魔女先輩とバグの発生源
放課後の図書室。
僕はカウンターで貸出データの整理をしていた。図書委員の当番だ。
「よお、透。真面目にやってんじゃん」
声をかけてきたのは、クラスメイトの佐藤だ。
サッカー部の練習着姿で、スポーツドリンクを片手に持っている。
「冷やかしなら帰れ。ここは神聖な知識の集積所だ」
「固いこと言うなよ。……なあ、最近お前さ」
佐藤がカウンターに肘をつき、声を潜めた。
「静久先輩と、なんか雰囲気変わったよな」
キーボードを叩く手が止まる。
「……何がだ。観測誤差の範囲内だろ」
「いや、違うんだよなー。前は『先輩が一方的にからかって、お前が逃げてる』感じだったけどさ。今はなんていうか……」
佐藤は少し言い淀み、頭を掻いた。
「『二人で一つの空気作ってる』っつーか……正直、周りが入りづらいんだよ。バリア張ってるみたいで」
心臓がドクリと跳ねた。
バリア? 僕たちが?
ただの先輩と後輩、からかう側とからかわれる側。その関係性に変化などないはずだ。
そう、論理的には。
「……お前の気のせいだ。部室が狭いから、物理的距離が近いだけだ」
「ふーん。まあ、そういうことにしといてやるよ」
佐藤はニヤニヤしながら去っていった。
残された僕は、画面のカーソルが点滅するのを、ただぼんやりと見つめていた。
*
図書委員の仕事を終え、部室に向かう。
ドアを開けると、静久先輩が窓際の席でトランプを広げていた。
「お疲れ、透くん。遅かったね」
「佐藤に捕まってまして。……何してるんですか?」
「相性占い。タロットじゃなくて、数秘術を使った統計的なやつ」
先輩は手元のカードを並べ替えながら答えたが、どこか上の空だった。
視線が定まらない。指先の動きもぎこちない。
「……先輩? 体調悪いんですか?」
「えっ? ううん、全然! 元気だよ、魔力満タン!」
先輩は慌てて笑顔を作ったが、その拍子にカードの山を崩してしまった。
「あーあ……」
「僕が拾います」
僕がしゃがみ込み、散らばったトランプを拾い集める。
先輩も同時に手を伸ばす。
指先が触れた。
「あ……」
静電気が走ったように、二人同時に手を引っ込める。
気まずい沈黙。
佐藤の言葉が脳裏をよぎる。『二人で一つの空気作ってる』。
「……ごめん。ありがと、透」
ボソリと言われた言葉に、僕は耳を疑った。
「……今、呼び捨てにしました?」
「えっ!? し、してないよ! 『透くん』って言ったよ! 空耳じゃない?」
「いや、確かに『透』と……」
「気のせい! 絶対気のせい!」
先輩は顔を真っ赤にして否定し、トランプをかき集めて箱に押し込んだ。
明らかに動揺している。
そして、その動揺は、いつもの「からかい」を楽しむ余裕から来るものではない。もっと切迫した、何かを隠そうとする焦りのように見えた。
*
帰り道。
日はすでに落ち、街灯がポツリポツリと灯り始めている。
僕たちは並んで歩いていた。会話はない。
いつもなら先輩が「今日の透くんは~」と茶化してくるのに、今日は足元の影を見つめたまま黙っている。
「……ねえ、透くん」
不意に、先輩が立ち止まった。
街灯の下。逆光で表情がよく見えない。
「もし私が、本当は魔女なんかじゃなくて……もっと、つまらない人間だったら、どうする?」
唐突な問いかけ。
でも、その声の震えは、冗談ではないことを告げていた。
あの雨の日。「私はイタイ魔女だよ」と言った、あの時の弱々しい声と同じだ。
僕は足を止め、先輩の方を向いた。
ここで茶化してはいけない。
論理ではなく、真摯な言葉で答えなければならない。
「先輩。僕は……」
息を吸い込む。
つまらない人間? 関係ない。
僕が見ているのは「魔女」という設定の静久先輩じゃない。
不器用で、優しくて、たまにドジで、僕の心をかき乱す、ただの――
「――なーんてね!」
僕が言葉を紡ぐ前に、先輩が明るい声で遮った。
顔を上げると、いつものニヤリとした笑顔が貼り付いていた。
「そんなわけないでしょ。私は由緒正しき魔女なんだから。透くんの心なんて、魔法でイチコロだよ」
「……先輩」
「あーあ、お腹空いた! 早く帰ってご飯食べよっと! じゃあね、透くん!」
先輩は背を向け、逃げるように走り出した。
その背中は、何かを恐れているように見えた。
本当のことを言ってしまうのを。
そして、僕に本当のことを言われるのを。
僕は追いかけることができなかった。
遠ざかっていく背中を、ただ見送ることしかできなかった。
(……逃げたな)
今までの僕なら、「またからかわれた」と処理して終わっていただろう。
だが、今の僕の論理回路は、別の解を導き出している。
あれは「嘘」じゃない。
あれは「SOS」だ。
僕は拳を握りしめた。
もう、ただの「観測者」ではいられない。
あの不器用な魔女の嘘を、僕が解読してやらなければならない。




