐藤が寄越したピンクの鉛筆。
そして、今ここにいる僕。
先輩が「魔女」を演じたおかげで、この場所にはこれだけの人間が集まったのだ。
「……え?」
先輩が呆然と口を開ける。
理解が追いついたのか、その顔がボッという音を立てて茹で上がった。
「う、うわああああ! もうやだこの理屈男! 恥ずかしい! 恥ずかしいよおおお!」
先輩は顔を覆ってジタバタと暴れた。
「ノート返して! 今すぐ燃やすから!」
「お断りします。貴重な研究資料として保存します」
「最低! 悪魔! ……バカ透!」
先輩の悲鳴が、夕暮れの部室に響き渡る。
僕は鞄の重みを心地よく感じながら、小さく笑った。
魔女の正体は、やっぱりただの不器用で可愛い女の子だった。
その秘密を知ってしまった以上、もう後戻りはできない。
僕たちは共犯者になったのだ。




