魔女先輩とESPカード
放課後の旧校舎、三階の突き当たり。
そこにある「オカルト研究部」の部室は、いつも埃とインク、そして少しだけ甘ったるいお香の匂いがする。
西日が差し込む窓際で、その人は水晶玉を磨いていた。
腰まである長い黒髪に、透き通るような白い肌。黙っていれば深窓の令嬢に見えるが、その正体はオカルト研究部の部長・静久先輩だ。自称「魔女の末裔」である。
「透くん。君、いま『帰りたい』って思ったでしょ」
部室に入った瞬間、鈴を転がしたような声が飛んできた。
パイプ椅子に座り、スマホで『超ひも理論入門』の記事を読んでいた僕は、ビクリと肩を震わせる。
……図星だ。
「……思ってませんよ。部活に来たばかりじゃないですか」
「嘘だね。つま先が出口の方を向いてるよ。逃走本能の表れだね」
先輩は水晶玉越しに僕を見て、口元だけでニヤリと笑う。
その笑顔が、小動物を狙う蛇みたいで心臓に悪い。僕は観念して、先輩の対面にある椅子を引きずり出した。
「そんな細かいところ見てるんですか。ていうか、今日は他の部員は?」
「漆間くんはUFOを呼びに屋上へ。小箱さんは呪いのビデオの編集作業で放送室。つまり、今は私と透くんの二人きりってわけ」
先輩は磨き終わった水晶玉をゴロリと転がすと、長いまつ毛を伏せて僕を見つめた。その瞳は、水晶よりも深く、何かを見透かすように光っている。
「……透くんはさ、まだ私の力を信じてないよね」
「信じるも何も、僕は再現性のない現象は認めませんから。霊感もゼロですし」
「じゃあ、試してみる? 私の透視能力」
先輩は制服のポケットから、数枚のカードを取り出した。
丸、十字、波線、四角、星。
シンプルな図形が描かれた、いわゆるESPカードだ。一昔前の超能力番組でよく見るやつ。
「ルールは簡単。この五枚から、透くんが好きなカードを一枚選んで、心の中で強く念じるだけ。私がそれを当てたら、透くんの負け」
「負けたらどうなるんですか?」
「そうだね……。今日の帰りに、駅前のクレープ奢って」
「……いいですよ。その代わり、外れたら今日は部活をサボって帰ります」
僕は口の端を吊り上げた。
確率は五分の一。二十パーセントの純粋な確率論だ。オカルトが入り込む余地なんてない。
それに、僕はポーカーフェイスには自信がある。表情筋の微細な動きさえ制御すれば、心を読めるはずがない。科学の勝利を証明するチャンスだ。
「いいよ。じゃあ、いくよ」
先輩からカードを受け取る。
僕はテーブルの下でカードをシャッフルし、一枚を抜き取って、両手で挟んで隠した。
選んだのは『☆(星)』のカード。
(……人間は無意識に、端のカードを避ける傾向がある。そして単純な円や四角よりも、複雑な形状に目がいく。心理学的な逆張りを考慮しても、この『星』こそが最も選ばれにくく、かつ意志の強さを象徴する……)
脳内で御託を並べたが、要するに一番かっこいいからだ。
「選びました」
「オッケー」
静久先輩が身を乗り出した。
机を挟んで、顔が近づく。
ふわっと、先輩から甘い匂いが漂った。シャンプーの香りか、それとも怪しげな香のお香か。
先輩の大きな瞳が、僕の目をじっと覗き込む。
「……目を見て。目は口ほどに物を言うから」
「どうぞ。何も読み取れませんよ」
僕は平然を装って見つめ返す。
だが、距離が近い。近すぎる。
先輩の整った顔立ちが目の前にあるせいで、心臓が勝手に早鐘を打ち始める。
(落ち着け。これは心理戦だ。心拍数を一定に保て。動揺は自律神経の乱れ、すなわち敗北だ)
「ふふ、透くん。まばたき、増えてるよ」
「乾燥してるだけです」
「ふーん……。見えた」
先輩は悪戯っぽく微笑むと、僕の手元を指差した。
「選んだのは――『☆』でしょ」
心臓が跳ねた。
僕は思わず、隠していた手を開いてしまう。そこには確かに、星のマークが描かれていた。
「なっ……!?」
「当たり。はい、クレープ確定」
先輩はVサインを作って、満足げに椅子に座り直す。
バカな。完全に表情は消していたはずだ。コールド・リーディングか? それとも瞳孔の動きを読んだのか?
「ま、まさか、本当に心が……」
「読めるよ。言ったでしょ、私は魔女だって」
「い、今の僕の心の中も分かるんですか?」
僕が恐る恐る尋ねると、先輩は再び身を乗り出し、僕の耳元に顔を寄せた。
吐息がかかる距離。
「うん、分かるよ」
「……な、なんて考えてます?」
「『先輩の顔が近くてドキドキする』……って、思ってる」
――ボッ。
音が出そうな勢いで、僕の顔が熱くなった。
「ち、違います! 『接近戦における心理的優位性の確保について』考察してたんです!」
「あはは、顔真っ赤。透くんって本当に分かりやすいね」
先輩は楽しそうに笑うと、鞄を手に取って立ち上がった。
「さ、行こっか。チョコバナナクレープが私を呼んでる」
「……うう、納得いかない。再検証を要求します……」
僕は渋々立ち上がり、先輩の後ろ姿を追う。
やっぱり、この人は何か特殊な能力を持っているのかもしれない。僕の論理的思考が、完全に停止させられてしまった。
――もちろん、僕は知らない。
静久先輩がいつもより少しだけ早足で歩きながら、自分の頬を手で仰いで熱を冷ましていることを。
『透くん、こういう勝負の時は毎回、ヒーローっぽいからって理由で星を選ぶんだよね……理屈こねてても、子供っぽくて可愛いなあ』
そんなことを考えて、顔が緩むのを必死に堪えていることを。
オカルト部の魔女先輩は、今日も僕の浅はかな論理を見透かして、少しだけ嘘をつく。




