魔女先輩と奇跡のロジック
試験当日の教室は、独特の緊張感に包まれていた。
一限目は、僕にとって鬼門となる数学の実力テストだ。
「うわっ、透。お前ミサンガとかキャラじゃねーだろw 彼女か? 彼女できたのか?」
隣の席から茶化してきたのは、クラスメイトの佐藤だ。
僕の左手首に巻かれた、青と白のミサンガを目ざとく見つけてニヤニヤしている。
「うるさい。ただの……願掛けだ」
「へー、願掛けねぇ。お前も神頼みとかするようになったか。青春だねぇ」
佐藤が肩を叩いてくる。鬱陶しい。
僕はこのミサンガにオカルト的な効果など期待していない。ただ、これを外すと、あの時の先輩の悲しそうな顔が脳裏に浮かんで集中力が乱れるからつけているだけだ。あくまで合理的判断だ。
「透先輩! 大変です! その腕にあるのは!」
今度は廊下側から、一年生の漆間が血相を変えて飛び込んできた。
テスト前だというのに、相変わらずアルミホイル製の帽子を被っている。
「それは古代アステカの拘束具!? 透先輩、ついに組織に捕まったんですね!」
「違う。これはミサンガだ」
「いいえ! その編み方は間違いなく、生贄の魂を封印する呪術的結び目です! 今すぐ切断しないと、先輩のIQが吸われますよ!」
漆間がハサミを取り出して襲いかかってくる。
こいつ、本当に厄介だ。
「やめろバカ! 近づくな!」
僕が身をかわした瞬間、悲劇が起きた。
漆間の足が僕の机に引っかかり、筆箱が派手に床に散乱したのだ。
ガシャン。パキパキパキ。
嫌な音がした。
恐る恐る床を見ると、愛用のシャーペンが無残に踏まれ、予備の芯ケースも粉砕されていた。
「あ……」
「ひいいっ! 呪いだ! アステカの呪いだ!」
漆間が悲鳴を上げて逃走した。
残されたのは、筆記用具を失った僕だけ。
チャイムが鳴る。
教師が入ってくる。
(……終わった)
まさか、こんな形で詰むとは。
これがミサンガの呪いか? いや、単なる漆間というヒューマンエラーだ。
だが、現実は変わらない。書くものがない。
「おっ、やべーじゃん透。ほら、俺の予備貸してやるよ」
横から救いの手が伸びてきた。佐藤だ。
なんていい奴なんだ。僕は感動で涙が出そうになりながら、その鉛筆を受け取っ――
「……佐藤。これは何だ」
「妹のやつ。ファンシーだろ?」
手渡されたのは、全体がショッキングピンクで、天面にハート型の宝石がついた『魔法少女リリカルルル』の鉛筆だった。しかもB(濃い)。
「……背に腹は代えられない」
僕は屈辱に耐えながら、その魔法ステッキのような鉛筆を握りしめた。
試験開始。
紙面を走るピンクの鉛筆。
周囲の視線が痛い。だが、集中しろ。
大問3。積分の応用問題。
手が止まった。
見たことのない形式だ。公式が当てはまらない。
(くそっ……ここで詰まるのか)
焦りが思考を鈍らせる。
貧乏ゆすりをしようとして、ふと、左腕が目に入った。
青と白のミサンガ。
不格好な結び目。
――『バカ透』
あの時の、先輩の拗ねたような声が蘇る。
窓際の夕日。絆創膏だらけの指先。
そして、その直前の会話。
『邪魔しないでください。今、積分の計算中なんで』
あの日、僕は部室で積分を解いていた。
先輩が話しかけてきたせいで中断された問題。
あの問題のパターンは、確か……。
(……待てよ。これ、変数を置換すれば、あの時の形になるんじゃないか?)
脳内の霧が晴れた。
あの日の記憶が、そのままヒントになった。
カリカリカリカリ!
ピンクの鉛筆が猛スピードで走る。
解ける。解けるぞ。
ミサンガが魔力を発揮したわけじゃない。
でも、このミサンガがあったからこそ、あの日という「記憶のインデックス」を引き出せたのだ。
――終了のチャイム。
僕は大きく息を吐き、魔法の鉛筆を置いた。
放課後。
オカルト部の部室。
「どうだった? 魔術の効果は」
静久先輩が、ニヤニヤしながら聞いてきた。
僕の腕には、まだミサンガが巻かれている。
「……まあ、おかげさまで及第点は取れそうです」
「おっ、素直じゃん。やっぱり効いた?」
「いいえ。これは『記憶想起のトリガー』として機能しただけです。オカルト的な効果は認められません」
僕が強がると、先輩は「はいはい」と笑った。
「透ー! あの鉛筆返せよー! お前のせいで俺の筆箱の中、キラキラなんだけど!」
「透先輩! アステカの呪いは解けましたか!? 除霊の準備はできています!」
廊下から、佐藤と漆間が雪崩れ込んでくる。
静かだった部室が、一瞬で騒がしくなる。
「うるさいな、お前ら。部室を遊び場にするな」
「いいじゃん、ケチくせーこと言うなよ」
「先輩! このミサンガ、やはり危険です! 今すぐ焼却を!」
僕はため息をつきつつ、左手首のミサンガを袖の下に隠した。
「焼却しない。……これは、僕のだ」
ボソッと言うと、漆間が「ひえっ、もう洗脳されてる!」と騒ぎ出す。
その様子を、先輩が紅茶を飲みながら眺めていた。
「ふふ。透くん、友達多いね」
「……腐れ縁ですよ」
騒がしい日常。非科学的なトラブル。
でも、たまにはこういうのも、悪くない。
僕はミサンガの上から手首を軽く握り、小さく息をついた。
誰も「お守りのおかげ」とは言わない。
でも、不格好な結び目が繋いだ小さな縁が、確かに僕を救ったのだ。




